金三角地帯、阿片禁止を承諾

02/06/27 南方週末     居揚(法制日報)

 6/2記者は雲南とミャンマーとの境界にある南傘口岸の検査所に来た。雲南省臨蒼地区麻薬検査官の「鐘」さんと一緒に車で国境に沿った麻薬販売ルートを見て回り、ミャンマーのシャン州の第1と第2特別区に入った。この辺りは既に200年の阿片栽培の歴史がある。そしてこれが国際社会の注目を集めている。昨年9月、中国とミャンマーは麻薬販売禁止協定を結んだ。そして両国は共同で捜査を開始した。今年の6.16、「国際禁毒日」が近づき、記者はこの一帯、「金三角」と呼ばれる所での最近の情報を掴みに来た。
 ミャンマーのシャン州第1特区の首府「老街」では至る所に中国語とミャンマー語で書かれた「禁毒」と言う看板文字が見える。
 今年の3月、ミャンマー政府は当国に駐在している17の国家の大使を招待して「金三角」地帯に来た。その同じ地帯に記者が来たことで地元政府も注目し、地元政府の政策を見ていくように勧められた。
 車から荷物を下ろして直ぐ、記者が阿片を吸っている現場を撮りたいと希望すると、鐘さんに止められた。「鉄砲玉を食らうぞ」という。この辺りでは誰でも鉄砲を持っている。例え女性でもハンドバッグに精巧な拳銃を潜めていて、彼等が見知らぬ人に出会わし、面倒が起こるかも知れないと感じたら、その小型拳銃が使われるだろうとのこと。
 2001年より前、阿片の取引は制限されては居なかった。中国ミャンマーが連合して阿片取引禁止を決め、捜索を開始した。するとこの辺りの人で、人目のあるところで吸う人は居なくなった。最初に焦点となったのは、この辺りを支配している劉明、劉群、李老栄などで、彼等が中国政府に引き渡されると、この地帯の人達は大変驚き、この取引から手を引く人が続出した。それまで1キログラム34万元だったヘロインの取引値段が現在1.8万元に急降下した。
 記者は軍司令官「彭家富」副司令官「臼所成」の家を訪問した。彼等は共に「2001年中にケシの栽培は50%に減少し、耕作者は9万人から4万人に減っている。」と言う。 しかし2002年中に阿片の栽培を禁止することはとても困難と見られている。それは農民の生活がかかっているからで、地元政府もそこで悩んでいる、とのこと。
 特別第1地区の責任者の許可を得て、記者はここの監獄を訪れ、麻薬販売および吸っていた人達の様子を見せてもらった。また、軍の案内でヘロイン加工場を見せてもらった。当地では麻薬を吸っている人に対する罪は非常に厳格で、3度以上見つかった人には銃殺かまたは地下牢閉じこめとなる。したがって当地で吸っている人はほとんど居なくなったと言う。
 6/7、記者はシャン州第2特別区の南登に来た。ここでは現在栽培食物を代替することが進んでおり、それら農産物類は中国から持ち込まれている。しかし、農業で貧しさから抜け出すためにはまだまだ困難が続くだろうと見られている。山地に住んでいて麻薬関係の栽培を目的に当地に降りてきた種族達はこれまでの年収は約2万元であった。今は甘藷や豆類、トウモロコシなどを栽培し、年収は2ないし3000元程度に減ってしまった。これを見て判るように、最低生活から抜け出すのはまだまだだろう。
 6/8、記者はシャン州第1特別区で麻薬やケシ類を焼却している現場を目撃した。地元政府はこれを記者に見せて、麻薬対策の決意を証明しようとしているのだと思えた。
 統計によると、今年中国とミャンマーが共同で摘発した関係事件は339件、その中で1万グラム以上含んだ事件は12件、収容されたヘロインは435キロ、銃は6台、関係者453名となっている。

訳者注:ミャンマーの名前について。
 1990年国政選挙で敗れた現軍事政権がビルマをミャンマーと呼び変えました。
 しかし文字そのものは変わらないそうで、ビルマ(burma)は外国語発音。ミャンマーは現地人発音です。そこで中国文字も同じです。ミエンティエンと発音します。
 日本は何故ジャパンと言うかについては、いつか記したと思います。中国語の発音「リーベン」から来ています。正確に発音しない人は「ズーペン」と聞こえます。マルコポーロがこの発音を聞いて、欧州へ持ち帰り、スペインの世界支配の時代となって「ハポン」となり、次にこの文字のまま「Japan」となったようです。