まじわりのしまのひと

1989年ー1990年
乾漆

沖縄は様々なものが本土と全く違っていた。気候、植生、色彩、言葉、名字、そんな違いの中で直接的に彫刻に影響したのは、人の形です。那覇のメインストリートを歩いていれば、歩いてる人が「うちなんちゅー(沖縄のひと)」なのか「やまとんちゅー(本土の人)」かだいたい一目で判断できます。たぶん沖縄の人のかたちが、本土の人と違うからだと思います。
日芸にいたとき、彫刻は形でものを表すものだと繰り返し言われてきた。たぶんそれは近代西洋彫刻の価値観をそのまま輸入したものだと思う。でもそれって西洋人の価値観なんじゃないか?日本人の顔かたちって形だけを追っていっても表せないんじゃないか。そうすると無理なデフォルメとかで形を強調するようになる。形を強調するんじゃなくて、なにかそこにある、それ以外の持っているものをそのまま付け加えたほうがいいんじゃないか。そうした方が日本人を彫刻をあらわせるんじゃないか。とにかく日本人の顔というのにこだわっていた。
沖縄にいくと沖縄の人には、かたちがあった。とても明快に。そして沖縄の女の人を作った。形だけで作った。そして出来た。そうか、西洋彫刻が形で作れというのは、西洋人が形で出来ているからだと思った。沖縄の人と同じように。それにくらべて、内地の日本人は、形で成立してない。もっと他の何かが加わって成立している。たぶん能面や文楽の人形はそういうことを理解して出来ているんじゃないか。
「まじわりのしま」というのは沖縄が、長く交易で栄えてきたことからきている。このころの首はだいたいモデルがいます。モデルがデッサン出来れば、何枚も描き、その後モデル無しで、彫刻にするデッサンを描き粘土を始めます。



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