「可哀想な江沢民」
        湖南省の浪人

 今年の江沢民は本当に気の毒だ。運勢が良くない。あらゆることに傷害がある。先ず初めに共和国主席の席を失った。彼の手下どもがわいわい騒いで何とか無理矢理に軍事委員会主席の椅子だけを守ることが出来た。その椅子で席の温まらない内にSARSが北京を襲い、年寄り臭く慌てふためいて飛び回り、軍事委員会の責をも顧みず、大事な息子を連れて上海に逃げ込み、皆から笑われている。

 SARS事件がまだ終わらない内に、続いて潜水艦沈没事件が勃発。単に普通の訓練なのに規則に反して過剰乗員を載せ、この事件が発生。しかも事件が起こっても海軍は誰もこれに気が付かず、近くの漁民が連絡して初めて知る惨めさ。江沢民は軍を指導すること13年、彼の能力水準をこれで推し量ることが出来る。自分の誤りを認めず責任を部下に押しつけ、叱りつけている。そして海軍司令官と政治委員を免職にした。これを見て天下の人は彼のやり方をあざ笑っている。

 8月になって、彼は突然長沙にお出ましになり、中央委員会が決めた20万人の軍隊削減案を「気狂ごと」と言ってのけた。これには天下の有識者は大きなびっくり、本当に光沢民は気が狂ったのか。9/1日、長沙に遊びに出かけたとき、自分の行き先に戒厳措置を執った。お陰で長沙は街全体が麻痺状態、機能不全となった。周囲の人達にも無礼の極み。人びとの恨みは極点に達している。

 湖南省の人間に何の恨みがあるのか。(訳注:長沙は湖南省の首都。毛沢東の故郷)

昔の諺に「中国が滅びても湖南省だけは残る」と言う。長沙の出来事は湖南省の人達は勿論、外へ出稼ぎに出ている我々だってすっかり聞き知っている。江沢民とは一体何様のつもりか。毛沢東のお札でもぶら下げているとでも言うのかね。

 首相の胡錦濤は10/1日、江沢民に遅れること1月経って長沙にやってきて湖南省人の気持ちを慰め、ついでに自分の売り込みに来た。

 こんなお偉い方が2人も長沙にやって来るなんて一体長沙にどんな問題が発生したのかね。何も無いさ。胡錦濤は大勢の従者を並べて毛沢東の旧居を参観。その時戒厳措置は執らなかった。多くの観光客が胡錦濤の一行を写真に納めていた。「人民日報」がこの時の様子を写真入りで紹介している。彼が毛沢東の彫像に献花したとき、周囲の観光客は皆拍手を送っている。
 「人の心を得る者は天下を得、人の心を失うものは天下を失う」と言う。江沢民よ、おわかりかな。

 可哀想な江沢民よ、9月末の国慶節に貴方はご欠席でしたね。お風邪でも召したのか、それとも誰かに止められたのか。数日後の10/9日、ブッシュが中国にやってきて胡錦濤、温家宝と一緒に彼もブッシュにご面会した。当日のテレビによると可哀想に江沢民は胡錦党の後ろの方に隠れて写っているだけ。ちらっと画面に映るときには懸命にお愛想笑いをして媚びを売ろうとする姿は本当にお気の毒。かっての「皇帝が羽根を失う様は鶏にも及ず早い」というほど急速で哀れだ。

 さらにさらに。中共16次第3全国大会の会報には彼の名前が見えない。本当にもうお呼びが無くなったのか、それとも名前を書くのを忘れられたのか。

 人工衛星「神州5号」が天空に飛び立った日、彼の姿は北京の祝会場にも、現地の指揮センターにも見えなかった。宇宙から乗員の楊利偉が温家宝と電話会談をして見せた。軍司令官江沢民の出る幕はなくなったのか。飛行船が地球に着陸時、温家宝は「中共、国務院、中央軍事委員会」を代表して祝辞を述べた。では温が軍事委員会をも指揮することになったのか。

 新華社は極めて簡単な36字のニュースを載せた。「中央軍事委員会主席江沢民は宇宙飛行の成功を祝って祝電を送った」とある。
 何故祝電の相手の名前がないのか。ひょっとして誰も彼の祝電を欲しい人が居ないと言うことか。

全く哀れなこと、もう例えようがない。


 訳者注:
 先日中国の留学生が尋ねてきました。その時、中国の学生達が今最高に興味を持って毎日見ているインターネットのホームページを教えてくれました。
 反政府のインターネットだとのことです。
www.wenxuecity.com です。(文学街と言う意味です)
 この下三桁が com になっていますね。その意味を聞くと、中国国内ではこのようなホームページが作成できないので、国外で作成しているとのこと。勿論投稿は世界中から送れます。(中国内のwwwは cn (chinaの略)となります)
 やっと中国にもホームページの上で思想の自由が生まれそうですね。
 ただし、このホームページに載せられている原稿は、若者の記事が多く、ファッションあり、流行記事あり、何でもありの自由投稿のようです。日本人から見ると、何故これが反政府なのか、ちょっと理解できません。これ以上の政府批判はどの週刊誌にも載っています。
 江沢民は89年の天安門事件で学生弾圧に銃撃を許可し、現在でも嫌われている。
 中国では半世紀に亘って発言の自由が無かったことを思えば、これはこれですごい文明開化かも知れません。
 具体的には登小平の改革開放以降(68年)、私的な場では指導者への批判は許可されました。現在も公的な場での上級者批判は則逮捕です。
 このようなホームページが公的か私的か、どちらでしょうか。勿論作成が中国国内なら則逮捕でしょう。しかし外国となると、如何とも出来ません。
 でもこのような上級者への言葉使いが、一般の中国人の目に触れるようになれば、中国にも少しは民主主義の芽が育つのではないでしょうか。

 今年中国でインターネットを利用している人口は2千万とも6千万とも言われています。彼等の中で外国語を理解する人は直接外国の情報を見ることが出来ます。
 一昨年のアメリカの9.11事件を中国のテレビ局は中央政府の許可が出るまで報道せず、丸一日遅れて報道しました。その結果中国人は自国の報道に期待できないことを強く自覚しています。これとインターネットとの関係が今後の中国の正常化にどう関係するのでしょうか。

 ついでに言うと、これを教えてくれた学生は、日本へ来たとき、「日本で学んだことを将来帰国後、祖国中国の発展の為に役立てたい」と言っていました。ところが2年後の今では、もう中国には帰りたくないそうです。親の許可も取ったとか。
 台湾の将来についても、「まあそれぞれ言い分がある」と変わってきました。ただし、現在50歳以上の人達は戦争をしても台湾を取り返す、と言っているそうです。 
 もう一人別の学生も商売を勉強したいと言ってカナダに行ってしまいました。