言いたい放題

-我思う、ただそれだけ-


4月4日 雨対策
浦安市の某ランドにて夜から雨が降ってきた。パレードが中止とかはまあ仕方ないとして、パレード待ちしてた人が一気に到来して土産屋は大混雑。そんな土産屋の中をポンチョ着てうろうろしている輩が結構いて、一体どういう神経をしているのかと思ったり。自分だけ濡れなきゃいいのか?しかも土産屋一帯は屋根の下だ。

11月27日 捜査
TV観てたらニュースで「○○県警は〜について徹底的に捜査する方針です」とか言ってた。捜査って徹底的にやるのが普通じゃないのか?何となく捜査する方針とか適当に捜査する方針とかだらだらと捜査する方針なんてどうせ立てないんだから、「徹底的に」なんてつけても意味無いんじゃないかとか思ったり。

10月27日 ティシュ
ふと箱ティシュの側面を見たら「ソフトでやわらかな肌ざわり」と書いてあった。「ソフト」と「やわらか」は何が違うのか?「とてもやわらか」と言いたかったのか?

9月18日 判決文
夕方、テレビのニュースをつけたまま合宿の景品の値札を外したりしてたら、援交狩りの末の殺人に対する判決についての話題に。そんな事件で被害者になって報道された日には遺族もたまったもんじゃないだろうなぁとか思ってたら、「援助行為すら行わず…」とアナウンサーが読み間違い。正しくは「救助行為すら」だったのだけど、素晴らしく文脈にフィットし過ぎてて笑ってしまった。せめて一発くらいという同情の仕方も分からないでもない気もしないでもないが、やっぱり裁判官という職業上は無しだろうな。

6月21日 視力
周りでも何人か受けてる人がいるのでこんなことを書くのはどうかと思わないでもないのだけど、どうにもLASIKというのに納得がいかない。私自身は激しく視力が悪くて眼鏡かコンタクトが無いととても外に出られたもんじゃなく、眼鏡やコンタクトがどれだけ面倒かも十分承知の上だ。副作用の可能性がとか老眼になったときにとかいったことの前に違和感がある。例えは悪いかもしれないが、鼻が詰まりやすいからといって鼻の穴を広げたりはしないだろうと思ったりするのだ。

6月2日 タッチ
何だか次のWindowsはタッチスクリーンが売りだとかでまたAppleの猿真似かとか早速散々な上にVistaの延長でちっとも軽くなりそうにないとか、そろそろ真面目にWindowsが滅びたりするんじゃないかとユーザの一人として余計な心配をしてしまったりしないでもない今日この頃。それはさておき、私はタッチスクリーンが死ぬほど嫌いだ。そもそもからして画を見るためのディスプレイに生指で触るなんてどうかしている。何で見るためのものを好き好んで汚して使わないとならないのか。どれほど便利だ格好いいだと言われようとも絶対に触りたくない。従って、我が家のカーナビは全てリモコンで操作しているし、そもそも購入時にリモコンの操作性が良さそうというのが選定理由だったりもしている。勿論、PCのディスプレイに生指で触るなんて言語道断。メガネだって視界のごく一部にでも埃が入ると我慢ならない。故にNintendo DSとかも私にはちょっと納得のいかないデバイスだったりする。世の中は案外汚れに寛容なのか。

5月17日 想像力
子供に携帯電話を持たせるべきではないと提言するんだそうな。子供の頃に携帯電話があったとか持ってたとかいう人はきっとする側にはいないんじゃなかろうか。かと言って、子供に会議に参加しろっていうわけにもいかんだろうけど。持つことがいいかどうかはともかくとして、当事者とあんまり関係無い人たちで作る提言って空っぽになりがちな気がしないでもない。

5月4日 品質
ブランド戦略なのか、最近、TV CMに企業名を大々的に出している某小○製薬。それはいいとして、「製薬会社品質」を謳ってサプリメントを最近はプッシュしているみたいだ。先輩が就職活動で回った際に「うちは製薬会社ではありません」と説明を受けたらしいが、どうやら変わったみたいだ。「品質」の方でもトラブルがあったような…?

