同曲異演の聴き比べ

Shostakovich: 交響曲第5番の場合−

 

 

工学部4

佐伯 享昭

 

昨年の駒場祭用部誌「Kunst」の原稿では、同一演奏家による様々な曲目の異演を聴き比べてみたが、今回は様々な演奏家による一つの曲の様々な演奏を聴き比べてみたい。今回取り上げるのは、私がもっとも多くの種類の演奏を聴いている、Shostakovich作曲の交響曲第5番である。この曲は私が初めて聴き比べという行為に及んだものであり、音楽に対する一段深い興味を抱くきっかけとなったと言えるだろう。当時は(勿論今でも)4楽章が好きで、その速くて良い演奏を求めてこの曲ばかりを買っていたものだ。その後聴かなくなったものも多いが、今改めて聴いてみることで当時は分からなかったことが分かるかもしれない。まずは各演奏を大雑把に把握してみようと思う。

 

Ashkenazy, Vladimir / Royal Philharmonic Orchestra

Mar. 1987 Walthamstow Assembly Hall, London (Decca)

1楽章 16:31 2楽章 5:15 3楽章 14:43 4楽章 10:55

まずは、ピアニストから指揮者へと華麗なる転身を遂げたAshkenazyの演奏。おそらく全集を完成すると見られる彼の最初のShostakovich録音。同時に、私が初めて買ったこの曲のCDでもある。以前、彼がSt. Petersburg Philharmonic Orchestraと交響曲第7番を入れた際にカップリングとしてShostakovichのインタビューが入っていたが、その時の評でそのインタビューばかりが評価された挙げ句、演奏は駄目と一刀両断されていた。さて、この第5番のほうはどんなものであろうか。

いきなり、出だしから弦が揃わない。その為、早くも緊迫感を欠き、聞き手の関心を呼び込むことができない。弱音の弱々しさは儚さの演出ととることもできなくもなかろうが、むしろ単に軟弱でだらしがないと言った方が当たっているだろう。どの楽器も音に締まりがないのだ。行進曲の部分も切れ味が鈍く、だらだら歩いているような印象を受ける。金管、特にトランペットの音が実に安っぽいのがそれを助長する。又、これはホールのせいかも知れないが、どの楽器もこもって聞こえる。

2楽章はホルンのくせのある吹き方が気になる。他の楽器も表情の付け方が妙に芝居がかっており、小細工に聞こえる。崩れたユーモアを演出したかったのだろうが、それ以前に演奏する側が崩れっぱなしで、そんな余裕のない中で遊びを演出するには無理がありすぎる。

3楽章は、緩徐楽章であることと弦が小分けになっていることで、アンサンブルの乱れは幾分解消される。出だしから弦は綺麗に響く。フルートも綺麗だが、クラリネットが野暮ったく、そのギャップが気になる。弦が複数重なる部分の処理に問題があり、全部を遠慮なく鳴らしてしまうため、見通しがかなり悪い。

4楽章の開始は遅め。叩きつけるような鳴らし方が乱暴。加速も不自然で、楽譜に書いてあるとはいえ、その必然性を感じられない。金管の音が全体的に安っぽく、それがやる気の無さを感じさせる。緩やかな部分ではヴァイオリンの音に瑞々しさがないが、それ以上に訴えかけるようなものがなく、淡々と処理しているだけにしか聞こえない。コーダでの緊張感の欠如は致命的とも言えるレベルに達している。

 

Bernstein, Leonard / New York Philharmonic

Oct. 20, 1959 Symphony Hall, Boston (Sony Classical)

1楽章 16:16 2楽章 4:55 3楽章 15:35 4楽章 8:56

作曲家の前で第7番を演奏したところ作曲家が感動したというBernstein。晩年は汗をかいてしまいそうになるほど熱い演奏を繰り返していたが、この頃はまだ若く、勢いに任せた感のある演奏が多いがそれでも晩年の彼の傾向がうっすらと感じられる。それは、この曲においても同じであろう。

出だしから、理由もなく半端でない気合が感じられる。が、弦のアンサンブルはかなり甘目。感情移入が極端に激しく、悲劇性が過度に強調される。ホルンが鳴り切らないなど、細かく見ていくときりがないほどミスが多い。もちろん、彼が細かいことを気にするよりも自分の感情を伝えることを優先する指揮者であることはご存知の通りだが…。行進曲の部分での能天気さとのギャップがやや耐え難い。

