只生きていれば良いのか

03/01/23 南方週末 寧船浩

 人が高齢化した時、一番恐れるものは何でしょう。私の答えは孤独です。孤独なまま病を得て死を迎えるとしたら、これほど恐ろしいものはない。
 李さんは今年70才。このアパートに住んで丸2年が経つ。彼の楽しみは毎月末の子共達の訪問である。子共達は今は仕事が忙しく、李さんの世話が出来ないことを十分に知っている。しかし出来ることなら子共達と同じ家に住み、毎日顔を会わせたい。飴をしゃぶって孫の守をし、天の命ずるまま安らかに老後を過ごす、これが普通の老人の願いである。しかし、生活のリズムは近頃次第に早くなり、また社会の競争もますます激しくなってきている今日であり、伝統的な生活様式であった老人と一緒に過ごすという生活を捨てさせている。色々な形の社会的養老制度が生まれてきている。それは収入の高低によってそこに入ってきた老人の衣食の心配を無くそうとしている。
 私達が老人に安心してその老後を過ごして貰うために、実は大切なことを見逃している。それは老人自身の気持ちの問題で、仕事から離れた寂しさを克服することが必要で、さらには家庭から離れた孤独感と社会から見捨てられていく感覚である。
 老人達は十分節約しているし、彼らの要求は、ただ生活できて医療の心配がないことである。多くの養老制度は老人の満足を計ってはいるが、しかし心理面の要求をあまり考慮していない。
 老人の孤独感は華やかな娯楽設備が必要だと言っているわけではない。身体が動かなくなって何も出来ないとか、長患いで寝たっきりになることで、寝所のベッドと天井だけが見ることの出来る世界になる、この苦しさである。
 老後の問題は誰もがいつか当面する問題で、我が中国では家庭の形が「124」と言う構造になっている。一組の夫婦と二つの家庭(夫婦の両親の家)そして4人の老人、これである。この形が中国が当面する老人問題の厳しい基本構造である。
 経済の発展によって、各家庭が老人を養う時代から社会保障としての形態に変わるべき時代に来ている。一方老人自身の生活方式も人それぞれと多様化して来ている。
 そのことは、もう家庭と各老人との結びつきが必要なくなったと言うことを意味しているのではない。養老という言葉の意味はその中身が問われているのだ。
 老人は一人一人が英雄である。青春が流れ去り、喜びや悲しみをいくつも経験し、社会的な変化に出会い、動乱や戦争にも出あい、
その生命の最後まで勝利を目指して脈動しているのだ。

 関連資料
 
 60歳以上の人口は全体の10%。65歳以上は7%。これは老人型国家と言われている。中国は99年に老人型国家に入っている。そしてこれは即ち世界一老人人口が多いことを意味している。またその増加率も世界一だ。 欧米の経済発達した国では約半世紀を掛けて高出生率を克服し、今では低出生率、低死亡率の国に変わっている。
 中国では60歳以上の人口は00年に1.3億に達している。地球全体の20%で有る。これは英国、フランス、スイス、ノルウエイの4カ国の人口の総和である。80歳以上の高齢者人口は1100万人で、これが年平均5%で増加している。21世紀中頃、中国の60歳以上の人口は4.4億で、これはアジア全体の36%を占め、世界全体の22.3%となる。
 上海では既に79年に老齢化都市になっていて、それは中国の中では最も早い。平均で6人に1人が老人だ。3個の家庭に1人の60才以上の老人が居ることになる。
 これに続いて北京、天津,江蘇、浙江、山東、広東、遼寧、広西、四川が列ぶ。遙か奥地の青海、チベットなどの経済未発達の地方でさえ2010ないし2020年には老人型社会へと突入する。  

訳者注:
 普通、後進国は出生率が高いので老人国家ではない。しかし中国は毛沢東の時代30年間に渡って「生めよ増やせよ」を奨励したので、人口が激増し、20年前から「一人っ子政策」を採用した。これが、若者が少なく老人が多い根本原因である。
(毛沢東に人口急増の危険性を訴えた北京大学総長は即追放されて、98年に死亡記事が出ていました。)
 同時に老人国家は経済活動する人口比が少ない。それが経済の成長を束縛する。日本も同じ。しかし中国の場合この問題が自国のことだけに収まるか、将来やがて大問題になる可能性もある。

 この記事のように親が子共夫婦と別居するというのは極めて少ないし、親と離れて家を持てるというのは恵まれた人だとも言えます。 
 現在中国では、一組の男女が結婚するとき、その夫婦は男の側の両親の家に一緒に住む。このため親は男の子が欲しくなる。実際たった1人の大切な娘は結婚して余所へ行ってしまうのである。老後の社会福祉が発達していないからこれは親にとって、とても不安となる。ここに男尊女卑の下地が出来る。