全ては”鶏頭”の所為
02/12/19 南方週末 曹勇 劉向軍 

 私は泣き声も出ず、歯ブラシの入れ物で左手に傷を付けています。少し切った所で、見張りの男が部屋に入ってきた。彼は力任せに私を押さえつけズボンを脱がす。・・ 彼が行ってしまった後また私は腕を切りつける。血が流れて、もっと流れるように腕に水をかける。
 もう私は両親に会わせる顔がない。腕を切りつけながら私の目から涙が止めどなく流れる。
 小翠の告訴状第20頁より

鶏頭によってすっかり変えられてしまった村

 この町では非合法の売春組織”鶏頭”がのさばって以来既に10年になる。
 その被害にあった少女の数は相当数に昇る。ここではかっての良き風習が消えつつあり、”鶏頭”により「男性は役立たず、女性が金になる」という考え方が大勢を占めつつある。

 02年11月半ば、一人の読者が当社に連絡してくれたところによると、まさに驚く事件が蔓延している。
 湖南省叙浦県で、「鶏頭」と呼ばれる悪者が、少女を誘拐し強姦し、強制的に彼女たちに売春をさせている。
 この事実を連絡してくれた一人の読者によると、当地の「張希生」と言う人が、この”鶏頭”所行について調査を行い、数多くの悪行の事実を調べ上げた、と言う。
 そして被害者の父親と一緒になって”鶏頭”と掛け合ったが何の成果も得られなかった。そこで記者は現地の「低庄」村へ行き調査を始めた。

    張希生の家で

 そこは湖南省の湘西にあり、長沙から車で西へ向かった所。約10時間かかる。ここは都会の文化とはかけ離れた所で、2000年前「屈原」という英雄がここに流されてきた時、ここで「渉江」という有名な詩を残している。
 季節はちょうど冬来るという感じで、毎日冷たい雨が続いた。11月16日雨の日に出発し、汽車を乗り換え長距離バスに乗り、また地元の小さなバスにも乗り、最後にはぼろぼろの小型車に乗り、最後には泥水のたまった悪路を1時間余歩いてやっと現地にたどり着いた。時間は夜の8時頃で、やっと「張希生」さんの家に着いた。
 見たところは普通の農家であるが、家の壁には至る所張り紙がしてある。
「いかに毎年衛生に気を付けていても、虫どもが次第にあたりを食い散らしていく。自分の一生をこの虫退治に捧げよう」という標語が書かれている。張希生の妻が言う。「これは内の人が自分の気持ちを書き表したものです」と。
 この村では張さんは誰もが知っている有名人で「悪を憎み、人のために働くことを惜しまず、しかし愚痴は言わない。しかも彼は政治や法律に詳しい」。
そこで村民達は何か問題があるとすぐに彼に相談に行く。

 彼の妻の話によると、張さんの協力によって当地の警察は300件以上の事件を解決しているとのことだ。
 しかしその日の張さんの妻の声は「ああ、少し遅すぎました」と言う声で始まった。「あの人は逮捕されて今は監獄にいます。」
 張さんというのはすでに62才になっていて、今年の半ば、被害者の家族と一緒に公安に赴き、自分たちで調べた報告書を提出した所、話し合いが激論となり、ついに9月、国家公務員に対する暴行罪で7年の刑期が確定してしまった。
 記者が妻に話を聞いていると、入り口には大勢の子供達が集まってきて騒いでいる。その中から張さんの息子がそっと寄ってきて油紙の袋を持ってきてくれた。「これが親父が調べた、報告書です」と言う。
 これはまさに張さんが全精力を傾けて調査した事件簿で、そこには7名の少女が騙されて連れ出され、売春組織に売り飛ばされ、その娘を捜す親たちが必死に探し回った血の記録であった。この書類が幸いなことに残され、少女達のたどった悲惨な運命の一幕がつづられていた。