2楽章はやや速めのテンポで、一見(一聴?)直球勝負かと思えば、ヴァイオリンのソロをたっぷりと歌わせてみたりする。ピチカートがずれまくるなど、アンサンブルは相変わらず。

3楽章は後年の彼の傾向の片鱗が見え隠れする。とにかく、涙の押し売り。これでもかと弦を悲しげにたっぷりと歌わせる。第2主題でのフルートなぞ、置いてきぼりを食らった子供の泣き声のよう。中間部のクライマックスはもはや病的で、ずれることなぞお構いなしでコントラバスが叩き付けられる。何か嫌なことでもあったのだろうか。

4楽章はかなりのスピードで開始。あっけらかんとした様が前の楽章とのギャップを感じさせる。アッチェレランドしていくことで、オーケストラはどんどん崩壊していく。緩やかな部分に差し掛かると再び拳を握り締め、泣きまくる。しかし、第3楽章での大泣きほどではなく、多少そっけなさを感じる。もっとも、また大泣きされたのではくどくてかなわないのも事実だが…。第1主題が戻ってきたところでギア・アップ。スピード全開でぐいぐい押し進め、そのままコーダへ突入。一気に終了。

 

Jansons, Mariss / Wiener Philharmoniker

Jan. 1997 (Live) Musikverein, Wien (EMI)

1楽章 15:47 2楽章 5:18 3楽章 14:26 4楽章 10:53

昨年、Pittsburgh Symphony Orchestraと来日してこの曲を聴かせてくれたJansons。やや乱暴な感じがしないでもないが、熱気にあふれた演奏で、最後の大太鼓を楽器が動いてしまうほど強く叩いていたのが印象的だった。この曲の初演者であるMravinskyの下で修行を積んだ彼にはこの曲に標準以上のものを求めてもよさそうだ。

出だしからVPO特有のアンサンブルの甘さが全開。これはオーケストラの特質とでも言うべきものと化しているので、気にしだすときりがないだろう。あまり大袈裟な始まり方ではなく、好感が持てる。ファゴットが入る直前のヴァイオリンは切れ味鋭いが、全体としては響きが柔らかく、あまりのこの曲に向いている響きとは思えない。さらに、ヴィオラが一番右に来る配置というのもあまり好きではない。さて、演奏に戻ると、ピアノは重く、暗い。こうでなくては。行進曲の部分は決然とした感じで、ぐいぐい突き進む。この辺の切り返しが上手い。

2楽章出だしの低弦はかなりの重量感。ホルンは音がもう一つ前に出てこず、それが演奏全体の締まりを弱めている気がする。トリオは癖のない素直な演奏。コーダではティンパニを気持ちよく叩いている。

3楽章は悲壮な感じを出している。第1ヴァイオリンが他の弦楽器の間からそっと出てくるところは見事。Largamenteの指示の直後のmf指定のテインパニの一撃はもう少し強い方がいいだろう。第3主題のクラリネットのソロは実に深みがある。地の底(=地獄?)から聞こえてくるよう。クライマックスは非常に抑制されていて、苦しげな雰囲気をよく出している。コーダでの第1ヴァイオリンの出方は実に繊細で、涙が出そう。最後は消え入るように終わる。

4楽章は叩き付けるように開始。前の楽章でため込んだ思いを振り払うかのよう。アッチェレランドの指示でぐいぐい加速する。弦、特にヴァイオリンの音が薄く、金管ももう一つ前に出てこない。更に、響きの柔らかさが切れを甘くしている。緩やかな部分では、弦がたっぷりとしていて、いかにもVPO。第1主題が戻ってくる部分は、ゆっくりと、着実に歩を進めていく。コーダはやや遅めのテンポで力強く、堂々としており、最後の一撃を強烈に叩き込んで終わる。

 

Kertesz, Istvan / Orchestre de la Suisse Romande

May 13-14, 1962 Victoria Hall, Geneva (Decca)

1楽章 15:19 2楽章 4:36 3楽章 13:10 4楽章 8:53

現在生きていれば確実に巨匠の一人となっていたであろうKertesz。来日した際にこの曲を振っている映像が先日教育テレビで流れていた。

出だしはかなり遅く、暗い。その沈んだ感じに妙に明るい音色のトランペットが合っていない。ホルンが右でトランペットが左という配置も好きではない。展開部も遅いテンポを保っているが、どこかぎこちなさを感じてしまう。行進曲の部分は金管がふらふらしていて、酔っ払いの千鳥足。