1月4日 柔道?
柔道から技ありや効果を無くそうというニュースが。もう柔道じゃなくてもいいんじゃないのかとか思う。

↑2008年

↓2007年

11月25日 スケート
この記事を見てて気が付いたが、こういうシチュエーションでも岡崎朋美はスピード用のスケートなんだな。

8月25日
クジラ観光船の前で捕鯨というニュースが。「結果的にクジラの生態を楽しむ観光客の前で捕鯨した事態になり、波紋が広がりそうだ。」なのだとか。別に違法操業してたわけじゃないし、どんな波紋が広がるんだという気がしないでもないが、どうもクジラが絡むとまともな議論になりにくい。そういえば、昔、日本と韓国が共同開催するサッカー大会で犬を食らう文化に文句をつけたという話があって、このページのどこかにも書いた気がするが、まあ似たようなメンタリティに属する話題だろう。例えば、これがクジラでなくてマグロだったらどうなのか。「かわいそう」ではなく、美味しそうになりそうなものだし、ニュースとか食関連番組で流される市場で転がってるマグロの画だって状態としては先のクジラと大差ないはず。牧場で牛や豚と触れ合えるような場所もあるが、その肉とかを平気で食べるわけだし、ベジタリアンだって花を愛でてるそばから野菜食べたりしている以上、乱暴に言えばやってることは変わらない。そういう意味じゃ人間なんてその「かわいそう」の上に成り立っているようなもので、それを知らん振りして「かわいそう」なんてちょっと考えれば随分と傲慢なものだと思う。仕事の都合で屠殺場で家畜を解体する様子を見る機会があったのだけど、豚の頭を持って歩いてたり、かっさばいた腹から内臓がでろんと出てきたり、それはそれは激しくグロな光景だった。先のニュースで「気分が悪くなった」とか言ってる人なら失神しそうなくらい。でも、ちょっと考えれば食事をする、あるいは生きていくってそういうことなのだ。「かわいそう」なんてとても言える身分じゃないはず。ちなみに、その光景を見た当日でも私は何の遠慮も無く肉が食べられた。それで遠慮するくらいなら生きるのから遠慮すればいい。

5月4日 甲子園
いっそのこと、特待生制度のある学校だけで大会やればいいのにとか思ったり。野球は遊びでしかやったことないし、そもそも日本で高校生であったこともないので甲子園出場とかにかける想いとかまるで共感していないのもあるんだろうけど。特待生なんて制度を設けるのはそれなりに野球に力を入れているからだろうし、特待生で入ってくるからにはそれなりに実力のある選手なのだろうし、実際問題出場辞退とかしている中には強豪校も多いみたいだし、やれば本家の高校野球より面白い試合になったりしないんだろうか。どこかの富豪がスポンサーになれば、プロ野球チームを一つ作ったりするよりイメージUPに繋がるんじゃないかとも。そこまで高野連に対して反抗的になれる学校も少ないのかもしれないけど。でも、このままでいくと辞退校の野球部の人間関係とかくっちゃくちゃだろうなぁとも思う。

3月24日 少ない?
少子化が叫ばれる中で大臣が失言しまくりな昨今だが、自動車メーカーのサイトとかCMとか眺めてると何だか不思議な気分になれる。びっくりするくらい横並びなのは今に始まったことではないとしても、びっくりするくらいファミリー・カーばかりだったり家族を主眼においた宣伝だったり。実はそれが自動車の流行から家族志向な世の中にして少子化を防ごうという壮大な試みだったりしたら凄いなぁとも思ったり。

↑2007年

↓2006年

11月26日 軽
先日、生まれて初めて軽自動車なるものを運転する機会に恵まれた。職場の荷物運び用のAltoだったのだけど、ドアとかトランクとか想像を絶するくらい軽く、ちょっとどころでなくびっくりした。本当に文字通り「軽」なのだなぁ。

9月9日 3時のおやつ
男おやつという表現自体逆セクハラな気がするくらい、私の場合はおやつは基本。大体、お腹空いたらいつもより余計に頭が回らないし。しかし、保管場所に机の上はあり得ない。みっともないかどうか以前にそんなスペースが既に無く、目下のところ隣の共通デスクに書類が絶賛はみ出し中だ。重要なのは見た目が片付いていることではなく、最短の時間で必要な作業がこなせることであって、「あの書類、どこに片付けたっけ…」と引き出しをあさる後輩に「まだまだ本質が分かってないねぇ」と言った翌日に自分の机で書類が行方不明になったりするわけで、結局そうやって探すのに時間がかかるのと綺麗に分類・整理して片付けるのに時間がかかるのとどちらが効率的なのか誰か検証してくれたらいいのに。