 騙して連れ出し、強姦し、売春させる

 98年12月2日、当地の小蓮(仮名)にとって一生忘れられない悲劇の日であった。
彼女と近隣の小翠(仮名)、小菊(仮名)月塘村の小梅(仮名)、彼女たちは共に14才から16才までの年齢で、劉という名の女性に騙されて「知らない所へ連れて行ってあげよう」と言う誘いに乗って、村を離れた。その後の調べで、この劉という女性は”鶏頭”の竜海建の指示で誘い出したことがわかった。この劉という女性も以前に誘い出され売られた人で、今では”第2鶏頭”と呼ばれるようになっている。

 騙された4名の少女達は広西貴港市の宿屋に泊まった。その夜真っ暗になってから悪行が決行された。聞くだけでも血の凍るような事件が起こった。小蓮と小翠の記憶によると「びしばし叩く音と悲鳴が聞こえました。吃驚してその部屋に忍び寄ると、同行人の男が小翠に口をふさいで強姦しようとしていました。小翠が争って抵抗して窓辺に逃げ出し、近寄ったら窓から飛び降りて死ぬわよ、と叫んでいました。するとその男は、飛びかかっていき、脚で彼女のお腹をけりつけ、ふん、俺様が嫌なら他の男にするか、と叫んでいます。小翠が首を振ると、小翠から取り上げた靴で顔を殴りつけ、彼女の顔から血が飛び散り、顔は青紫になって張りあがりました。」
−−小翠99年3/28告訴状12頁より

 小翠はその日はそれ以上何事もなかった。小蓮、小菊、小梅達は他の男に乱暴されました。
その翌日小翠は自殺しようとして小刀を買おうとしました。しかしそのお金が無く、ついに逃げ出すことも出来なかったのです。その夜、またあの男がやって来て、彼女の耳を殴りつけ、手足を縛り、思うとおりにしました。彼女たちは逃げて帰ろうとしましたが、何のお金もありません。すると男達は彼女たちに向かって、帰りたければ男の客を取りな、そうして稼げば帰れるよ、と脅迫します。
 小翠告訴状第8の20頁より

こうして小翠は50元である男に売られた。
 4名の少女達はこうして売春の日々が始まった。少女達はそこで、後から続いて送られてくる同村の娘達に出会っている。またその後娘達は遙か離れた南寧、深浅、北海、等へ回され、そこでも同村の娘達に出会っている。

 告訴状はこの4名の名前だけでなく、さらに3名の少女の名前もある。その内の一人は張希生さんの外孫である。連れ出されたときその少女は13才である。
 記録によると彼女たちは40日の内に70人の客を取っている。そして性病に罹っている。告訴状の最後で小蓮は語っている。
「ある年寄りの話では、昔から歌われてきた次のような歌があります。
”生きることはまさしく真っ暗な井戸の中に住むようなもの。女性はその一番底に住み太陽が見えない。空が見えない。月日の過ぎてゆくのがわからない。年が変わるのもわからない。ただ望むのは千年草が花開くのを見るだけ。でも私にはその花さえ見えない。”」と書かれている。

