党書記が農民を告訴

 南方週末 02/09/05 記者黄広明 

 8/25日、朱恒寛は記者の電話に「この話は鄭州に行ってからにしょう」と言った。朱恒寛は現在46歳で今年の8/14日に河南省長葛市の党書記に任命されたところで、それまでは河南省蘭考県の県長であり、そこの書記を5年務めていた。「この話」と言うのは朱恒寛が4年前から心を痛めている問題である。
 蘭考を去る少し前の今年の7/17日、彼は誰もが驚く破天荒な行為を選んだ。党書記であり公職の県長が一人の農民を起訴したのである。
 控訴された農民の名は何保安と言い、蘭考県架子郷の村民である。
 朱恒寛の告発状によると、02/7/15日、被告農民、何保安は同じ村の農民数十人を連れて省の党委員会の門前で横断幕を掲げ「 朱恒寛はやりたい放題に人を殺した」と叫んだ。それのみならず、なお「汚職や職務怠慢」であり、その公正な処分を願う、と訴えたのである。この街頭行動は丸二日に渡って行われた。その結果告発人朱恒寛の職務上の信用を著しく傷つけ、人格を傷つけ、名誉権をも侵害したというものである。
 何保安がその行動に出た原因は4年前の98年5/11日、蘭考県の2つの村で土地を巡る争いで千人近い農民同士の衝突があり、朱恒寛は100人の警察を引き連れ現場に至った。その衝突で農民二人が死亡、10人以上が怪我をした。死者の一人が何保安の父である。
 何保安によると、5/11の惨劇の時、衝突を防止することが出来たのに、県長は職責を全うせず、事件を放置した。また事件後の5/25日、100人以上の農民が省政府に押し寄せた時、朱恒寛は死者の娘「何巧真」他30名を逮捕した。これは職権乱用である、と言う。
 朱恒寛によると、5/11の事件前後彼は最高責任者として、職務を全うした。死傷者の出たことは当局の責任とは関係なく、不可抗力であった、と言う。
 死者とその関係者が長期に渡って彼にまとわりつき抗議するのは、政府から巨額の金を獲ろうとするもので、このような金が政府から出るわけはない。しかし既に政府は人道の見地に立って、数万元を払っている。今後は原則論に立って、誰がごねようと支払うことはないであろう。そうでなければ又今後も、騒いで金を獲ろうとするものが出るかも知れない。
 これに対し死者の娘の何巧真は鋭く反発し、農民の目的は金ではなくて公道を守るためである。死者を出した事件の責任者を処罰し、そのための賠償金を得ることは当然である、と反論している。
 両者は何度も対立し、この4年間非妥協的な争いが続いてきた。何家は何度も省と北京にまで出かけている。更に、この数ヶ月の間に9度、集団で河南省党本部前に座り込みをし、横断幕を掲げビラを配った。何巧真はこれは不公正をなくす行動である、これからも続ける、と言いきっている。
 この北京や省政府への上京のために、朱恒寛は党中央や省政府および市政府から何度も調査を受け、また一般メディアからも訪問を受けている。公的な調査は数度あったが、いずれも朱恒寛の職務怠慢の事実はなかったという結論が出ている。
 朱恒寛が言うには、省政府は既に彼の職務上の落ち度がなかったことを確定しているのに、何家は何度も上京を繰り返し、ビラを撒いた。そのため、直接身の上に押しつけられた不快さは言うに及ばず、彼自身の出世に大きく影響し、党の16回人民大会代表選考の身分さえ取り消しとなった。 
 7/15日、何保安は数十の村の農民を引き連れ省の党本部に押しかけ、幕を張りビラを撒いた。
 7/17日、朱恒寛はこのままではどうしようもないと考え、一つの決心をした。法律に訴え訴訟をすることにした。
 その前日、県の公安局長、県の検察局長と相談し、「誹謗罪」が成立することを検討した。ただその時彼の立場上、公が民を訴えるのか、朱恒寛個人が民の立場で農民を訴えるのかが特に検討された。その結果、民が民を訴える方式に決定された。
 そして彼は訴状を書き終え、欄考県人民法院に提出した。直ぐに審査会が開かれ、何保安を逮捕することが決定した。
 8/27逮捕後審査を一通り受けた後帰宅した何保安は自宅で、朱恒寛は職務怠慢のみならず、職権濫用であり、こちらが控訴していないのに、向こうは控訴して無実の罪を着せようとしている、として、「人権を守るために徹底して闘う」と表明した。

