とりあえず

 

東京大学

工学部4

佐伯 享昭

 

 世の中には色々な曲があり、様々な演奏がある。それらを比較、論評するのはなかなか楽しい行為である。何と言ったって、そこに既にあるものについて語るのだ。それはもう言いたい放題。道端に転がっている石ころの曲線美について語るもよし、世界最大のダイヤモンドのカットを批判するもまたよし。しかし、石ころばかり見ていては人にぶつかったり、ドブに落ちたり、車に轢かれたりしかねないように、通るべき道筋のようなものが世の中には存在する。では、クラシック音楽鑑賞という分野ではどうだろう。あると思うからこそこんな文章を書いているのですが・・・。

 さて、そんなこんなでいよいよ本題ですが、要するにこれから私が比較的よく聴く曲で、とりあえずこれだけは聴いておいて欲しいと思う演奏を適当に列挙するので、心して読んで頂きたい、そういうことである。偉そうで申し訳ないが、もはや文章の趣旨そのものが偉そうなので致し方がない。

 

Beethoven:  Symphony No.3 "Eroica"

              Szell / The Cleveland Orchestra

 とにもかくにも尋常ならざるアンサンブル。曲がどうとか解釈がどうとか以前にそのあきれた完璧ぶりに感動。その上コーダのホルンを3本で吹くなど、筋力強化もばっちり。もはや向かうところ敵なし。来日公演でこの曲を演奏したときは、リハーサルで最初の和音をあきれるほど練習していたという。そんなわけで、最初から最後まできっちり聴いて頂きたい。

 

Beethoven:  Symphony No.4

              Mravinsky / Leningrad Philharmonic Orchestra

 疾走する終楽章、古典配置が生み出す立体的音響、透徹のアンサンブル、異常なまでの緊張感。やはりこの曲を得意とするCarlos Kleiberがこの曲だけでCD一枚という暴挙に出ているため、この人の演奏の方がはるかに買いやすい。Tchaikovsky5番との組み合わせのLeningradでのライヴでも、Beethoven5番との組み合わせのMoscowライヴでもお好きなほうで。そういえば、来日公演時の演奏もCD化されていて、Mozart40番やBartokの「弦チェレ」などとの組み合わせだが、レーベルが潰れてしまった。

 

Beethoven:  Symphony No.9 "Choral"

              Scherchen / Orchestra della Radio della Svizzera Italiano, Lugano

 シェル変である。この人のBeethovenはどれもこれも大変だが、この演奏の第4楽章は最も大変なものの一つ。人知を超えたテンポによる開始には誰しも腰を抜かさずにはいられまい。しかも、ライヴで悪乗りし過ぎたわけではなく、練習時からこのような演奏を要求していた確信犯であるというところがまた大変。

 

Brahms:  Symphony No.1

              Solti / Chicago Symphony Orchestra

 この曲ってホルンが大活躍する曲なんだねぇ、と思ってしまう演奏。熊のような大男のホルン吹きDale Clevengerの底知れぬ吹きっぷりが見事。さらには、この指揮者には珍しいことではないが、ティンパニも爆走。終楽章コーダでの壮快な叩きっぷりはどうだ。ただでかいだけではなく、音に切れがあるのがティンパニを叩いているDonald Kossの見事なところ。このやたら重たい曲を、スケールを小さくすることなく、さくさくと進めてくれるのも良い。

                                        

Brahms:  Symphony No.4

              Mravinsky / Leningrad Philharmonic Orchestra

 これには実は映像もある。それが凄い。アンサンブルが揃うのが不思議なほど拍子を取らず、指示は最小限、顔はそっぽを向いたりする。しかし、指示を与えるときの威圧感はとんでもなく、間違えたりした日にはシベリアへ一直線となるに違いない。演奏は徹頭徹尾Mravinskyの音楽である。厳しさと緊張感に満たされた尋常ならざる空気の中、素晴らしい機動力をもって曲が進行していく。終楽章以外はあのCarlos Kleiber / VPOより速いということは意外と知られていないのでは。

 

