誰が精神病院へ送り込んだのか

 南方週末 02/06/06

 中央人民テレビ放送記者 李宇飛 揚沼畔

 風の緩やかな日当たりの良い午後、記者は北京市永定門外にあるつぎはぎだらけの外壁で出来た掘っ立て小屋に黄淑栄一家を訪ねた。彼女と15才の息子”馬小飛”と12才の娘”馬小玉”が一緒に住んでいる。
 黄淑栄は黒竜江省妥梭県の農民であった。しかし土地請負制度に関する党幹部の腐敗が原因で何度も精神病院へ強制収容され、逃げてここへ流れてきたのだ。
 彼女は背が低い43才の女性で、髪を乱したまま立っている姿は、顔は薄汚れて目は血走っている。ここに来て半年ほど、記者が尋ねてくるといつも同じぼろぼろの革ジャケットを着ている。子供達の父とは1年前に離婚し、残された親娘3人が助け合って生きてきた。
 彼女は「先ず第一の問題は、土地請負制度に関する土地の分配が不公平なことです。党幹部は記載通りに土地を分けてくれません。また村の党幹部の汚職問題もあります。
私は上級組織に訴えました。党農村の委員会にも訴えました。県から調査班が来ました。でも何にも変化が起こりませんでした。そこで次に北京まで来て、政府農業部に訴えました。彼等は私の手紙を見て、地方政府に調査を命じました。そして私が村へ帰ると、私を強制的に精神病院へ収容しました。医者も看護婦も一緒になって私をベッドに縛り付け、注射を打ち、薬を飲ませ、電気を身体に通しました。」
 一体誰がこのような処置を命じているのか、記者は半年に渡る調査を始めた。

 上記の説明は真実だった

 彼女の村は黒竜江省の宝山村で、そこにはまだ汽車は通じていない。経済も未発達と言うべき所。ほとんどの農民は小さな土で出来た小屋に住んでいる。
村の人達に聞いてみると、黄淑栄の説明した話は真実で、農民の一人李源中は「第2期の土地分配が始まった頃、外部から流れ込んできた人達が居た。彼等は別の土地で分配を受けながらこの村でも支給を受けようとした。そこで昔から居る農民達の受け分が小さくなってしまった。」
 他の村の農民のお陰でこの村の農民の受け分が減ってしまった。本来一人当たり8畝の土地が半分になり、矛盾はここから始まった。
1997年12月黒竜江省政府はこれに関する指示書を送付してきた。指示の中身は「穏やかに、小さきは正す」というものだった。 これまで農民に引き当てられてきた土地はゼロに戻して、新しい考えで土地を区分するということだった。
 これに関して党農業政策委組長さえ「ちょっと矛盾している」と述べた。
 黄淑栄が述べた村幹部の腐敗問題を、県の窓口で働く呉芳玉の説明によるとこうだ。
「1998年、県の連合調査隊がここへ来た。そして出た結論は「まあ正しいでしょう」とのこと。
 県の監察室主任の張名貴は、「黄淑栄の言うところの問題は我々も調査を行い真実を掴み、支部書記と村長、会計、出納、これら4人は既に追放された。」と言う。 
 ところが黄淑栄は「私達は3ヶ月調査の結果を待ちました。でも何の連絡もないので、地区委と省の農業委と省検査部を尋ねました。それぞれの部門を3ないし5度もお願いに伺いました。でも何の連絡も来ません。そして北京にまで行きました。農業部王明秋所長が農業委員会宛の手紙を書き、直ぐに解決しましょうと約束した。」
 こうして彼女はやっと何か動きが掴めたかと安心した。