2楽章のテンポは速めだが、弦に厚みがなく、全体的に腰の軽さを感じさせる。

3楽章は弦のアンサンブルのせいか、今一歩迫るものがない。第3主題直前での盛り上げ方はなかなか上手い。クライマックス直後の、第3主題をチェロが奏する部分で、刻み付けるようなコントラバスの音色が安っぽく、白々しい。コーダの入りはppを意識し過ぎているようで、こわごわ鳴らしているような印象を受ける。

4楽章は遅めの開始。テューバは重量感満点。トランペットは相変わらず浮いた音を出している。全然加速せず、これでこのタイムか?と思っていると突然の急加速。極めて不自然。そのスピードのまま緩やかな部分も快走し、第1主題が戻ってきたところで突如スピード・ダウン。コーダは速めのテンポで一気に終わる。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

Mar. 22 ? Apr. 3, 1938 Leningrad (Melodiya)

1楽章16:33 2楽章 5:36 3楽章 14:17 4楽章10:55

この曲の初演者であるMravinskyの初演後まもなくの録音で、この曲の世界初録音でもある。勿論、Mravinskyにとっても初めての録音である。SP盤からの復刻で、「未発表録音」シリーズのおまけである。SP盤にして14枚になる。当然、演奏云々を述べるにはあまりに録音が悪く、あくまで資料的な演奏ではあるが、避けて通る訳にもいくまい。

さて、その出だしであるが、かなり遅めのテンポである。実に丁寧に一音一音を紡ぎ出す。しかし、トランペットの音は少しおかしい。これは録音のせいもあると思われるが、Mravinskyが首席指揮者に就任してまだ日が浅く、オーケストラの状態が完全ではなかっとも考えられる。副主題でも、テンポは相変わらず遅い。展開部冒頭のピアノは、録音のせいで音がろくに入っていないにも関わらず、威圧感を伴う存在感がある。行進曲の部分ではテンポが速くなる。

2楽章も遅めの開始。トリオもじっくり進めていくが、遊んだ感じがまったくない。もっとも、そういうことをあまり期待できる指揮者ではないが…。

3楽章は冒頭の第3ヴァイオリンの入り方が見事。esspressivoが心にしみる。フルートの音が寂しげだが、その中に恐怖感が混ざっている。Largamenteの指示の部分でティンパニが全く聞こえないのが残念。第3主題の扱いは極めて丁寧。クライマックス直後では無力感に支配される。

4楽章はやはり遅めの開始。accelerandoの指示の部分でも、加速は控え目。それでも、じりじりとスピードは上がっていく。緩やかな部分は割と遅いが、ダレることが無いので、あまり遅いという印象を受けない。第1主題が戻ってもテンポは遅いが、コーダでは更に遅くなる。最後は妙にすんなりと終わってしまい、もう一ひねり欲しいところ。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

1938-1939 Leningrad (Melodiya)

1楽章14:49 2楽章 5:05 3楽章 15:50 4楽章9:47

「未発表録音」シリーズの頭を飾る演奏。光学式フィルムに録音されたもので、SP盤と異なり、途切れることなく録音されている。

出だしは、録音の悪さもあいまって、怪獣の咆哮のよう。その後の冷え切ったヴァイオリンの響きが対照的。強奏すると音が潰れてしまうのは、この頃のMelodiyaの録音では仕方のないところか。展開部冒頭のホルンは非常に力強く、また重量感がある。展開部は、第3部からぐんぐんスピードを上げ、行進曲(第4部)では驚異的なスピードで突き進む。再現部では一気に沈み込み、その対比が強烈。

第2楽章は控えめの開始。テンポは速く、わき目を振るようなことはないが、トリオでは若干テンポを変化させている。ヴァイオリンのピチカートが鋭く、とげとげしい。最後は畳み掛けるように一気に終わる。

第3楽章は暗い雰囲気で始まる。第2ヴァイオリンが入る瞬間は背筋が凍る。テンポは遅いが、全体を支配する異常なまでの緊張感により、聞き手は安らぐことを許されない。第3主題直前の、第1主題による変奏の最後の盛り上がりは抑圧感がある。コーダは非常に弱々しく、今にも掻き消えてしまいそうである。

第4楽章は速めの開始で、徐々に加速していく。トランペットの音色は綺麗ではないが、叩き付けるような吹き方で、怪獣の断末魔のようでもある。緩やかな部分に差し掛かってもテンポは落とさず、ぐいぐい引きずり回す。コーダは遅めのテンポで爆発的な盛り上がりを見せるが、最後の打楽器は、録音のせいもあろうが、控えめに終わる。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

