舞女の法官と同僚達
       南方週末 01/11/22

 早急に司法官の資質改善を

 現在相当数の正規法学部卒業生が司法官の職に就けない。それは司法官の席の空席がないからである。司法官の資質が極端に悪質な者が採用されており、専門知識を有した有用な人材に適職を与えることが真に望まれている。有る部署の人事関係の人に言わせると、司法の最高責任者は法律の専門家をその適切な部署に着かせることを現在全く考慮していないと言っている。1人の担当官が10年以上に渡って司法各部門について専門的な観点から身を入れてそこに没頭することが必要なこともある。しかし我が国の経済・社会の発展に連れて本来は司法官の素質も当然高度な水準になることが要求されている。今またWTOに加盟することになり、司法官と言えどもより鍛錬される必要に迫られているのではないか。しかしこれまでの中国に於いて、司法官職は厳格な試験があるわけでもなく採用されるという極めて不合理な現象がこれまで存在してきた。(来年2002年から司法試験が実行されることが決まった。新聞社編集部注)
 こうして、弁護士は司法官に比べて資質が一般的に高い水準に成っている。しかし審判の決定権は司法官にのみ委ねられている。
 そして司法官は法律を理解できず、法律の適用を知らず、結果として法の冒涜もしばしば起こしている。今後中国は世界と繋がり法を創り、法で裁くことが必須になるであろう。

 一人の無頼の”舞女”(酒場の女性)が有るツテで司法官になった。これは陜西省富平県の司法官のことである。
 今年01年10月中央放送局で全国報道され、初めて中央と県の領導達が注目を始めた。新華社の報道によると陜西省の政治法律委員会は近日関係者を集めて対処することを決定した。王愛茹、張軍利は直ぐに解雇され、副書記長の白兵権はその責任を検査される事になった。
 今後陜西省と渭南市ではこの衆目を集めている事件をさらに詳しく検査することになった。これは該当県だけ特別に現れた問題ではなく、全省の整理問題として注目されている。
 この県のある司法官は、3月22日当社が報道した、7年間一人の人間を苦しめた司法事件「抵抗の代価」の、その司法官の存在するところである。これだけでなく、民の恨みを買う事件がこの省には満ちている。
 当記者が最近行った富平県の調査では、”舞女が司法官に”と似たような事件が頻発していることが判った。彼等司法官自身当県の住民でもある。この事態が不思議でないのだろうか。仕事の素質と道徳意識は”全く話にならない状態”と有る当県の弁護士はこぼしている。
 この県に来て記者は知ったのだが、あのごろつきとしての”舞女”のことは、何処の家でも知っていることだった。
 新華社の報道で、名は王愛茹で当県の有る地方の農民出であった。長年に渡って暴力集団のボス”孫某”と言う名の男と同棲していた。二人は1996年から1997年の間、聚仙楼という酒場で女性を世話し、また暴力団の出入りする場所として、たまり場に使われていた。王は酒場の女主人として切り盛りをしていた。
 近隣の話では、有る頃王と孫との仲が一時悪くなり、彼女自身酒場で客を取っていた。このように王の学歴は小学出で、酒場の店主と舞女とを兼ねていたのである。97年末、富平県司法官に任命された。2000年3月法廷執行吏に任命された。”舞女”の司法官としての仕事上の能力とその水準は誰が見ても笑い話になるのが落ちであった。有る弁護士は「王愛茹の担当する事件は農村出の無知の代表みたいなもので、自分の感情任せの裁きであった」
 
