不可能な任務 <砂嵐を治める>
        
2001/4/5
南方週末記者 方三分
 2001年1月1日午前7時頃、強烈な北西風が北京を襲った。それは黄色い砂を含んでいて、マスコミは21世紀初の大嵐と書き立てた。
 中国科学院環境とその進行研究所の所員が、これは中国で10年来最も年初に吹いた砂嵐だと指摘した。頻度も激しくなり、その間隔は短くなり、またその強度は強さをまして、まさに砂漠嵐と呼べるものになってきた。
 またその砂風の吹く範囲は中国西北から、華北一帯を覆い、南へ向かって拡大を続けている。中には揚子江の南まで広がっている。
 3月3日、第9回全国人民大会第4次会議及び全国政協第9回4次会がまさに北京で開催されているとき、そこにまた砂嵐が到来し北京の空を覆った。人民大会堂の階段に立った、両大会に出席の代表達はコートの襟を立てて防ぐのみで、口の中に入ってくる黄色い砂を防ぐことはできなかった。このとき、内蒙古から来ている代表達は、その顔に苦しみを表していた。風は蒙古から吹いてきていた。その砂は?その粒は?
 
 天災か人災か

 砂嵐が吹くようになって、内蒙古の人達はこれを「黄毛風」と呼んでいる。ただそれが頻繁に発生するようになったのは近年のことで、これは天災か人災か、それがはっきりしない。
 専門家の実地調査により、内モンゴルで発生して以降、北京に吹く冷たい黄砂風の通り道は3条有ることが解った。
 2000年の春北京に来た9回の砂風の分析により、それらの通り道はほぼ経路が特定されたと発表された。どれも内モンゴルの幾つかの砂漠を経過して北京に至っている。
 では北京に到来する黄砂の嵐は全てこれら内モンゴルの大砂漠から来ているのだろうか。
 気象部門の専門家によると、衛星観測によって、上空高く冷気に乗って飛んでくるのは砂ではなくもっと細かい粒子である。この粒子は上空数千キロの高度を飛来している。万里の長城をものともせず、北京にまで到来する。北京から200キロ離れた所にあるフンシャンタク砂漠からなら黄砂が北京に到達することができる。もっと離れた内モンゴルの奥の砂漠は数千年昔から存在しており、もしそこから到達するとしたら、その長い年月の内に砂そのものが無くなっているだろう。

 そこでまた有る専門家が調査の結果発表した所によると、これら砂嵐は大砂漠からではなく、砂漠周辺に現在造成されつつある、かって緑地だった所が砂漠化しつつある、耕地から、または荒れ地から、砂嵐はやってくると言う。
 オロシャミンのオチナチにある東西のイエン海は近年黒河の流水が無くなり、干し上がったので、湖底の泥が乾燥して、砂嵐の主要な要素の一つとなってきた。
 しかも西北の冷気は陰山北嶺を通ってバエンチョウアル盟、ウランザップ盟、スリンクオル盟(これら盟は内モンゴルの県に相当)等を通って吹いており、そこらは農・牧の混合地であり、開墾しすぎた地点であり、放牧しすぎた地点であり、植物が無くなり、草地が消えている地点でもある。これら砂漠化の激しい土地が砂嵐の構成する細かい砂を提供しているのである。
 本紙記者が砂嵐が吹いている地方を調べたとき、何度も次のような、一陣の狂ったような風が吹くと砂を巻き上げ、空に茸のような笠を作り、辺りを暗くする、景色を見た。  砂嵐の原因中、人為的な要素は70%を占める。内蒙古自治区林業科学研究所副院長楊さんも、放牧と草地の過度の利用が主要因だと言う。
 当面、内蒙古全体の家畜は現在7000万頭強の羊を数えており、理論的に可能な放牧数は4000万頭である。有る地方では制限値の3倍を越えている。最近は山羊皮の値が上昇しており、飼育人達は放牧数増加によりいっそう積極的である。
 山羊皮は綿羊よりも丈夫である。しかし牧草地を食い尽くす早さは綿羊の20倍である。マオウス砂地辺りでは、羊たちの群が草を噛んでいるのを見ると、地上には草はもうすっかり消えていた。放牧させている人に何を食べさせているのか聞くと、ぼんやりとした答えで、「まあ、砂とか石かも」という返事があった。
山羊が食べているのは決して石や砂ではない。たぶん草の根っこを地面の中からほじくり出して食べていると思う。
 限界を超えた飼育は環境の根本的な破壊に繋がる。6,70年代、文革の頃、知識青年達はスリホト大草原に入り、開墾を開始した。そのやり方は取り返しの効かない破壊をもたらした。かなりの耕地が後には何も採れない低産地と化した。60万畝強の土地が廃棄処分となった。最近になって、このようなやり方は未だに続けられており、1995,1996の2年で食料価格が高騰したこともあって、フルベイル大草原では又愚かにも同じ開墾熱が始まった。
 美しい草原が今絶滅の危機に瀕している。

 牛と羊を殺して北京を救う?

