日本企業vs中国企業

 03/07/24  南方週末

 中国企業は出来てまだ間もなく、各種決定が迅速で、その意欲が積極的だという評判である。しかし世界経済への参入後まだ充分な体力は出来ていない。日本の企業は国際社会において充分に活躍しており、そして現在その将来に対して特有の危機意識を持っており、中国にとって鏡とする役割を果たしている。

  国際企業家と記者趙嘉魯娜との対談

 中国企業の急速な発展は誰の目にも明確に映っている。ただ世界経済の渦に入って以来多くの難題を抱えて居るのも事実だ。
1980年代から90年代にかけて、日本の企業、ソニー、三洋、松下、等は中国企業が真に育ての親として育成されてきた関係がある。
 しかし最近になってその関係は少し変化している。
中国企業は日本を超えたのだろうか。如何せん、中国企業は今後とも日本の企業を見習い、今後の問題解決の見本としなければならない。そこで記者は在中国の東芝代表平田信正氏と三洋代表の高野彰允氏と対談した。

 日本では「中国脅威論」が盛ん

記者: お二人は在中国の日本代表として「中国脅威論」を如何考えていますか。
平田: 30年前、世界は「日本脅威論」を振り撒いた。現在の中国と同じ役割を果たしていたのかもしれない。しかし軍事力を比べているのではなく、経済に関する論議であるから、「脅威」と見られることは名誉なことでもある。
 中国の制度上における改革が、かくも大きな進歩をもたらし、優秀な人材を輩出し、今後の発展に期待させるものを持っている。
 一企業家が「脅威」を感じるのは、それは精神の軟弱を意味しており、例えを東芝にとって話してみよう。
 全世界の経済競争に一つの国が参加することは、それは大いに歓迎するものだ。その競争を通じて、自己の弱点と今後の対策を考えることが企業家としての生き甲斐である。またこの経済面での闘いには、強ければよいと言うものでもない。そこには共存の為の一定のルールがある。

高野: この脅威論に対しては、いろいろと誤解されている面がある。日本で論じられているのは、もし嘗てのやり方で同じように経営するなら、行き詰まるだろうと言うことが論じられているのだ。 
例えば1980年代、三洋が生産した家庭電気、録音機、等は世界一を占めていた。三洋のマークは誰もが知っていた。中国に於いてもその質と値段において最も人々に好かれていた。しかしこれが現在では市場が狭くなっておりメーカーの競争が激しく、嘗てのやり方では今後の発展はない。
日本企業のあり方について言うと、日本で全て生産しその産品を中国に持ち込めば日本の市場が品不足になる。この世界が一体化した市場の下で中国へ技術移転しなければ、世界の不評を買うだろうし、世界の競争から遅れてしまうだろう。
 現在言われている「脅威論」は、このような世界一体化の下での話で、三洋のように世界に工場を持つ企業では、中国にも生産設備を投入し、そこから他の国々へも商品を出しており、ここ中国でも市場が発展することが望ましい。

記者:では、お二人は中国の製造業の発展をどう見ていますか。中国企業の参入で日本企業はその対策調整にどんな戦略を持っていますか。
高野:日本企業は中国企業に負けることが主たる念頭では無く、日本企業に負けることを念頭に置いている。
 三洋は現在中国の「東莞」でデジタル計測器300万台の生産設備を持っている。これは中国での労働力が安いこと、日本の10分の1であること、がその主要な理由で、日本のどの企業もこれに関しては同じ理由で中国に乗り込んでいる。こうして日本企業間の競争が激しくなっている。
 中国の製造業が大きく伸びていることは間違いがないが、家庭電気などの方面でまだその技術が一歩遅れているのも事実だ。特に新製品開発の力は遅れているのではないか。
 またコストを下げる大規模生産に置いては中国はまだ日本には追いつけないだろう。
 そして高付加価値産品に於いて、利益率の高い方面で、例えば集中冷暖房機や商業用大型冷蔵庫、半導体、電池などに関して、三洋は中国全製品の7割を占めている。
 これらに関しても中国内での販売を広げるために、中国企業(海尓)との合弁も現在考慮中である。
平田:中国企業はまだ日が浅い。積極的で政策決定が早い。しかし世界経済での競争力と言う点ではまだ不十分な面がある。一つ一つの取引において、共通のルールを守ると言う面が疎かにされているのではないか。この面の経験を積むことが中国に望まれる。
東芝は現在、長期の視野で、中国経済の発展の特殊性を熟慮しているところだ。
世界の中で中国は人材において突出している。若者の世界へ向かう進出の心構えは素晴らしいものがある。
 当面の問題では、日本が製造、開発、販売の方面で、中国内での適応・経験習得は今後もっと必要になるだろう。
 中国は現在購買力は極めて高い。世界から進んだ技術産品を買い取ろうという意欲も強い。これらに対応した製品開発と質の高い生産を東芝は計画している。