 家族の絶望

 小蓮の家族は娘を助け出そうとして警察に届けた。しかしそれはまるで大海に石を投げるごとく何の反応もしてくれなかった。
仕方なく家族達が協力して探すことにした。 家族達は犯人が竜海建であることを知っていた。そこで竜の父親に会いに行った。
 犯人竜の父は捜索者達を流し目で見て大笑い。「貴様ら、ワシの息子は既に何人もの娘を連れ出しているのを知っているだろう。今更警察に届けたって何の役に立つものか。いいかい、”鶏頭”は誰も逮捕しようがないんだよ。」
 しかし家族達はその竜の親を引きずるようにして貴港(海南島の北側)へ探しに行った。しかしその頃既に小蓮は桂林に流されていたのが解った。
また桂林に旅をしてやっと娘を捜し出した。娘は痩せて肌が黄色く、身体が常時震えていた。娘は一言もしゃべらず、見張りをしている男達が家族を睨み付けて殺さんばかりであった。
 同行した小菊の母はそこでは娘を見出すことができなかった。見張り達は何も教えず、母は娘が居たらしい旅館の入り口で大声で泣き出した。しかし同行の家族達は誰も慰めようがなかった。
 家族達が村へ戻ってから、小蓮は家に閉じこもって一歩も外に出ない。彼女は一度警察に連絡した。そして警察がやってきて言うには、「こんな14才の娘の言うことなどどうして信用できようか」と言って、取り合ってくれなかった。
 家族たちは公安局に出かけ何度も交渉した。しかしいつも取り合ってくれなかった。
 そこで彼らは張希生さんに頼むことにした。そうして以降、張さんは家族達を伴って色々な所へ足を運んだ。
 99年初め、偶然にも「鶏頭」の一人が警察に逮捕されたというニュースが伝わった。家族達が何か良い情報があるかも知れないと思い、警察へ駆けつけると、その時には既に公安局の命令で鶏頭は釈放されていた。
 張さんが不思議に思って公安局長の「沈」某という人を訪ね理由を糺した。張さんが力んで大声で話しかけるのを押さえて局長は「まあまあ、ゆっくりお話ししましょう」とと宥めるのみで、結局理由は話さない。張さんが怒ってこれまで調べ上げた調書を局長の机に並べて局長を睨みつけて「君たちは何故、こんな、まだ幼い可哀相な子供達を助けようとしないのか」と詰め寄った。
 その結果、公安が小菊、小梅の2人を捜し出してくれた。しかしその娘を引き取るために、各家族は1500元ずつ公安に捜索旅費として請求された。
 訳注:都会では月収が1000元近いが、農村では中国平均で100元。従って、農民にとって巨大な金額である。

 張さんは警察と掛け合った。
「公安は何故被害者から金銭を取るのか」
公安「これは家族の要求によって犯人から娘達を取り戻した。従って犯人に幾らかは返してやらないといけない。」
張「そんな国家の規定などあるものか。では、君たちは国家から金をもらっているのではないのか。」
公安「どんな規定があろうとも、ここの村ではそれは通用しない」

 この村では告訴状も話にならないと知って、張さんはその年6月(99年)、家族と共に省の長沙市局長に告訴状を渡した。この旅行のため、張さんは自分の家で採れた食料を売り、家族に一人100元ずつ渡した。そのため帰省後食べる物も無くなってしまった。
 その後4年が経ったが何の連絡も来なかった。一人の親が「まるで大きな池に石を投げたようにこちらには泡さえ戻ってこなかった」と言う。
 この後張さんが逮捕されるに及び、家族の人達はもうこの世に望みも何も無くなってしまった。

 村には何人の”鶏頭”が居るのか

 02年11月19日、湖南省の監獄で記者は張さんに面会した。
「ここらにいる奴は皆世の中を腐らすだけの虫けらだ。皆死刑にしてしまうべきだ」と鉄格子の中で張さんは闘志盛んな様を見せてくれた。声が大きく目は爛々と輝いていた。
 張さんの説明によると、低庄郷周辺の村々を調べ上げた。そして統計を採った。その結果どの村にも数十人の”鶏頭”が居るという。低庄郷には25の村があり、全体で500から800人の人数を数える。
 11月23日、記者が得た非公式な警察情報によると、1000名を超すという。
この”鶏頭”が出来たのは90年代初めである。その頃中国全体で南方へ出稼ぎに行く風潮が生まれた。
 そうした風潮の中で教育もなく、資金もなく、手に職もなく、こういった人達が殆どで、思うようには行かず、誰もが苦しみを味わった。その中から一夜で夢を実現させようと言う人が売春組織を作り、婦女誘拐によって金儲けを考えた。こうした団体が”鶏頭”を名乗ったのだ。”鶏頭”は90年代中頃全盛期を迎え、彼らの集団は大儲けをした。記者がこの県を採訪しているとき、何度も、誰それが今年はいくら設けたという噂を聞き出した。そして最近になって儲けが減り、家の財産も減ってきたとか、と言うことが平気で話され、その言い方というや、口に泡を飛ばし、巧くやっている人を露骨に羨んで居る様子であった。

