党書記が億万長者の免罪を雪ぐ指示
03/12/18 南方週末   記者 曹勇 

今記者の背には大きな風車が見えている。 その周囲は洋風の建物で賑やかに開けている。ここは四川省徳陽市の有名な建築である。
 ここの人達にとってこの風車にはいろいろな見方がある。一般の人にとってはここは風光明媚な観光地である。政界で活躍する人達にとっては、ここは政治的に大きな獲得物として誇りにされている。昔ここは一面の荒地であった。とにかく一騒動後、今は開けた名所となっている。
 ある民営の企業家は、これを見れば忘れられない人がいるという。
 8年前、一人の人がここに立って「もし私にほんの少しのお金ができれば、この荒地を切り開いて、周囲を森にし、一片の緑の美しい庭を造って見せよう」と語った。
 そして8年後、2003年11月22日、その彼は四川省の監獄に囚われている。彼が語ったように森ができたが、しかし美しい庭は彼のものではなくなった。
 彼とは、徳陽市のある企業家で、20世紀90年代の最大の成功者で、億万長者として名をなした。そして現在囚われの身である。
 彼は本来は文化人であった。彼の言い方では理想主義者であった。
90年代の始め、彼は不動産業から手をつけた。90年代中頃、地元政府の要求によって土地の開発に取り組み、3年以内に徳陽市の3分の1の土地を開発した。地元の人の話では、もしその後の逮捕が無ければ当然中国の富豪として名を残しただろうという。
そもそも彼に災いをもたらした遠因は彼の「口数の多さ」という。彼は党や政府の要人に媚びつらない。商人としてのずる賢さがない。人をこき下ろしたりする、とのことだ。
 彼の名前は「肖安寧」。商売が順調だったとき、彼は大学を創り、政府に寄贈しようとした。それは彼が富が貯まり、何となく危険を感じてきたからで、社会的な責任も感じ、富の一部を福祉の方面に回そうとしたのである。だが街の評判は「彼は気が狂ったのでは」と言う見方であった。
 記者が彼を獄中に見舞った時、彼に南方週末の「孫大午」の記事を見せた。やはり億万長者になったとき、政府と銀行家などの謀略によって投獄されている人である。彼はこの記事を見て「私も商売には一切”賄賂や裏金などの不正”はしませんでした」と言う。
そして自分の場合、孫大午に比べ、もっとひどい目に会ったという。

 突然の悪運

 80年代の末に肖さんは「政通公司」を創った。それは政府の文化局の下部組織であった。1994年、中央政府の通達で私企業と各級政府は別組織とすることの命令がきた。そして彼の企業は有限公司として改名された。
92年、徳陽市は経済開発区を造ることにした。このとき彼の企業がその仕事を請け負うことになった。
 市政府と党委員会が1畝2万元で買い占めていた土地を彼は1畝10万元で100畝買い取るように求められた。
翌年、国家財政逼迫を理由に、2年間遊休の土地は取り上げるとの通達がでた。
この通達を聞いた人達は驚いた。まさしく党幹部の高く売って取り上げる陰謀である。 彼が買い取った土地も、とにかく何らかの形で開発の結果を見せないと取り上げられることになった。
そこで彼は土地を小さく切り売ることにした。彼が買い取った土地を小区画に区切り、家屋を建て廉売し、市価の25%で土地を売るというものだった。

 徳陽市はこの方法を認め、彼の公司に2000万元を貸し付けた。そして建設が始まった。1995年徳陽市では「中華楼倒壊事件」と言うのが起こった。彼はこの事件に関係がなかったが、建設関係の政策上各種の制限が追加され、彼の工事が遅滞し、家屋の購入者も契約を破棄する人が続いた。このため資金面に問題が発生。彼は銀行に援助を求めた。市の信用銀行の責任者たちは3800万元を提供する代わりに、市価の半額で風車のある別荘地を譲ることを要求した。
その信用銀行との契約時、農業銀行の責任者が現れ、信用銀行の頭取に向かって「お前たちは深入りするな。我々は肖氏を破産させようとしているのだ。その相手から土地を廉価と言えど買い取れば肖氏には金ができる。こんなことをさせるものか」と脅迫した。しかし信用銀行の米運国という代理人はこの脅迫に屈しなかった。3日後、この代理人は解雇された。
 1月して徳陽市信用銀行は土地の半分を手に入れた。しかし、びた一文肖氏には渡さなかった。それだけでなく、土地の小規模購入者に対し、「肖氏は多額の金額を手にしているが、君たちの中の解約を求める者にはお金を返さない」と公言した。
これを聞いた解約者たちがどっと市政府に押しかけた。」
肖氏は数億元の土地担保の証紙を持って市政府に抗議に行った。肖氏は「こんなに多くの抵当物件を持っているのに、なぜ騒ぎを起こすのか」と問いかけた。
 後日になって、彼はこのときのことを想い出して「あの土地証紙を見せたことは我が一生の悔いです」と語る。