 毎年北京に砂嵐が起こると、このような声が起こる。このような言い方は内モンゴル人にとって耳が痛い。というのは放牧は内モンゴルの基本的の産業となっているからだ。養牧に頼っている家庭だけでなく、内モンゴルの大企業もまた放牧によってその産を成している。
 本紙記者が内モンゴルの官庁を訪ねた時、家畜の養育数を減らす問題について質問すると、その答えは決まって、今牛や羊を減らせば彼らは何に頼って生きていくことができるのか、と言う返事だった。
 統計によると、2000年に、内モンゴルの家畜数は減っていくのではなくて、逆に31%増加している。その年の増加家畜数は2553万頭である。内モンゴルは、家畜と草原面積を増やし、質を高め、効率を高める、という戦略を発表した。即ち、まだまだ飼育頭数を増やしていく計画である。
 このことは将に、内モンゴルの草原が消えていくことを意味しているのではないだろうか。内モンゴル自治政府の代表、ウユンチムクは、今後も継続して増加と質の向上を上手くやり遂げたいと語った。そのために、草原の水利を計り、工事人数を増やし、環境改善に努力し、草場と家畜の平衡を計って、草原面積の砂漠化を根本的に解決していく決意であると語った。
これらの動きは内モンゴルにとって、環境保護と放牧民の経済性とが矛盾しているように見える。この両者の関係はお互いに関係していて、片一方の問題が解決しなければ片一方の問題も解決しない。
 環境保護の面から言うと、大事なのはお金ではない。生産の責任、投資、建設、これらのあり方が最も重要な問題である。これが解決されない限り、全ての投資は浪費に終わるだろう。
あの山東省と内モンゴルを比較すれば直ぐ解るのだが、両方増加させ、両方良質の成果を上げることの意味はもう既に明白のはずだ。
 山東省工農の関係者は熟知しているように、その実力は遙かに内モンゴルを越えている。
 山東の家畜数は8000万頭を越えている。その売り上げ価額は年600億元。内モンゴルは8000万頭弱、売り上げは遙かに少なくて100億元。山東の牛の数は900万頭、内モンゴルは400万頭。
山東が毎年売り出す牛の頭数は900万頭、内モンゴルは100万頭に達しない。。
 山東と内モンゴルの違いは山東が飼料を餌にしているのに対し、内モンゴルは草を食わせている点である。それ故山東省という人口稠密の土地でも農業大省となっている。逆に人口の少ない内モンゴルが今環境の大問題を抱えているのである。
 内モンゴルでは牛や山羊の産業が成り立つのだろうか。
 3月21日内モンゴルのバインという放牧家を訪ねた。この家は4人で、200頭の羊を飼っている。そのうち今手元にはただ100頭になっている。というのは、かっては3.400頭いたものが、1998年草場を請け負ってから直ぐに草が不足し、100頭に減ってしまったのだ。住んでいるところは公道沿線の模範地区。家畜を放牧させない保証として、月に140元地方政府からでる。それを加えても一人月70元である。お陰で公道に沿った辺りは他の土地と比べて草の背は高い。
 スリホト盟のハスパト家はそのような上手い救いはない。その辺りはフンシャンタク砂漠の近くで、草場はバインのところと比べるべくもない。彼も羊を飼っているが地方政府からの保証はない。というのは地方政府の財政が貧しいからである。上記政府の10分の1しか予算がない。
 家畜の飼育方法について、それは既に人工的に餌を与えることが問題解決の方法と見なされるようになっている。それは少ない投資で、科学的な管理が可能で、土地が異なってもほぼ同じ程度に飼育できる。経済力のある地方政府では何とかやっていけ、貧しい地方では天気任せというのは救いがない。このままでは富む者は次第に良くなり、貧しい者はどんどん貧しくなり、環境も最悪を迎えることになる。

 今不足しているのは金銭か?