 貴様は精神病だ

 ところが彼女の思いも寄らないことに、彼女の災難はそこから始まった。
1998年5/30、黒竜江省ハルピン市第一専門科医院(ハルピン市精神治療医院)の3名の医師が黒竜江省の会議室に呼ばれ、”黄淑栄の精神病鑑定”を命じられた。鑑定結果は「偏執状態。北京訪問時は非正常な状態」となった。この日は1998年の端午の節句。黄淑栄が言うには、「3台の車に乗った12人が突然私を連れて行きました。省政府事務室から私を車に拘束し、精神病院へ連れて行きました。そのとき7・8人の医者や看護婦が一緒でした。
 彼女の息子と娘が自分の母親が連れて行かれるのを目撃している。その息子の話では、何人かが息子に卵や菓子を与え、また買ってやるよ、と言いながら子供二人を家に送り返した。
 娘の話では、「私はそのとき地面に座り込んで大声で泣きました。お母さんを帰して、と。お母さんをどうするの、と聞いたら、彼等は”お前の母はちょっとうるさく騒ぐのでね”、と返答しました。」

 黄淑栄が記者に言うには、「その場面は本当に悲惨でした。子供達は大声で泣き叫んでいました。私も二人の子供の名前を呼び続けました。医院から来た人達はとんでもなく乱暴で、腕を引っ張り頭の毛を掴んで引っ張りました。私はもう子供には二度と会えないのかも、と悲しくなりました。」
 黄淑栄が精神病院に連れて行かれたと言う噂が村に伝わった。村人は皆不思議に思った。有る村人は「私達は黄淑栄を知ってからもう何十年にもなります。しかし今まで一度も彼女が精神病だという話は聞いたことがありません。これは脅迫です。彼女の話は何時も理にかなっていて、頭がおかしいなどと思ったことはありません。」と言う。
 
 見え見えの”精神鑑定”

 黄淑栄は本当に病気だったのか。記者は彼女と一緒にその病院を訪れた。病院に一歩足を入れると彼女の身体が震え顔は真っ青になった。彼女は、この病院での記憶はあまりにも恐怖に満ちているという。
 彼女が言うには無理矢理ここへ連れてこられたのは計3回有る。1度目は98年の6/1で7/17に病院を出ることが出来た。そして第2回は99年の4/16。37日間拘置された。第3回目は2000年の9/20、9/23に彼女は隙を見て逃げ出した。
 病院は6階建ての白色タイル張り。彼女は当時を思い出して、「私は子供達が心配で何度も帰してくれと頼みました。でも効果無く、ついには彼等は私をベッドに縛り付け、それが8時間から10時間にもおよび、ついに私はベッドの上で失尿しました。」
 記者は病院での彼女の「精神病鑑定記録」を見せて貰った。
 ”面接は家庭訪問”、委託者は”県四海店村調査室”となっている。既往病はなし、家族病歴なし、人格状況異常なし、となっている。
 そこで当医院副院長張聡市と医務部主任の籐秀英に質問した。
 「あなた方は黄淑栄がどうして精神病だと鑑定したのですか」
副院長は思い出しながら、「私達は彼女のファイルを見、県の調査室で彼女を鑑定しました」 
 記者「貴方はファイルを診たと言いますが、しかしそこには何も書かれていません」
 しかし副院長は「いや、確かにファイルを見た」と固執する。
記者「この記録簿にはすべて何も無し、となっているのはどういう意味なのでしょうか」主任「私達はあの村での黄淑栄の様子は解りません。そこで”なし”と記録して県に提出しました」
記者「この記録には、入院前後の、彼女の周囲の人の監察および認識については書かれていませんが、これはどうしてでしょうか。
医療記録や検査結果も全く記録されていません。これは何故でしょう。また更に、この記録の委託者(県)の要求には彼女の精神状態が良くない、と書かれ、そして村の噂では彼女は”気違いと呼ばれている”と書かれていますが、ここに村人が来たのでしょうか」
副院長「村人は誰も来ていない。」
主任「それらはすべて委託者が書いたものです」
 副院長の記憶によると、彼女の家へ行って診察を始めようとしたら精神が不安定になり、妄想が起こり、誰かが彼女に危害を加えようとしているかの恐怖心が見えた。その気持ちが次第に強固になり、とても診察が出来なくなった。彼女自身自制が完全になくなっていた」
 「それは神経官能症と言い心理傷害精神病と言われるもので、ほぼ一生直らないでしょう」とも言う。

