一人の市民が「憲法を守ろう」

03/12/04 南方週末   記者 謝 春雷

 真っ白の衣服を着て「憲法を守ろう」と呼びかけているのは杭州市の離職した教師、劉進成。
 03年3/7日、彼とその仲間10名が白い服を着て杭州市上成区の政府庁舎の入り口に立って「憲法を守ろう」と呼びかけた。その翌日警察は彼等を社会秩序を乱したとして10日間拘置した。
 劉進成はこれを不服として裁判に訴え処罰の撤回と書面による謝罪を求めた。
11/26日、裁判が開かれ彼は敗訴となった。
 白い服を着て街頭で「憲法を守ろう」と言う方式を考え出したのは劉進成である。
昨年後半、彼の住む地域一帯が取り壊しとなって一方的立ち退きを迫られた。彼は公民の住所を確保するのは政府の責任であるとして、各部門に訴えを1年間に100回も行った。だがどの部門も何の反応もしてくれなかった。そこでこれ以上同じ方式で訴えて回っても無駄だと考え、白い服を着て政府庁舎の門前でこの行動に出たのである。この方式は人目をひいた。これまで中国でこのようなことをした人はなかった。憲法がこの行動を禁止しているわけではない、と劉進成は確信している。
 3/7日、区側で数人の強制立ち退きの調停を行うと決めた日である。彼等は調停に先立って、政府の門前で白衣で宣伝を行った。その後法廷に向かい、法官が憲法を守ることを求めようとしたのである。
 その日の午前8時半頃、10人位が白い服を着て宣伝を始めると、人民代表大会会場の警備官が緊張して睨んでいる。直ぐに公安が呼ばれ、彼等の行く手をふさぐ。そして前日の夜、法廷が調停を取り消したことを告げる。
 劉進成らの持つ看板には「憲法を守れ」とか「公民の住所追い出しは許されない」、「強制立ち退きは憲法違反である」等と書かれている。
 区側の責任者は「彼等のやり方は気違いだ。相手にする必要はない」と言う。やがて党書記が出てきて、「君たちのやり方はデモであり、集会であり、示威であり、これらは全て事前に公安の許可を取らねばならない」と警告する。劉進成達は「私たちは只憲法を守ろう、と言っているだけです」として、警告を無視してデモを続けようとする。そのうちこの異様な雰囲気を知った人々、約60人ほどが周囲に集まり取り囲んでいる。彼等は交通の邪魔にならないように車道を避け、ビルの門前の階段の所に立っている。
 ちょうどこの時、人民大会に出席しようとした議員が警察を激励して直ぐに止めさせようとした時、取り囲んだ群衆が議員に口汚くののしりの声を上げるのが聞こえた。20分ほどして彼等の数倍の公安が現れ、彼等を庁舎の中へ押し込んだ。
 区の責任者、殷平凡は「彼等は話し合いに来たのではない。明らかに政府への圧力に来たのであり、それは無理というものだ」と言う。彼等のやり方は集会であり、示威だという。他方劉進成達は平和的に、非暴力の手段に徹していたのが判る。その宣伝行動は約2時間で、10時半には彼等は白い衣服を脱ぎ庁舎から出て行った。彼等が散会して、数人が近くの蕎麦屋に入り麺類を食べていると、一台の警察の車が劉進成の家の方向に走り去った。これを見た誰かが劉進成の家に電話をした。「今警察がそちらに向かった。何事もないか」と聞いている。
 劉進成は家に着く少し手前で警察に捕まっていた。彼は自宅への道でも白い衣服を脱がなかった。それが逮捕の表向きの理由らしい。
劉進成が逮捕されて、午後2時、仲間達はまた白い衣服を着て庁舎の門前に集まった。その時は直ぐに大勢の警察が現れて、全員逮捕された。
公安の説明によると、劉進成達の行動は議会の入り口を妨害し、公衆に不便をもたらし、その影響ははかり知れない、という。
こうして劉進成は10日間の拘留となった。しかしその決定書の下に本人の署名欄があり、そこには「私たちの行動は合法的です」と書かれている。

