南方週末02/03/21 女性記者 登小波

 湖南省岳陽市華容県でたった12歳の少女段英が誘拐され、3ヶ月の間に700人以上に無理矢理、客を取らされていた。また150人以上の風俗営業者が、娘を回し持ちして利用し、中間搾取もしていた。
 段少女はこの間の全てを密かに記録し続けていた。
 正に聞いて驚くことには、関係者の850人以上が事件後3ヶ月以上立つのに誰もまだ逮捕されて居ず、法的には”お咎め無し”ということになっている。
 公安庁長の所に回って初めて、問題視され、全国人民大会副委員長に伝わり、全国婦人連盟主席の彭雲に伝わり、湖南省人民大会でも注目されるようになった。
 事件として取り上げられ、調査が進むにつれて、出てくる話は正に世間を驚かせることばかり。

 失踪

 2001年5月16日、段可慰の家から12歳の長女段英(仮名)が両親と喧嘩して家出した。家族が気をもんで待つ内、8月24日午後、2度に渡って泣きながら家に電話をしてきた。
 「私はここが嫌だよ。。。。」続いて娘の声が終わらぬ内に直ぐ大人の女の声に変わって「おまえの娘は我家のホテルで皿洗いをしているよ。とてもお利口だから安心して、元気にやっていますから。」として電話が切れた。
段家は近隣のホテルを探したがそれらしいところは見つからなかった。段は電話を受け継いだ隣家の人が記録した電話番号で調べてみると、それは寥家批という地名であることが解った。寥家批と言えば汽車の駅近くの有名な赤線地帯である。
 段は翌日警察へ届けようとした。土橋派出所は段の泣きながらの届けを受けると直ぐに手配して調べを始めた。
 娘の居所が解らないので、段は客の扮装をして、親戚を訪ねるかのようにしてその地方に出かけた。娘の写真を見せながら1軒1軒尋ねていくとやがてある手がかりが掴めた。 有る客引きの女が「この娘を見たことがあるよ」と言ってくれた。その女性について行くと、そこで独自に探していた警察の猛と言う人と他に二人の私服警官と出会った。そこで一緒に探すうち、陳という名の「地頭蛇」の家で働いている段の娘に出会うことが出来た。
 段が娘の顔を見たとき、まさかこれが娘だとはとても思えない姿に変わっていた。娘の全身ははれ物が出来、体中傷だらけ。帰り道の娘の足取りは震えていた。ただその声だけは娘に違いなかった。その哀れな姿を見ると、思い切って死んでしまいたいくらい見るのも辛かった。
 
 没落

 段英が家を出るとき、身には8元を持っていただけ。娘は汽車に乗って叔父の家に行こうとした。駅に着いたところで迷い子になった。その日の夜中頃,登光明という浮浪者が娘に近づき「よしよし、俺が叔父さんの家を探してやろう。仕事も探してあげるよ。月300元ならどうかな。付いておいで」。こうして登光明は翌日段英を連れて市場の3階にある唐龍方という旅館に連れて行かれた。浮浪者はそこで紹介料として女主人から500元を貰っている。唐龍方はその夜娘に契約書を書かせた。写真も撮って、娘が意味が理解できないことを良いことに「身売り契約書」にサインをさせた。

 こうして5日くらい経って、唐龍方の妹の麗英というのが来て、その夜国際大ホテルで客に引き合わせた。そこで段英は大声で泣き母を呼び続けたが、しかしその夜の地獄から抜け出ることはできなかった。
 翌朝から段英は7時に起き、夜の12時まで女主人の見張りの元で働き続ける事になった。一つの客が終わると、化粧直しをして、又次の部屋へ回された。
 少女が見つかる20日前、主人はこのような営業に義務づけられている女医者を呼んできて少女を検診させた。
 先ず少女に注射をし、子宮拡大用の鉗子を挟んで切開をした。少女は苦痛のあまり転げ回った。こうして営業許可の証明が作られた。その治療の後、月経期間が3・4日から6・7日に延び、最後には12・15日も続くようになった。
 そのとき真っ黒な固まりの血が出た。
 その後も地獄のような生活が続いた。女主人は少女を脅し回った。「おまえは直ぐに泣くね。おまえは笑顔が作れないのかい。客がそんな顔を喜ぶはずがないだろう」
 そして少女は人前では笑顔を作るようになった。しかし一人になるといつも泣いてばかり居た。