話が少しずれるが、中国は現在改革開放に沿って新しい政策が次から次へと発令されている。これに即時対応することに在中国の39の企業は苦慮している。東芝としてもこれらに対応できる体制作りに、研究開発、生産、販売、物流、労働環境などに意を尽くしているところだ。

記者:日本企業の特徴はどんな方面にあるのですか。中国企業が学ばなければならないものはどのような方面でしょうか。
平田:日本の企業家はほとんど製造業から育ってきている。この点は欧米諸国とは大きく異なる。欧米の国際企業は金融資本活動をその主たる出発としてきた。信用や情報関係もそうだ。世界のトップ500企業を見てもらえれば解るが、そこに並ぶ日本企業は全て製造業だ。商品を生産販売することを主として世界と取引を行ってきた。日本国内に置いても、製品の質、サービス、信用などは世界の中で最も激しい高い水準で競争が行われている。90年代までにその質に置いては世界の信用に耐えうる、熟したと言えるレベルに達しているのではないか。
 世界に販路を広める過程において、現地と融合する文化をその基本において生産販売を行ってきたと言える。
 私がアメリカ西岸の販売担当だったとき、当然アメリカでの企業であることを心がけてきた。
 その精神的なものはとても大切に思っている。その地の要求に応えること。東芝は日本から生まれたが、しかしその土地の人達の要求に適応した製品とサービスを提供することを常に念頭に置いてきた。 
高野:日本企業が持っている技術は優れており、その水準を高め、最新のものするために、我が三洋は勿論全ての日本企業が努力していると思う。
 三洋に関して言えば、技術開発は各部門に置かれ、その間の連携も密接にしている。総合的な視野で製品が生まれることを重視している。これらが日本企業の強さの生まれるところではないか。
 エジプトのピラミッドが数多くの、専門家やいろいろの人達の総合努力で作られたように、日本の企業は最新のデジタル機器の生産に対して、あらゆる方面の協力を集めて新製品開発製造が行われてきた。
 中国が今後強力な力を持つとしたら、この多方面の協力という方式を作り出す努力が必要になるのではないか。勿論これは短時間で生まれるものではない。

記者:中国企業が今後日本の経験から学ぶものはどんなものでしょうか。
平田:どこの土地であれその競争は世界的水準のものであること、その土地の文化を理解しないといけないこと。経済的な要求も時々刻々変化すること。金融や為替相場の変動。場所によっては戦争中と言うところもある。経済が全地球規模で行われているので、情報量も多く、将来の動きも簡単には予測できない。その膨大な情報量の中から企業の将来を決定するのであるから、担当責任者の判断は高度なものが要求される。私自身いつも自戒している。国際的に展開している企業にとって、いかなる方面からの情報も、あらゆる方角から、常に受け入れる態度が必要で、その中から総合的に判断しなければならない。
 高野:やはり世界的水準の技術がなければやがては消えていくだろう。日本企業は約25年前海外市場へ乗り出した。
 当時は家庭電気の市場拡大が早く、日本にとって恵まれていたことは、メーカーの数が少なく、需要は大きく地球上どこにも需要があった。それが現在では家庭電気関係ではメーカーの数が相当数に増えている。
 三洋について言うと、日本国内では有る程度の認知度があった、が大きな失敗の経験もしている。20年前アフリカで4つの工場を経営していた。南米には3個有った。
 そのほとんどが激しい競争の結果、現在は閉鎖されている。
 中国も今アフリカや米国に展開を始めているが、海外市場形成にはどうしてもその企業独自の商品が無くては維持できないと思う。

