南京記者殴打事件

03/08/07 南方週末  劉建平

 政府が公共の情報規制を止め、原則公開の規則を立てない限り、このような異常な事件が後を絶たない。

 第一幕は8/1日、15時5分に起こった。
所は南京、午後3時、酷暑であった。江蘇省教育庁2階の会議室。会議の参加者が続々と室内に入る。
 15時5分保安係の李克松が教育庁管理主任からの電話を受けると、記者達に「もう貴様達の採訪の時間は終わった。こんなに大勢の記者が集まり何をしようとするのか。いっさい許可はしない」と叫んだ。
 彼は7/30日、事前に江蘇省の教育テレビ以外の記者は許可しないとの通達を出しsていた。「これは内部だけの会議」と言うのがその説明だった。
 当日の2時半から彼は別の保安係と2人で会場入口に立ち、会議参加者をチェックした。
しかしいつの間にか会場には3名の女性記者が入り込んでいた。そして保安担当の李克松は教育庁の最高責任者に怒鳴られることになった。
 3時会議は既に始まっていた。教育庁庁長王武泰と2名の復庁長が出席していた。会場には民営各種学院の責任者などもいた。
 李と別の保安係が3名の記者を取り囲みすぐ出て行くよう命じた。3名の記者は廊下を通ってエレベーター付近まで来たとき、太った保安係が「何をぐずぐずしているんだ」と怒鳴った。
 女性記者が「まあ、どうしてそんなに口が汚いの。乱暴ね」と答えた。 
保安係はそこで記者を押し出そうとした。2名の記者が階段下へ突き落とされた。さらに保安係は下の階まで追いかけてきて、正面のガラス戸の外へ記者達を突き出した。
 3名の女性達は泣き出し、携帯で彼等の会社と「110」に電話をした。
 寧海路派出所の警察官が駆けつけ、李克松が連行された。

 第二幕は当日の15時50分にさらに大げさに起こった。

 15時40分、南京朝報の編集長黄小明と社会新聞主任廬啓忠、金陵晩報の姚遠、段仁虎、江南時報の向光等々が現場の教育庁に駆けつけた。
 彼等は教育長への面会を求めた。しかし保安係は拒絶。そこへ既に派出所から戻って来た李克松を女性記者が指さし、カメラマンが写真を撮ろうとした。
 すぐ保安係達がカメラを取り上げようともみ合いが始まった。15時50分だった。
 記者の姚がガラス戸に派手に投げつけられた。ガアーンと大きな音がした。それは大きなガラス窓が割れた音だった。姚はガラスが頭の上から落ちてくるのを避けようと懸命に逃げた。しかし体中にガラスの破片が突き刺さった。後に保安係さえ、ガラス片から逃げられて良かった、と述懐している。
 廬記者は顔を殴られ、口中血だらけになった。さらに、高愛平記者は地面に投げつけられた。もう一人趙記者は顔を何度も殴られた。
一人の女性記者が現場には公共の書類が置かれていること、多くの人達が見ていることを注意した。
 以下の一部始終を南京記者が記録した。
 
 姚がエレベーターに引きずり込まれ殴られ、また腕の付け根と背中を噛みつかれ、血が辺りに飛び散った。後ほど狂犬病ワクチンを注射されている。
 高記者によるとその時、姚氏は腰を蹴られて地面に蹲っていた。次にその高氏が殴られ、続いて廬と3人が別の部屋に連れて行かれた。
 黄記者が警察に電話をし、派出所から警察が飛んできた。そして教育庁内部に連れて行かれた3名を助け出してくれるよう警察に頼んだ。
 保安室に行った警察達は保安室に居る高氏を見つけた。しかし保安係は鍵がないから入れないと言う。
 高氏が救出されたのはそれから40分後だった。しかし意識が朦朧としており、嘔吐を繰り返した。すぐ病院へ運ばれた。医者は脳震とうだと言い、72時間の安静が必要と説明した。

 保安係の説明

 4日後の8/5日、記者が保安係の李を尋ねると、彼は「新聞記者達が事件を捏造したんだ」と大声で叫んだ。彼はまた事件の時、10数名の保安係が乱暴を奮ったことを否定し、保安係は3名しか居ないと言う。
 高氏が自分で保安室に入り自分で鍵をかけてしまった、と説明する。