 大人も驚く日記 

 誘拐後2ヶ月ほどして市場の4階25号室で客を取っているとき、土橋署の検査が有り、署へ連れて行かれた。そこで彼女は年齢を聞かれた。女主人から「本当の年齢を言ってはいけないよ」と言い含められていたので、少女は一言も声を出さなかった。少女は誰が見ても14歳以下の未成年に見える。そのときの身長は1.4メートル。体重30キロである。署へ連れて行かれたその翌日、女主人は1000元を警察へ届けて、少女を引き取った。そして又少女に生き地獄が続いた。
 事件後彼女の父はこのときの警察のとった態度を指摘して、未成年の少女がこのような営業に従事しているのを黙認した処置は大問題だと詰問している。
 そのとき営業許可書を調べもせず、未成年の少女が如何なる仕事に従事しているか調べもせず、賄賂で少女を返還するのはどういうことなのか、と
 女主人の方は少女の取引に1000元使い、その上派出所員に食事を届けるのに200元使ったので、娘に「儲けからこの1200元を差し引くよ」と念を押した。
 段英は事件後、「いつもこんな風でした。警察に他の人が逮捕されると1000元を届けて。そして後は何もなかったようになりました」
 段英は人がいない時を見て、そこへ連れてこられてからのことを、紙片に記録するようになった。これが後ほど役立つことになった。
この記録を彼女の父が見つけたのだ。
 段英は記者に対して、「わたしは人が居ないときそっと書き物をしていると、女主人に見つかりました。書いたものは全て取り上げられました。それからは見つからない様に書いたものを隠しておきました」
 彼女の記録は全体で685片ある。6/1の児童節の日1日で、客を取らされた回数は12回である。、
 「(2001年)6/1:4階24号室で。3階16号室で。5階18号室、ここは2回。。。。。。 」

 事態は静まってしまった

 8/28,土橋派出所教導員の猛建は段英親子を市の校医に連れていった。
検査結果は膀胱炎や淋病、等幾つもの指摘がされた。
 その晩女主人は、人をしてそっと段家を探しに来て、「親娘がいるかね」と様子を見に来た。段の父は、彼等が女主人に娘が持っていた荷物を返してほしいと告げるよう頼んだ。そして女主人の劉麗に会いたいと。
 そのとき尋ねてきたのは4人で、彼等が最初に恥ずかしげも無く言った言葉は「まさかおまえ達派出所には届けていないだろうね」だった。これが脅かしだった。
 
 8/29、派出所教導員の猛建と私服警察官二人は親娘をつれて旅館の営業所へ出向いた。目的は娘の衣類引き上げだった。ついでに主の唐龍と妻の劉麗の顔を見ておく必要があったのだ。
 その旅館に着く途中の道で劉麗に出会った。段の父親は烈火のごとく怒って彼女に掴みかっかった。臨時警官も身分書を示して逮捕しようとした。劉麗は大声を出して助けを求めた。ざっと20人ほどが直ぐに周りを取り囲んだ。そして彼等は段の父と警官達を思い様殴った。段英はそれを見るとさっと抜け出して一目散に逃げた。駅前まで行って交番に駆け込んだ。警官達が駆けつけたのは約10分後だったが、段の父親は身体中血に染まっていた。如何なる理由か解らないが、その派出所の警官達は旅館の主達を逮捕しなかった。
 そして娘が発見されて3ヶ月も経つのに未だに事態は進展していない。と言うか全ては静まってしまった状態だ。
 段の父は市の公安局に訴えた。この事件を捜査し、駅前の派出所を調べ、赤線地帯を集中整理することを手紙に書き、速やかに動いてほしいと申し込んだ。
  
 傷害事件

 記者が段の家を訪問したとき、その家では娘を捜すために既に使った金が数千元に達し、負債だらけとなっていた。
 段英は恐怖と恥ずかしさとで外に出ることが出来ず、家では学校に出す金もなくなり、登校もしなくなった。まして病気の治療に出す金もなく、家にじっと過ごすばかりの日々であった。
学校の友達が来ても進んで顔を見せようとはしなかった。家のみすぼらしさを見ながら父は記者に「きっと警察に取り上げて貰いたい。家のことなど構っていられない。今もう全ての物がなくなってしまった。これから何とかしてどこか違うところに移転して新しい環境で娘を育てたい」と言った。
 
 医者に診せたところ、幾つかの性病と婦人病に罹っている。その娘は地獄から救われたと言う気がしたのか、それから3日も意識無く寝て目が覚めなかった。

 湖南省の大きな病院の劉志堅の話によると、この病気は治療に2・3年掛かり、費用もかなりするとのことだった。
 しかしもし直ぐに治療に取りかからねば、一生直らないだろうとのことだ。
それだけでなく命にも関係してくる危険があるとのことだった。つまり、もしあの旅館から救い出されなければ、彼女の命は危なかったのだ。