3月18日 新競技?
女性の行為でとても真似できないなぁと思うものの一つがハイヒールでダッシュ。今日も駅の改札からバス停に向かって必死で走っていく女性を何人か見掛けた。それを見てふと、ハイヒールで100m走とかマラソンとかやったら面白いんじゃないかと思ったりした。美容目的で装用されるものであるので、勿論芸術点ありで。最近のスピード・スケートのスラップ・スケートみたいにヒールがばねでかぱかぱ外れるようになっているとより早く走れたりしないんだろうかとか考えたりしてみたり。Dr.中松とか作ってないのかな?>スラップ・ハイヒール。

↑2006年

↓2005年

9月25日 恐怖と扇動
少し前に体長50cmのボール・パイソンが逃げ出したというニュースがあって、テレビで近所の住民のコメントとか流れてた。「毒は無いって話ですけど、怖いですよねぇ」とか言ってた。蛇だもんなぁ、それもニシキヘビ。そら怖いよね…って、まるで映画に出てくる巨大アナコンダでも逃げ出したかのような雰囲気でお届けされてるが、「体長50cm」だぞ。日本原産のアオダイショウやシマヘビだって2mくらいになるというのに。昔、通学路で毒のあるヤマカガシを見付けたことだってあるし。生態系への影響がとか、そういう話ならまだ分かるけど、たかだか50cmの蛇を取り上げて怖いの怖くないのという方向へ話を誘導してしまうのは殆ど情報操作に近い。もっとも、その報道を見て「うわー、怖い」とか思ってしまうような視聴者がいたりしたら、その方がよほど問題なのだろうけど。

9月19日 ディスク・メディアの存亡
先日、電車の中で隣の席に座っていた高校生ぐらいの女の子が突然鞄の中をごそごそやり出したかと思うと、取り出したのはMDだった。iPodその他全盛の昨今にあってMDとは微笑ましい。ふと見るとラベルには自ら記したらしきタイトルが。それも妙なデザインで。しかしながら、固体メモリないしHDDにぽいぽいと音楽を放り込んで聴くことが主流となりつつある昨今にあって、ディスク・メディアへの愛着が一般層において必ずしも失われてしまっているわけではないということも示しているわけで、ディスク・メディアの滅亡が囁かれる中で希望の光のように思え、例え隣で化粧されようが整髪料を付け始めようが我慢してやろうという気分にもなった。やがてMDを交換してのりのりで聴き出したかと思うと、どうやら所謂ストリート・ダンサーの類の如き行為にこれから及ぶのか、とても電車のシートに座したままとは思えぬ勢いで振り付けを練習し始めた。それもステップ付きで。そして、あろうことかそのステップで私の足まで踏んで下さりやがった上、謝ろうという気配すら無い。…ディスク・メディアの存亡とかどうでもいいから、まずこいつから滅亡してくれ。

8月2日 自己と非自己と
最近は、例えば昨日の花火大会のようなちょっとしたイベントで必ずと言っていいほど携帯電話のカメラで写真を撮る輩がごろごろしてる。携帯電話を空に向けて風情もへったくれも、と憤慨するのは簡単。視線をその向こうにやったときにある世界。例えば先の携帯電話にしても通話機能という音声情報から文字、そして写真や動画といった映像情報を提供するに至り、更にはバイブレーションによる原始的な触覚情報も一応備えている。かようなデバイスを万人が持つ時代であり、尚且つその機能は着実に向上しつつある…はず。ここで翻って携帯電話を所有するに至る理由を問うならば、その多くは交友関係に起因するものであると考えられ、即ち、「皆と繋がっている」という感覚である。言い換えれば、物理的にその場にはいないけれども、感覚的あるいは感情的にその場にいるような状態、ということだ。そういう観点からすると先の五感に訴える手法が進化することで、遠い将来、「ここにいるけど向こうにいる」という状態になるわけで、Heisenbergの不確定性原理によるなら位置が分からない分、運動量はしっかり測れるという事態になるに違いない。