11/26日、法廷が開かれた。劉進成は彼の弁護士に「私たちは公共の秩序を乱す気持ちは毛頭無かったこと」を強調して欲しいと頼んだ。
 しかし法官に、当然の事として「開廷の前に、法律を守る事を誓うこと」を要求した。もしこの誓いができなければ、法官を忌避したいと要求し、法官を吃驚させた。
法官は警察の要求をそのまま正当と認め、劉進成の敗訴を宣告した。
その少し前の11/21日の法廷でも、彼は法官にこのことを要求し、法官は怒りの余り、「お前の発言は法廷侮辱に相当し拘留は当然だ」と宣言した。
 
浙江大学法学院の法学教授、林来梵は「現在の中国人の憲法意識が如何なるものであるかがこの争いで判る」と言う。「一般民衆の側が日々進歩しているのに対し、党と政府関係の側はほとんど進歩していない。このため、白い衣服を着ていることが話し合いを妨げることになった」
 「一般民衆が憲法を宣伝することは自由だ。しかし時間や場所場所を考えなくてはいけない。」とも言う。

 党書記の余勇は 「自分の要求を通そうとしたら、客観的に可能かどうかを考えてから行動しなければならない」と言う。

 訳者注:本来の党の役割は、民衆の権利を拡大漸進させることで、その運動の先頭に立つ、と憲法では規定されているそうです。
 また、党は最も進歩的な社会の前衛であるとも規定されています。恐らく建国時の数日間はこのような自覚があったのでしょう。
 ところが実態は此処に見るような有様で、このように大衆の権利を抑圧する事件は正に毎日星の数ほど生まれています。もうこの翻訳を見ている人は嫌になってきている頃でしょう。
 何故これほど党が後退し、退化したのでしょうか。
 かってマルクス経済を勉強していた人の話によると、「歴史上、権力を握った者が腐敗しなかった例はない」と言っています。
 まして、マルクスの考えた社会主義では司法や議会までが党の管理下にあります。つまり究極の「絶対専制主義」下にあります。腐らない方が可笑しいくらいでしょう。
 
 更にもう一つの問題は、ここでデモした人達は拘留後無傷で娑婆に戻っています。しかし先日紹介したように、中国では投獄されると看守が古い囚人に暴行を加えさせる習慣があり、多くの無罪で投獄された人が精神異常となって出獄しています。(Hなビデオ事件、農民の企業を倒産させて、その農民を庇った裁判官、その他多数)
 ここにソ連などのこれまでの社会主義国家が「民度」が低いから崩壊したと論じる学者が居ます。しかし「民度」が低いから、現在の中国が崩壊しないとも言えるのではないでしょうか。 
 このような議論はマルクス的な社会主義の根本的な欠陥を見ない不毛論ですが、しかし先進的な集団が人民を指導するという発想自体が誇大妄想ではないでしょうか。「国民計画経済」で国民の生活を計画的に指導するという考え方自体、ものすごい誇大妄想だと、これは中国の事を知ってから考えるようになりました。何しろ計画経済の場合ほぼ100%の人が労働の意欲を無くすと言います。
 
1/9日の毎日新聞によると、この南方週末の日刊紙「南方都市報」が昨年12/27日に、「広州でSARS患者か」と言う記事を書いた「曽」と言う女性記者が、党側の要求で停職になったと報じています。この「南方都市報」の発表直後に中国政府の衛生省が同記事を発表し、先を越されたため。
 独裁国家での官僚主義が充分に証明されていますね。
 1/1日の朝日や日経では、中国の各都市に日刊紙が続出として、北京などは6紙が出ているとのことです。何故新聞業界が活発かというと、1つは投資をする側の意欲があり、もう一つは広告を出したい企業が増えているからだそうです。ただし、新聞企業への投資は、「編集部門を除く」とのことで、その部門だけは党と政府が管理する権利を放棄しないのでしょう。