 内モンゴルの記事を書くときに多く聞かれるのは、もっと土地に対して多くの資本投資を要求する声であった。地方政府が土地に対しより多くの資本を投資するとして、その対象は、放牧を増やそう、いや林業を増やすべきだ、いや基礎研究に投資すべきだ等の声が起こる。何処の部門も、砂漠に降雨を待つがごとく、資金投入を求めている。これら全ての部門の要求に応じた投資額は正に天文的な数字になるだろう。有る政府職員は、名前を秘して発言したが、現状の草場を維持保護することが、他の砂漠化阻止等に比べ、最も緊急であると言う。
 水を引き、草や木を植えること等の工事は、
これは開発という考えで、直ぐ利益に結びつくと思われている。これはしかしその土地に関係する人達に激しい対立を生み出している。今各地方政府が自然開発に投資している様は一種の賭で、実際その結果は植樹も放牧も共にひどい低率な結果となって現れている。
 フフホトの有る政府幹部が言うには、1949以来植樹してきた木々が全て成功裏に生長していれば、今頃全家庭のかまどは木々で一杯になっているはずだ。しかし現実は見渡す限り山々は禿げ山となってしまった。放牧家達は、今の政府から保証してもらえるとは誰も期待していない。有る家庭は1998年3000畝の草場を借りて、現在は草も背丈が伸び、羊の毛皮を売って稼いでいる。彼は牧場に瓦づくりの素敵な家屋を建てた。彼に砂漠化を防ぐ秘訣を聞いてみると、笑いながら答えるには、「草場には羊を放していないのさ」と言う。今では土地の使用権利が全て彼に所属していて、上手く飼う方法を考え出したと言うことか。この地の官吏も、彼のやり方を素晴らしいとほめている。一般的に言われるところでは、土地を囲って放っておけば2年もすると草木の40%は回復するという。そうすれば砂嵐の可能性も無くなるのだ。 この方法は最近始められたことことで、80年代初めに内モンゴル政府が家畜を農家に供与した。しかし草地については1998年になって初めて貸し与えた。この10数年の間、家畜数は増加したが、放牧地の維持については誰も感心を持たなかった。
 こうして、この10年は内モンゴルで家畜数が最も増加した時代で、逆比例して、使用中の草場は退化が激しくなり、砂漠化も目に見えて進行した。1998年放牧地を政府が支給するようになって、誰もが自分の土地の養成を懸命に始めた。お陰で砂漠化の波はやっと静まりかけてきた。
 これを見てある人は言う。「放牧地に関する保護と維持は、草地や林業地の使用権の問題である。使用する者が責任を持って投資や保護に当たるということが最も重要である。
政府と実際の使用者が別々にそれぞれ投資していると、それらは全て膨大な浪費をもたらす」
 北京の天測経済研究所の唐さんは、生態保護の仕事は「公共の任務」である。いろいろな方面に利害をもたらす。政府は当然投資をしなければならない。しかし実際の投資に当たっては、政府の独裁になってはならない。関係者達と各種利害を調整しながら、実行に移さなければならない。誰かが何故植林をしなければならないかと問う時、義務の気持ちと実行の覚悟の気持ちとが持ち上がる。しかし、草を維持することは彼の利害と一致しており、成果を見通すこともできる。
 生態維持とその建設は純公益的な投資である。しかしその実、商益の効果も見え隠れしている。例えば同じ砂漠地帯と言っても、その改善には土地の特殊性が大いに関係してくる。それは光熱や土地の廉価である。内モンゴルの大企業のバンク集団はウラン市とその周辺100万畝の土地に植樹の計画をしている。草を植え、砂を押さえ、林を増やし、生態保護の工事をしている。かっての砂漠地がこの数年で林地帯と変わってきている。牧草や雑草の地帯が広がり、他の土地の砂漠化阻止にもかなり良い影響を与えている。
 この会社の生態保護の投資は慈善事業ではない。この企業は砂漠を変えて、一大農業地帯に造成しようと目論んでいる。その投資額は10億元。今後も10億元の投資の予定である。その企業の副総裁が言うには、これまでの投資は全て政府が行ってきた。放牧家や農家が生態保護に投資するのも、余りよい成果を上げてこなかった。それというのも、これらの工事には道路建設も伴い、企業としての総合的な機構が必要だ。従って純公益的な工事に見えながら、市場原理に基づいた計画が必要であろう。このような考えで初めて、砂漠化阻止の可能性が見えてくるのである。