3年で村長全員が首

02/09/12 南方週末  記者 黄広明、何紅衛

 潜江農村基層管理の難題突出
 
 湖北省潜江市は大陸の真ん中に位置する。その市の人民大会代表の姚立法は今年度選出された村議会の調査をし、そこに実に驚くべき事実があることを知った。当市管轄内の第4期村議会は99年9/28日から選挙で選ばれることになっていて、以降今年の02年5/1日まで全市で329人の村議会村長が誕生している。が、その内187人(57%)が免職、停職、辞職、改職または人数減などの理由で退職しているのだ。
 退職した村長も関係する村も、共に大変困ったことだと公言している。

 「私は当選任期1期の間に4度も免職されました」
「何度も解雇されて、私は村人の前で頭が上がらない。」
 49歳の何先貴は顔色を失ったように話す。
 9/10午後彼の家に伺うと、そこらは散らかりっぱなし。人気もない。
3年前村長に選出された時の彼とは全く別人の様だ。
 彼は湖北省潜江市浩口郡新豆刀村村議主任(村長)で、01年6月に政府派出所指導員を命じられ、その後直ぐに首になり、またすぐ復職を命じられた。これを繰り返すこと4度になる。
 「上部(党)は復職を命ず、首だと、まるで蕎麦を千切るようにいとも簡単に命令します。」
 99年9月当村では98年発布された”村民委員会組織法”によって村人による選挙が行われ、彼が有能で元気があるとして、当選した。
 当時の村人は誰もとてもこれを喜んだ。というのは村人は誰もが噂に、党の方も望んでいると聞いていたのだ。誰もこの選挙が形だけとは考えなかった。
 しかし2000年の春になって、突然党組織部の幹部が仕事の必要上、上部の許可も得ているので、彼を分官所副主任に降格する、と発表した。
 98年発表された”村民委員会組織法”では、もし村議を免職する場合選挙民の5分の1以上の署名が必要、または村議会の半数以上の賛成が必要と決められている。
 彼が免職された理由は何であろうか。その事情を知っている人が言うには「何村長は古い村の会計帳簿を調べることに拘り、秋の徴税を遅らせている、と言うのです。」
 その意味は、村の幹部は95年から税収を上げる一つの方策として高利の養老保険に入った。
 これが逆に村の財政としては、高利を払うために大きな赤字を構成することになった。99年何先貴が当選してこれを知り、この借金部分を村人に返済するように幹部に要求した。秋の納税期を迎え農民はこれを知り納税に応じなくなった。こうして彼が徴税の能力無しと認定されることになった。

 収入税の行方

 00年11月末、何先貴は村民大会も無しに簡単に免職となった。彼は大いにむくれた。彼は、今回の処置は彼が帳簿を検査したために党に睨まれた、と言う。彼は任務に就いてから村民に対して村の財政を明確にしますと約束した。財政は管理も記帳も一人の担当者、夏征が行っていた。秋の徴収が始まると村の党幹部は1週に4度ホテルで食事をする。それが不思議なことに食事後仕事が始まるやいなや直ぐ解散となる。
 村人を動員し水利工事をしたとき、その仕事を指導できる幹部が居ないと解って、何先貴に指導をするように命令が来た。何は、その仕事が出来ないことはないが、自分の本来の仕事は先ず財政の明確化であると渋った。すると幹部は怒って、「君は何もしなくてよろしい」と顔を引きつらせた。
 彼が自宅待機となった後、幹部の間では税収管理の問題で何度も衝突が起こった。更に村の管理地が荒廃のまま放置されることになった。その他の仕事も上手く捗らなくなった。 そこで01年の4月頃、夏の納税期を迎え、また党の方から何に村長復職命令が来た。
 だが何は村の幹部の要求を満たすことは出来なかった。01年6月中頃、夏期納税完成大会が開かれ、何は県内で食料収穫が第2位となった原因をその会議で検討するよう要求した。実は彼の考えによると、その減収の理由というのは、幹部が村人に強制的に買わせた種子が原因して減産したと考えていた。もう1つは、違法に取り上げた道路使用税と電力網改造費の問題があり、かなりの数の農民がそれらに支払った金銭を戻すように要求していたのだ。
 だが幹部達はこれを無視、何先貴を「税収入が少ない」と批判した。 
 大会第2日目、指導部の書記が開催宣言をし「財政研究は党幹部も了解済みだ。ただ何が会議を引き延ばそうと要求するばかり。この問題は我が書記に一任されたい」と声を張り上げた。つまりこうして何はまた免職となった。村人は誰もびっくりした。こうして何は「村人は誰も何も言えない」と自覚するようになった。そうして意気消沈して日々を送り、家に居てつまらないことで妻と喧嘩ばかりするようになった。
 ある時妻と大げんかしたとき、妻はアルバイトに行くと言って出かけてしまった。彼はますます意気が上がらなくなった。
 その後彼はまた復職を命じられ、又免職を命じられた。5回職について4回免職だ。