 彼女の担当する裁決書では誤字だらけで、言葉の使い方も出鱈目で法律知識が無いため常に誰か他の人に書き足してもらっていた。
2001年11月8日午前、退職させられた王は4人をかき集めて法廷にやってきて、院長を殴る蹴ると暴れ回り、院長の衣服はぼろぼろ、顔も傷だらけになっていた。
 院長が殴られたのは、その1月前、新華社が来た時、彼が「王はいつも被告から金銭を受け取り私服を肥やしている」と話したからである。また院長は「王は事件をこじつけ、それで金儲けをたくらんできた」とも説明したからである。その時新華社の記者を連れてきた朱と言う人は、そのまま自宅には帰らず、安全のためにチベットの方に隠れているという。王は今でもその朱と王亜光という人間を必ず捜して仕返しをすると息巻いている。
 王亜光は司法の同僚で、我が記者への説明に当たっては、常にきょろきょろして、王愛茹が現れないかと気を使い、身に隠し刀を持っていた。
 院長への暴力事件が起こったときには県から調査隊が乗り込んでいたのに、我が記者が富平を去る11月12日まででも、まだその事件は公にはされていない。また記者が帰社した後になっても、時々王愛茹に関する良くない噂が伝わってきた。
 このように、王が受け持った司法事件は32件、そのうち16件が未決着で、7件は立件さえされていない。それにも関わらず3200元の手数料を既に取っている。
 これで判るのは、法廷自体が王を利用して法廷費用を取り上げているのである。そのことはまた司法官の王福順という官吏の説明からも読みとれる。というのは王愛茹の退職後担当者になった王福順は2件を引き継ぎ、申立人からは既に費用を取り立て、しかし返すべき金銭はまだ返還していない。
 有る司法官が感嘆して言うには、司法官の道徳及び資質の水準の低いことは本当に恐ろしいくらいで、このような状態で、司法の公正を保ち得るだろうか、と嘆いている。

 1995年に「法官法」というものが成立したが、未だに王愛茹の様な人材が10名以上司法の職に就いている。特に目立つのはこの富平県で、過去3年間正規の学校卒業生を1名も採用していない。
 張軍利と院長の加森有の本職は運転手であった。周りの人の評判では、ごろつきの気分はそのまま続いている、と言っている。

 1999年11月、当県法官の張軍利が酒場の女性支配人を公安局員だと偽って強姦した事件が発生した。2001年1月10日、県の公安局は司法局に逮捕を依頼。院長は逮捕を仄めかしながら、多くの人と相談して公安局へ保証金の名前で1万元を渡した。しかも全く理解できないのは同じ頃に張軍利は院長によって法廷書記に任命されている。
 ある時は職人、ある時は運転手、またあるときは犯罪人が堂々と司法の場で働いているのである。「これこそ法の冒涜ではないか」
と有る退職した司法官が声を潜めてささやいてくれた。
張の事件発生後、連某と言う人、犯罪後労働改造で釈放された人、が院長の運転手に採用され、直ぐに法廷に立ち裁く人間に変身した。この連某は副院長の妻の弟で、しかし噂が広まり、司法の職を離れた。

 このように司法官の資質が低いために免罪と言われる事件は後を絶たない。

 2001年12月19日、富平県の百貨店が96万元の工事金を”焦健本”に渡して、護送団を付けて帰る途中引ったくりに会い、ごっそり持って行かれる事件が発生し、富平の人々を震えあがらせた。
 暫くしてそれは司法局が強制収容したことが判った。しかしその強制執行の時、司法官達は身分証を提示しなかったし、何ら法的手続きもしていなかった。
 その夜、百貨店側の「同意書」が提出されて45万元が返還された。 
 