 ”鑑定委託機関”は存在しない

 一個人の精神鑑定に当たって、周囲の人達の証言無しに精神病と確定できるのだろうか。
 全国精神科の最高権威である北京大学精神衛生研究所の張丹玲教授は「誰か依頼者の言うまま精神病と確定することはあり得ない」と断言した。
 黒竜江省精神科権威李玉経教授は、精神病の鑑定で一番大事なことは、それまでの病歴で、それを分析して診断を始める、と説明してくれた。
 黄淑栄を診断した医師達は口を揃えて彼女の病歴を調査したと述べている。その記録は県の調査室提供の分厚いファイルであるとのこと。これが診断の重要な根拠となっている。そしてそれは県の調査室にあるという。
 ところが記者が調査室を訪れて探してもらったが、当時担当した調査室主任呉玉芳はそのようなファイルを知らないと言う。
担当した医者達と、また黄淑栄も、当時調査室会議室で診断に使った時間は二時間弱だった、と言う。ではそんな短時間で、しかも病歴無しで、当人が精神病と断定できるものなのか。
 前記李玉経教授は記者に「短時間では一般人でさえも異常状態に陥ることがある。したがって精神病と断定するためには少なくとも三ヶ月か四ヶ月必要だろう」という。
 さらに不思議なのは、黒竜江省四海店村調査室がこの調査を委託したという。ところが全く奇怪なことに、記者が調べたところ、その村には調査室なるものが存在しないのだ。
と言うことで依頼機関が不明になってしまった。
 委託書の依頼人欄署名は呉玉芳(県の調査室主任)と何清詳(村の党書記)の二名である。
 中国人民大学法学院教授湯維建が「中国公民がその能力が欠けているかどうかの判断には、先ず利害関係者、特に近親者に当たり、その後人民法院に提出する。精神病鑑定の結論は人民法院が行う。したがって今回の事件は委託者の権限が欠けている。医院の立場からすると、正式な手続きが有って初めて精神鑑定が出来る。面接だけで精神病との判断はあり得ない。どこで診察したかが問題ではなくその前に法的手続きが必要だ」と言う。
教授はまた「委託するという方法が間違っている。鑑定も法的根拠がない」、と説明を加えた。
 しかし実際不思議なのは、ハルピン市第一専門医院で精神病と鑑定した。ではどんな根拠でこの鑑定を行ったのか。

医院主任の藤秀英は意味深長なことを言い出した。「我々は本当のところは政府のために、こんなことをしてしまった。」
 そしてついに黄淑栄は法的効力の無い精神病鑑定結果により精神病院へ強制入院となった。