8月1日 進化の後に
人類の歴史は進化の歴史であり、その初期は生き残るための進化であり、それがやがてより充実した生活のための進化となり、20世紀以降はより楽をするための進化と言ってもそれほど間違っていないんじゃないかと思う。昔、何かの雑誌で未来の人類の顔を予想した画が載っていて、それによると顎は咀嚼しなくなることにより退化する一方、脳は更なる発達を遂げ、E.T.の親戚みたいな顔になるとのことだった。しかし、進化とは必然性を以ってなされるというのが主説であり、そうであるならばどんどん楽な暮らし、即ちは脳を使わなくてもよいような生活を手に入れつつある人類の脳は、少なくとも一般的に言うところの「脳を使う」という観点において退化し、「楽をする」という観点において進化するようになったりするわけで、詰まるところそれは欲求とか欲望とか所謂本能であって、即ち、ヒトはやがてケモノに向かったりするんじゃなかろうか。ヒトの将来はE.T.もどきではないのかも知れない。少なくとも、今日の花火大会で見かけた若い輩の脳で私より進化していると思えるのは一つとして無さそうだったけど。

7月18日 街
電車内にて某英会話スクールのポスターが掲示されていた。内容は英会話が出来ればハワイもニューヨークもロンドンも私の街とか何とか。…ハワイは州か島で、街じゃないと思ふ。

7月4日 選択肢
飲食店にはよくデザート・セットやドリンク・セットがあって、それぞれを単品で注文するよりはお安くなるような価格設定がなされていたりする。裏を返せば、それでも利益が出るような値段設定なのだな、ということにもなるのだけど。まあ、それは置いておくとして、私が常々気に入らないのはデザートにせよドリンクにせよ、妙に選択肢が限られていたりする点。メニューにはずらずらとデザートやドリンクが載っているのに、セットになるとデザートは2つか3つから選べとか、ドリンクは紅茶かコーヒーのどちらかだとか、そういう縛りが何だか騙されている気分にさせるような気がするのは私だけか?デザートにプリンじゃなくてショーとケーキが食べたかったり、ドリンクにカフェ・オ・レが欲しかったりするときだってあるし、むしろそういう場合の方が多いんじゃないだろうか。しかしながら、単品で注文したときの代金の落差を考えると渋々セットに甘んじてしまいがち。そんな中にあって、先日、横浜の地下のMiami Gardenは立派。イタリア料理店としてはかなり豊富な部類に入るデザートとドリンクのラインナップでありながら、セットメニューは全種類選択可能。カフェ・ラテでもカプチーノでもティラミスでもチーズケーキでも選び放題(注意:1種類だけ)。セットでじっくり迷える自由があるのを貴重だと思わなければいけない世間のせせこましさこそどうにかして欲しい。

6月6日 やばい
花火を見に行ったら、私たちの後ろに立っていた女子校生の類と思しきグループのうちの特に一人が何だかやたらとうるさくて閉口。「何これ、やばくない?やばいよ、まじやばい」とか何回となく言ってた。やばいのは自分の頭じゃないのかとか思ったりはしてませんのことよ。言語的表現能力が若干不足していて、状況把握能力と説明能力に破綻を来たしていらっしゃるだけだと思っただけで。

5月31日 臭力
朝、電車に乗って座っていたら、隣におばさんが座ってきた…かと思うやいなや、強烈な臭いが私を襲い、思わず「げぇ」とか言いそうになった。その臭いは恐らくは化粧品ないしは香水由来なのだろうけれど、どういう調合をするとそんな臭いになるのか、そしてどれだけの量を適用するとそれだけの発散力を有するのか、とにかくとんでもない威力で、いつでもどこでも眠れるが身上である私をもってさえ、眠気を跡形も無く粉砕されてしまった。タバコの分煙みたいに臭いを分ける訳にもいかないから、ますますたちが悪い。PSEとかで電源ケーブルを取り締まってる暇があったらこういうところを何とかして欲しいというか、取り締まるべきだ。

