適当だけど波乱万丈な経歴

- どこをどうするとこんな人間になれるのか -

1977年 生まれた。
逆子で難産だったらしい。生まれる前からひねくれていたということか。
1981年頃 保育園なるものに通い出す。
やたらと急な坂を上らないと着かないことだけ覚えている。既にろくなガキじゃなかったのは確か。
1984年 4月 秦野市立北小学校入学。
この頃は実は運動が好きじゃなく、割と勉強するガキだった。でも、大人しいとか暗いとかいうこともなく、所謂一つの問題児。
1988年 7月 渡米。
North Carolina州のVirginiaとの州境に程近いMadisonというびっくりするほどの田舎へ親の都合で飛ばされる。当然、英語なんて知らない。
1988年 8月Scott Elementary Schoolという地元の小学校へ入学。
日本人は自分だけ。何だか知らないが、やたらと「カラテはできるのか?」と訊かれた。
1989年 6月 Scott Elementary School卒業。
嘘でも多少は意思の疎通ができるようになってた。数学だけはやたらとできると思われていたが、それは日本と進み具合に圧倒的な差があったから。元々そんなに得意な方ではない。
1989年 8月 Western Rockingham Middle School入学。
初めての授業ではことごとく名前をちゃんと呼んでもらえず、呼ばれていることに気付かないことも。
1991年 6月 Western Rockingham Middle School卒業。
うちの学区では中学は7、8年生だけで、高校が4年間なのだったのだ。数学だけは誰にも負けない(と言ってもこんな田舎の中学の中での話だが)。気が付けば理系への進路はこの頃勝手に作られていたような気がする。
1991年 8月 Dalton L. McMichael High School入学。
傍若無人の限りを尽くす準備が出来上がりつつあった。
1995年 6月 Dalton L. McMichael High School卒業。
高校最後の年はテニスの州大会団体戦で優勝したりした。SAT Iの数学とSAT IIの数学、物理で満点を取った記念のプレートが今でも高校のロビーにあるはず。先日、数年ぶりに満点を取った生徒が出て、地元の新聞に私の名前がその引き合いに出されていたらしい。
1995年 7月 帰国。
帰る途中にColoradoやLos Angelesを観光したりした。半年ちょっとの受験生生活がスタート。
1996年 4月 東京大学教養学部理科I類入学。
合格発表の時、赤門から入ったせいで順路を逆に進んだのは私くらいかも知れない。自分の名前を見付けたときの感想が「こんなとこ入って大丈夫かな?」だったり。
1996年 11月 古典音楽鑑賞会の部長に就任。
この時点で現役部員が実質二人という恐るべき状況。間違いなく人生で最も勤勉さを発揮した期間。結果的にはどうにかこうにか持ち直したものの、最近はまた潰れそうだったりする。
1998年 4月工学部化学生命工学科へ進学。
漠然と生物を触りたいという理由で選択。でも、実情は半分がChemistryの世界。丁友会テニス部という工学部がスポンサーになっているサークルでテニスをする。一年間会計をしたりして、容赦ない取り立ての手腕を発揮。
1999年 4月 バイオプロセス工学研究室に配属。
一時は倍率が2倍になるという恐るべき人気が(当時は)あった。結局はトランプ・ゲームで一人が脱落。脱落した同期はその後一番(今でも)不人気な研究室へ行き、そのままD進の予定。
1999年 9月 大学院入試。
一日にテレビを5時間見て、CDをちょこちょこ買い、先輩に頼まれてBSの番組をビデオに録ったりとまるで緊張感のない生活をしていたくせに農学部と工学部両方に受かる。選んだのは工学部。
2000年 3月 東京大学工学部化学生命工学科卒業。
卒論は発表の二日前と四日前にコンサートへ行ったりしながらも適当に書き上げた。テーマは「熱ショック応答システムの制御の複雑性はロバスト性を向上させるのか」という長くてしかも疑問形。結局最後まで内容をきちんと理解できていなかったかも知れないなんて内緒。とりあえず、これを突き進めていくと、ピカチュウが作れるようになるかも知れないらしい。
2000年 4月 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻進学。
学部の時と同じ研究室なので、普通なら同じような生活になるところ。ところが、上のテーマをくれた助手さんが他の研究室へ行ってしまったので、私も「一抜けた」。テーマを自分で探すことになる。
2002年 3月 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻修士課程修了
同期の誰よりも遊びまくった自信がある(特に最後の1年)。コンサートは何回行ったのやら。ちなみに、修論のテーマは「PDMSマイクロチップ上でのエレクトロポレーション」。強引に力業で押し切ってみたり。とりあえず、卒業目前にしてスピーカーを買ってしまったりしているのはどうなのか。
2002年 4月 某化学メーカー就職
嘘でも社会人に。社会に出して大丈夫なのかとか思った人は校庭十週。研修からやりたいほうだいっぷりを如何なく発揮してみたり。勤務地が静岡県になる。オーディオ環境としては改善されそうで楽しみなところ。とりあえず、引っ越しが大変。
2003年 10月 転勤
割と寝耳に水な話で驚いたり。というわけで、関東圏に戻ってくることができた。やっぱり引っ越しは大変だった。
2004年 3月 結婚
縁があって結婚することに。でも、週末婚。


自己紹介へ戻る