  民選村長の仕事

 何先貴の評価について、村の幹部と村人達との間には大きな開きがある。
「仕事には熱心でなく、村民の利益を考えない」これが党委副書記の彼に対する評価だ。ところが村人に聞くとこれがまるで逆だ。誰もが「なかなか遣る」と褒める。
 そこで記者は書記に尋ねた。「一体どちらが本当なのですか」と。
 書記は直ぐに「この村には不正など何もない。そもそも財政の管理は村長の仕事だ」と答える。

 かってこの村の村長に選ばれたが、同じように税の徴収成績が好ましくないと言われて免職になった程思雲が次のように説明してくれた。
 彼の話によると、村には法律で決めた農民負担額のカードが2種有るという。1つは湖北省の農民負担カード。そこでは1畝辺りの負担額は157元と書かれている。これは党の上部に見せるためのカ−ドだ。
 更に実際の農民から徴収する負担額を決めたカードがあり、それには1畝辺り260元と書かれている。
 聞くところによると、有る幹部が村長の仕事について「徴税について国家が決めた取り立て方法は不十分だ。どんな手段を執ってもとにかく農民から取り立てなくては駄目だ。それが出来ないから、これまでの村長の仕事は評価が良くないのだ」とのこと。
 村長としての仕事をこなし、さらに党幹部からの要求に応えること、この両面に矛盾が現れることが多い。
 何先貴が言うには、実際に村長の仕事を引き受けて3年、この矛盾にずっと悩んできたという。彼は悩んだとき村長としての仕事を優先してきた。というのは彼は村民に選ばれたという考えが何時も頭にあったからだ。
こうして5度仕事に就き、4度仕事から追放された。

 187名の免職村長

 何先貴が何度も法律によらず免職になったことは、何も潜江市だけの問題ではなかった。99年末、全国のほとんどの地域で同時に村長選挙を行った。それは98年制定された”村民委員会組織法”と呼ばれる法に基づいて行われ、それは全世界から注目を集めた。大量の村長が選出された。99年潜江市は国家民生部から”全国村民自治模範市”として表彰された。99年9月の第4期村長選挙後、再び湖北省から”全省村民自治模範市”として表彰された。
 3年間は瞬く間に過ぎ去り、潜江市人民大会代表の姚立法はその選挙後農村を調査することになり、驚くような事実を知ることになった。
 上記に記した免職村長を含めて、全体で当市だけで432人が免職されていたのだ。
 副村長も入れて619人の免職者の中で、法に基づいて、農民による選挙など、解職された人は1人もいなかった。全て村の党委、地元政府、党支部、党の村の書記などによって個人的に非法に指名されている。269の村が、全市で329の村の81.7%に及んでいる。
 45歳の姚立法はこの調査のために朝早くから夜遅くまで村に入り、自費三千元を使い3ヶ月掛かった。彼の調査は”潜江市統計年鑑”として発表された。その中に解職された184名の村長が登場している。
 彼は非法に解職された村長について、
「彼等村長は誰も、就任後財政帳簿を調べ、それを公開しようとした。そして免職されている。
 税の徴収に積極的でない、断固とした態度で徴収していない、と言うことでお役ご免となっている。
 その解職方法は、直接党幹部が命令するでもなく、閑職に置く方法もある。そして表面上の免職理由は”仕事の能力がない”とか、”任務を最後まで貫徹しない”、”仕事が捗らない”、”党幹部と団結しない”というのが一般的な理由となっている。」