Apr. 3, 1954 Leningrad (Melodiya)

1楽章15:12 2楽章 5:22 3楽章 13:44 4楽章10:47

前述の二つの録音よりは録音状態もかなり改善され、ようやくまともに聴くことのできる演奏である。

冒頭の、低弦に続くヴァイオリンが鋭い。副主題における第1ヴァイオリンは、まるでソロのようによく揃う。既に鉄壁のアンサンブルが完成されていたことを物語っている。展開部冒頭のピアノは鈍く、不気味な音色である。金管は、競争しても楽天的にはならず、全体を引き締めている。行進曲は程々のテンポ。再現部での副主題は遅めのテンポで、天国的な穏やかさがある。

2楽章は遅めで、刻み付けるように開始される。スケルツォは楽天的であるが、弦の刻みがどことなく皮肉っぽい。トリオはのんびりとした感じだが、鋭い弦がアクセントになっている。

3楽章の開始は控え目で、変な強調感とは無縁。そっと寄り添うような第1ヴァイオリンが何とも言えない。Largamenteの指示の部分は、息苦しさすら伴う、極めて抑制された盛り上がり方をする。第3主題を吹くオーボエはさびしそうでありながらもぴんと張り詰めた緊張感に支配されている。クライマックスは非常に抑えられており、お祭り騒ぎとは無縁。コーダは消え入りそうでありながらもしっかりとした主張が貫かれており、実在感がある。最後の第1ヴァイオリンのトレモロは、やや強調されている。

4楽章は遅めの開始で緩やかに加速していくが、それでもクライマックスでは相当なスピードに達する。緩やかな部分はたっぷりと歌い、第1主題が戻ってきたところで更にテンポを落とす。弦が加わったところでやや速くなるが、コーダでは再び遅くなり、重々しさが加わる。最後は荘重に、打楽器の一撃、一撃を刻み込み、最後の一撃はややため込んでから叩き落とす。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

Nov. 24, 1965 (Live) Great Hall of the Moscow Conservatory, Moscow (Russian Disc)

1楽章15:02 2楽章 5:01 3楽章 12:39 4楽章10:42

今はなきRussian Discからの1枚。モノラルで、決して音はいいとは言えないが、このレーベルのこの時期の録音としては良い方。この年のモスクワでの他の演奏会を収録したCDの多くはMelodiyaから出ており、そちらは音質良好。

勢いよく曲を開始。第1ヴァイオリンの透明度は信じ難いほどで、副主題にはそれに加えて極度の、殆ど神経質とさえ言える繊細さが加わる。展開部のピアノは重く、不気味。展開部ではどんどんテンポを上げていく。行進曲の部分では小太鼓を強調させており、それが追い立てるような効果を出している。

2楽章は重々しいが控え目な出だし。第1ヴァイオリンの刃物のような鋭さが際立つ。ホルンは、重い音色で豪快に鳴る。トリオは速めのテンポですいすい進んでいく。弦の強奏の鋭さと木管ののんびりとした雰囲気が対照的。

3楽章は悲し気に始まる。第2ヴァイオリンが加わる瞬間の冷ややかさが恐ろしい。第3主題の木管はやや強めに吹かせており、強固な主張の意志を感じる。第1主題が戻ってからの第2、第3ヴァイオリンは強烈。コーダにおける第2主題の断片は冷え切っており、一切の笑いを拒絶する。

4楽章は速めの開始でじりじりと加速していき、その後更に加速を強め、かなりのスピードに達する。その加速はまるで首を締め上げるような切迫感を伴う。緩やかな部分は、テンポを落としているのにも関わらず、弦の切れ味がそれを全く感じさせず、緊張感が保たれる。第1主題が戻ってくると雰囲気は一気に重くなる。コーダはテンポを落とし、最後はさらに遅く、踏みしめるように一撃づつ叩き付けて終わる。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

1966 (Russian Disc)

1楽章13:56 2楽章 4:49 3楽章 11:57 4楽章10:00

Russian Discからもう1枚。こちらはステレオで、このレーベルとしては驚異的に音が良い。

割と速めの出だし。第1ヴァイオリンは美しく、しかもよく揃っており、高音が素晴らしくよく伸びる。展開部冒頭のホルンは朗々と鳴る。金管はどれも非常に抜けが良い。行進曲は速めのテンポでぐんぐん進む。副主題再現部での木管はどれも非常に美しい。