 ”鶏頭”組織内部の動き

 ある儲けの多い元”鶏頭”の一人が記者に語る所によると、この種の仕事をしている人は、ほぼ全員が”鶏頭”に組織されていて、そのやり方は暴力団としての性格を持っている。
 その内部では仕事が厳密に手分けされている。地盤割り、市場開拓団、政府官僚の後ろ盾を作り、地方ごとに協力しあい、と言った具合である。勿論暴力専門の部もある

 女の子を誘拐し、それぞれをどこかの指定地に分散仲買売却し、また彼女らを宥め、職業として観念させる教育も担当がある。
 一般的に言えば、仲買が使う手段として、誘拐されてきた女の子をすっかり諦めさせ、その娘を”第2鶏頭”と呼んで、さらなる次の誘拐に使っているのもある。これは女の子の警戒心を和らげるためである。
 誘拐した娘が服従しないとき、仲買人が善人を装い、第2”鶏頭”が悪人役となって、娘を騙す手法も使われている。
 また、「家に居ても良いことは何もない、私と一緒に来れば金が儲かる」と言った言葉は、常時使われている。
 誘拐した女の子の教育方法としては、実際の性交渉の場面を見せ、彼女たちの羞恥心と防衛心を無くさせる方法が採られている。
職業的技巧として、客から出来るだけ多くの金を巧く騙し取る方法も教えている。

 小蓮、小菊などの語る所によっても、また張さんの調査によっても解ったことは、竜海建というのは明らかに”鶏頭”の組織員であるが、しかし組織のトップではない。トップは陳某という男で、ある村の党委主任である。
 彼は最高で100人の手下を抱えていたという。しかしこのことを今警察に聞くと「彼は恐らく、もう止めたよ」と言う返事が返ってきた。
 今はその仕事から手を引いたという男は、個人的に誘拐をして稼いでいる奴もいるが、しかし本職の”鶏頭”組織の大きなやり方にはとても及ばない、と言う。
 複数の女性に向かって「皆で遊びに行こう」とか、「集団恋愛をしに行こう」とか言って誘い出し、一旦外に出れば暴力的に服従させている、とのことだ。

 ”鶏頭”がはびこって

 金儲けの動機が原因しているとはいえ、しかしこの様な暴力団がのさばっているのは警察と鶏頭とがつるんでいるからだと、張さんは指摘している。
具体的に言えば、小蓮などの誘拐に対して、警察と暴力団との間に明らかに連絡があるごとく、何の行動も起こさなかった。
 
 11月24日、県の公安局の大隊局長は記者に「張さんは鶏頭を誤解している。公安は00年8月竜海建を逮捕した。そして検察院が起訴し、その後刑も確定した。ただし彼の仲間達は条件が揃わず逮捕できなかった」と語った。
 その条件とは何か訪ねると、局長は「現在公安局は厳しい財政事情を抱え、我々の賃金予算が実際200万元しかない。これでは毎月の給与の半分しか払えない。私自身も毎月貰っているのは400から600元しかない。さらにここから、各種公益事業などに献金を要求されている。全ての派出所には警察官がただ一人しかいない。そこには事務机さえ無いのだ。彼ら警察員は日常の治安業務がある。さらに長距離離れた所にさらわれた娘を救い出しに行かねばならない。この様な状態で鶏頭を逮捕する余裕などあるだろうか。」

 また公安局長は「法律上の規定では、鶏頭一人逮捕するにはあらゆる証拠をそろえねばならない。売春当人とその客の証言が必要だ。しかしその客は不特定で流動している。これでは証拠など集めようがないではないか。
 明らかに組織的売春犯が居たとしても、その証拠を掴むことは大変難しく、まあ、治安関係の観点から罰することが精一杯である、と局長は言う。

 しかし誰もが心配しているように、この10年でいったい何人の女の子が誘拐されてきたのだろうか。これに対しては張さんも明確な返答が出来ない。
ある被害者の父の話では、陽興村では半数以上の女性が誘拐されているという。