5月6日 おサイフ
DoCoMoが絶賛推進中の「おサイフケータイ」ことFelica機能付き携帯電話だが、片仮名が多いと何だか頭悪そうに見えるような気がするのはともかく、少なくても私の周囲ではあんまり積極的に利用しているという話を聞かないし、積極的でなければいけない理由があんまり見当たらないような気がしてならない。キャッシュレスを標榜しているものの、クレジット・カードが米国ほどでないまでも相当に普及している現在、キャッシュレスという要素は目新しいとは言い難い。加えて、既存のクレジット・カードやデビット・カードのインフラとの互換性があるわけではなく、故に対応している店舗数も実に少ない。クレジット・カードとの棲み分けという点から見ると、Felicaは小銭代わりというスタンスになっているようであるが、よほどの小銭嫌い以外にはあまり利便性は感じられないんじゃないだろうか。などと散々に言ってみたが、ある日、ふとこの手の機能が大活躍できそうな場面を思いついたりした。それは、ポイント・カード。各店でばらばらに発行されるポイント・カードをFelica一つにまとめられれば、財布の中に大量のポイント・カードを抱えずに済み、大変便利ではないか…と思って調べたら、世の中には同じことを考える人が多いようで、ビックカメラやヨドバシカメラ等でそういう構想が既に実行されつつある模様。とか言っている自分が使っている携帯電話にはFelica機能がついていなかったりする。

4月9日 誉められ上手
およそ人様に誉められたような人生を送っていないような私であっても、時折お褒めに預かることがあったりする。が、はっきり言って誉められるのは苦手だ。誉められたとき、人はどう応じるべきなのだろうか?肯定すれば、何やらふてぶてしい自信過剰野郎に見えなくもないような気がするし、否定すれば、自分を誉めるに値すると評価した相手の評価能力をも否定するような格好になるような気がする。どっちに転んでも誉められた側が損するような気がしてならない。

3月9日 ヴァー
テレビを見てたら、「シリコンラヴァー」とか出てて一人で苦笑。シリコンの恋人か?それはそれで世の中に実在しそうな気がしないでもないが、そんな番組じゃなかったことは確か。

2月7日 目ぢから
某アイドルの影響かはたまた大きなぱっちり二重の目に対する信仰からか、巷ではやたらとアイラインとかごってり塗ったゾンビ風にも見える顔立ちが大流行だ。幸運なことに、かどうかは知らないが日本人としてはかなり目が大きい部類に入る私としては、目が大きいとゴミは入りやすいしコンタクトは乾きやすいどころかソフトレンズなのに落ちたりすることもあるしでそれほど嬉しいことでもないような気がしないでも無いのだけど、目の周りにあんなにみっちり塗りたくって眼に悪く無いのかとか余計なお世話な心配をしてみたくもなったりする。ちょろりと調べてみたところ、やっぱりあんまりよろしくなくて、例えば目薬を入れたりするときに溶け出したりする模様。往々にしてそうやって目の周りを頑張るのは元々目が、極端に言えばしょぼしょぼな方なのだろうから、点眼時に目の周囲に被液する確率はむしろそうやって頑張っている人の方が高いという少々皮肉な状況のようである。加えて、メイク自体もさることながら、それを落とすための洗剤が目に入るという事態もあるようで、目薬や涙ごときでは微動だにしないようなメイクは逆に落とす際に界面活性剤のリスクが増大するという二律背反が待ち受けているらしい。そこまでのリスクを犯しているというのに、こんなところでゾンビとか言われてる程度というのも何だかなぁ。無理矢理見方を変えるなら、歌舞伎風メイクと取ることもでき、つまりは日本古来の伝統は未だに世俗界においても息絶えず受け継がれているのだと好意的に捉え、外人向け日本紹介雑誌とかにそういう見出しで載せるといいんじゃないかとか思ったり。それで外人も渋谷と京都や浅草の間にもしっかりとした繋がりがあるのだと納得してくれること間違いなし。

↑2005年

↓2004年

10月27日 そろそろア○ランス?
最近、少し白髪がちらほら出てきた。それはともかく、昨日、テレビで見かけた某ジャ○ーズ事務所の人気グループSM○Pの草○君の額の後退ぶりはちょっと来すぎてる。数年後には江頭2:50並になりそう。アイドルはいつまでアイドルでいられるのか、という命題において興味深い素材になりそうとかいったらファンに殺されるか?