2楽章は出だしから速め。クラリネットがおどけた感じを出している。トリオも速めのテンポで、コーダは一気に畳み掛ける。

3楽章はやや寂しげな出だし。第2ヴァイオリンが加わるとより一層孤独感が増す。第1ヴァイオリンが加わるころにはもはや孤立感といってもよいほど、沈痛な雰囲気となる。第2主題を吹くフルートによって幾分穏やかさを取り戻す。Largamenteの指示の部分ではシベリアの大地のような厳しさと冷たさがある。第3主題もオーボエはさびしそうだが、クラリネットに替わるとさびしいと思うことすら許されないような厳しさがある。クライマックスではヴァイオリンがとてつもない透明感で迫る。その後の中間部のクライマックスは激しく、鋭い。コーダでは、第2ヴァイオリンが少し合わないが、すぐに揃う。

4楽章は速めの開始。冒頭はやや弦の響きが薄い。ぐんぐん加速を付けるため、金管が鳴りきらないところも。緩やかな部分は割とたっぷりとホルンを鳴らす。第1主題が戻ってくるところで一旦テンポを落とすが、その後ややテンポを戻す。コーダは弦の連打音が強烈。最後は大太鼓を思いっきり叩き付けながら、一気に駆け抜ける。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

Jun. 12-13, 1978 (Live) Grosser Saal des Musikvereins, Wien (Melodiya)

第1楽章 14:38 2楽章 5:03 3楽章 12:30 4楽章 10:26

1978年のウィーン芸術週間でのライヴ。Brahms2番やSchubertの「未完成」と同様、録音がかなり悪く、全体的に曇った感じになってしまっている。

出だしは低減が重々しい一方で、第1ヴァイオリンは極めてクリア。金管は、ホールのせいか、録音のせいか、VPOのようなこもりがちの音になる。それが、展開部冒頭のホルンでは重々しさにつながっている。多くの楽器が重なると音が飽和してしまい、ヴァイオリンなどは殆ど聞こえなくなってしまう。行進曲の部分も音が出切っていない印象を受ける。最後はそっと終わる。

2楽章も、録音のせいか、ホールのせいか、切れを欠く。ヴァイオリンのソロなどもこのオーケストラ本来の響きよりかなり柔か目。

3楽章は実に静かに始まる。第2ヴァイオリンが加わるところも非常に穏やか。第2主題はやや速めに流し、第3主題はたっぷりと歌わせコントラストをつけている。クライマックス直後の第3ヴァイオリンと第2ヴィオラのトレモロが、ぞくっとするくらい鮮烈。

4楽章は速めの開始で、ティンパニを効かせている。低弦はぐいぐいドライヴさせる。緩やかな部分はあまり速くないが、鋭いヴァイオリンが要所を締める。第1主題が戻ってくるところは、あまり大袈裟ではないが、弦が加わると途端に雰囲気に重さが加わる。コーダもティンパニを効かせるが、最後は控えめな終わり方。

 

Mravinsky, Yevgeny / Leningrad Philharmonic Orchestra

Apr. 4, 1984 (Live) Leningrad Philharmonic Large Hall, Leningrad (Victor Entertainment)

第1楽章 15:00 2楽章 5:09 3楽章 13:09 4楽章 10:49

Mravinskyの最後の録音が1984430日であるから、実質的に晩年の演奏と称してよいだろう。ベストの健康状態ではおそらくなかったと思われるが、それでも彼の芸術の集大成がここに示されていると見てもよいのではないだろうか。

出だしはややアンサンブルが甘い。しかし、第1ヴァイオリンのトレモロの入り方などはさすがで、ぞくっとする。ffで奏される第1ヴァイオリンはその鋭さ故に、痛々しい。展開部の金管はホルン、トランペット共にやや暗めの音色。行進曲の部分はやや遅く、トランペットが皮肉った感じを出している。再現部冒頭のトランペットはやや音が歪んでいる。

2楽章冒頭の低弦はやや軽い。トリオはソロ・ヴァイオリンの音程が少し不安定。トランペットは明るめの音色。

3楽章は思いっきり遅いテンポで悲し気に始まる。第2ヴァイオリンの入り方はやや唐突。Largamente指示の部分は悲劇的な盛り上がりを見せる。クライマックス直後のコントラバスには全盛期ほどの力感が聴かれない。コーダの第1ヴァイオリンも入り方が突然過ぎる。

4楽章は速めの開始。そのため、加速はあまりかけない。緩やかな部分はホルンをたっぷりと歌わせる。シンバルは豪快に鳴らされる。コーダはティンパニを強めに叩かせ、最後の一撃はため込むようにしてから叩き付けられる。