 学校と鶏頭の戦争

 ここ数年鶏頭は学校に手を伸ばし戦争状態が生まれている。
 02年11月20日午前、張さんの助言で記者はある学校にやってきた。他の学校と比べ明らかに相違しているのは、校舎を囲む塀の作りである。普通より一段と高くし、さらにその外に生け垣を巡らせている。
ある先生の話では4年前、先生の娘の中学2年の女の子がここで誘拐された。当時学校には外壁が無く、女の子が外で遊んでいるとき、李明という若い18才の男が近づき、外で楽しいことをしよう、と誘い出した。李明は無職で、売春婦誘拐が仕事で、喧嘩や略奪が常時で、労働改造所に入れられたこともある。
98年10月、連れ出した女の子を浙江省に売り飛ばした。先生は夫婦揃って休暇を取ってあらゆる所を探したが、すっかり失望してしまい、奥さんは精神的に異常となり自殺を図った。それはたまたま幸いにも救われた。 行方不明後1週間少しして、娘から電話が入った。娘が泣いて言うには、李明が叩くので目が真っ赤になっているとのこと。そこで先生は李明の両親を無理矢理同行させ、2ヶ月経ってやっと探し出すことが出来た。
 誘拐された娘は、村を出てからのことはいっさい口に出さない。そこで先生は数百キロ離れた所へ彼女を転校させた。やがてこの娘は子宮外妊娠していることが解り、手術を受け死の門を何とかくぐり抜けることが出来た。こうしてその14才の娘は泣いて両親にこれまでのことを打ち明けたのだった。
 李明は鶏頭だった。彼は誘拐後村を出てすぐに強姦した。そして無理矢理彼女に金を稼げと強制したのだ。
 先生の驚きは勿論一通りではなかった、が、しかし警察には訴えなかった。鶏頭の報復を受けることが怖かったのだ。これ以外の方法はあり得ない、とのこと。
こうしてこの学校は以降、学校の周囲を閉鎖することを決定。塀を建て、生け垣で囲った。「もうこれは一種の戦争です」とある先生は言う。鶏頭達は必死でこの塀を乗り越えようとし、先生達は又必死で守る。
 この戦争は97年になって噂が広まった。先生の娘さえ守れないのなら、いったいこれからどうなるのか、誰もが心配した。
 この先生の所へ、色々な地方から女子中学生誘拐の知らせが届けられた。
 記者が県公安部で聞くと、同じような事件が毎月数件発生していたという。初めは真剣に心配し、怒りを燃やしていた先生達もやがて守りようがないことを自覚し、神経が麻痺していくようだった。
 鶏頭がしたい放題に暴れ回ったのは97,98の両年である。学校が終わると校門にはぶんぶん音を立ててバイクが走り回り、格好良い女学生を見つけると近寄って誘いをかけてきた。このバイクの若者は鶏頭の子分で、まずは子分で安心させてからその上の鶏頭が出てくるという段取りだった。
 どうして鶏頭は学校を狙ったのか。ある警察員が言うには、近隣の娘達が殆ど誘拐されて残りが少なくなったため、新しく「材料」を探すため、彼らが学校に目を向けだしたという。また買春の客の要望も、幼稚な感じの残った学生を望んだという。 
 ある先生が記者に言うには、ある時ホテルの館主が学校の視察に来た。この館主は元鶏頭で今は手を洗ってホテルの経営をしているという。だがホテルではその種の営業も行っており、その方の心得もしっかりしていた。
そしてある女学生の後ろ姿を指さして校長に「私の所の営業にあのような娘が来てくれると有難い」と語った。そしてこれを聞いた校長は大声で同意した、と言う。
 これを見た先生達は大変恥ずかしくなり、女の先生はそっと涙を流す人も居た。しかし泣いた所で何の役に立とうか、誰もこの現実を変えに来てはくれない、と女の先生は怒りを込めて言う。