 この怪しい事件は6年前の「借用書」にさかのぼる。
1994年1月、焦は韓城市に於いて工事を請け負った。しかし依頼者側がいつまでも金を支払わない。そこで当時副市長であった”?某”に協力を依頼した。?はこれを承諾した。と同時に焦に500万元の工事を依頼した。そして、ただし紹介費として5パーセントを支払うように要求した。焦はこの時このような大金を直ぐに支払えなかったので、借用書を?に渡した。?は表に自分の名前が出るのを嫌がって「李敬章」と記した。
 後に焦の請け負った500万元の工事はふいになった。そこで、焦は?に約束金の支払いを拒否した。2000年8月4日、焦は司法当局からの書類を見て仰天した。なんと、偽名の李敬章によって告訴されていたのである。8月21日、富平県法院は簡易審査として両名を呼び出した。しかし副市長の方は西安省から来た弁護士を代理に立ててきた。実のところその代理人は富平県の職人で司法局の副院長の妻の妹であった。?とは仲の良い「友達」であった。
 担当司法官の”孫某”は焦に向かって先ず意見を述べた。「もしここで両者が妥協に漕ぎ付けば30万元の裁判費用は原告が支払う。もし裁判に入るならば50万元の費用がかかる。さあ、どうするか。今日中に結論を出して欲しい」 
この金額に驚いて、焦は書類に同意の署名をしてしまった。
3ヶ月が経って焦から51万元が強制執行という形で取り立てられた。その金額は約束より21万元多かった。富平県司法当局の実情を知ったある1人の官吏は記者に、この取り立ては原告には何の費用も掛かっていない。全くのでっち上げの策略であった。その策略を計画した本人は全く頭を表に出していない、と説明してくれた。

 今年3月26日,渭南市中央司法院は事実誤認の恐れありとして、再審理を命令した。しかし富平県の司法院は処理を進めず、8月28日焦の再審請求を退けた。
 またたくまに3ヶ月が過ぎ、現在になっても、焦の51万元はそのまま司法当局に差し押さえられたままである。誰も焦に納得のいく説明を出来る人は居ない。

 私設監獄と弁護士殴打事件

 1989年、農民”朱継耕”とその仲間は製粉所を創り3年間で12.3万元を稼いだ。所長の楊某は製粉所を独占しようと考えて、帳簿や配当を朱らに隠したため、もめ事が始まった。1992年2月、朱ら3名は司法院に訴えを提出。分配金と経理の公開を迫った。審理は1,2,3審と進んだ。楊は院長の加森有に取り入り、原判決を変更させ、朱等は3年間の苦労は全く水の泡となった。1998年2月22日の夜、朱は不満を床屋で思い切りぶちまけた。院長の腐敗の事実もぶちまけた。直ぐに司法当局の手入れがあり、劉某に逮捕された。朱が連れて行かれたところは市内のホテルの3階。後ろ手に縛り上げたまま楊某は朱の耳たぶを連打した。代わって張軍利も加わり交代で殴る蹴るの暴行を働いた。遂に朱は失禁した。翌日から朱は非法なまま村はずれに11日間拘束された。その間朱の妻も拘束され陵辱された。
 3年間、朱は何度も上級に訴えた。その間暴力を振るった劉某は某法廷の院長に昇格した。
 法官は人間をとっちめる権利を占有しているとでも言うのか。そして農民にはとっちめられる権利しかないのだろうか。

喬山人の弁護士事務所員、”成雄飛”の骨身にしみる体験

 2000年12月11日、大雪の舞う日。朝の8時、成雄飛は富平法院から王某と言う警備担当官から呼び出しを受けた。「借用書の問題」と言うことであった。王某は弁護士の「法に基づいた手続き」を要求する態度を嫌悪し、荒々しくも成雄飛を屋外の桐の木に縛り付けてしまった。こうして雪の降る中、午前中は過ぎた。その後、成雄飛は非法のまま15日間拘留されてしまった。その15日間彼自分の目で法院の中で如何に非法きわまる行為が行われているかを見てしまった。私設監獄、法的な根拠無く人間を拘束することが白昼行われていた。手錠をかけ、人を拘束し、人質として男女を一室に混在のまま閉じこめ、言うことを聞かなければ直ぐに木に吊し上げ、その人間を殴る様はまるで日常茶飯事であった。
成雄飛と一緒に捕らえられた有る農民は孫某に殴られて意識が無くなり、そのまま死んだようになった。その後医者が呼ばれ息を吹き返した。彼の閉じこめられた壁の周りには血がこびりついていた。3日後、彼に示された拘留理由書には「公務執行妨害」と書かれていた。
 成雄飛は記者に対し、弁護士としての合法的な権利が保障されないのに、一般の人なら免罪が多発してもこれなら手の打ちようがない、とこぼしている。
 11月11日、記者は成雄飛が拘束された部屋をガラス窓を通して見せてもらったが、もう既に壁に血の跡は無かった。中には他の人が住んで居て、これがしばしば監獄に使われるらしい。