 診断結果は「精神異常なし」だった

 黄淑栄が強制入院させられた当時、家族は気も狂わんばかりに必死になって彼女を捜した。 二人の子供の記憶からは病院名が解らなかったからだ。
 彼女の父母は二人とも70才を超えていたが、その両親は県の調査室主任呉玉芳を尋ねた。両親が「貴様は我が娘をどこへ連れて行った」と聞くと、彼は正確に教えなかった。「貴方の娘は間違いを犯したので、北京にいるよ、会うことは出来ないよ」と。
両親は食べるものも喉が通らず探し回った。立ち止まると泣き出す有様だった。
 黄淑栄がその頃のことを想い出して、「あの病院で食事を作っていた張という叔母さんが私を見ると可哀想だと言って泣き出しました。そして、そっと病院に内緒で手紙を出しに行ってくれました。」
 家族はその手紙を受け取ると、病院へ飛んでいった。病院に800元の治療費と600元の食事代を払って、病院から引き出すことが出来た。
 ところが彼女が家に戻って、娘に声をかけたとき、娘は母を見たがそれが自分の母だとは見分けが付かなかった。母の姿は全くぼけた人形のようでぼけっと立ったまま。ややしばらくして初めて娘はそれが母だと理解できた。
 黄淑栄が病院から戻った後、”上の方”では好ましい状態では無かった。また再び強制的に病院へ連れ戻す処置を執った。
 2度目は、ハルピン第1専門医院が快く従わなかったので、黒竜江省第3医院に収容された。
 この病院の主治医李湘蘭は記者に、「県は治療費を持ってきて、”彼女を自宅に返しては駄目だ”と言い、彼女の病歴を診たいと言えば、それは無いと言い、家族の調査もしたいと言えば、家族は居ない、と答えた。」
しかし黄淑栄には両親もいる、姉妹が8人も居たのだ。
 彼はまた続けて、「私が彼女の病室に入り面談してみると何処にもおかしい所はない。極めて正常な状態と考えた。しかし簡単に結論を出すわけにはいかなかった。というのはこれまでの病歴が出てくるかも知れないと考えたからです。そこで精神科主任が県の調査室を尋ね病歴を探そうとしました。」
 その主任は「私達は二人の医者を調査に向かわせました。病人の住所と、一緒に働いている関係者等を調べました。しかし結局病歴の事実は出てこなかったのです。」
 この病院が手を尽くして病人を調べたとき、村の人達は「もし彼女が病人なら、おれたち村人は全部病人だわな」と答えたという。
 黒竜江省第3病院副院長でまた司法鑑定の教授でもある李玉経は「黄淑栄を50日監察した結果、関係した医者は全部で20人、彼等の総合診断の結論が”精神病の要素は認められず”となった。」
この結果を聞いて黄淑栄は喜んだ。しかし彼女の地元の幹部は彼女を放免させてはいけないと命令した。
 黄淑栄は記者に、「私が病院から出てくると、県政府関係者が私を取り囲み、私を調査室に連れて行き言いました。”なに!精神に異常がないって。そうか解った。今から直ぐに勉強してもらって、そして判決に取りかかろう。準備はすべて整っている”と。」
 彼女は家に戻ると、とても彼等の再来を待つことは出来ないと考え、二人の子供を連れて家を飛び出した。彼女の夫は何回もの上からの攻撃に耐えられず、そこで離婚となった。

 県の指導者は人権をどう考えているか

 記者がこれまで黄淑栄のことを調べてきて解ったのは、県の調査室から指示が出ていると言うこと。彼等は一体何を狙っているのか。
記者は既に退職している元主任呉玉芳を尋ねた。彼女の知るところ、県では黄淑栄の問題を非常に重要視していること。それは黄淑栄が北京を訪れ土地の分配で控訴したことが土台にあるとのことだ。
 呉玉芳によると、1998年の正月、県のある会議の席上、黄淑栄が北京にまで赴き、上部に訴えたことが話題になった。そして最高指導者から「こいつは精神が異常ではないのか」と言う発言が出た。
 
 記者が「北京に行って訴えることは精神異常なのですか」と尋ねると、呉玉芳は「まあ、普通の範囲を超えて粘った場合、それは精神異常と扱われています。黄さんのことでは現在県が調査中です。そこへ来て彼女は北京へ訴えました。このような一つ上の段階を飛び越えて訴えることは許されません。つまり精神異常なのです。指導者が精神に問題有りと発言すれば、我々はそのための処置を執らねばなりません。もし病院で精神的に問題が無いとなれば、私達はそのときは”拘留”という手段を執ります。」

