海城市の恥ずかしい事件
   南方週末 03/04/17 記者 劉洪波

最近は新型肺炎が地球規模の疫病として猛威をふるっている。
3月になって中国も大きな注目を集めている。まだ医学上はっきりとした解明がされていないが、たとえそれが如何なる種類のものと解っても、まずはその予防が大切である。
 遼寧省海城市で最近、本当に話すのもお恥ずかしい事件が起こっている。
 3/19日、海城市の8カ所の小学生が飲んだミルクで中毒症状を起こしている。4/10日には4400人が異常を訴え、2500人の子供が入院となった。ところがこの中毒事件を地元政府は誰にも知らせようとしないのである。
幾つかの新聞社がその現状を報道したところによると、市の中心医院で治療を受けていた入院生徒達は次の理由で上級の医院に転院することになった。しかし中心医院は他の医療機関へ行くことを「責任は自分で取ること」と言明し、政府は省外へ出かける患者を阻止すべく汽車の駅に公務員を配置している。
 地元の中心医院で診察を受けた生徒達は全員正常だと診断されているのに、北京や上海で受診した生徒達は尿内に亜硝酸銀やベンゼン、スズなどを検出しているのだ。
しかも地元政府当局はまだこの事実を公表してしない。

 事件発生後20日経ってやっとこの事件が報道されるようになった。政府の衛生部と教育部もその後始めて事件を知ったという。
 そして全国から報道関係者が当地へやって来た。そしてやっと第1回事実説明会が行われた。だがその場では何の具体的事実も公表せず、記者の質問にも答えないと言うやり方だった。関係した学校では、政府から出来る限り新聞記者の質問には答えないように、と言う指令を受けているのだ。
 海城市の中毒事件は、政府が人命をどの程度重要視しているかの意識水準を表明している。
 問題は数千人の生徒の命の問題だ。それ以外のなにものでもない。
 政府は生徒達が最も最善の治療を受けられることを第1に考慮しているだろうか。子を持つ親たちの気持ちを第1に考えているだろうか。実際のところ、当局は情報が漏れないことのみに汲々している。特に報道関係者に漏れることを恐れるとは何故か。大衆が知ってから、教育部や衛生部が知るとはどういう事か。

 海城市の「情報を漏らさないことが第1」と言う態度は、中国建国以来始めてではない。この様なやり方はどの地方にも見られる、本当に恥ずかしいことだ。これまでに数多くの災難、事件の中に同じような態度が見られてきたものだ。
 
 災難、事件の処理に当たって、先ずメディアに情報が漏れないことを第1にする方法・態度を自分たちの任務の第1と考えてきた。報道から隠し、密やかに処理してしまうその考えでは、実は妄言が広まり、正しい処理が行われなくなり、逆に当局者だけで穏便に隠し通すことを処理能力と考えている。
 災難・事件の処理には、高度な判断、崇高な決断が必要と、逃げ口上を言うかも知れない。しかし公表、報道されることを、醜態と考えるそのやり方に、人々は安心をくみ取れるだろうか。本当の人道主義は何処にあるのだろうか。  
今回の災難では、被害者達は人命の安全に畏怖、恐怖を覚えている。事実を正視する態度、公衆に即刻周知徹底する原則こそが人命を真に尊ぶ態度ではないだろうか。

公民論壇
 根本的に大衆を誤魔化す報道は止めよ

03/04/24 南方週末   
 胡偉(上海交通大学政治学所長)

 最近政府が情報を誤魔化す、または隠してしまう事件が多発している。この事件は既に誰もが聞き慣れた言葉となっている。この問題は建国後一貫して我が国の政治問題としてあらゆる場所に存在してきた。
 我々の政府は人民政府である、それは先ず人民に責任を負わねばならない。そこには「責任政府」という観念が必要だ。そのためには先ず政府の全ての活動が公開で透明であり、誰もが事実を理解納得出来ることが重要だ。公民が知る権利を各級政府が保証しなければならない。この権利を奪うことは許されない。これを実現するためには報道メディアの役割がその使命を負っていると断言できる。偽情報、情報秘匿の発生を根本的に杜絶することが現代民主政治の最低限の必要条件だ。