9月21日 提案
携帯電話が世に浸透してから既に数年が経過しているというのに、そのデザインは驚くほどヴァリエーションに乏しい。ストレート型、フラップ型、折りたたみ型、回転型…新機種といっても似たり寄ったりのデザインにちょろりと機能が増えたか減ったかしたくらい。auのInfobarやDoCoMoのPreminiのように逆行するかのようなシンプルなデザインやサイズで話題になる機種はあるが、裏を返せばその程度で驚かれるほど、世の携帯電話は似通ったデザインのものばかりということに他ならない。というわけで、どこかの携帯電話メーカーで飛び出しナイフみたいに本体からディスプレイが飛び出てくる携帯電話とか作ってくれないかなぁ。それも、私が今使っている携帯電話が壊れる前に。

9月12日 本格派?
Disney Storeに行ったらHalloweenに絡めてか、店員さんの多くが頭にぷらぷらしたコウモリの飾りをつけていた。ふと一人の店員さんを見ると、驚いたことにドラキュラ風の牙まで口に仕込んでいた。接客しにくいだろうに…と同情しながらよく見たら、単に歯並びが悪いだけだった。失敬。

7月29日 エステティック
某メンズ・エステの広告、ひげ脱毛の宣伝なのに載ってる某David Beckhamの写真は無精髭ばっちり。…どうしたいのだ?

7月13日 律速段階
SUICA導入で改札の出入りがスムースになったのはいいとして、基本的に世間一般の人たちの歩行速度は遅すぎる気がする。階段とか牛歩状態。ちゃっちゃか歩けばもっと通勤時間が短縮されて通勤時の疲労が軽減され、結果的に仕事に割く体力が増えて能率が上がり、経済も活性化したりするんじゃないかとか思ったりするのだけど。具体的には1.5倍くらい早いと私には丁度いい。

4月17日 大丈夫?
大阪府食肉事業協同組合連合会を略すと「府肉連」なのだそうだ。響きが「腐肉連」にも聴こえてちょっといやんとか思ったりしないでもない。

4月13日 捕らえ捕らわれ
中東の方で誘拐事件発生。犯人の要求は自衛隊撤退。人命尊重し、すぐさま自衛隊を撤退させるべし。…本気かよ。危険なところへ自ら進んで行って、更に危険性の高い行動を取って、危険な目に遭ってりゃ世話ない。この話を自衛隊を派遣すべきだったかどうかに結び付けるのも筋違い。事件後に自衛隊が取るべき行動とかになると別だが。とりあえず、人道支援が目的で現地に派遣されているのだとしたら、犯人の要求は筋違いも甚だしいわけで、撤退するより説得するのが本筋。戦争しに行ってるんだとしたら捕虜を3人取られたくらいで撤兵するような軍隊がどこの国にある?というか、これで撤退するようじゃ人質事件はことごとく犯人の言いなりにならなきゃならんくなる。撤退を切望してる被害者家族とか、その前にそもそもイラクなんぞに行くのを止めてやればいいじゃないかとも思う。

3月29日 行き先は?
「横浜線」なのに横浜まで行かないってのが解せない。というか、新横浜から横浜まで地下鉄なら乗り換え無しなのに、JRは東神奈川乗り換え(たまに横浜線が横浜まで行ってくれるときを除く)。JRは商売する気が無いのか、地下鉄に遠慮してるのか、単にやる気が無いのか。JRの職員はJRに乗ったりしないのかも知れん。

3月18日 クーペ?
朝のラッシュ時間帯、並行して走る東海道線や京浜東北線をごぼう抜きして突っ走る京浜急行線。通過駅を猛然と突っ切ったり、まことに頼もしい限りなのだが、ラッシュ時の鬼のような混雑に2つドアの快特車両がやってきたりするのはどういうことか。しかも、予告無く。その度に3つドアのつもりで並んでいた人が左右のドアに殺到し、乗降者数の多い駅なんかではドア付近はカオスが渦巻いている有り様。何より、これが最新車両というのが理解しがたい。山手線なんて壁よりドアの面積の方が大きいくらいになっているというのに。日本の通勤事情までごぼう抜き。しかも逆向きに。