 

Ormandy, Eugene / Philadelphia Orchestra

Apr. 8, 1965 Town Hall, Philadelphia (Sony Classical)

第1楽章 15:50 2楽章 5:16 3楽章 13:25 4楽章 9:46

およそShostakovichの暗く、内向的な性格とは無縁の演奏を繰り広げるOrmandyだが、意外とShostakovichを振っている。第4番なども出ているらしい。

出だしの低弦は非常に豊かで、恰幅がよい。これだけでこのオーケストラの方向性が分かるが、実際に第1ヴァイオリンのアンサンブルはかなり甘く、柔らかさを重視しているといえよう。ホルンはあきれるほどふくよかで、のほほんとしている。副主題は遅く、ハープを妙に強調している。そのくせ2台のハープが合わない。展開部はかなり遅いテンポで、行進曲も重々しいが、響きが脳天気。展開部の第5部ではテューバが異様な存在感を持つが、どうも根拠が不明確。再現部のティンパニは激しく叩かれる。コーダのソロ・ヴァイオリンは実に弱々しい。

2楽章も遅めのテンポで開始。低弦が重々しい。スケルツォで木管が一斉に奏する部分は、音が妙に薄い。トリオは速めのテンポで、楽天的。

3楽章は、低弦にバランスが偏っているせいか、暗い雰囲気で始まる。espressivoはどこかわざとらしさを感じさせる。第1主題変奏のヴァイオリンの音が変だが、アインザッツが合わないせいだろう。クライマックスのヴィオラのトレモロが雑で、かなり耳障り。その後のチェロによる第3主題も、力強いが雑。コーダの第2ヴァイオリンは綺麗に響く。

4楽章は頭からティンパニを強調する。テンポは遅く、足取りを確かめながら弾いているかのよう。金管は弱奏に何があるが、強奏ではなかなかの手応え。クライマックスは一気に駆け上がる。第1主題が戻ってくるとテンポが急に上がり、かなりせわしない印象を与える。コーダではややテンポを落とし、小太鼓を強調する。最後の大太鼓はかなりの重量感を伴い、一気に畳み掛ける。

 

Previn, André / London Symphony Orchestra

(RCA)

第1楽章 14:22 2楽章 5:13 3楽章 13:34 4楽章 9:19

4楽章の速い演奏を探していた頃に買った中の1枚。輸入の廉価盤シリーズのもので、いつどこで録音されたのかが定かではない。先日N響でBeethovenBrittenを聴いてきたが、とても良いと言えるものではなかった。

冒頭の低弦がいきなり派手にずれる。そんなに下手なオーケストラではないはずだが…。提示部は遅めのテンポ。第2主題の第1ヴァイオリンは綺麗。展開部のホルンはかなりこもった音。展開部は、行進曲へ向かって加速していく。行進曲の部分は金管があっけらかんとしている一方で、ティンパニは力強い。再現部では一気にテンポを落とし、ティンパニを激しく叩く。コーダのソロ・ヴァイオリンはかすれるように弱々しい。

2楽章は重々しく開始。テンポは速め。ホルンの音程が時々ふらつくのが気になる。トリオでも速めのテンポを維持。しかし、途中で妙なテンポのふらつきがある。最後は速めのテンポであっさり終了。

3楽章は遅めの出だし。第1ヴァイオリンが綺麗。第2主題ではややテンポが速くなる。第3主題でまた妙なテンポのゆれがある。クライマックスはそれまでののんびりした雰囲気が一転、とってつけたように深刻な盛り上がり。その後、第3主題を奏する第1、第2チェロが頻繁にずれるのが気になる。コーダは緊張感を欠き、脱力感に満ちている。

4楽章は冒頭の木管がピロピロと間抜け。ティンパニを強めに叩く。トランペットはやはり脳天気。突然、加速をかける。緩やかな部分ではテンポをぐっと落とし、第1主題が戻ってくるとまたスピード・アップ。コーダに入ると更にスピードを上げ、最後に急ブレーキをかけるも止まり切れずに終了。

 

Rodzinski, Arthur / Royal Philharmonic Orchestra

Oct. 1954 London (MCA)

第1楽章 14:31 2楽章 4:26 3楽章 14:03 4楽章 8:06

怒れる指揮者Rodzinkiである。彼のTchaikovskyの4番を以前、聴いたことがあるが、やはり怒っていた。別に根拠がなくても、とりあえず怒る、そういう指揮者なのかもしれない。