 記者:三洋は日本においてノアの箱船と見られていますが、今後どんな方面を目指しますか。
高野:多くの日本企業はその機構において、製造業から金融や物流に方向転換を図るところが出ている。三洋の会長井植敏氏は、製造業を主としながらも、しかしその他への介入も常に心しなければならないと言っている。
10年ないし20年後には製造を60%、物流販売を20%、サービス方面が20%と考えている。それに関係した金融と関係業務も必要であろうとのことだ。この経営方針を6:2:2法則と呼んでいる。
 井植会長は5年ほど前、次の様に言いました。90年代の初め、日本の泡沫経済は一瞬にして消滅。当時企業家としては目標を失った。当時金融は極めて不安定で、多くの企業が海外へ資本を移転した。正に日本企業総沈没の危機であった。その模索の中で井植会長は先ほどの方式を考え出したと理解している。

記者:国外では今どこの国も中国の通貨が依然と同じ状態であることに疑問を呈しています。為替相場が国外販売にとって極めて大きな影響を持っているのは当然です。これについて東芝は如何に考えていますか。
平田:日本の通貨価値は日本企業が国際的に活動する中で大きな変動要素を持ってきた。 人民元について東芝の考えを紹介すると、東芝中国の代表として、私はこの短期内に変換率を上げることを希望していない。人民元交換率のアップの要求は、初めアジア諸国から出ていた。そして現在になって、欧米から、日本の一部企業からも出るようになった。
 WTOの貿易取引を見てみると、中米、中日間の取引はどれも輸出超となっている。
 経済取引は総合的な関係であり、双方の発展が望まれる。一方勝ちでは安定的、平和的に世界経済が営まれない。その観点からすると、斬新的に上げるべきかもしれない。
 1968年、私が東芝に入社した頃日本の「円」は1ドル360円だった。そのころ東芝は輸出好調だった。1971年、ニクソンが1ドル200円の交換率を発表した。直後日本円は40%上昇した。その結果日本は生産コストを半額に落として初めて利益を維持し、輸出の維持もすることが出来た。
 日本円の急速な上昇で、このような優勢な通貨は当然のごとく海外へ向かって投資する可能性が開けた。そして1985年以降、一時1ドル60円という時もあった。じつに70%の上昇である。こうして変動通貨となって、日本企業は嫌が上にも海外へ出かけて行かざるを得なくなった。
この25年の間に日本企業は海外へ大きく伸びたが、この動向が中国の企業にとっても何か参考になるのではないか。


  訳者注:日本企業が開発に当たって総合的に協力体制を作っているという発言は、日本の読者の方はどう思いますか。そんなに巧く行っていると思えない部分がありますね。 しかしこれは相手が中国という、強度の官僚社会の人故に許される発言ではないでしょうか。中国では同じ企業の隣の席のことも知らないふりをします。
 00年6月、海難事故で死者が出た時も、3つの関係機関が我を張って救出に行かず、大災害に発展しました。その時ニュースで「日本のように各お役所間の連絡が取れていたら人命救助されていただろう」と言っていました。
 ここに書かれている、「進出的で政策決定が早く、若い年代の優秀な人材が多い」中国企業というのは、国営のものではありません。
90年代に生まれた集団企業でしょうか。
 企業競争にも「規律が必要」という発言は 、偽ブランドを使用するなという意味でしょう。オートバイはほとんど日本名に似せていますね。
 
 在中国代表の日本人の発言から私たち日本人自身が思いを新たにしなければならないのは、日本多くの企業が円高を利用して世界市場に参入し、世界のトップの生活水準に到達出来たのは、地球上全体が家電製品等々を必要としていた時代であった、ということでしょう。その世界的な趨勢の中で高度成長というものがあり得たわけで、今後はたとえ景気が回復しても、これまでとは違った低成長を基本としたものであり、それに見合った社会・労働のあり方などが求められていると思いますが。
 日本の与党が金蔓を握っていることで尊大な態度を取り、野党は相手を攻撃していれば、その言葉の中に有る程度の真実と可能性が含まれていた時代はもう終わりでしょう。