 彼が調査した例は枚挙にいとまがない。
有る村では00年夏の徴税がまだ完了していないのに、党の上からは数千元の未収金を先払いするように村長に命令が来た。それも3日以内という制限付きだった。「もしそれが期限内に間に合わないのなら免職という脅かしが着いていた。有る村の幹部の場合その未収金が2万元以上も残っていた。他の村では5人の村長が立替を拒否したため、5人とも免職になった。その翌日別の5人が村長に任命された。
 楊市の有る村の場合、00年4/24日午前の会議中、そこへ突然村長免職の命令が来た。その理由は村長の年齢が43歳を超えたからだと言う。しかし本当の理由は未収金が6万元も残っていたからだ。
 又別の村ではこの2年間で4人の村長が免職となった。
 有る村では当選した翌日、副村長に格下げされ、その後連続して3人が交代させられた。
 又ある村では村長が当選したとき党書記が「君たちは3ヶ月間試用期間とする」と命令され、「格好悪い、素質がない、村人の受けが悪い」とか言われ、3人が免職になった。

 姚立法の調査結果は党上級機関に送られ、則、湖北省の重要問題として重視されている。

 村長が免職に応じない場合どうするか

 今年9/1日、46歳の王知海は潜江市の有る村で党幹部と抗争し、遂に復職を勝ち取った。それというのも上記調査結果が湖北省で問題とされるようになっていたので、この結果が生まれたのである。彼は堂々と復職した。
 99年9月彼の村で選挙があり、524人が投票した。王知海は333票を獲得。そしてその結果を見た村民は財務票の公開を要求した。
先ず村議会民主管理小組が成立。小組は村議会のメンバーとし、党の幹部の数名を検査さえした。その結果を党の上級に報告した。
 このとき突然小組は解散を命令された。つづいて99年12/13日、就任後3ヶ月経たない王知海村長は不正選挙が判明したとして被選挙資格失格と発表された。これは明らかに党上部の気に入らなかったからであった。副市長がこれに疑義を唱え、調査を要求した。しかし時間が経っても何も解明されず、これが省と北京にまで報道が届けられた。
 その頃、王知海はまるで子供のように日々泣いていたという。
ここで姚立法が仲裁に入り、王は政府に訴訟を起こした。(訳注:裁判所が独立していないので”政府に訴訟”で可笑しくない)

 市の人民法廷の採決の結果「人民法廷の範囲を超えている問題」として不受理となった。
 王はその後中級法廷に訴えた。中級法廷は原裁決は正しいとして、不受理となった。
 ちょうどその頃、姚立法の調査報告書が提出された時期になり、王は現職復帰となった。
王は「こんなことは想像も出来なかった」と復職を喜んでいる。

 党幹部の問題

 「我々さえ村長が選挙されることを歓迎しています」、と有る匿名希望の村の党幹部の1人が記者に話してくれた。村民によって選挙されることは一歩進歩であり、農民が喜んでいるなら、それは良いことで、党幹部も喜ぶべきことのはずだ、と言う。
 その人の観るところ、農民への徴税は上からの要求通りで、決して水増しなどはしていないと思う、と返答している。上からの要求額が多いか少ないかは、その人は判断できないという。
 「課税額の多寡では無くて、徴税率が悪いことが問題だ」と言う。
その収入の中から教員を雇い、幹部に賃金を払いその他多くの債務未払いが残っているはず、それら全てが税の収入によって賄われている。その税の徴収は村議会の責任となっている。
「このような現実的な問題を幹部が考慮していないなどと言えるだろうか」
 この問題は何処も逼迫しており、党幹部にとって、村長の役割以前の問題として、収入を確実に集める人が必要となっている、とその人は力説する。
 有る村の選挙の時、「当選したら農民には金を払わせないようにしたい」等という人が居た。しかしこんなことはあり得ないのです、と言う。
 もしお金を持っているのに、出すべき金を出さない、と言っても、遠慮なく取るべきです、と言う。
 その人の考えでは税制改革があって、農民の負担が減少したことがある。当然村の税収が減った。そして政府から村への支出も減った。これらは必順の繋がりです。
 従って、徴税の問題で取る立場の人間と納める立場の農民との矛盾であり、幹部の質が悪い問題ではない、とのこと。

