名演奏の名録音

 

修士課程2

佐伯 享昭

 

  新譜コーナーには大きく2種類のCDが置いてある。一つは初出のもの。初めて世に出るのだから、新しいのは当たり前だ。もう一つは出直しもの。廉価盤でお買い求めやすく、あるいはリマスタリングされてより良い音で過去の名演をという趣旨だ。そう、消費者はより良い演奏を安く、いい音で聴きたいのだ、基本的に。勿論、ごみのような録音から一生懸命音を拾い出して聴くのも一つの聴き方だし、猿が弾いているような演奏をこれ以上ないようなリアルな音で聴くのもいいだろう。でも、録音も演奏もいいに越したことはないではないか、というわけで、最近聴いた中から演奏と録音ともに秀でていると私が感じたものを勝手に羅列していこうという展開でお届けしたく思う次第です。万が一にも何かの参考になったりするようなことがあれば幸いですが、ならなかったとしても私は一向に気にしませんのでご安心を。

 

Beethoven: Symphony No.3 "Eroica"

E. Kleiber / Concertgebouw Orchestra

(1950 mono DECCA, Wilkinson)

  どういう順番で並べようか迷ったんですが、まあ、録音年代順が分かりやすかろうということで落ち着きました。括弧の中身は録音年、レーベル、録音エンジニアという構成になっております。このWilkinsonというエンジニアはその道では最も名の知れた人で、この人の録音には外れがないともっぱらの噂。その真価はステレオ録音でこそ発揮されるわけだが、それは後で述べるとして、この50年のモノラル録音もなかなかどうしてよく録れている。若干高音が神経質なのはマイクの性質によるものとして、各楽器へのフォーカスのよさは時代を考えれば大変なもの。偉大な父による偉大な演奏が綺麗な形で残っているのは嬉しい限り。

 

Waxman: Carmen Fantasy

Kogan (violin), Kondrashin / Moscow Radio Symphony Orchestra

(1956 mono DML, unknown)

  ここにこの時代のロシアが入ってくるのは本来ならおかしいのだが…。Koganにはこの曲の一年後のライヴ録音もあるのだが、これと比較すると雲泥の差があって驚かずにいられない。テープの保存状況など複合的な要因がありそうだが。バックのオケはいざ知らず、ソロ・ヴァイオリンは、おそらくマイクがかなり近いため、よく音が入っている。圧倒的な安定感を誇る技巧に脅威の集中力をブレンドしながらも遊び心を忘れない、「聴かせる」演奏だと思う。

 

Beethoven: Symphony No.5

Reiner / Chicago Symphony Orchestra

(1959 stereo RCA, Wells)

xrcd2で聴く音はそれはそれは「熱い」。音像の濃さとでもいうのだろうか、尋常ならざる実在感のある新鮮な音に圧倒される。演奏者の顔ぶれのみならず、録音面においても当時、間違いなく最高レベルにあったRCAの実力を見せ付けるかのよう。演奏は終楽章の気が狂ったかのような大暴走が聴きもの。パワフルな金管に一糸乱れぬ弦楽器…CSOの黄金時代(その1)がよく示されている。Laytonによる録音も取り上げるべきなのだが。

 

Saint-Saens: Cello Concerto No.1

Starker (cello), Dorati / London Symphony Orchestra

(1964 stereo Mercury, Eberenz)

  随分前からMercuryの録音は良い良いと聞いていたが、その真価を見せ付けられる思いをした。前後左右に広がりながらも決して薄くならない音場、迫り来るFortissimo。音楽が極めて生き生きと繰り広げられることに関してはここに挙げた中でも随一と言ってよいかも知れない。録音という観点から注目するなら一緒に入っているSchumannLalo(いずれもFineによる録音)をむしろ取り上げるべきなのだが、曲がどうにも私好みではないのでここではSaint-Saensを挙げた。ハンガリー人のコンビによる演奏は極めて明確なリズムに強いアクセントがきっちりと決まる几帳面さがなかなか楽しい。

 

Alkan: Le Festin d'Esope

Lewenthal (piano)

(1965 stereo RCA, Gardner)

  少々古さを感じないわけにはいかない録音であるが、眼前に目一杯展開されるピアノの音像、下の下まで伸びた低音域と演奏のスケールに相応しい、迫力満点の録音。ピアノをマッシヴに聴かせることに関してなかなかこれ以上のものを探すのは大変だと思われる。「強そうだから」という理由でアメリカ人であるにもかかわらず、ドイツ語読みの「レーヴェンタール」と一部で呼ばれていることからも分かるように、荒々しくも猛々しいパワフルな豪快演奏。

 

Bartok: Concerto for Orchestra

Solti / London Symphony Orchestra

(1965 stereo DECCA, Wilkinson)

