六人が中毒死、市政府は
何故実体を覆い隠すのか

00/6/15 南方週末

 現場の模様 
 五月十八日午後のたったの二十分間に十人の成年男子が次々に倒れた。
 安徽省阜陽市のある排水溝の近くの出来事。目撃者の話によれば、何か目に見えない魔の手によって身体の骨を引き抜かれたように地面に倒れていった。六人が死に四人が負傷。
 近くに住む楊建波、彼は近くの革工場で働いていたが失職したので現在はその排水溝の近くで芋を作っていた。
 当日夕六時頃彼と甥の十七才の男と自分の十五才の子供とで水汲みに来ていた。排水溝はちょうど水門が開かれ、周り一面泡立ち、水蒸気も付近に満ちていた。
甥の子が水を汲んでいるとふらふらと目眩がしたので助けを求めて声を上げながら地面に倒れ伏した。
 ちょうどそのとき排水溝の反対側に居た王と言う住民がこれを見ていた。楊の親子達が鼻を押さえながらお互いを助けようとし、しかし三人とも地面に倒れ、または溝の中に倒れるのも見えた。
 王振雲は急いで家にいた息子の翔金友(王は母親なので名字が違う)に助けに行かせた。翔は一番上に倒れていた人から起こし、一メートルほど引きずると自分も胸が苦しくなり動けなくなり、水門の監視所を見たがそこには誰も見えず、近くにあった自転車で大声を揚げながら町に戻っていった。
 李という男がバイクで硝と鹿と言う男を後ろに乗せて事件の現場に到着した。
 遅れて到着したその他の男三人が溝の中に倒れていた人を引き上げ二メートルほど引きずったところで目眩がして地面に倒れ伏した。又送れて四人が現場に来て溝に倒れている人を助けようとした。その頃には水門の周りには大勢の人が集まり見物をしていた。  彼等の話によると事件はほんの数分で、まるで魔法にかけられて背中の骨が無くなったようにふにゃふにゃと地面に倒れていった。見物人の一人が水中に毒があるのではと思いつき水門の有る監視所に跳んでいった。監視場所に当直の人は誰も居なかった。彼は大きな水門を閉じた。後に判ったのだが、この男が門を閉じなければもっと多くの犠牲者が出ていただろう。
 二十分後に救急車が来て倒れ伏している十人が病院に向かった。最初に倒れた親子三人を初め六人が死亡、四人が重度中毒症。
 当新聞記者が調べたところ、彼等中毒症の誰もが医療費を払えないので、直ぐ薬の支給が停止され、現在頭痛や吐き気がし、大便は深黒色である。
 
 恐怖の排水溝
 
 村人の話に因れば過去三年間に此の排水溝から二百メートル以内で四つの命が失われている。
 一つは近くの母親が家庭不和が原因でこの近くで自殺しようとしたことがある。その翌日溝の近くで当人の遺体が発見されたが、しかし入水しては居なかった。
 又ある男女が水門の近くを自転車で通ったとき、突然水に落ちて死亡。これらも今から考えれば同じ原因ではないかと考えるのが普通ではないだろうか。
 この排水溝に一番近い家の話では、かっては農業用排水溝だったのが、一九八二年に改良工事をしてから毎年だんだんと臭いが強くなり、東南の風が吹くときはじっとしていられなくなり、窓を閉め切るほか仕方なくなる。そこで飼っている猫でさえ、排水溝には近寄らない。この家庭で使っている井戸は二十メートルの深井戸だが、現在では時々赤や黄色に染まることがある。
 この家の主婦は現在五十才。異常に痩せており、血圧が高く、夜に寝られず食欲が無く、吐き気がし、しかし医者に行って検査しても異常は出てこない。
 
 他の人の話ではここでは皮膚病と高血圧はほとんどの人が持っている。青年や子供のほとんどが皮膚病でかゆくて仕方ないと言う苦情を言っている。そしてこの付近には二百人居るが、此の数年に四人の奇形児が生まれている。
ある人は風水が悪いと嘆いている。ここでは風が吹くと数里に渡って身の置き所が無く、土地と地下水も汚染されており、排水溝から二十メートルの地点で播いた麦は掌ほどにしか伸びない。溝の側の草は枯れ、これでは何が出来るだろうか。空を飛ぶ鳥さえ毒気で落ちてくるのではないだろうか。
 溝の近くの家は現在はほとんど空き家になってしまいる。かっては人口は千七百人であった。
 その減少は、一つは革工場が倒産したこと、もう一つは子供達が大きくなると余所へ行ってしまうことが挙げられる。
 不思議なのは出ていった人は誰も病気が直ぐ好くなったことである。
 六月五日当記者が現地へ取材に行った。溝の百メートルほど手前で既に卵の腐ったような臭いが立ちこめ、水門に近づくと呼吸が苦しくなり鼻を刺す臭いがして吐き気がしてきた。ちょうど水門の周りに金網の工事をしている職人が居て言うには、この三日ほど雨が降って臭いはずっとましだとのこと。水門のところでは水は炭のように真っ黒で白く泡立っておりそのままイン河に放流されている。水門の出口にはいかなる処理施設も見あたらない。