頭から、勿論怒りまくり。無茶苦茶なスピードで曲を開始する。何が彼をそこまで駆り立てる(煽り立てる?)のだろう。副主題でようやく落ち着きを取り戻す。それからはむしろ遅いくらいのテンポで進む。ソロ・クラリネットが吹く直前の弦のcrescendoが強烈。展開部冒頭では低弦をズンズン響かせる。行進曲へはスピードを上げて突っ込み、金管、ティンパニの強奏強打を雨霰の如く浴びせかける。再現部冒頭のティンパニは落雷のような炸裂ぶり。コーダのヴィオラが妙にぎすぎすした音がして気持ち悪い。

第2楽章は勢いよく開始するも、低弦はがしゃがしゃしている。木管が加わると一気に急加速。トリオではややペース・ダウンするが、コーダは一気に終了。

第3楽章は一転、やさしく開始。だが、突き放すような第1ヴァイオリンを始めとして、弦の響きは冷めている。第2主題を吹くフルートもどこかよそよそしい。Largamente指示の部分は叩きつけるような盛り上げ方。クライマックスは刻み付けるような弦のトレモロが強烈。その後の第3主題を奏するチェロは尋常ならざる気合いがこもっており、やはり怒っている。コーダの第2,第3ヴァイオリンと第1ヴィオラががしゃがしゃしている。

第4楽章は物凄いスピードで開始。炸裂するティンパニ、咆哮する金管―――いかれている、いや、怒れる指揮者の面目躍如。加速はあまりしないが、これ以上のスピードで演奏しろという方が無理だろう。緩やかな部分も速めにずいずい進む。極め付けに、練習番号119から121までをカットしてみせる。その為、突然第1主題が帰ってくる。じりじりスピードを上げ、コーダへ向けてさらに加速をかける。コーダは速めのテンポで、金管を炸裂させながら進む。最後は怒れる大魔神の足音よろしく、大太鼓を打ち鳴らす。

 

Skrowaczewski, Stanislaw / Minneapolis Symphony Orchestra

Mar. 25, 1961 Northrop Auditorium, Minneapolis (Mercury)

第1楽章 14:22 2楽章 5:13 3楽章 13:34 4楽章 9:19

先日、N響に客演し、そのアンサンブルに対するこだわりを聴かせてくれた、その名前の長さゆえにミスターSと呼ばれたりもする、Skrowaczewski。どうも彼は変に奇を衒おうとするところが見受けられるが、この40年近く前のShostakovichではどうだろうか。

まず、出だしは狂ったように速い。CDプレーヤーの故障かと思う程。弦のアンサンブルはいいものの、余裕がなく、どこかとげとげしい。ヴィオラが指揮者から見て一番右に来る配置。あまり好きな配置ではない。行進曲の部分は、頭のシンバルが強烈。トランペットはかなり下手で、変な音がてんこもり。随所で妙な加速があり、ギクシャクしている。コーダのヴァイオリン・ソロはかすれたような音色で、聞き苦しい。

2楽章冒頭部のホルンは音程が不安定になってしまっている。トランペットとテューバがずれるなど、金管はかなりの駄目っぷりを呈している。

3楽章では、それまでやや気になっていた弦の伸び切らなさがかなり気になるようになり、いらいらする。第2主題のフルートは暗めの音色がこの楽章にあっているとも言えるが、決して美しいものではない。第3主題のオーボエも綺麗ではないが寂しげ。配置のせいか、クライマックスでのヴィオラのトレモロが強調されすぎ、全体から浮いてしまっている。

4楽章は冒頭の木管がピロピロとへんてこりんな音がする。開始のスピードは遅め。アッチェレランドの指示を次々無視したかと思えば、突然の急加速。びっくりはするが、いいとは到底思えない。緩やかな部分に差し掛かると、ヴァイオリンのギスギスした音色が窮屈に感じられる。テンポは割と速く、あっさりとしている。コーダはティンパニのアクセントの付け方が上手いが、金管はやはり下手。ティンパニで救われている演奏と言える。最後は刻み付けるように終わる。

 

Solti, Sir Georg / Wiener Philharmoniker

Feb. 6-7, 1993 Musikverein, Wien (Decca)

第1楽章 15:26 2楽章 5:16 3楽章 12:24 4楽章 10:05

私の好きなSoltiが、私の嫌いなVPOを振った演奏。VPOは普段、指揮者が振ってから音を出すが、Soltiは振るのと同時に音を出すことを要求する。結果としてVPOの特徴である優美な音色が消え、弦はぎすぎすし、金管ははらはらしながら吹くということになる。という訳で、Soltiの勝ち。

