故郷の村
02/02/28 南方週末 李建軍

 俺は農民だ。1987年、一つの国営大企業が我が農村の半分以上を占用した。そこで我々は土地のない農民となった。そのとき私は17歳。そこで私は仕方なく、この企業の社員街で小さな商売を始めた。あれから既に15年、商売は良いときも悪いときもあった。最近、その企業で働く人が、まあ、ざっと次のような冗談話をして行った。
 「商売で儲かったかね」と。
 彼は我々農民に対して、「農民は本当に馬鹿だ。少しお金が入ると直ぐに家を買いたがるし、そこへ女房を迎えようとする。生活を楽しむと言うことを知らないよ」
 この話を聞いた俺は本当に気持ちが苦り切った感じがした。しかしどうしょうもない。彼等企業で働く人間には我ら農民の気持ちは全く理解できない。農民には百の問題があり、百二十を超える話をしなくては理解されないのだ。

 1997年のある日、店を出していると、区の労働局の人間が立派な帽子をかぶってやってきた。いきなり店の中に入ってきて、彼等は厳粛に命令口調で質問した。「市内営業許可書」があるかね?と。
 「この許可書は280元」、だと言う。
「馬鹿も休み休み言え」と言いたい。商売を初めて以来全てを貯めても千元くらいのものだ。本当にこれはたいした額なんだ。俺は気持ちを懸命に静めながら奴らに尋ねた。
 「商売をするには誰でも必要なんでしょうか」。すると彼等は「いやいや、市の戸籍を持っているものは必要ないよ」と答えた。
 「俺のお爺さんのお爺さんはここの戸籍を持っていたよ」
 すると、立派な帽子をかぶった若い奴が「理屈の通らないことを言うな」ときた。
「農民だけが必要で、市民なら不要だ」と念を押した。
俺はこれを聞いてもう頭が狂いそうになりながら大声で「何が理屈か。いったい農民が人間として何か低級なところが有るのかね。
 大体君たちのお爺さんやお婆さんは農民では無いのかね。中国は農民国家として発達してきたんではないのかね。中国人は誰も全て農民の子供だろう。貴様はいったい何様で、祖先のことをどう思っているんだ」と怒鳴ってやった。
するとその若いのは帽子を下げて顔を隠して俯いてしまった。
 「ねえ君たち、この許可証はいったいどこの土地のことかね。ここは私が昔から住んでいる土地だよ。そんな物要るもんか。ここは中国人の土地だ。誰か偉い方の土地ではないわ。いったい誰がこんな風に農民を差別しているのだ」

 又あるとき市内のテレビ放送で、女性のアナウンサーがニュースを読み上げていた。そして「現在では農民も豊かになってきました。ただ文化程度が低く、教養がないので、冠婚葬祭にやたらと金を掛けています。お金の使い方に計画性が無く、お金を将来に役立てると言うことが出来ません、云々」。
 しばらくして続けて「現在市民達は幸福になってきました。生活も楽しい物になりつつあります。結婚式も各種揃ってきて、2人の乗った車を飾るなどしています。式場のホテルも四つ星級や五つ星級も使われる様になってきました」
 なんと農民を馬鹿にした言い方ではないか。市民と農民を比較して、かくも大きな隔たりがあることを強調するなど、許せん感じがした。その言い方の底には、農民はどうしょうもないと言った感じがある。それに反して市民を賛美する言葉が言外言内に充満している。
 今では農民の中だって豊かになっている者が出てきているのを知らないのか。彼等豊かになった農民だって生活を豊かにしょうと努力し、流行も追いかけているのだ。逆に市民だって、結婚式のあの金を浪費する様はどういう言うことかね。彼等の両親だって子供達のために無い金をはたいているのを知らないのかね。
 本当にこのようなアナウンサーの考え方は、全く馬鹿馬鹿しいものだ。自分だけが教養と素養を所持しているつもりになっている。彼等は農民を教育してやろうと言うつもりで話している。有り難うよ。大きなお世話だ。農民に対して、皆平等な政治が行われば、それで充分なのだ。
 本当に良い社会になれば、全ての生活は法律で基準を作るべきで、身分でもって差別をするべきではないのだ。
 俺たちは何も人の上に立ちたいとか人の下に立ちたいとか考えたことはない。
市民達は国の人間を細かく細分して、彼等には厚く、あの人達には薄くしようとしている。このような他人を尊重しない人間が、自分が尊重されると思ったら大間違いだ。
 俺が大声で言いたいのは、市民達よ、君たちが作っている、君たちを守っているその揺り籠から出てきなさい、ということだ。市も農村も何処も皆のものなんだ。共に共有する場所なんだ。もし今中国人にとって早急に達成するべき仕事があるとしたら、この二つの市と農村を繋ぐことではないかね。
 
訳者注

 前回訳した中に、都市での戸籍問題がありました。今回もまさに中国人口の75%を占める農民の戸籍問題を突いた記事です。ここには全く触れていませんが、戸籍は計画経済遂行上の基本問題でした。全てを北京で計画するために、社会の基本条件を把握する必要が有りました。しかし計画される側の人間にとっては大変な人権制限となって、中国の全ての人を50年間拘束してきたのです。でも大丈夫。5年以内に廃止されます。

 ただこの記事を訳していて、気持ちがとてもアンバランスになりまし。もし少しでも中国の農村を見た人なら誰も感じると思いますが、こんな発言をする、出来る農民がいるのでしょうか。(ずいぶんと差別的な発言ですが)
 大体文字を書ける農民が居るのでしょうか。本当にこの文章はすばらしい。そして社会の本本質を突いています。