 95年3月21日、彼と許嫁の「温敬裳」とが招かれて市政府に行ったとき、2人は共に逮捕された。徳陽市検察院副検察長が、市の「腐敗取締局長」に「まず逮捕し、後に罪を調べる」と逮捕令をもらった。
 この腐敗取締局長は、この事件は長引くだろうとの見通しを立てていた。
 まず始めに、検察局では不適当だ、として、中級人民法院で検査が行われることになった。
 そして1年半後、「肖氏は不法に公衆から金を預かり、不動産廉売活動をした。および、公的資産土地を略取した」との罪が成立、18年の刑となった。

この腐敗取締局長はその後ずっと良心の呵責を感じていたと言い、2003年11月21日、肖氏の許嫁に対し「あなた方はきっと私を恨み殺すだろう。私はただ上の命令に従っただけなのです」と詫びを述べた。

 肖氏の財産と彼の会社はこうしてあっという間にこの世から消えた。
ある民営企業家によると、「これは陰謀です。銀行のトップと政府のトップが共謀して彼の企業資産を奪ったのです」と言っている。
 しかし徳陽市の党幹部はこのことを否定している。 

破産の過程

 肖氏が逮捕された日、徳陽市の警察は大挙して彼の企業に押しかけた。また同時に、「建設、工商、会計、公安、検察、法院」ら、数十個の部門100余名が合同してこの企業を調査した。
 96年5月2日 、徳陽市国資局、文化局、集団企業事務室、体制改革委員会の4つの部門が「肖氏の企業」は政府の企業である、と宣言した。
この少し前、市政府はこの法的手続きを終えていた。この手続きをした文化局の責任者は「この処置はある筋の命令で仕方なく行ったものだ」と、苦痛な感情を露わにして述べている。その後この作業に関わった3名の副局長が配置転換されている。他の部門の局長は「それは逃げたのでしょう」と言っている。
 逮捕1ヶ月後、文化局の1職員の名前が肖氏に変わって、彼の企業の代表者に収まった。
 この代表者の名前で企業破産届けが出され、6月18日徳陽市法院は破産を認めた。

 企業内容はどうであったか

 破産前に市の資産評価事務所がこの企業を調査していて、資産は2億元、これ以外の土地80畝、等々を加えると合計2.68億元有り、負債は8000万元である。
破産宣言に署名したある館員の話では、彼の所有する資産は実際よりも市場価格が低下している、と説明している。
 その後肖氏の姉、肖安恵さんが、毎日泣きながら資産の整理に立ち会った。
 7千平方米の土地、市場価格数千万元を市の工商局が210万元で買い取った。建設直後の商店街、市場価格数千万元のものを、市の農業銀行が385万元で買い取った。市価数千万元の商店を市の建設部が400万元で買い取った。直後それは900万元で売られている。
 倉庫にあったステンレス製の厨房具で、1組6000元のものが25元で市の整理部が買い取り、直後2000元で売っている。
 肖氏自身の家財は検察によって封印され、親族が触れてはいけないことになった。さらに後日、これら家財道具一切が整理部で接収売却され、屋内は完全な空洞になっている。 
肖氏の姉は涙を拭きながら、以前の会社の人が訪ねてくれたりする話を聞かせてくれた。 こうして彼の企業の総資産1億数千万元が売却され、なお手元に数千万元が残っている。 この公開売却の処理は、文化局長の名前が必要であるが当人は「一切私には関係ないところで動いているようだ」と話している。実際は彼の印鑑と肩書きが使われて処理が進んできたようだ。 