 8月になって記者が採訪したとき、朱恒寛は上級組織からの調査を受けていた。そのことを関係者から聞くと、これは何家の再度に渡る上京とその抗議行動が、党の上部に伝わり、河南省に調査の命令が来たとのことだ。

 何故農民を訴えたか

 朱恒寛「私はこれは”民が民を訴える形式”と考えている。
 記者「一般的に外部の人は”官が民を訴えた”と捉えています。おそらくこれは中国建国後初めてのことではないでしょうか。どうしてこのような手段を貴方は選ばれたのですか」
朱「この”官が民を告訴”という言い方を止めてもらいたい。法律上皆平等であり、官である私の仕事とは何の関係もない。実際他に採りうる方法がなかったのでこういう方式になった。相手はこの4年間休むことなく私に取り憑き、心身ともに疲れ、他に話し合いで解決できるならその道を選んだが、しかしその方法がなかったので法廷に訴えた。官が民を訴える方法は現在の我が国の法律にはない。集団で私に纏い付く方法は、もう耐えられない状況になっている。そこで法に訴えることにした。彼等の上京方式は私の名誉を大いに傷つけた。
記者「具体的に相手に何を求めているのですか」
朱「私への誹謗を止めてもらいたい。有りもしないことをねつ造し、公開の場で個人を攻撃し、私を大きく傷つけた。
 彼等は私が公安を指導しながら、殺人を黙認した、これは職務怠慢だと言う。このような罪が事実なら私は疾うに、それなりの判決を受けているはずだ。
 彼等のやり方、公衆面前で横断幕を張り、ビラを撒く、これらは明らかに個人への誹謗罪を構成している。
記者「誹謗とはどのような言動ですか」
朱「彼等は横断幕に”朱恒寛は100名の警察を動員し殺人を見逃した”と書いている。これが誹謗罪である。」
記者「これが事件の本質ですか」
朱「そうだ。その他の言動は副次的なことだ」記者「貴方の個人的な言動に対しては侮蔑の言葉はないのですか」
朱「無い」
記者「では相手の言動が具体的に貴方にどのような危害を加えたのですか。言い換えると大きな損害を与えたとは、何を差していますか」
朱「私の名誉を大きく傷つけた。もし県の書記が100名の警官を引き連れながら殺人を黙認したとなったら、そんなことは県の書記として絶対あってはならないことだ。君が個人として殺人を黙認するなどあり得ないだろう。こんな不名誉なことを公衆の面前で吹聴されて、如何に大きな損害を受けたか考えてみたまえ。」
記者「この訴訟は個人が大きな傷を受けたからですか、それとも今後のためを考えての何か決心があるからですか。」
朱「いや本心、他にやりようがなかったからこの手段を選んだ。」

 法律意識を高めるためにと言う言葉

 記者「貴方の決心に賛成しない人もいると思いますが。というのは上京し公衆に訴えるのは民衆の権利だという人が居ます。公衆の面前で訴えるとき本筋以外のことが現れることもあり、公の立場の人間にとって、その結果民衆の評判が気になると思います。こういう批判に対して貴方はどう思いますか」
朱「そのような見方には賛成できない。上京するのは許されるかも知れない、がしかしその時の行動は法律の範囲でやるべきである。事実をねじ曲げ、個人を誹謗すると、当然法律の制裁が行われるべきである。」
記者「別のある人は貴方の行動を評価しています。それは官の立場の人達の意識を高めるのに大いに役立つ、と言う考えからです」
朱「そうだ。私の知る人達の中にも賛成する人も反対する人も居た。今後中国が法治国家になっていこうとしているとき、民衆も官も共に法律意識を高めねばならない。特に官は今回のやり方を見て法律について考えるのではないか。我々幹部は大衆の意識を高める為に今回の措置を執ったとも考えている。」