 その実は硫化水素

 この溝は人口三十万人の街では最大の生活排水、工業廃水が流れていて溝の幅は十五メートルほど、やがてイン河に入り続いてホワイ河に注ぐ。
 昨年初め阜陽市は五百万元を使って水門を建設。用途は汚水が河に流れ込まない監視と洪水時に逆流を防ぐためである。
 事件後阜陽市は現地視察を行い、溝の水や近隣の井戸水を採取して帰っている。そのときの検査官は井戸水を見て、この水を飲めば慢性中毒だ言っていた。
 同時に公安も現地調査と死体検分を行い、遺体の顔が褐色であり鼻を刺す臭気があり中毒性死亡と判断している。しかし中毒の毒素の指定は行わなかった。死体に立ち会った医者の一人はその症状から硫化水素の可能性を述べた。
 市の防疫局は事件の当日、夜何人かで検分に行ったが現場には臭気が強く照明設備もなく近寄ることを中止した。
翌日検査班は水門近くで検査を行い、水面上二十センチのところで硫化水素濃度は七百mg/m3を検出。
 中国の規定によれば空気中の濃度は0.08mg/m3以下。工場の設備付近では10mg/m3。
この防疫局は市とは組織上直接関係ないが、一応市に検査結果を送付している。

 「革命烈士」に変身
 この阜陽市は省の文明・衛生都市として有名で、中国全体でも清潔な生産都市としてトップ十に入っている。
 昨年秋には国家が決めた、工業廃水とその処理率百パーセント達成都市と宣言している。
 事件発生後誰もこの達成を信じなくなった。市政府はこの事件を「意外なこと」と表明するだけ。当記者も原稿締切には当局の発表は何も得ることが出来なかった。ただ多くの要求に基づいて発表されたのは事件関係者の「勇敢・犠牲的精神」と言う言葉だけである。この言葉だけでは誰も責任がないことになる。この事件発生の当日環境衛生部は緊張した日にぶつかっていた。というのは国家環境総局の会議が現場近くのホテルで開かれていて、副市長がこれまでの経験を上得意で報告していたのである。
 六月五日世界環境日。公安局長陣頭指揮の「五・十八、意外な事故処理指導小組の市政府慶功会」が開かれ、六名の死者は四.五万元から六.五万元の弔い金を貰い、そのうち四名は市政府が上級組織に「革命烈士」として表彰するよう上申することになった。四名の障害者は紅花と報奨金を貰った。そのとき四人は事故原因の公開を要求。しかし関係する「領導」は一顧だにしなかった。
 「革命烈士」の家族達は、自分達を持ち上げて事故の責任をうやむやにすると感じている。
 障害にあった一人は市政府のこの二十日ばかりの間の態度はこれこそ「臭いものに蓋」ではないかと言っている。
 事件後市政府は二組の処理班を結成。一組は事故の原因を調査し、他の一組は残された家族の対処に当たることになった。
 死者を出した有る父親は次のように言っている。
 お偉い方が来て彼等に次の約束をさせて帰った。
 1.遠くへ遊びに行かないこと。
 2.上級組織に訴えないこと。
 3.むやみに新聞記者に会って話をしないこと。
 不思議なことはまだある。上級組織が記者達を派遣してきて遺族に質問している。その内容は事故当日のことは何も聞かず、ただ生前の素行についてだけの質問であった。
 そして家族に対する質問や各種悶着が起こらないよう、死者の葬式当日は公安は三十台のパトカーで取り囲んだ。「革命烈士」の家族達は、このような厳重な警戒が何の意味があるのかさっぱり判らないと言っている。
 遺家族や障害者とその付近の住民達は腹の虫がどうしても治まらない。彼等は上級組織に対して遺体検査結果と事故原因調査結果を強く要求した。
 領導は種々の理由を付けて報告を引き延ばしている。当住民委員会の副主任は「我々はもう役人の口を信用できない」と言っている。この事件に関係している近所の人達はテレビ局の質問にもたびたび出会っている。一人の年寄りはマイクに向かって実際の「恐ろしい出来事」を思い切り話した。しかし、放送された中身は彼の話とは全く違う、「好い出来事」ばかりに変えられていた。肝心の大事なところは骨抜きされていたのである。