Glinka:  "Ruslan and Lyudmila" Overture

              Mravinsky / Leningrad Philharmonic Orchestra

 1965年のライヴ。何と言っても世界最速である(多分)。少なくとも、こんなに巧くて速い(ファースト・フードみたい)演奏はそう簡単にはできるものではない。この演奏を初めて聴いた時、出だしで弦が駆け抜けていくのと同時に「三大Ruslan」の残り二種―――Solti / BPOMaazel / The Cleveland Oがはるか彼方へ吹き飛ばされていくのを感じた。これに(所要時間で)迫る演奏としてPletnev / Russia National Oの演奏があるが、疾走感では一歩も二歩も譲るところ。

 

Khachaturian:  Symphony No.3 "Symphonic Poem"

              Tjeknavorian / Armenia Philharmonic Orchestra

 これはこの原稿の趣旨から少し外れる。別にこの演奏でなくてもよい。この曲を知っておいて欲しい、ただそれだけ。トランペットが18本も鳴り響く上にオルガンまで持ち出したとんでもない曲。この編成だけで聴く価値がある。と言うより、この編成にのみこの曲の存在価値があると言ってしまってもよかろう。全方向からトランペットがなるのは圧巻。

 

Liszt:  Piano Sonata

              Gilels (piano)

 ハプニングその1。曲の途中でピアノ弦が切れるという事故を収めた貴重な録音。その後、切れた部分は「カシュッ」としかいわなくなる。そんなことにも動じず弾き切ってしまうのは流石だが、いい演奏かと言われると・・・。1966年フランスでのライヴ。

 

Liszt:  Hungarian Rhapsody No.15

              Gilels (piano)

 ハプニングその2。曲の途中で拍手してしまったお馬鹿さんを周りの人が「シーっ」とやっているのが微笑ましい。海賊版であるというのもまた微笑ましい()

 

Mahler:  Symphony No.9

              Bernstein / Berliner Philharmoniker

 一期一会の超名演である。オケがぐっちゃぐちゃになろうが、指揮者が唸ろうが、指揮台を踏み鳴らそうが、飛び上がろうが、祈ろうが、とにかく名演。とりあえず、第3楽章を聴いてみよう。これが天下のBPOとはとても思えた代物ではない。今時アマオケでもこんなにひどい事にはならないのではなかろうか。さらに第4楽章。Bernsteinの迸る感情が嫌というほど伝わってくる。指揮台を踏み鳴らしてまでの激しい感情の表出。さあ、泣け、泣くのだ。一期一会の超名演であるからには何度も聴くのは御法度。一度聴いたらさっさと売り飛ばしてしまいましょう。

 

Mozart:  Symphony No.40

              Solti / Bavarian Radio Symphony Orchestra

 こんなに低弦を効かせるMozartにはそう滅多にお目に掛かれまい。Beethovenに迫るスケール感。どうやら海賊盤らしい。

 

Mozart:  Piano Concerto No.20

              Solti / English Chamber Orchestra, Solti (piano)

 オーケストラは非常に立派。何故なら指揮をしているのがSoltiだから。ピアノは何だか貧相。何故ならピアノを弾いているのがSoltiだから。彼はかつてコンクールで優勝したこともあり、それなりにピアノの腕はあったのだろうが、如何せん昔取った杵柄。本業でない割にはよく弾けているとは思うが、あくまでも指揮者。そこへ本業はいつもどおり(或いはいつも以上)の充実ぶりなので、どうもピアノと合わない。弾き振りなのに・・・。

 

Mozart=Alkan:  Piano Concerto NO.20

              Nanasakov (piano)

 前項と同じ曲だが、少し違う。Alkanという作曲家による編曲。オーケストラは無い。全部ピアノ。当然音の洪水状態となり、もはや技巧なんてレベルではない。出ているCDは今のところこれだけ。これが人でなしなほどよく弾けている。実は人ではない。カデンツァもAlkanのオリジナル。よくできた編曲なのだが、聴けば聴くほどAlkanである。

 

Saint-Saens:  Piano Concerto No.2

              Previn / London Philharmonic Orchestra, Licad (piano)

 これまでGilels608秒が最速と思われていたこの曲の終楽章を557秒という夢のようなタイミングで颯爽と登場した() ピアニスト、その名はCecile Licad。この他にもCBSに録音があるが、大した評判は聞かない。この演奏だけでピアノ演奏史にその名を残すこととなった。翻ってオーケストラはというと・・・内緒。

 