 しかし”民が官を訴える”のは困難だ

記者「貴方が今回訴訟したことを外部の人達は”官が民”を訴えたと観ています。貴方は何家が公衆に訴えることを”民が官を訴える方法”と思いますか。
 もし彼等が官の職務怠慢で大きな損害を受けたと考えたとき、政府や公安に対し、訴訟を起こし損害賠償を求めることが出来ると思いますか。」
朱「私達は以前から何家に対し公衆デモを止めるよう指導し、問題があるなら法律の手段を考えるよう教えてきた。しかし彼等はこの道を選ばなかった。現在確かに民が官を訴えるのは難しい。一般民衆に法律意識はない。自己の利益を守る法律的意式は皆無だ。普通には死を選んでも反抗しない。又恥を忍んで重責に堪える。民が官と闘う、これは不可能だろう。これがほとんど一般大衆の考えだ。更に我々官の方も”民が官を訴えること”に公正な態度を採れない。狡猾な奴が如何に官を訴えようと考えても、そんなことは今まで無かった。これが”民が官を訴えること”の難しさだ」
記者「そして何巧真は記者に、相手は県のボスで、民が官を訴えることは絶対に出来ない、と言っています。これについてどう考えますか。」
朱「それはある程度当たって居る。もちろん私の公的な官としての側から民を訴えるのは簡単だ。しかしそれでは何時までも法律は信用されない。今後のことも考えて、法律で紛争を解決する方向に持って行くことが公正だと考える。」
記者「では今回の訴訟で、貴方は自分の身分を利用して裁判を誘導しますか。」
朱「いや、私は法院の独立判断を尊重する。法院が相手をどの程度の有罪にしようとも、それは私とは関係がない。彼等が私の権利を侵害したので法律に訴える、それだけの簡単なことだ。ただ、私は法律上の手続きを踏んだと言うことだ。」
記者「5/11事件後、農民達は何度も逮捕され、彼等は学習班を組織し、勉強を始めました。貴方はこれに対し権力を持って押しつぶしますか。」
朱「いや、法を持って社会を維持することに代わりはない。彼等が勉強会をしてもこちらに別に落ち度がないので、問題はない。」
記者「最近特に彼等の上京が多いのを如何考えますか。」
朱「先ず、我々幹部のことから考えると、彼等幹部がすることで、法律を守らない部分が多くある。態度がいい加減で、時には乱暴である。これらは法律に違反している。又更に、民衆の方も質の悪いのが大勢居る。彼等はつまらないことに何時までもこだわる。
 我々の幹部側には上京するような奴等には弾圧をするのを当然と考えているのが多い。
こうして何時までも解決できないから上京し、上部に訴えることが多くなってきたようだ。これが又一般幹部にとっても遣りづらくしている。」

 上記の対話から学ぶことはとても多い。民衆が上部組織や大衆に直接訴え、そしてある幹部の出世が邪魔される。これらは体制上の大きな問題で、ある幹部は大衆を押しつけ、ある幹部は大衆から収賄を受ける。これではいつまで経っても問題の解決にはならない。

 この事件から学ぶことに反対

 記者「蘭考県にはかって”焦裕禄”という良い書記が居たことがあります。貴方もきっとその影響を受けていると思いますが、しかしその貴方が今回農民を告訴することにしたのは何故ですか。」
朱「私は仕事に当たってこう考えてきた。焦書記は我々の良い見本でした。上級もそうするように我々に要求してきた。農民の方も彼と比べて我々を観てきたのではないでしょうか。そのために今回はマイナスの影響をもたらしたのです。
 具体的に言うと、かってある幹部の同志は私達にこう提案しました。自動車に乗ることを止めて、全て自転車で行こうと。しかし実際問題としてこの時代に自転車で行き来するなんて時代遅れです。」
記者「なるほど。焦書記の時代と現代では土台から違うと。しかし焦書記が農民と創りあった関係が素晴らしかったという人も居ますが。」
朱「これは一つの時代の流れで、昔の幹部と農民の繋がりを今に当てはめることは出来ない。昔は多くの矛盾があっても農民は何も言わなかった。全て蓋をされていた。
 現在は違った意見があれば発言するようになってきた。もちろんそこには限度というものがあるが。これは良いことで社会の進歩していることを意味している。
もちろん昔の方がよいこともあった。昔は幹部と民衆との差はあまり無かった。現在、特に地方へ行けば行くほど農民と幹部との差は歴然としていて、その収入も不正な部分が山とある。」