 段の父の今一番気にしているのは警察が取り上げることで、しかしそれは相変わらず少しも進展がなかった。

 2001年9月から10月の2ヶ月間、段の父は街頭に座り込んで警察が取り上げるよう訴えた。
 そして管轄の土橋派出所に行き、当直の警官の前に跪き、法的処理の手続きをするよう訴えた。しかしその反応は相変わらずの知らん顔であった。
 悲痛な顔の父は「ここらの150以上の赤線旅館経営者と、700人以上の我が娘をもてあそんだあの人達、いったい彼等は幼女強姦罪ではないのか。娘を一目見れば未成年だと言うことは誰が見てもハッキリとしたことではないか。一体、関係した人達は自分の家にだって娘が居るだろうに。彼等が人間と言えるのか」

 土橋とは一体どんなところか

 400軒以上の赤線営業をしている旅館中、150軒以上がこの事件に関係している。
未成年の娘を3ヶ月間生き地獄に閉じこめた土橋一帯はどんなところか、記者は密かにここを見に行った。
 そこはかって一般の住民が住んでいたところで、10数棟の建家が集まっている。岳陽市が市の拡張をしたときの街外れの一角だ。見たところ多くの家には貸し出しの張り紙がある。各棟の1階は明らかにそれと解る色彩をこらしている。辺りには娘達が立っているのが見える。そして日が暮れてくると娘達の姿は一段と増えてきた。近くの人に聞くと、かってここに住んでいた人達は、風俗営業の家が増えてくると、恥ずかしくなって出て行ったという。そして時々家賃を取りに来ているという。

 警察に聞くとこの辺りの治安は少し複雑で,娼妓達の関係する事件が特別多い。時々重点捜査が行われるが、その効果は何故かほとんど無く、しかも後で面倒なことが多いという。
 段英が受けたような不遇は、ここらでは珍しくもなく、14歳以下の娘も段英一人のことではないとのこと。
 段英も、彼女が連れてこられて直ぐ、11ヶ月年上の、13歳の少女に出会ったという。
名は范麗梛という。段英と范麗梛の主は同じ棟で旅館をしている。年令が近いので、二人は仲良くした。
 范は湖北省北公安県の人。両親は農民。昨年の3月頃、范とその他の3人娘が共に臨時工で働くという名義でだまされてここに来た。范の話によると、毎晩客の数は15人に上ったという。それだけ用を済まさないと寝かせてもらえなかった。
 段英が発見されて以降も范は相変わらず客を取らされた。
 段英が言うには、彼女が客の部屋に行く途中、まだ4・5人の14歳以下と思える少女が濃い化粧をして女主人に連れられて行くのに出会ったらしい。
 出歩くとき絶対私語を交わしてはいけないと言い含められていたので、それ以上の詳しいことは解らないと言う。
 記者が肩書きを隠して当地を訪れたとき、用心のために私服警官に付き添われて行った。そして客引きの女性を見つけて聞いてみた。「年の若い娘が居ますか」と。すると、引き手婆は「16・7才なら居るよ」と答える。「1回50元で如何」と言ってきた。
 こちらは「もっと若いのは」と聞いてみる。
「もっと若いとなると、少し高いよ。200元以上だね。法に触れるから危険だからね」との返事。
 これで段英の話とつじつまが合ってくる。 
 850人のうち誰が捕まるのか

 段英の日記によると、昨年5/21より8/25日までに彼女を使った店主は150人ほど。その数685回。それ以外に40数回やり手婆が別の土地の旅館まで娘を連れて客を取りに出かけている。
 その中で人名が解っている、ガススタンド経営者の陳氏。彼は記者と警官とが尋ねたとき「その方は12月9日に亡くなりました」との返事。
 事件が新聞に載ったのを見てびっくりして死んだと言う。
 娘を頻繁に呼んだのは,秦氏。その数50回。数の多いのから言うと、26回、25回、20回等の名前がある。娘を指名していたのは18人。 
 彼女を使っていた夫婦は、分け前を分配し、近所との連絡は緊密で、全てが通じ合う間柄のようだ。まるで大きな黒幕組織のようだ。調べてみるとほとんどが娘と同郷人だった。華容人。
 段英は、700の客の内30%が同郷人の発音で、20%が周辺の県人だろうと言う。残り50%は違う省からの客らしい。
 ある時、彼女は家の近くに住んでいる客と2度出会ったことがある。顔を見知っていることを話して、客の携帯電話を借りて家に電話をしたいとお願いした。客は先ずOKと言いながら、しかし、直ぐに態度を変えて、彼女の主に告げ口するのだった。
 2001年10月20日、段の父は何とかこの事件を取り上げて貰いたくて、湖南省党常任委員会、省政府法委員会書記、公安庁長周本順に依頼書を送った。周本順はこの案を各方面に回覧した。公安局局長の劉国球に即刻調査を開始するよう厳命した。
 11/12、劉国球は”迅速処理”の決定をした。公安局では担当者を呼んで会議を持った。被害調査、犯罪立件、娘の治療問題、等が議題になった。期限は12/25とされた。