3/19日発生した遼寧省海城市の数千人の小学生徒のミルク中毒事件が発生したが、メディアが暴露した所によると、事件発生後20日経過して大衆と党の最高責任者が知る所となった。全国のメディアが必死に追いかけ、そして中央政府からも調査が加わるに及んで、4/9日に「2500名の生徒達が腹痛と目眩・吐き気などの症状にあること」を仕方なく発表した。突然この事件を公表されて、その街は大変な混乱に陥った。
 これは決して偶然の事件ではない。これに似た政府の欺瞞的報道事件は、
例えば:
 01年7/17日南丹で発生した大規模漏水事故は81名の工場で働く人命を顧みず、党委員会は事実を報道させず、惨劇を生み出してしまった。
:02年6/22日山西省繁寺県の金鉱山で地下爆発が起こったとき、37名の労働者が閉じこめられた。鉱山所有者は犠牲者を荒野にばらまき、辺りを焼いて痕跡を隠した。地元政府の調査結果は「4人死亡、4名傷害、34名は安全に避難」と発表した。
また98年から02年5月に掛けて、山西省河津市で14回にわたって継続して起こった鉱山爆発は、95人の死亡を84人に減らして発表している。後にこのことを知った省長は激怒したと言うが、この様な偽報道はあらゆる所で行われているのだ。

 何故この様な偽情報が相当広く、政府から作り出されるのか。これは単に官僚主義とか腐敗現象と言う言葉で見過ごせるものではない。かと言って外部のものが分析できるものでもない。医者が薬で治せるものでもない。
だがこれらは中国の政治体制の中に一般的に存在する問題である。これらの問題はまだ民主政治を与えられていない一般民衆がその改善を求めており、また我が国を現代化させるためにも絶対解決しなければならない問題だ。
 我々の政府は「人民政府」と言う名前を持っている。その名前の示す所は先ず「政府は人民に対して責任を負う」と言うことだ。
 そのためには先ず、「全ての政府行動が公開・透明」で、人民が了解することによってその責任が果たされると言うことだ。
 公民に全てのことを知らせることが政府の義務だ。しかし実際は多くの政府、多くの段階の政府はそれに反対している。
 既述の「ミルク中毒事件」でも、海城市政府は鞍山市政府には大きな抵抗もなく情報を与えているが、しかし一般大衆には全く完全に情報漏れを許さなかった。市民一般は今何が起きているのか、政府が何をしているのか何も知らされなかった。このため住民達は激怒した。
 4/4日午後、被害者の家族達は道路占拠の挙に出た。そこで政府が一歩折れて、先ず第1回の数千家族達との対話が行われた。この時既に事件より17日経過している。
 我々の政府は上級に対しては責任を負うが大衆には責任を負うとしていない。これが問題の本質だ。
 言い方を変えると、ここにこそ「政治改革の必要性」が有り、それは緊急性を持ち、政府改革の最も基本的な部分である。

 第16回党大会が社会主義民主政治の文明化・発展について報告した。それは単なる口約束のものなのか。本当は大衆の大変な苦しみから生まれた政策ではないのか。その実現のために各種制度を作り改善し、普通公民の参政権、選挙権、監督権等々を実現することを切実に求められているのではないだろうか。そしてこそ各級地方政府は人民に責任を負う政府として改まるのではないのか。
 先ずこの実現のためには、広範な大衆に情報を提供しなければならない。この情報の獲得こそ公民にとって最低の権利である。この情報の獲得無くして、大衆がどうして政治に参加できるのか。現在起こっているミルク中毒事件は現在中国の民衆の情報取得の権限のレベルを説明している。
 公民の情報取得権利を奪う為の逃げ口上は見事に準備されている。その中でも常時使われるのは、「情報公開は不必要に公民に混乱をもたらす」というものだ。本当にそうだろうか。
 ミルク中毒事件に例を見ると、有る噂では「あの学生の持っている黴は潜伏期が数十年に及び、一旦発病したらそれまでだ」、また「現在3人が死んだらしい。ある人は失明したらしい」どの噂が広まっている。
 当地の生徒の親たちは心配でたまらない。
新華社の記者は当地での採訪をして「この土地では、誰をも信じられない空気が充満している。特に地元政府のことは全く信用されていない」と伝えている。
 また採訪に訪れている記者達の言動も信じられていない。「君たち記者は政府に買収されているのだろう。政府に幾らもらったのだ」と先ず聞かれるという。
 こんな空気の中で社会恐慌が起こらないだろうか。社会の安定があり得るだろうか。

ここに述べているミルク中毒事件のように中国では事実を非公開されている事件は無限にあり、情報を大衆に公開することは、永遠に不可能なのか。
6.22鉱山爆発事件では、地元政府は偽情報を6.30まで流し続けた。しかしこの事件を多くの記者が採訪で追い続けついに事実が明るみに出された。山西省の党書記もついに新聞記者に感謝状を出し、「もし記者の追求と世論がなければ、決して表面化しなかった」ことを認めた。
人類文明の示す所に寄れば、新聞記事の果たす役割が民主政治の土台であることを示している。
党中央の指導者も「事実から出発し、大衆から出発し、生活から出発する新聞報道が、党の意志と大衆の心を結びつける」と説明している。公民の情報獲得権利を守ること、これが報道機関員で働く者の使命であり、偽情報を流す各級政府に政治の透明化を実現させ、人民に責任を負わせる為に、代えることの出来ない重大な使命であろう