以下中略

 教育庁関係者と、新聞協会の関係者のそれぞれの弁明発表があり、事件がうやむやに終わりそうになった。
 高氏が言うには今年保安係に3度殴打されているとのこと。黄女性記者はこのままうやむやで事件を終わらせたくないと言う。
 8/5日、記者達が集まり事件を法的な場に出して公道の道に照らし、判断を仰ごうという確認をした。
 公安に提出された訴状によると「殴打後40分間監禁されたこと。廬氏が手足を挫いていること。歯が欠けていること。高氏は頭部受傷。趙氏は右あご骨出血。王氏右腕裂傷。これら暴力と拘禁事件を法的に裁いていただきたい」と記している。
 「このような暴力事件が何故教育庁の関係者の中で行われるのか、当然政府要人の責任問題ではないのか。もし記者達の採訪権を認めないなら、今後報道関係は発言力を失う」、と記者達は言う。
 現在この事件は公安関係が調査中である。

 政府が報道関係者の採訪を何時受けようとするのか、どの程度公開するつもりなのか、現在はその基準がない。当時教育関係者が行った会議の中身は省内の民営高校の受験に関するもので、10万人の受験生がその会議の行方を真剣に注目していた。
 教育庁事務局の主任は「会議は教育系統の座談会で公開の必要はない」と主張し、会場内に入った記者達は「多数の受験生が今この会議の行方を真剣に注目している。当然公開する義務がある」と主張している。
 南京大学のメディア研究の学者は次のように指摘している。
「我が国は国家機密と個人の私的な部分に関しては法律上報道を禁止している。それ以外に関しては禁止規定はない。但し政府関係の仕事に関しては報道がどこまで許されるべきかについての解釈はまだ無い。」とのこと。
 今後公衆が情報を求めており、しかし政府が情報公開を望まないとき、ここに対立が発生し、このような事件が生まれたのであり、中国が今後如何に情報公開をするかが、この事件の解決に繋がるのではないか。

新たな新聞法を

南方週末 03/08/14 読者頼り

 先週記載された「南京記者殴打事件」が報じた内容は数多くの類似事件の中でも最悪のものではないか。しかもこのような事件が例によってうやむやにされようとしていることに憤懣やるかたない気持ちにさせられる。
 これをうやむやにすることは、新聞記者活動の人身の安全の基本が中国では保証されていないことを示している。そしてまた中国では新聞報道の自由の原則が決定的に欠けていることを示している。
 有る学者が言っているが、中国では報道の採訪について法的に制限を設けているが、しかし報道機関の活動について具体的な権利について法律上何も解決されていない。これは新聞が社会を監督するという基本的任務を法的に認めないことを意味している。
 このままでは今後ともこのような類似事件が発生するだろう。
 当事件で記者達に暴力を振るった者達を法的に処罰しないことは、法的平等の原則に大きく違反するのではないか。これでは今後法治国家を目指すとした我が国は、全てを法により決すると言う原則を「うやむや」にするのではないか。
 新聞法が中国でも早期に採決されることを望む。 

訳者注:
 今年の春頃のことですが、毎日新聞の投稿欄に次のような記事が載りました。
 その方が北朝鮮に日本の共産党から「赤旗特派員」として建国直後の北朝鮮に滞在していたとき、政府機関に暗殺されそうになり、脱出して日本に逃げ帰った、と言う記事で、この方はそれ以降北朝鮮は「正義の通る国」ではないと主張してきたそうです。
 現在では北朝鮮より中国の方が民主主義が進んでいると言われています。実際中国で出あった人達も自分たちの国は北朝鮮よりは自由だと言っていました。
 でも報道の自由に関しては、基本的には同じようなレベルではないでしょうか。
 これは両国の共通した思想に関係しています。
 「国民は思想的に遅れ、敵側の思想を体の奥深く内蔵している」、それを高度な社会が来るまで党が指導する、と独裁権力側は主張しています。
 このような主張はどこの独裁主義の国家も同じ言い分をしているとは思いますが。

 ただし、南京の事件の場合、教育庁関係者はほとんどが党員です。(公務員です)
 対する記者達、これも勿論党員です。
 ここに両者の対立が「うやむや」になる素地があり、しかし21世紀になって社会主義社会にも少し民主主義の芽がそこから生まれるかもしれないと思える面があります。