3月17日 バトル
「首都高バトル」に続いて「街道バトル」なるゲームが出ている模様。続けて出して欲しいのは「街中バトル」。そこいらの町内の路地まで完全再現して疾走。1丁目の田中さんの塀に車をぶつけると田中さんが追っかけてきて捕まると弁償させられるとか、馬力のある外車で走ってると道幅が足りなくてつかえるとか、実は2輪車が最速だったりとか、下手すると徒歩でもいい勝負とか。結構、面白いと思うんだけどなぁ。

2月7日 うらめしや?
昔、暗がりで顎のあたりでライトをつけて顔を照らすということをやったものだけど、実は最近、密かにそれが世間で復活していることが判明した。夜道を歩いていると、前方より下から照らし出された女性の顔が!!…携帯電話の液晶バックライトで照らされていたのだった。

1月11日 提案
というわけで、今年初の「言いたい放題」はエスカレーターに関して。当たり前のことだがエスカレータに乗るだけよりエスカレーターで歩いた方が速い。というか、通常の上下階への移動動作では最速だろう。ところが、エスカレーター上で静止した場合、必ずしも階段より速いわけではなく、私のように普段から歩行速度の比較的速い人間だと圧倒的に階段の方が速かったりする。勿論、体力の節約という利点はあるものの、輸送効率という意味では疑問符をつけざるを得ない。現に、混雑する駅などで利律速となっているのがエスカレーター近辺であることをしばしば目撃している。詰まるところエスカレーターが通常の倍の速度で輸送を行なえば現在の通勤地獄の一部が大幅に緩和される可能性があるということなのだ。特に、同じ方向に二つ以上のエスカレーターを備えている場所などは片方を倍速にすることを積極的に考慮に入れるべきであろう。これによって年寄り・子供には優しい環境を保ちながらも輸送効率の大幅増強が見込め、移動時間の節約からより効率のよい労働環境の整備、販売消費の促進などなど飛躍的な経済活性化が期待される。更にはスピードアップしたエスカレーターに乗るために一般市民の動体視力が強化され底上げされることでスポーツ競技においても長期的な視野でのレベルアップが期待できる。まさにいいことづくめ。とりあえず、各エスカレーター・メーカーは明日から自社のエスカレーターの速度を1.1倍くらいに引き上げてみるのがいいだろう。そうやって様子を見ながら最終的に3倍程度にまで上げられれば日本は他国とは一線を画した圧倒的な機動性とそれに伴う様々な恩恵に与れるのである。今年も最初から有意義すぎる提案をしてしまった。

↑2004年

↓2003年

11月7日 非常事態発生
世間で増えてるIP電話。でも、TAの電源を落としたら使えなかったりしないの?停電になったら?まあ、携帯電話が普及しているから問題ないのかも知れないけど、そう言い出したらそもそも固定電話なんていらないね、という話になってしまう。私は固定電話の方が好きだけど。

7月3日 お願い
電車に乗れば必ず一度は聴くことになる「車内での携帯電話のご使用は〜」のアナウンス。コンサートへ行けば「電源をお切り下さい」と来る。しかし、電車に乗っていて携帯電話の着信音が鳴らないことは無く、コンサートだって数回に1回は着信音がホールに響き渡る。日本人の語学力の無いことは既に広く知られたことだが、どうやら日本語も理解できない輩でこの国は溢れている模様。要するに使う連中のかなりの割合がそんなお馬鹿なのだから、そいつらにマナーを期待する方が間違っている。だったら、マナーは守られないものという前提にすればいい。即ち、着信音なんて最初から鳴らないようにすればいいのだ。バイブレーションのみで十分。そもそも、携帯電話と固定電話では同じ電話というだけであって、使用される状況は全く異なるのだから、同じ機能が必ずしも備わっている必要は無い。例えば、固定電話にバイブレーション機能なんてついていないじゃないか。逆に、固定電話では当たり前の着信音も携帯電話という個人によって持ち運ばれ、身近に置いておかれることが前提の電話では必ずしも必要ないはず。必要になるとすれば、携帯電話を携帯しない状況、例えば帰宅して携帯電話を机の上なんかに放り出しているときくらいだろう。その状況で着信音が無いのは困るかも知れないが、対策はいたって簡単。充電スタンドにスピーカーつけておけばいい。大してありがたくもない機能を無駄に増やす暇があったら、こういう根本的なところをどうにかしてほしいし、すべきだと思う。一般ユーザーってのは馬鹿でマナーも最低なんだから。