  私が初めて、純粋に録音だけで驚かされた演奏。第1楽章の出だしから楽器が静寂から一つまた一つと浮かび上がった後、弦楽合奏が圧倒的な広がりをもって展開し、ただただその空間感の表出に恐れ入るばかり。目の前に繰り広げられる魔法のように透明な音空間はSonic Stageという言葉そのものであるかのよう。最も偉大なエンジニアといわれるWilkinsonの実力が極めて顕著に示されている録音の一つだと思う。まだ若いSoltiがオーケストラにやや無理をさせている感もあるが、後のCSOとの再録音にやや欠ける躍動感は捨てがたい。

 

Dvorak: Symphony No.8

Szell / The Cleveland Orchestra

(1970 stereo EMI, unknown)

  Szell最晩年のもはや行き着くところまで行ってさらに通り越してしまったかのような、完璧のその先まで見えそうな演奏。オーケストラが自由自在に動き回る真に正しい姿。最近までEMIの録音はどれもこれも今にも泣き出しそうな曇り空のような冴えない音質が多く、これとて例外とは言えないのだが、ARTで出直したものはメジャー・レーベルの国内盤にしては珍しく、左右の広がりが良い。それに引き換え、SONYDSDリマスタリング(国内盤)は弦楽器が見事なまでに左右に泣き別れていて、せっかくの新鮮な音が台無しとすら感じる。

 

Faure: Piano Quintet No.2

Hubeau (piano), Quartuor via Nova

(1970 stereo ERATO, Laporte)

  正直なところ、別段録音が優秀だとは思わない。高音は詰まり気味だし、音量最大のところは潰れかかっている。そんな録音を敢えて入れたのは、それでもこれが音楽再生に関して私に一つの指針を示してくれたからだ。肝は第1楽章冒頭。ピアノがどろどろ弾いているのをバックに弦楽器が一つ、また一つと現れては旋律を受け渡していき、やがてひとまとまりになって…まあこんな感じで始まるのだが、この弦楽器が次々と浮かび上がるのをいかに立体的に聴かせられるかというのがポイントになる。プリアンプを買い換えてから初めてこの録音を聴いたとき、思わずぞくぞくした記憶が今となってはちょっと懐かしい。演奏に関してはちょっと暗い、どこか寂しげな空気に付きまとわれるのでやや重苦しさを感じるが、作曲者の置かれた状況等から考えるとこれはこれでよいのではないかと思う。

 

Mahler: Symphony No.8

Solti / Chicago Symphony Orchestra, etc.

(1971 stereo DECCA, Wilkinson & Parry)

  DECCA Legendsによるリマスターの成功例。無意味なまでに巨大な編成のオーケストラと合唱、独唱が綺麗に居並び、それらの全てが他に埋もれることなく、高度なバランスを保ってこれ以上ない鳴りのよさでお届けされる。再生装置側にも極めて負担の大きな演奏で、本気で鳴らしてやろうと思ったら一苦労であろう。

 

Mozart: Requiem

A. Jansons / The Lithuanian RTV Symphony Orchestra, etc.

(1976 stereo ICONE, unknown)

  はっきり言って、年代を考慮に入れても決していい録音とは言い難いものがある。しかしながら、おそらく殆ど工夫もなく録られたであろうと予想されるこういった録音はかえって再生装置の状態に素直に応じるところがあり、馬鹿にも出来ないのだ。どこまでも伸びていくかのようなソプラノの透明な声は天国まで届きそうなくらい。

 

Rzewski: The People United will Never be Defeated!

Hamelin (piano)

(1988 stereo Hyperion, Faulkner)

  比較的柔らかく、若干遠めに感じる録音が多いFaulknerHyperion録音の中で珍しくかなり寄った、クリアな仕上がりになっている。曲の性質も踏まえての措置ではないかとも思われる。実際、その後の録音ではSchumannにせよAlkanにせよ、やや遠めで残響を含ませながらも音の芯を残すという従来のスタイルに近いものが多い。凝った構成で技巧的な要求も多いところへさらに自作のCadenza(肘打ちつき)を加えるなど意欲的な演奏であり、来日公演後に公演の予習に疲れ果てたマニアたちが「これでこの曲は打ち止め」と口にしながら次々に買っていったという噂も。

 

Brahms: Piano Sonata No.1, Variations and Fugue on a Theme by Haendel, etc.

岡田博美 (piano)

(1996 stereo CAMERATA, Miyata)

  DECCAの一部のCDなどには使用されたマイクなどの機材が明記されているが、CAMERATAほど事細かに書いてあるレーベルは他にはTELARCくらいか。SCHOEPSのマイクを2本、紀尾井ホールで吊って録ったもの。彼の演奏会へ行くとどんなマイク配置かが分かるので、後にCD化された際に参考にしてみるのも一興である。ワン・ポイント収録らしい、空間情報の豊かさが心地いい。どこにピアノがあって、どの鍵盤が鳴っているのかがよく分かる。少々素っ気なく、場合によっては味気なく感じないでもない演奏だが、Brahmsをわざわざくどくして演奏されても私はあまり嬉しくない。