 記者が呉玉芳に「このようなことは法律に違反しないのか」と尋ねると、彼女は「え?私は17年もこんな風にやってきました。中国の法律は有る面で不可能なことも書いてあり、また希望だけを書いたところもあるでしょう。法律とはそんなものでしょう。中国はなんと言っても人治国家です。法律が及ばない地方は無限にあります。これは私が仕事を通じて学んできた真理です」との返答があった。
 このような法的観念の政治下で黄淑栄は北京へ一度上訴し、直ぐに強制的に精神病院へ送り込まれた。収容が5回。計210日拘束されたことになる。
 今回の訪問で最後に県の調査室を尋ねたとき、会議室の壁には2枚の大きな表彰状が掛かっていた。1枚は「全国調査室優秀賞」もう一つは「黒竜江省調査室優秀成績書」である。

 上からの声

 国家調査室局王月宋副局長は「私達は一般国民の要求を通りやすくするために、どんな傷害も生じないように努力をしている。それが彼等の権利を守り、侵害を阻止するのに役立っている。国民が関係している如何なる問題も解決されるべきであり、そこに合理的な態度が必要となる。
 それには順番に従うことも必要だ。但しこれまで上級への訴えを禁止したことはなかった。この権利を阻止したことはこれまでにもなかった。昨年我々は各地の調査室を集め討議したこともある。そのとき解ったことだが、一般問題の85%は上級への訴えで初めて解決される問題であることが解った。これを許可しなければ前途は暗闇となるでしょう。」

 もしこの話の通りなら、黄淑栄の問題は起こらなかった。

 前記李玉経教授は「民事訴訟法」「民法通則」の規定により、精神病と鑑定され、個人としての権限が制限されるときは、法院が先ず宣告する。その後代理人によって手続きが行われることになっているという。

 中国人民大学法学院教授湯維建博士は「最近中国は法治国家を目指すことを宣言した。公民の権利意識が高められねばならない。黄淑栄の土地分配上の問題と幹部腐敗のこと、精神病院への強制入院は北京への上級への訴えが根底にある。
 このことは当然の権利である。彼女の権利意識は高い。このような人が居ることは中国も進歩していることを示している。上級への上訴権はこれからはもっと明確に確定しなければならない。これを抑圧してはいけない。精神病院へ強制的に送るなどは公民権無視の表れだ。
 また別の観点から論じると、我々の政府官員の法律意識は極めて希薄である。彼等の権限が何処まであるのかを自覚していない。何が出来るかを自覚していない。彼等の頭の中では、すべては管員が決定すると考えている。政府は一家であり、どんな法律も施行も彼等が執行するという考えである。そこでは本来法律に従うという考えを持ってもらいたい。」


訳者注:
 上級への訴えが問題となって一家族が離散し、村に住めなくなって北京の貧民街に逃げてきた物語です。
 土で出来た小さな農村の家。中国の農村にはこのような人間が住んでいるとは思えない家がたくさんあります。
 党に睨まれて離婚というのは、党が絶対権力を持っている社会の下では仕方ないと思います。被害を最小にする方法はこれしかないようです。夫婦関係、親子関係を絶つと宣言して、子供達を守るのです。
中国には個人の基本的権利または市民権という概念が有りません。それと政府のすべての部門は1家であるというかんがえ。警察、司法、行政すべてが自由になるという考え。そこへ持って来て、極めて封建的で権力志向の党。このような社会で、党に睨まれたら離婚以外に何が出来るでしょう。

 しかし本当の問題は土地の分配の問題です。これまでの土地所有を半分にすること、そこにこの事件の核心があります。おそらくこのままでは生きていけないから、黄さんは北京まで訴えたのでしょう。これによって党幹部が大きな利益を上げようとしているのです。でもこの「南方週末」も党の監視下にあります。党の所有です。そのことについてあまり追求していません。
 また反面、法治国家になることを当然と考える人達が増えているのは、嬉しいことです。
 02/06/27の新聞にはこの報道に対して読者の感想が載っています。「長年このような社会を見逃してきたが、これからは皆でこの事件の行く末を見つめていきたい」と書かれています。