お金をもらって故郷へ帰ろう
 南方週末   02-01-31 江華黄端

 給料の支払い延期の実体

 ある臆病な暴れ者が2001年12月21日午後、貴州人で名は楊明才というのが、7日間の食うや食わずの後、遂に悪党になって人を縛り上げる行動にでた。
 数日彼は深浅(土偏に川)市の小さなスーパーの前をうろつき、時々店内でテレビを見たりしていたが、この日の午後店主が出かけた隙に刀を持ち出し、店主の妻とその5ヶ月の赤子に近づき2000元を要求した。彼の目的は、彼の工場主が給料をまだ払わないために此処から盗み出そうとしたものだ。店主が戻って、2000元を渡そうとしたとき、隣人が公安に電話を入れた。しかし犯人は赤子を人質に21時40分まで種々要求を重ねた。やれ飯を出せ、おかずだ、一瓶の白酒、ビール3本、焼き魚と。すっかり酔いが回ったところで彼は公安に逮捕となった。
 近隣の話では、2000元は確かに大した額ではない。しかし楊にとっては大金なのだろうとのことだ。
 楊が深浅に来たのは1995年で臨時工として採用された。いくつかの工場を転々とした。その間預金は幾ばくもなし。以下彼の言葉「今の工場主はまだ金をくれない。懐には現金は何もなく、早く金をもらって故郷で正月を迎えたい。けっして赤子をこんな目に遭わせたくなんか無い」
 さらに彼の言うには、この行動に出ることを考えて恐ろしくなり、そこで前もって酒を引っかけて、それを飲んで肝を熱くして気持ちをしっかりさせたのだ、と。
 店主の妻が言うには、彼は決して凶悪犯ではなかった。5ヶ月の赤子に対しても確かに乱暴をしなかった。只、要求した酒を常に飲み続けていた。彼の気持ちがびくびくしているのが解った。金を要求したときの言い分は「金を出せ。俺は7日間何も食べていないんだ」と叫んだ。
 この事件まで、楊は市の工業区の職人であった。月の収入は300元。工場側のある責任者がこの事件を知って言うには「彼がこんな事件を起こすとは思えない。彼は決して暴力を振るう人間ではない。彼は普段こちらの要求通りに何でもよく働いていた。普段からあまり言葉も多くなく大人しい方だった」
 彼の仕事仲間たちも「え、まさか」と驚きを隠せない。誰もが信じられないことを楊はしかし実行した。
 事件を知った人たちは誰もがこのように考えるのだが、しかし多くの人たちは又こうも言う「警察は彼を射殺するかも」と。

 楊明才の事件は最近の給料未配による事件の一つである。
 2002年1月8日深浅市民を驚かしたもう一つの事件は鉄塔占拠事件である。これも世間を驚かせたが、まさに非理性的な行動であった。 
 その日の午前、四川から働きに来てい尹勇は建築工事中の現場で鉄塔に上り、そこで給料の支払いを求めた。尹勇が言うには、社長が多くの仲間の給料、合計約100万元以上を遅配しているという。
 約40メートルの鉄塔の上で,尹勇らは鉄塔に身体を結びつけ、そこに7時間居続けた。尹勇が言う。鉄塔上は風が強くとても寒かった、と。
現場には警察も当然来たが、みんなが驚いたのは政府労働部門担当者も飛んできて「早く降りてこい」と要求した。
 その夜彼が家に帰ったとき、妻がビックリして「どうしてこんなに遅くなったの」と聞いた。それに対して「ちょっと用事があった」とだけ彼は答えたという。
翌朝新聞紙上で夫が記事に出ているのをみて彼の妻は夫を抱いて泣き出した。尹勇も泣き出して、「これしかやりようがないんだよ。こうでもしなけりゃ、注意を引くことさえできないんだよ」
 四川省の劉加星は彼等出稼ぎ人の頭である。彼はこの事件後仲間を代表して社長と、政府労働部門担当者と交渉を重ねた。「他にやり方が有れば何もこんなことは」と。「訴訟をするには時間も、またお金もない俺たちだ。何か世間に訴える手段はこれしかなかった」また言う。「本来我々のことは、ちょっとした怪我でも有ればすぐにでも聞きにくるべきだと思うよ。しかし、実際は我々の傷口が膿を出すまで誰も知らん顔だよ」
 劉加星は、建築現場ではよほど気持ちを落ち着けないと大変なことになる、暴力事件も多い、と言う。彼等の勤め先の社長は非情にも給料をピンハネして逃げてしまった。
 1月9日鉄塔籠城事件が収まって、政府の労働部が介入して一件落着となった。
 まだ正月まで間があり、(2月12日)尹勇は仕事を探し始めた。彼が言うには自分のできる仕事は建築現場の仕事だけ。この産業では給料の未払いや持ち逃げが他の産業を圧倒して多い。