Shostakovich:  Symphony No.5

              Mravinsky / Leningrad Philharmonic Orchestra

 誰が何と言おうと、この曲の初演者であり、幾度となく作曲者本人の前で演奏した人である。交響曲第8番のリハーサル中に、イングリッシュホルンが間違えて一オクターヴ下の音を全合奏で出したとき、ホールの端からすっ飛んできて「イングリッシュホルン、オクターヴ上げて!」とのたもうた作曲家の前で変な事をすれば作曲家が文句を言って直させるのは必至。変な演奏が出来るわけが無い。ということで、この人が弾けばすべて名演。30年代から80年代まで約10種の録音が知られているが、勿論全て聴いておいて頂こう。しいて一つ挙げるならば、1966年のライヴだろうか。しかし、レーベルが潰れてしまい、入手は困難かもしれない。それから、この曲を「革命」なんて言っているようではこの曲を知っているとはとても言えないので、謹んで頂きたい。

 

Shostakovich:  Symphony No.10

              Shostakovich (piano), Vainberg (piano)

 作曲者本人の編曲によるピアノ連弾版の自作自演。この曲の所要時間は約50分となっているが、実際に50分を切っているのはMravinskyMitropoulos、そしてこの演奏だけなのだ。しかも、この演奏がこの曲の最速演奏。勿論、ピアノ連弾とオーケストラを単純に比較することにあまり意味は無いが・・・。とりあえず、本人が弾いているのだから、説得力はこの上なくある。MravinskyShostakovichにテンポについて尋ねたところ、こま鼠のようになってとんでもないスピードでピアノを弾いてみせるので、テンポに関して質問するのを諦めたという異常なテンポ設定なども分かる。このテンポ通りにオーケストラで演奏すれば、きっと世紀の名演が生まれるに違いない。ちなみに、一緒に弾いているVainbergShostakovichのお友達で、作曲家である。

 

Shostakovich:  Piano Concerto No.1

              Samosud / Moscow Philharmonic Orchestra,

Shostakovich (piano), Volovnik (trumpet)

 もう一つ自作自演から。とんでもないスピードでかっ飛ばす大変な演奏。勿論オーケストラはとてもついていけていない。トランペットなんてはるか百万光年の彼方に置き去りにされてしまう。しかも、自らが楽譜に記したテンポ設定をかなり無視。Jazz風に書いた部分もストレート一本勝負。「ショスタコ先生はいくらでも速く弾けるようで・・・」という評が随分前に載ったことがあったらしいが、まさにそのまんま。コンクールで2位に入ったことがあるのだが、実はその日は体調が悪くて、万全なら絶対1位を取っていたと自ら豪語するだけのことはある。何と言っても本人が弾いているのだ。楽譜にどう書いたかなんてことはこの際どうでもよろしく、本人はこういう曲にしたかったのだと思うしかあるまい。

 

Tchaikovsky:  Piano Concerto No.1

              Rodzinski / New York Philharmonic, Rubinstein (piano)

 お久しぶりのハプニングその31946年のライヴらしい。第1楽章が終わったところで、盛大な拍手喝采。一部のお馬鹿さんが間違えちゃったなんてものではない。しかし、もっととんでもないのは、この後第3楽章が終わったところで入る拍手がどうやら後からくっつけた偽物であるということ。楽章の間に本物の拍手が入り、曲の後には偽物が入るのだ。インチキ臭いのにも程がある。一緒に入っているSzellHorowitzによる同じ曲の演奏の拍手も偽物。インチキフェード・インがあまりに不自然で、これもまたとんでもない。

 

 以上の名()演の数々はどれもその曲を聴いていく上で避けては通れぬものばかりである。避けて通るなんてこの私が許さぬ。かといって、上記の演奏だけを聴けばその曲が全て分かるというものでもなく、あくまで最低ラインである。本気で曲を理解しようなんて思ったら、それこそ東にいいCDがあると聞けば東へ買いに行き、西で凄い演奏をすると聞けば西へ聴きにいったりせねばなるまい。で、結局はCDを買い過ぎて生活費が危うくなったり、でかいスピーカーを置いたせいで寝る場所すら確保するのが難しくなったりするわけで、最初に述べたように、石ころばかり眺めていて人にぶつかったり、ドブに落ちたり、車に轢かれたりということになるのである。あれ、何か最初に書いたことと食い違っているような・・・。気のせい、気のせい。


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