 12/15日、捜査開始。娘を使っていた主と女主夫婦が12/19逮捕。営業者の4人と客の8名も逮捕。
 警察情報によると、現在拘留中は16人。

 赤線街治安組織は?

 当事件の有罪と見られる850人もの大人数は人々の噂に上った。もう一人”曹小紅”とう若い男。警察の話によると、この男は街の治安組織の一人だそうだ。
 2001年8/14日、段英が4階25号室で客と一緒に居るとき、段英とその客は警察の定期手入れがあり、署へ連れられて行った。そして1000元で女主と一緒に署を出ている。そのときこの”曹小紅が”身代わり”として警察に出頭しそこで懺悔の教育を受けている。警察に払ったという200元は、この男が警察で食べた食事代だという。
 警察ではこの懺悔教育で事件は改善されたことになっていた。実際は段英はその後も生き地獄の中にあった。
 段の父が言うには、「私の娘はあのとき身長は1.3メートル。一見して娘が未成年だと解るはず。しかし警察は必要な保護処置を執らなかった。逆に1000元を得て、娘を野獣どもの手に帰した。お陰で娘は再び肉をひさぐことを強要された。だから私は警察にも職務放棄の罪を訴えたい」

 これに対し土橋署の警察は記者に対し、「我々は何事も証拠を掴まなくては何も出来ない。この目で見るだけでは少女が未成年かどうかは決定できない。あのとき娘を見た感じは16才くらいだった」と返答した。

 警察の担当者に街の治安組織について聞いてみると、「あれは表向き街の治安組織となっているが、その実犯罪組織で、彼等は400軒の旅館から維持費を取りながら、売春活動を養護している。」
 段英の話によると、各店のやり手婆がその保安組織に出す金は月に15元、娘達から30元取っていた。
 1/27日、記者は再び警察を訪れて尋ねたところ、”保安組織は完全な暴力団で、その内訳は約56人抱え、問題を解決するために銭を集め、公安局大隊と公然と対抗していた。警察任務として現地へはいるときには、先ず変装して3ないし5分以内にそこから抜け出さないと、必ず彼等に囲まれ袋叩きにあった。これら暴力組織はさらに、彼等自身も売春宿を経営している。
 段英も記者に言うには、あの”曹小紅が”彼女を10回客に引き合わせた。

 「子供よ、貴女は再び他人に土下座をすることは無くなるでしょう」

 12/29日、この事件は岳陽市で取り上げられた。2002年1/25日、担当隊長毛胎忠は、「我々はこの事件を必ず解決して見せます。あの娘一人の問題にはさせません」と確約した。
 この大隊が担当して一月内に嫌疑者20人が拘束された。広州に逃げた登某も広州警察の協力の下、逮捕された。

 この事件は全国人民大会常任委員会副委員長、全国婦人連盟なども関心を寄せている。

 1/13日、岳陽市人大常委に胡副主任がこの問題を討議中、少女段英は議会に赴き、副主任の前に土下座をしてこの問題を取り上げるよう訴えた。
 副主任胡は彼女の手を取り助け起し、「さあ、子供さん、貴女は再び他人の前に土下座をすることは必要有りません。」と言った。彼の声は泣き声で震えていた。「貴女が作った証拠もあり、われわれは必ずこの件を徹底的に調べ上げましょう。如何なる人間が邪魔をしようと、私達は最後までやります」
 1/16日、岳陽市の第25回常委でも徹底捜査が確認された。そしてあの土橋付近の”瘤”も破壊尽くすことが確認された。また当地管理の公安職員達の職務怠慢についても厳重調査をすることが討議された。更に犯罪分子に対し罰金を取ること、もって少女が医者にかかれるようにすること、が確認された。
 あのやり手婆達の児童売春強要についても討議された。
3/12日、段英は、省婦人幼児保健医療治療院に入院し、各種治療に当たることになった。
 たった12才の段英の心には永久に忘れられない恥ずかしさと苦しみが残るだろう。


訳者注:
 1元は15円。
 岳陽市は洞庭湖と長江中流に面した古くから栄えた人口500万の都市。
誰が12歳の少女を
地獄に連れ込んだのか