 訴訟は至難

 96年6月28日、肖氏の母と姉の名前で四川省高級人民法院に提訴がされ、「徳陽市国資局は資産評価に誤りがある」と認定した。そしてこの件は徳陽市中院に審理が回された。
再審後、肖氏の弁護人は「この法廷は重大な違反を犯している」と述べている。「審判長自身が被告側の証言をしている。しかもそれが嘘の証言であることが解った」と言う。
 しかし審判長は原告側の発言を認めず、「原告は訴訟の資格を持たない」として本件取り下げを決定した。
 そのとき法廷の傍聴に来ていた人が200名ほど、この決定を聞いて大騒ぎになった。
 
原告は不服として上訴した。96年12月高院が審理をすることになった。原告が集めた一切の証言、証人などが不採用になった。
 これを聞いた肖氏の母は頭を抱えて苦しみだし、そのまま息を引き取った。このときの母の臨終の言葉は「私は初めて裁判というものに立ち会いました。ああ、しかし裁判がこんなものとは、、、、」

 高院の裁決は「肖氏の企業は政府のもの」とされた。
 肖氏は「これほどでたらめで矛盾した話はない」と言う。「法院自身が強奪罪を犯したことになる。そして自分を無罪だと宣言している。しかも強奪した財産を取ろうとしている。超法規的に違法を犯し、合法規的な装いを取ろうとしている」と怒りを述べている。

 原告は再び上訴。2年が経った。四川省の各部門のトップはすべて人が変わっていた。
 それらの各部門のトップは今回は一変して「一体これまでの親方たちは何をして来たんだろう」と言う風に変わっている。
 そして法院の担当者たちも肖氏に同情するようになっている。だが、周囲を見渡して、彼らにも限界を感じている。
 99年11月25日、判決が出た。「市文化局、国家、および肖氏は共にこの企業には関係がない。中院の判決に戻す」と言うものだった。
この判決に肖氏は「これほど滑稽な判決があるだろうか。では企業の数千億の資産は天から降ってきたのか?」と言う。
この判決が出た審理の際、傍聴席の肖氏の叔父に当たる人が「こんな馬鹿な!」と言って、その場で心臓発作を起こし亡くなっている。
だが彼の姉と弟が諦めず再審理を訴え上告中である。そして8年が経った。

勝ったのか負けたのか

 肖氏の弁護士はもう60歳になる女性である。「私の一生で最大の行政権の乱用事件です」という。彼女は各種証拠を法院に提供したがすべて拒絶された。そこで彼女は四川省の党書記周永康に手紙を書いた。「徳陽市は私営企業の財産権を侵し、人権を侵している。法院自体もこの侵害を養護している」と書いた。書記はすぐに調査をすることを約束した。そして1年が経ったが何の変化も無い。また弁護士は党書記に手紙を書いた。そして再び「調査します」と言う返事をもらっている。
 02年11月29日、四川省高院が再審を決定。市政府が裁判担当班を組織し、市の党委員会と政府最高責任者が指揮を執ることになった。開廷に当たって市の責任者が「市と法院が、個人や私企業に負けることはありえない」と宣言した。
 03年3月27日、四川省高院の初開廷の席に肖氏が現れ、傍聴席の人達は一斉に彼に注目した。開廷後、政府の内部文章「肖氏の企業を強制的に政府の所属にさせるのがこの件の目的であり、頭の赤い我々が負けるはずがない」との下りが、党書記から指摘され、党書記は「これに拘らず、法律に従うこと」と言明した。
 9月判決文が出され、これまでの全ての法的判決を覆す、とした。
 肖氏はこの判決は勝利に違いない、と言う。だが、しかし現実はどうか。
 肖氏側が請求した、企業の原状回復は「裁判所の権限外」と言うことになり、「賠償も裁判所では根拠とする法律が無く権限外」、との判断が下された。
 「一体私は勝ったのか負けたのか。財産と人権の侵害はどうしてくれるのか、これまでの長い牢獄生活は???」と彼は自問する。
肖氏の姉の話では、徳陽市の各級部門は責任のなすりあいをしているという。