 大衆が社会の現実を見つめるようになってきて見えてきたことは、ある権力を持ったものは不正を多く働き、不法なことも多く行っている、ということだ。こうして大衆に一つの信号を与えている。”ほとんど全ての官吏は腐敗し汚れている”と。
 これは一つの普遍的事実で、しかしその解決は実に困難な問題である。

 もし県書記が勝訴すると

 記者 郭 国松

 ここでこの訴訟の結果もたらすものについて考察してみたい。
 もし法律上の手続きには問題がないとして、朱恒寛が何保安に対し誹謗罪で訴えたことは、この結果がどう出ようと将来にとって大きな影響を与えるだろう。
1.もし官が勝てば、今後農民から直訴することは不可能になり、誰も大衆や上級に訴えることが無くなり、それは矛盾が一層激化することを意味している。
2.もし官が負ければ、それこそ官側は恥ずかしくて世間へ顔が出せなくなる。審査に当たった法官はそのトップも含めて、その上から大きな圧力を掛けられるであろう。
農民側は勢いに任せて上京を繰り返し、対立が激しくなるだろう。

 ここで3名の法律専門家の意見を聞くことにしよう。

 中国政法大学教授徐顕明は個人の利益が犯された場合訴訟になるのは当然である、と言う。
 では官の朱恒寛は利害を犯されているかという問題がある。
農民にも国家の仕事を授かる人に訴訟をする権利と相手を批判するがある。これは公民の基本的なものである。農民が北京に上京するのもその権利に含まれる。
 今回は公権との問題で民事事件や刑事事件ではない。農民側が大衆に訴える方法に問題が有っても、公権との関係である。公権が侵されたと言えても、官の朱恒寛の権利が侵されているとは言わない。こう考えてくると今回、官個人から”民”として訴えたのは受理すべきではない。ただこのとき、民は公権の立場の人間に対し、その私的範囲に及んで攻撃をしてはならない。 

 中国政法大学教授江平則は、誰にも名誉を守る権利がある。県の書記でも例外ではない、と言う。
ただし具体的に彼の名誉と私権が如何に侵されたかが問題となる。彼の公務上のことについては、誰にもその業務上のことについては批判する権利がある。朱恒寛が職務上取った態度が原因で多くの死者まで出したと言うなら、それは当然農民側に批判する権利がある。が農民が故意に事実をねつ造しているのなら、問題は別だ。
 農民が党本部で横断幕を掲げ、ビラを撒き大声で叫んだことは、問題がないと言える。
 ただその内容が「汚職とか買収とかの事件とは関係がないことを叫んでいるなら」、それは権利を越えている。
 公衆が官僚の職務上のことに関し、批判を行うことは「公権人物」という概念になり、これは世界のほとんどの国では許可されている概念であるが、しかしここ中国では現行の法律にまだその概念はない。

 中国人民大学の教授楊立新は、朱恒寛が農民相手に行った訴訟は、典型的な公法を私用に当てることになり、今回の事件の全ては公権力の問題であり、秩序維持の問題であり、朱恒寛個人とは何の関係も無い、と言う。
もし農民側が直接党に訴えたことが、個人の名誉を傷つけたとなるなら、そしてそれが刑法として扱われるなら、では今後日々に於いて官と庶民が訴訟をしあうことになる。こんな馬鹿なことはない。
 これは今まで大衆の公民権があまりにも粗末にされてきた結果である。

 訳者注:
 私は南方週末に心から何かお礼をしたい。
 この記事を取り上げたことによって、この新聞は中国が近代国家となることに大きく貢献しているとはっきりと断言出来ます。
こんな記事を翻訳できることを心から感謝します。

 ただこの記事では、千人の農民が何故衝突したか、その現場で立ち会った百人の官権は何をしていたかが全く触れられていません。
 その死傷者間の訴訟がないのも気になりますが、中国ではそのような訴訟の例はまだ無いのでしょうか。

また当該の農民に法律的な面で援助をする人が居ることを暗示していますね。こんなことはこれまでの中国にはなかったことですね。

死者の娘の何巧真の権利意識は、これまで読んできた中国の小説の中には全く登場しません。やはり中国も確実に進歩していると言えるのでしょう。