ドッペルゲンガー

 

 

東京大学

工学部4

佐伯 享昭

 

緒言

CDを買うということは、音楽を聴く者にとっては当然とも言える行為だが、ある程度以上の回数行い、尚且つその結果を保持することで、不思議な現象に出会うことがある。何故か同じ演奏が二種類以上あったりするのだ。それは意図的である場合もあれば、無意識のうちに、誰にも気付かれずにやって来ることもある。私の狭い部屋にも、500枚ほどのCDがあるが、それらの中にも彼らは居る。彼らは何処から、如何してやって来るのか。この謎を検証してみたい。

 

実験方法

1.     彼らの発生する原因を検討する。

2.     上の原因を我が家のCDに当てはめ、検証する。

3.     その対策を検討する。

 

実験結果

原因として、まず、無意識的派生と意識的派生とに分けて考える。その上で、細部を検討する。

 

I.無意識的派生

A.痴呆

所有していることを忘れてしまい、新たに購入してしまったというケースである。病気の可能性もあり、危険である。また、忘れ去られてしまったCDの怨念がそうさせるという説もある。そのような場合には、新旧両CDに対して最大限の愛情を持って聴き尽くすのが宜しかろう。3枚目を購入させるような悪質なケースでは、御払いをすることをお勧めする。単純に記憶力の低下という場合には、とりあえず、毎朝近くの公園へ行き、やって来る鳩全てに名前をつけ、完全に覚えるなどして脳のトレーニングをしてみてはいかがだろう。我が家にはいずれのケースにも当てはまるCDは、幸いにも、今のところ無い。別に記憶力を誇るつもりは無い。単に、「あるかも知れない」と思ったら買わないという消極性のなせる業である。

 

B.寄生

あ、こいつ付いて来やがったな、というケース。全く関係の無い演奏を買い求めたところ、カップリングされていた演奏に既に所有しているものがあったりする。一人の演奏家のCDを収集している場合には特に頻繁に起こる。我が家にもそれなりにある。HorowitzRachmaninov: Piano Sonata No.2 (1980年録音)MravinskyBrahms: Symphony No.3GilelsMedtner: Sonata reminiscenza, Liszt: Rhapsodie espagnoleSoltiTchaikovsky: Romeo and Julietなどなど。購入の際にカップリングの曲目もチェックし、他の組み合わせでCDが出ていないか検討することで防げる場合もあるが、多くの場合、不可抗力である。しかし、これが悪質化すると、まるでストーカーのように、買うCD買うCD全てに付いてくるという想像するのも恐ろしい状況に陥る危険も。「こいつはもう持っているんだ」という意思をはっきりと提示するべし。

 

C.奇襲

要するに騙まし討ち。伝説的な巨匠と言われるような人に多い、同じ録音を別音源だと言って売り込む方法である(やるのは巨匠ではなく、メーカーさんである)。我が家にも一枚ある。MravinskyBruckner: Symphony No.9である。録音の日付は勿論のこと、録音場所まで改竄してあり、ものの見事に騙された。こればっかりはメーカーさんに良心を持って頂かないことには話にならんが、「こんな録音は無いはず」という時はそれなりの覚悟をしておきましょう。同じ演奏であることを見抜けなかったりしないよう、耳を鍛えておくべし。

 

II.意識的派生

A.変態

痴漢等ではなく、状態に変化がもたらされたという意味で。リマスターによって音が変わったというのが主。某EMIのリマスターは一時期、逆に音が悪くなると言われていたため、必ずしも音質改善を指すわけではない。我が家にも何種か存在する。Solti / CSOMahler: Symphonies Nos.6, 7 & 8Stravinsky: The Rite of SpringHorowitzLiszt: Ballade No.2などなど。せっかく音が良くなっても、再生装置が貧弱ではその効果を十分に感じ取ることができないかもしれないので、オーディオもゴージャスにしてしまいましょう。

 

 B.偏愛

 「この演奏家のCDは全部買う」というような状態を指す。出直すたびに買い直すことになるので、やたらと出費が嵩む。録音の少ない演奏家ならどうということもないかも知れないが、某Karajanのような録音大好きの演奏家に惚れ込んでしまったが最後、目を剥く出費に愕然とすることになる。好きな曲を好きな演奏家で聴くだけの私はここまでの状態に陥ったことがない。そこまで惚れ込んだ演奏家なら、その全てのCDを買い占め、CDと心中するくらいの勢いで買いまくって欲しい。

 

C.保存

 傷がついたりしてしまった時のためにもう一枚、或いは後で欲しい奴に高く売りつけてやろうということ。後者はやや法的に難ありか?我が家では比較的CDを丁寧に扱うことにしているので、そこまではしていない。でも、中央付近は結構指紋でべたべたかも。保存するからには温度と湿度を一定に保つ倉庫を建て、コンピュータで一枚一枚管理するしかあるまい。きっと貴重な財産となることでしょう。すぐに次世代オーディオでより良い音質のものが出てしまって、骨董品的価値しかなくなるかも。

 

D.負傷

 度重なる激戦を経て、ついに断続的な音飛びにより戦闘の続行が困難になったり、或いは完全にお亡くなりになられてしまって、プレーヤーが認識すらしてくれなくなってしまったCDの穴を埋めるべく新戦力を投入することである。前述のように我が家ではCDが比較的丁寧に扱われているため、そのような状況はまだ経験していない。そのような状況が本来異常であり、一刻も早い停戦が世界平和と環境とお財布のためである。

 

E.貸した猫はおとなしい。

 貸したが最後、なかなか返してくれない人がいる。状況が切羽詰まってくると、買い直さなくてはならなくなることもある。そんなときに限って返ってきたりするのが世の常。我が家から借りられていったきり返って来ないCDも何枚かある。早く返してね。

 

F.異国文化

 国内盤と輸入盤では解説が当然違う。それを比較するのもまた楽しいかもしれない。私の語学力では英語と日本語くらいしか分からないので、そういうことは趣味にすることすらできない。語学力のある方には、ぜひ世界中を駆けずり回ってありとあらゆる言語による解説に目を通して頂きたい。

 

結果と考察

 以上の実験により、彼らが確かに存在することは明白である。彼らは様々に形態を変え、我々に忍び寄ってくる。我々の意識の外ですら発生する彼らを避けて通ることは極めて困難である。彼らは録音再生の普及と不可分の存在であり、このことは彼らを避けて通らんとすることがそもそも誤っていることを示している。従って、我々がなすべきことは、彼らの存在を認め、その上で彼らと上手に付き合っていくことである。彼らは我々に頭を抱えたくなるほどの失望を与えることがあるが、時として醜いアヒルの子が白鳥になって帰ってくることもあるのだ。となれば、何を躊躇する必要があるのか。怯まずCD屋にて彼らを自ら模索すればよい。さすれば彼らの中でも比較的善良な部類のものとの出会いが果たせるだろう。

 

展望

我々が音楽を聴き続ける限り彼らは今後も増え続けることだろう。その一方で材質の均一性向上などにより、ある種の彼らはその存在が希薄になるであろう事が予測される。しかし、完全ならざる人間が完全なる彼らの真の姿を追い求める限り、彼らはその多様性を保つことだろう。その多様性こそが人間の前進の余地を表していると言えよう。

 


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