 03年11月23日、肖氏は刑事事件として告訴することにした。
 「ここまで身体をぼろぼろにされ、人生を無茶苦茶にされ、気持ちだけはしっかりしている積もりだが、これから何ができるだろうか」と言い、「私は党中央がこの数年、法治国家を目指しているのを獄中で聞いている。そのために憲法を変えようとしているのも聞いている。そして賠償法も作成中だと聞いている。きっと何時か私の弁償をしてくれる日が来るだろう」と自分を慰めるように語っている。
図は風車の前に記者が座っているところ。

訳者注:
 また出ました。「ああ、無情」。まるで2千年昔のギリシャ物語を想い出します。
 独裁という制度がどこまで恐ろしいものか、想像もできません。大連にいたとき、ここまで酷い暗黒社会とは思いませんでした。
 私的財産権のあり方、その制限と国家との関係はいつの時代、どんな国でも問題を含んでいるとは思いますが。
 昨年の末の人民大会で私的財産権を認める法律が提案されています。何時か、世界と交流を広げるために、この法律が実現するでしょう。甘いかな?

 法治国家を目指すという党の言説も疑う意見が出ています。現在は法律の上に党が居て、国家を指導するということですが、法治国家では党も法律に従うことを意味します。すると党の特権が無くなります。権力の放棄になります。
 気になるのは、この記事の題が「党書記」の奮闘の成果であるかのように書いていることです。「党は正義の味方である」という欺瞞を書くことによって、この原稿が許可されたのでしょう。

 話が変わります。
 現在世界の国は中国を「経済的に一人勝ち」と評しています。世界の工場という見方も出ています。2030年には日本の経済規模に並ぶと、オランダ政府が発表しています。
 90年代の半ば以降、毎年8%の経済成長だと、政府発表されています。しかし中国の物価は暫減しています。デフレです。失業が増えています。政府発表で8%くらいです。企業の在庫も増えています。失業率は特に東北で酷く、20から30%と地元では見ています。私が大連にいたとき、駅周辺の飲食店街がひっそりしていたのを覚えています。
 もし人口の70%の農民がほとんど生活の改善がない現実を考えたとき、都会の成長率が40%を超えないと、国全体の成長率が8%になりません。(2000年に農民の人口は85%と学校で習いました。都下へ出て違法に働く農民約1億を都会の生活者と考えれば75%に減ります)
また企業の平均利益率が1%だそうです。
 普通の市場経済だと、7%の経済成長があると、雇用が増え、再投資や購買層の拡大が実現するとのことです。しかし中国の現実はこれら全てに矛盾しています。
 では、中国の8%成長は事実でしょうか、まやかしでしょうか。この答えは既存のマクロ的な経済学、常識では説明できないそうです。 
 それを今アメリカに本拠を置いた研究所で世界の経済学者が集まり研究しているとのことで、その要約が「中国経済、超えられない8つの課題」として草思社から出ています。
 1章「仲大軍」氏と、2章「程暁農」氏の話では、結論は、現在の経済成長は党と政府が先行して莫大な規模で投資をして成長を作り出しており、その意味では社会主義的である。しかしそれが中産階級を生み出しておらず、再投資にも繋がっていない。雇用の増大にも繋がっていない。普通の市場経済が0%程度の経済の成長すれすれの状態が、中国の7%に相当するのではないか、と言うことです。
 この分析が事実だとすると、中国元の切り上げは行われないのではないでしょうか。

 なお2人とも圧倒的な人口を数える農民達に政治的発言の場を「農業協同組合」の様な形で与えない限り、社会の安定と成長は無いだろうと指摘しています。 

 現在中国では住民票を常時携帯しなければなりません。各都市はランクが決まっており、北京を1番として、下級の都市へは移動できます。逆は出来ません。しかし昨年から北京市は年収200万元以上の大金持ちは北京への移住を認めたそうです。オリンピックまでに「金持ち市」に変えようとしているのでしょうか。やること全てが社会主義的ですね。国民としての人格の平等・尊重などは全く考慮していません。