 話を聞けば馬鹿馬鹿しくて笑い出す一つの例は、昨年の冬、返済義務のある10数名が有る村で非法にも拘束された。副院長の命令で返済人達は裸にされて院の庭の中を走りながら「必ず返済します。万難を排して。返済できないことは恥です」と大声で唱えさせられたのである。この新しいやり方は富平県テレビ局で放送された。

 富平県の司法官のレベルについて

 弁護士達の間での話では、司法官達の学歴は中学卒程度で、1996年に採用されて98年に副院長に昇格した李小平は業務能力はほとんどゼロ。ほんの少し法律上の常識が見られる程度。有る弁護士が彼と話す機会があって、李の方から「俺に法律の話なんかしても駄目だよ」と念を押されたという。

 経済部門の8名の司法官の内、誰もその資格に適した知識を持っているものは居ないとのことである。民事部門の院長”李申志”の力量は広く認められている。そこで経済部門の判決書は普通彼によって文書化されている。彼は復員軍人で独学で勉強してきた人である。経済部門の前任者”成平”の力量は何とかなる方であったが、李小平と加森有との計略で監獄担当に回され、李小平が経済部門の担当を握った。司法官で最もましなのは王亜光だが、剛直で曲がったことが嫌いなタイプだが、窓際に回されてしまった。

 記者が記事を集めているのを見た民事の李申志院長は「富平県法院では誰も流れに身を任すという人ばかり。身綺麗にすることはまさに困難の極である」と語った。彼は紅衛兵世代で、理屈から言えばもう退職しても良い年である。しかし仕事の継続を要求されている。「いやぁ、私の知識水準が高いのではなく、法院全体の水準が低すぎるのですよ。必要な人は追い出され、不要な人が残っている」とのことである。

 政治工科長の”李冬菊”の説明によれば、法官の学歴は、少なくとも全員専門大学卒以上だ、とのことである。それに対して有る法官は、「そんな話は鬼も笑う」と切り捨てる。一応夜間大学か通信教育を受けたことになっているが、実際は卒業免除をお金で買い取ったものだ、と説明している。

 院長の加森有については、この職に来る前は党の政治学校の幹部であった。党の工商局幹部もやったが、法律関係は全くの素人だという。
 数人の法官が口を揃えて、法院に入るには加森有個人に依って決定されることが普通で、法的な規則は何もないと説明してくれた。またある弁護士は、現在の法律に無知な集団の法院官員を再教育することよりも、むしろ全く無色の専門学校を卒業した学生を採用する方がよっぽど簡単であろう、と言う。

 かなり以前から見ても、当地の法律関係を学んだ卒業生はたったの6人で、彼等は既に追われる様に退職し、素質の高いと見られている3人も今は自宅待機扱いとなっている。
 
陜西省人民大会代表によると、免罪を押しつけられて上級に訴えに来る人が数知れず、本当に困っているという。記者の正式な探訪に対して、法院の全担当者が面談を拒否した。申し込んだ頃、当法院は会議を重ね、某副院長が語気を強めて、領導(党のトップ)の許可が出ないので記者の記事採取に応じることは出来ないと回答してきた。
 この記事採取後の判ったところでは、王愛茹や張軍利などの事件後、富平県法院では無資格で法官となっていた5人の資格停止を発表した。