 農村問題研究家の学者賀雪峰は、「今全国で村長免職の問題が発生している。党幹部の民主的意識が欠陥していることも有るが、党と選挙で選ばれた村長という政治領域上の問題もあり、農民が生産した一定の産物を政府と農民が取り合うという矛盾がありそこには緊張も当然生まれる」、と言う。
 
 過ちは繰り返すか

 記者が感じるところ、潜江市の市政府ではこの問題をとても重要問題と考えているようだ。市政府の有る幹部が記者に対して「村長を選挙で選ぶことは、農民を騙すような役割がある。しかし市政府や党の幹部達は気に入らなければ簡単に首に出来ると考えている。」
 村長を首にした後別の村長を氏名するという、不正行為が至る所に現れてきた。免職された方は救済を求めて市政府に訴える事件も多くなってきた。
有る村では党によって村長が解職され、そして新たに指名された村長は暴力的に徴税を進め、多くの障害者を発生している。
 又ある村では村長が党によって免職され、新しく任命された村長は、党の受けを良くするために、夏期の徴税で一年分を出せと農民に強要し、当然農民は反発し、村長は矛先を換え林業部門の収入を上げるため、広大な林業地を伐採し始めた。農民は当然激怒し、上級組織に訴えるため大挙して市に出かけている。現在その村長は経理不正事件を起こし最近逮捕された。
 この選挙された村長免職問題で00年8、10月、潜江市政府では検討を重ね、報告書を発表した。00年11/30日、この問題の現状把握を報告した。それによると、当市16の村で14の免職事件があった、となっている。
 01年9月、湖北省政府が当市に来て調査し、大量の問題が発生していることを知った。
省と市政府は各地党本部に対し自主的に調査をし、その改正を図るように要求した。
 しかしその後、村長免職事件は日を追って激しさを増している。改正措置が何故執りにくいのか?
 当市副市長は記者に対し、「市では現在大規模に違法に免職している事件を調査している。調査が終わり次第、省政府に報告する」と答えている。
 市政府のある幹部が記者に語るところによると、「民選村長と党との仕事の分割が基本であろう。また村の組織や規模を軽くし、負担を減らし、さらに村長の立場を”村民委員会組織法”で保障する必要がある」と指摘している。

 潜江市:湖北省の中部に位置し、面積2000平方キロ、人口百万、その内農民52万。中国の5大工業地帯。
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訳者注:
 中国が近未来どうなるか、大きな注目を集めています。
 その中で次の2書が、中国に関心有る人や企業によって読まれているとのことです。2書とも中国人が書いています。その結論部分だけを紹介しましょう。

1.中公新書「中国 第3の革命」朱権栄著
 著者は文革に参加した世代。現在日本人の妻と日本に住んでいる。米国大学客員教授。 
 中国はこのまま政治的に安定する。
建国後からの20年間は一部の幹部と最下層しか中国には存在しなかった。その頃は古典的経済政治学「マルクス、レーニン」が国教となっていた。
 88年の改革開放以降中間層が生まれており、さらに92年の登小平の「金持ちになれる者から金持ちになろう」政策以来、沿岸の大・中都市でこの中間層が激しい勢いで増加している。彼等は自分を中間層と自覚し、一定の教育を受け、自分の生活を大事にし、他人の生活に介入しない、さらに政治の安定を望む、という共通の意識がある。
 この層が多くなれば、各人の人生で蓄えてきた価値(財産)の所有が法的に認められる時代が直ぐに到来するだろう。それが第3の革命で、そこから社会は安定する。

2.草思社「やがて中国の崩壊が始まる」
ゴードンチャン著
  
 著者の父の時代に建国がありアメリカへ移住。現在著者は仕事で中国と行き来している。 中国は基本的に独裁国家であり、高度大量の社会的発展に対応出来ない。現在高度に急激に発展しているのは、党と関係なく世界と取引が可能な部門からだ。直ぐに崩壊の局面が現れるだろう。
具体的には02年秋の権力者交代期。今まで平和的に権力交代したことがなかった。
 次の危機は05年。その時WHOの約束で他国の銀行が中国内で営業する。これまで中央政府の思うとおりに国営企業に投資してきた銀行資本は、全て返済不可能となっている。そこへ他国の銀行が来れば、財政的に破産が明白になるだろう。

 さて皆さんは如何?