教育の格差
02/04/18 南方週末 

 現在中国には8507万人の文盲がいる。その内2000万人くらいが15歳から50歳の青壮年に相当する。その90%は農村にいることになる。中国西部では文盲の70%が女性である。統計の示すところでは、北京には60万人の文盲がいる。この数字の巨大さが示しているのは、義務教育がまだ義務となっていないところによる。そして貧困が本を読ませなくしているのだ。貧困のために家には金が無く、子供を養い本を買ってやることが出来ない。学問を途中で止める、それは小学校でさえ当てはまる。特に西部の未発達省では普通のこととなっている。有る家庭では子供の数が多く、親は全ての子供を養うことが出来ない。したがって一般的には娘の教育は諦めて男子のみで精一杯となっている。 娘は働きに出され、男子の学費の足しにするのが普通だ。それでも学費が足らず、教科書も買うことが出来ない。

 こうして教育の格差が極端に開いていて、北京などでは豪華と言うべき教育も行われている。有る報道によると、今年の3月、有る有名な大学管理学院が行った開学式では、学校から8キロ離れた三星級ホテルを借りて行われた。しかもこの学院の経済学部の研修班は北京の五星級ホテルを借りて授業を行っている。また同じくその学校ではウオール街の英語の勉強に三星級ホテルを使って授業をしている。有る有名な大学のハンフォード研修班では週に6500米ドルを学生から取っている。また万を超す学生を集めている某学院は学校の飾り付けに千万元を超す金を掛けている。
 このような極端な教育格差は、貧富の格差があまりにも極端になっていることを表している。本来は教育環境というものは実理にあっていなければおかしいが、前記の豪華な教育環境は金儲け第一、教育第二であろう。又そこには西洋教育かぶれものぞいている。当の学生達はアメリカのハンフォード大学とは何かを全く理解していないにもかかわらず、ただその名を繰り返し宣伝する中で一種の神聖な感じか神秘な響きを受け取るらしい。そこを出れば世界でも優れた人物になれるかのような気持ちにさせるのであろう。
 前記の週に6500米ドルの大学院生はその費用をいったいどうして捻出したのだろうか。それだけの価値があるのだろうか。1年52週の在学で、338000米ドルかかる。この金で買うのは「ハンフォード」と言う名前だけではないか。6500米ドルは人民元で5万元少し。一日1万元ほどを投げている感じだ。一週間で何が投げ返されてくるのか。
 思うに、6500米ドルを使って自分を飾り付けるために大財を振りまく。しかしそんな金を振りまくなら、少しは精神的な面に力を注いではどうか。毎週大きな金を振りまきながら、やがて卒業書を戴き、自分をまぶしく輝かして、やがてはしかし、自分の裕福な親が出した金を取り返さなければならない。
 全てこれらは金持ちの子弟達で、貧乏で成績優秀な学生から見れば、どんなにもがいても叶わぬ夢。学校として見れば「ハンフォード」と言う金文字を輝かせて学生を集めて金儲けをし、学生は卒業証をひけらかせて出世を夢見る、こうして彼等自身では釣り合いがとれているのか。
 最近英国のニュウジン大学も入学は金次第だと言うことが中国で話題になっている。ここは1週幾らなのか。世界の一流大学も今では全て金次第と言うことか。

訳者注。
 1990年の天安門事件の頃、国連への報告では、文盲率が6割と聞いています。あの頃は都会から一歩出ると新聞もなく、政府が報道管制したこともあって、ほとんどの人が天安門事件を知らなかったと聞いています。
 この記事から見ると文盲率が急激に減っています。その後の10年でほとんどの人が学校へ行くようになったわけですね。