 また別の事件だが、深浅のある工場の労働者は、給料支払いを要求するため、街のもっとも賑やかな道路を封鎖してしまった。
 「従業員が失った賃金は数千から数万元と見られているが、相当する街が被った損害はとても計り知れない」深浅の総工会法律顧問の話である。
 
 全国での給料未払い

これらの事件は誰にとっても人ごとではない恐怖に近いものがある。官報統計によると、昨年1月から11月までの間に深浅市内での未払いと持ち逃げを含めた金額は2.6億元に達している。
 昨年第3季だけで、深浅市労働部門が受理した件数は19298件、その関係する人数は4.45万人。その40%は未払い事件である。
 2002年1月25日、深浅市は抜き打ちに各企業を検査したところ1178の企業で未払いがあり、それに含まれる工員は7.88万人となっている。金額は9092万元。そのうち6700万元が支払われた。
 中でも多いのが建設業で、全体の企業の30%。金額も最大を占めしている。次いで高度技術産業となっている。

 深浅には12万以上の個人企業があり、昨年より6千件増えている。市の労働者数は280万人。政府労働部門の説明では、この数字は止どまるところを知らず、届けのないものも相当数あり、その中には暴力団が臨時工となっているのもある。その中での給料未払いの実態はほとんど掴めていない。だから未払いが表に現れるのは氷山の一角にすぎない。
 全国総工会法律顧問の関杯氏が言うには、「2000年度の全国での未払金合計は届けられたものが366.9億元。実際はそれよりも遙かに大きな数字となるであろう。昨年はこの数字よりももっとアップしていると思う。」
 未払いの原因は工場や経営者の支払い能力に関係するものも多いが、経営側のあくどい持ち逃げも相当数ある。
 経営者の経験不足から給与資金を他に転用する例が多い。中には支払い義務をとぼける経営者もいる。
給与資金を生産拡大に回すのを一つの権利と考えているのもいる。ある臨時工がいうには、1月の給与は500元、ところが実際は社長が種々の理由をつけて給与を天引き、1年間に2000元も支払いが減っている。この工場では労働者は数百人いる。彼らも皆同じ扱いを受けている。深浅のあるホテルの女子服務員は6ヶ月も給与支払いがストップ。この女性は生理用品さえ買う費用がなく、近くの店で付けを頼んでいた。その付けのやり方で、いくつもの店を探して買い物をしていた。
 支払い延期やピンハネは数えるにいとまがない。
 深浅のある服飾工場では、長期に工員の給与を未支払し続け、ある日突然社長がホテルに従業員を集め大判振るまいして、皆を喜ばせた。ところが従業員が工場に帰ってみると、なんと、工場の機械が全て運び去られていた。夜逃げならぬ昼逃げであった。
 もっとも大胆な経営者のやり方は、失業者の多い時勢を見通して、職探しの人間を見つけて恩着せがましく採用し、そしてなかなか給与を払わない。雇われた方は法知識がなく泣きの涙のことが多い。

 賃金支払いは労働者の基本的権利である。しかしこの権利は現在の法規には無い。労働者の境遇の劣悪さを物語っている。
根本的な問題は、労働者の弱い地位にある。供給過剰な社会の問題である。中国は労働力過剰の国であり、資本不足の国である。この環境は短期には改善の見通しはない。
 法的制度的な欠陥は現在の所彼らの弱みを一段と加速している。
 張友泉氏が言うには、労働者が自分を守る唯一の方法は労働仲裁に持ち込むことである。この他には道はない。しかしここに持ち込むにはやっかいなことに、それなりの知識と、かなり長期にわたる審理に持ちこたえなければならない。
 決定的なのは労働の権利はまだ不完全で法律上は経営者に圧倒的に有利となっている。
 これが資本側の合法的不払いの根拠となっている。社長たちは裁判の長期化を知っており、これが労働者にきわめて不利であることを悪用している。裁判のやり方を一見すれば資本側の悪意に満ちた審理経過を知ることができる。現在この裁判長期化に耐えられる労働者はいない。

 長期裁判で労働者の味方をしてきた弁護士周立太は、我が国の労働者を守る法規の不備を指摘して、「非合理的」と語り、この不公平な裁判と法律を今最大に問題にしなければならないと言う。

 ”労働仲裁は原則として政府、労働者代表、企業代表の三者が参加して決済すべきもの。ところが現在は人員不足などの原因で、かなりの地方で独裁的な運営がされている。問題解決には何ら役立っていない。教授は現在の<労働法>はもう既に現実に合わなくなっている。今はもう労働者の権利を守る既存の条文は時代遅れになっている。調整しなければならない部分が山とある。