 変わってしまった村

 さて、鶏頭のことに話が向くとこのあたりの人はどんな表情を見せるだろうか。
 怒り?それとも歯ぎしり、それとも蔑んだ感情?
これらの推測は全部正しくない。
 ある村民は記者に対して、「金儲けをすることが何故非難されようか。その方法には何をしようと面子なんか関係ないでしょう」と煙草をゆっくりとくゆらしながら話してくれた。
 彼の話では、「このあたりの人は自分が誘拐犯になることを何とも思っていない。それは何かのある職業に就くようなもので、平々凡々なことだ。いくら儲けることが出来るかが問題で、法律に反しているかどうか、。品行が正しいかどうかを問う人は居ない。」という。
 彼の近隣に2人の寡婦を抱えた老人が居た。ある時、鶏頭にそそのかされて、寡婦がそれぞれ2人の娘を連れて福建省に出かけた。数年して彼らは帰ってきた。すぐに家を建て替え、その2人の娘は毎日美しく着飾った。周りの人達は初めは慌て、軽蔑したりしていたが、しかしやがて誰もその家具の素晴らしさを褒めだした。
 寡婦達も次第に得意になって福建省の事を自慢しだした。その話を聞いた村人達は皆「お前さんは本当に福の神に恵まれている。いい娘を生んで良かったな」と褒めた。

 このあたりでは何時の頃からか価値観が大きく変化してしまっている。
他の所では「重男、軽女」なのに、ここでは「重女、軽男」である。10人の男を生むより1人の女を生むべきだと考えられるようになった。
 聞く所によると、この県では経済がピンチになると男達は妻や娘を売春に出す。売りに出すのは決して鶏頭のみではない。金を欲しい人は誰でもその方法を採る。”妻が浮気をしている噂”を誰もお構いなしだ。
 こうした傾向は当地の若者にも当然として影響している。このあたりの若者は女友達を作るとき先ず注意するのは、この女性の品格がどうのこうのではなく、この女が売れるかどうかに向く。記者が半信半疑で聞くのに対し村人は確信を持って説明してくれる。
 その結果、県民達の鶏頭に対する評価も又複雑である。本来なら、村人達は鶏頭を恨んで当然である。しかし有る心の底では彼らのやり方に大いに感心している、と説明してくれた。
昨年2人の娘が鶏頭に誘拐された。そして暫くして、その娘達の家では娘から銀行口座が送られてくるようになった。こうしてその家では鶏頭を恨むことはなくなった。鶏頭の悪さを言う人に対し、鶏頭を擁護する立場で反論するように変わった。
 11月24日、記者はこの村を去ることになった。そこで初めに紹介した誘拐された家族を訪ねた。事件が起こったとき、その家族は危険を冒して、大変な苦労をあえてして娘を捜し回った。そしていつかは公道に照らし悪が裁かれる日を願った。それは自分の娘のことのためだけではなかった。又賠償などを求める積もりさえなかった。ただ警察が鶏頭
を退治してくれて以降の村の生活が安心できることを願った故のことだ。ところが現在になってその親は考えが揺るぎだしている。
「どうして多くの娘が自分から外へ出かけることを望んでいるのか。村人の中には私の苦労と努力を無駄なことだと批判する人もいる。」
 彼は記者に「私がしてきた事は間違っていただろうか」と質問するのだった。

 7人の女の子の結末

 記者がこの県で採訪していた頃、あの7人の誘拐された娘達の行方は掴めなかった。
 彼女たちは2000年前後に誘拐された。張さんの上級への訴えは結局逆に逮捕され、その望みは絶たれた。
 記者が調べた所、小蓮、小翠は深浅で臨時工として働いている。残業が深夜まで続き、それでも月の収入は500元止まり。小梅、小華の2人は重い性病に罹り、治療の金が無く、再び売春の道に入っている。小菊と他の2名のことは誰も知らない。 
 彼女たちの一番年上の娘でまだ20才。
 彼女たちの青春は花開く前にもう窄んでしまったのだろうか。               
 
訳者注:地名について
 深浅のセンは土偏に川
 竜海建の竜は龍の下に共を書く。(コンと 発音)
湖南省叙浦県の叙はサンズイ編が付く