 

Bach=Busoni: Prelude & Fugue BWV 552, Godowsky: Passacaglia

Stanhope (piano)

(1998 stereo TALL POPPIES, Webster)

BusoniGodowskyともにピアノという楽器の性能を極限まで引き出そうとした作曲家であり、ともするとまともに弾くだけでも大変な両曲を実は本業がピアニストではない人が弾いているだけでちょっと驚きな録音である。使われているのはStuart & Sonsの非常に豊かで柔らかな、それでいて深い音がし、個人的には最も好ましく感じる音のピアノで、一度生で聴いてみたい(後で調べたら、高音側に5つ、低音側に4つ鍵盤が多い2.9mのピアノであることが判明。高音から低音まで満遍なく響きが良いのも納得である)。かなりシンプルな手法で録られていると思われ、ピアノという楽器の抱える様々な要素―――繊細なタッチから凄みすら感じる壁のような響きの積み重ねまで―――を一度に体験できる点においてこれ以上のものはそうはない。一見淡々としていながらもそれだけで終わらせない強い左手の主張がいい。

 

番外編: 名演奏の迷録音

 

Tchaikovsky: Piano Concerto No.1

Horowitz (piano), Szell / New York Philharmonic

(1953 mono PALEXA, unknown)

  周期的にパルス状の嫌なノイズが出るとか、喧嘩みたいな演奏だとかいうのはさておき、第1楽章が終わったところで盛大な拍手が入るのにびっくり。…ところが、先日、渋谷公会堂で行われたオータムコンサート2001なるイベントの際の横山幸雄&小松長生/親日フィルによる同曲の演奏でも第1楽章の後に(こちらはぱらぱらとだが)拍手が。…流行ってるんですか?

 

Shostakovich: Violin Concerto No.1

Kogan (violin), Kondrashin / Moscow Philharmonic Orchestra

(1962 stereo Russian DISC, unknown)

  極めつけに巧い演奏で、知っている中にはこれ以上のものはないし、今後もこれ以上のものがそう簡単に出てくるとも思えない。冴え渡る技巧、躍動するリズム、揺ぎ無い確信に満ちた、曲と真っ向から渡り合って完全勝利を収めたような演奏―――なのだが、録音が…。このレーベルのこの時代の録音としては比較的状態はいい方だが、終楽章でソロの音像が左右にワープするのには参る。いくらKoganが凄いヴァイオリニストでも、そんな離れ業はいくら何でも無理だろう。

 

Bizet=Horowitz: Carmen Fantasy(本当はVariations

Horowitz (piano)

(1970 stereo MUSIC & ARTS, unknown)

  この時代の膝上録音は一体どのように行ったのか不思議でならない。ウォークマンすらない時代だ。Horowitzが「芸」を見せるたびに会場が沸き、楽しいことこの上ない。演奏後、マイクをしまおうとしているのか、音像が左右に揺れ動いた後にごそごそという音ともに終わる辺りが何とも言えない。

 

Bach=Busoni: Chaconne, etc.

Michelangeli (piano)

(1988 stereo AURA, unknown)

  いわゆる膝上録音。こういうものが出回ることに関してはWandKleiberCelibidacheに並ぶのがこのMiche様。ちょっと遠めで雑音混じりの混濁気味な音で臨場感満点。挙句の果てには曲が終わったところで感極まったエンジニア(膝の主)が思わず唸り声をあげてしまうという失態まで犯してしまう。全盛期からは程遠い演奏であるが、ここに録り切れなかった何かが彼を感動させたのやも知れぬ。

 

Alkan: Concerto for Solo Piano

Hamelin (piano)

(1991 stereo MUSIC & ARTS, Patrych & Wodehouse)

  一時期は誰もが探して回ったというのに、今や平積みセールになっていたりして時代の流れを思わず感じてしまうなどという個人的な思い入れはともかく、当時まだピアノに大した興味を持っていなかった私に「ピアノが本気になったら凄いんだぞ」というところを叩き込んでくれた、人知を超えた難曲を機械をも上回るとすら言われる脅威のピアニストが弾き倒した色々な意味で歴史的な録音。ところが、録音はお粗末極まりなく、あろうことかレベルをオーバーして最強音で音が潰れる有様。とてもエンジニアが二人もついていたとは思えない。

 

  …とまあ、あれこれ挙げてきた挙句に脱線までしてみたりしましたが、なかなかどうして演奏と録音のバランスをとるのは難しいようで、我が家にあるCDの大半は演奏の良し悪し以前に録音が駄目駄目なものばかりが並んでおり、エンジニアの方々には絶えず良い音で録るよう心掛けて頂きたいものです(特にこれからRattleをどしどし出すであろうEMI)。なお、以上の感想は全て自分の装置で聴いた場合であって、他の装置で聴くとまた違った感想になることもあり得るのがオーディオという道楽な趣味の楽しみじゃないかなどと思ったりする次第です。