出だしは変な強調感がなく、ごく自然な開始。ヴィオラが一番右側にくる、私があまり好きではない配置。第1ヴァイオリンが、トレモロの直前でかなりずれる。VPOはずらして弾くことを「温かい」と考えているらしいので、仕方のないところだろうが、Soltiに言わせれば、「そんな事は格好悪いし、揃っていても温かい演奏は出来る」のだそうだ。それでも、ふだんのVPOよりは明らかに硬質な音になっている。副主題の第1ヴァイオリンの音はか細く、弓を返すタイミングがずれる。展開部冒頭のピアノは弱め。ホルンの抜けの悪さは、このオーケストラの一番嫌なところ。行進曲は打楽器と金管を強調する、お馴染みのスタイル。展開部第5部は金管が炸裂。再現部冒頭の打楽器は勿論強打。コーダのヴァイオリン・ソロは甘ったるい響き。

2楽章は豪快に低弦を効かせて開始。ホルンの音が柔らかすぎ、曲に合わないと思う。トリオは遅め。ヴァイオリン・ソロがしつこい。最後は少しため込んでから畳み掛ける。

3楽章は悲し気に始まる。第1ヴァイオリンが思いつめたように一音一音を刻む。Largamente指示の部分の盛り上がりはかなりあっさりしている。第3主題直前の第1ヴァイオリンのトレモロが強調され、不気味。クライマックスもあまりどろどろした感じではない。その後の第3ヴァイオリンのトレモロが強烈。コーダはさっぱりしている。

4楽章は遅めの開始。ティンパニは当然のように強打。accelerandoの指示で急加速。かなりのスピードで突っ走っているのに、しっかりとアクセントがつけられる。クライマックスへ向けて打ち鳴らされるティンパニは尋常でない叩きっぷりで、バチが折れそう。緩やかな部分でもきちんとアクセントをつける。この辺が彼の特徴でもあり、融通の利かないところでもあろう。第1主題が戻ってくるとテンポを落とすが、大太鼓を強打。コーダではスピードアップし、冒頭の打楽器の最強打はもう大変。最後はゆっくりと一撃ずつ叩きつけて終わる。

 

以上、10人の指揮者、8つのオーケストラによる16種類の演奏を聴いてみた訳だが、この曲の演奏を考える上で、Volkovの「証言」の存在を無視する訳にはいかないだろう。「証言」によると、第4楽章は勝利の行進ではなく、強制された喜びを表現しているという。ここに挙げた演奏の中ではAshkenazyのものが「証言」に基づくものと言えそうだが、演奏自体がたどたどしく、その優位性は特に感じられない。「証言」後の演奏であっても、Soltiの演奏などは「証言」を意識しているとは到底思えない。ある意味で「証言」の当事者とも言えるMravinskyですら、「証言」によってその演奏スタイルが変わることはなかった。上では触れなかったが、Haitinkの演奏も「証言」を意識したものと言われるが、著しく現実味を欠く。AshkenazyHaitinkも「証言」に振り回されていると言えそうだ。

「証言」前の演奏では、どれも極めて自由な展開を見せる。Kerteszがいい例だ。Previnにせよ、Ormandyにせよ、善し悪しは別として、極めてユニークだ。それに比べると、最近の指揮者―――JansonsKitaenko(以前N響で聴いた)―――の演奏はどれも解釈が似通っている。勿論、「証言」の影響だけによるものではない。それだけ、Shostakovichという作曲家が有名になり、Shostakovich演奏の基盤が確立されてしまっているということなのだ。

最後に、私が一番好きなShostakovich演奏家であるMravinskyについて触れておきたい。30年代から80年代までの7種の演奏について述べたが、その基本となるのが恐怖である。第1ヴァイオリンの強烈な響きがまさにそうだ。作曲家が作曲時に感じていた恐怖をともに体験したものだけにしか出せないなどというとあまりに安っぽくなってしまうが、否定も出来ないだろう。この曲を初演するにあたって詳細で綿密な打ち合わせを重ねた結果の一端がここには示されており、それだけでも他の指揮者より優位な立場にあるといえるが、それ以上に、彼はこの曲を何百回と演奏し、しかもその度に一から楽譜を見直したという。そして何よりも、その度に極めて厳しく、綿密な練習を行った。おそらく、今そこまですることは許されないだろう。この時代にこの指揮者とこのオーケストラにしか出来なかった演奏だったのだ。


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