 労働調整裁判に出すには、国家の規定では3人以下の時30元、9人以上50元となっていて、地方によっては人数に比例する所もある。深浅の労働部門の説明では不払いの極端な場合、経営側への処罰は極めて軽く、ただ企業に対して改善を要求するだけとなっている。企業に対し罰則規定は何もない。つまり企業にとっては痛いことは何もないと言うことになる。実際問題としても支払い逃避は極めて掴みにくいとの説明である。深浅の担当者は全員で200人。これは労働者20000人に対し1人の割合である。香港ではこれまでの経過もあり四千人に1人である。

 中国人民大学社会学部の教授周孝氏は、もしアメリカで企業を開設するとしたら、賃金を前もって預託しなければならず、その資金が無くなった時点で企業登録取り消しとなる。西洋の国家ではこれが基本的鉄則である。
 周教授は、我が国では企業側への規制が殆どないと説いている。資本への法的規制が唯一の方法である。労働側の非理性的、暴力的な行為は納得できることが多い。しかし社会としてはこれは納得できない。労働問題を考える上で暴力行為へ走ることを避けるために、中国は双方が納得できる理念をこれから樹立しなければならない。

平等の対話、労働側は組織的な資源を求めている。

 この記事を集める途中、記者は多くの労働者に会った。「皆さんの工場には労組はないのですか」殆どの答えは、彼らが首を横に振るだけだった。全国総工会法律顧問は現在中国には1億を超える労働者が組織されていないと言う。それは彼等が国営企業ではないからである。彼らには労組はない。従って擁護する組織はない。彼らのために権利を主張してくれる人はいない。これら労働者の群は次第に、1層権利が弱くなっている。

 香港での外資、又は私企業の中に組織された労組は、もちろん順調に発展してきたものではない。企業主は仕事の上で普遍的に労働者と対立する面を持っている。そこで労組は監督所に訴え地方政府官員が資本側に吼えかかるというやり方がこれまでであった。そうして労組の言い分が通ってきた。だからすべての問題が起こっていないと言うのではない。”労組があって初めて労働側の意見が採り上げられると言うことで、企業側とも話し合いが平等に行われる”と言うことである。

 労働問題研究家の左祥奇は”代弁者がいなければ孤立した労働者は決して資本と対等に話し合うことは出来ない。それは労働者にとって賃金が日々の命であり、逆に出費を抑えるのが資本の命である。出費が少なければ少ないほど経営には有利である。資本と話し合うために労働側は大衆の代表を選ばなければならない。それが彼等の日常の利益を守る基本である。

 労組が大衆の利益を満足させられなくなったとき、時には地縁血縁を頼って問題解決に頼ることもある。左祥奇はこのような態度に警告を発している。というのはこのようにして組織が存在意義を無くしていくからである。
 ある工場の労働者はストライキによって経営者に労働者の力量を思い知らせることが出来た。四川省の張新鋼はこの運動に積極的に参加した。彼は言う「我々は自分の力で賃金を要求した」と。

 2002年1月23日、経営者が残業代を払わないと言う話が伝わり、彼等は全工場の機械を止めた。経営者が困ってしまって要求を聞き入れた。これは彼等が労組を作って依頼2度目の行動であった。昨年の国慶節の休日手当は経営が支払わないと言って、そこで彼等は2日の機械停止を行った。こうして彼等の権利が守られた。その行動の時、地縁血縁の人間を通して切り崩しがあった。

 先述の張は、今年の1月末、まだ昨年12月の賃金をもらっていない、と言う。実のところ賃金が安く、技術者で500元である。彼は春節までに出るかどうか心配している。「もし、そんなことになれば我々はまた団結して経営者と団交だ」と息巻いている。


訳者 注
皆様中国の記事を楽しんでいただいているでしょうか。
今日2/12は中国の春節(お正月です)。
新年快楽! 
過年好 ! 
  このような挨拶をやりとりします。
そして最近の新聞によると、4億の農民が家へ帰ります。
民族大移動です。
彼らは、現在はまだ都会へ出ても何の法的な権利がありません。
子供の教育や住宅取得や健康保険(これは農村に帰ってもありません)など。
参政権、これは中国人全体にありませんが。
全て計画経済を乱すと言うことで制限されてきました。
しかし5年後には移動の自由を与えられることになりました。
その農民達が都会で臨時工として働きます。
徹夜で暗い電灯の下で働きます。

 今回はその人達の物語です。
 四川省から深浅まで直線距離で1500キロほどあります。

この記事を訳していて、18世紀のイギリスを想像しました。
もし私が中国に行かなければ、とてもこれは訳せなかったでしょう。
事実として信じられなかったでしょう。
 そんな内容です。
でも今、WTO加入を経て激動しています。
社会的な生産や活動に自主的にこんなに多くの大衆が参加したのは、たぶん中国4千年の歴史を通じて始めてではないでしょうか。
本当に信じられない事件が今後起こってくるでしょう。

 なおこれらの記事の本文は当分「HP」のまま保管していますので欲しい人は連絡ください。