7月1日 飄々と
ここのところ、職場でよく、「いつも楽しそうだよね」、「しんどそうにしてるの見たこと無い」と言われる。内心では「ろくでもない仕事振ってきやがった〜」と苦々しい思いでいたり、夜更かしし過ぎてしんどかったりすることはあるのだけど…。実験が常に順調かと言われれば、そんなことはあるはずもなく、むしろ「どうすんだ、このデータ?」と頭抱えたくなること再三。しかし、頭を抱えたところで何かが始まるもんでもないので、とっとと検証するための実験を組んだりするだけのこと。しんどそうにしてる暇なんて無いですよ?あんまり関係無いが、先日の発表の講評で「簡単にできてしまっているように聴こえる」というのがあった。上司は失敗の話なんかもしたら頑張ってるのが伝わるのでは?と言うが、そんな汗まみれみたいな報告はようしませんな。プレゼンってどれだけ頑張ったかを発表するんじゃなくて、何が得られたかを発表するんじゃないの?言い訳だらけのプレゼンなんてみっともないよ。…自分への自戒も込めて、だが。

4月27日 出戻り
世間じゃレコード会社やRIAAがあの手この手で違法コピーやネット配信・交換を止めようと躍起になっているご様子だが、完全に止められたとしても売上は大して回復しないに50000点。世間では既に音楽はただのファイルとして取り扱われているに過ぎず、そこに「音楽」としてのジャンルの存在感は極めつけに薄い。コピーその他を止めて「音楽」を保護したつもりでも、もはやその中には何も無いに等しい。そういった人々は他の遊びを見つけてそれに勤しむだけ。同時にそこにはレコード会社等の既得権を守ろうという意識しか感じられない。新しい価値を生み出すことを忘れた企業には下降の一途を辿る道しか残されていない。というか、他にやることないのか?

1月15日 鶏が先?
電車の中で鳴り響く携帯電話。「ごめん、今、電車だから」…じゃあ、出るなよ。というか、切っておけよ。マナーを守ってるふりだけで実は守れていないことに気付け。

1月13日 教育を考える
電車の中で、缶入りのウィスキー(?)を飲みながら教育について熱く語るおっさん4人組。「〜だから、うちは中学も私立に入れたし、高校も私立…」と熱弁をふるう。でも、私は知っている。駅で電車に乗るとき、この4人が私の前に割り込んできたことを。まず、自分たちの教育からやり直したまへよ。


↑2003年

↓2002年

12月3日 お名前は?
スーパーのレジで店員さんの名前が「たかすぎ」だったりすると買う気が失せたりするのは私だけですか?

11月21日 もういくつ寝ると?
皆、落ち着け。あと一ヶ月ちょっとでクリスマスなのは分かる。でも、何か勘違いしてないか?クリスマスはマリアがキリストを生んだ日であって、孕んだ日じゃないんだ。何を祝っているのか、今一度考えてみようよ、非キリスト教徒な日本人!

11月5日 正しい?携帯電話&メール作法
今まで北朝鮮人として生きてきたのを、いきなり「親が日本人だから」と「帰国」させられたんじゃたまらないだろうな。というか、「帰国」なのか、それは?一方的過ぎるやり取りには嫌悪感すら感じる。それはともかく。気が付けば私も携帯電話なるものを持つようになって半年以上。未だに使いこなせているとは言い難い面も多々あったり。とりあえず、我が家ではこんな風に活用されています。携帯に来たメール→家に帰ってからPCで返事を書きます。メールの着信音→夜鳴ると鬱陶しいので、年中オフ。マナー・モードの時のみ、1秒間震えるので着信に気付きますが、気付かないことも多かったり。携帯電話の着信音→音楽を聴いているときに鳴ると、「なんや、どっか近所でやかましい音出してるなぁ」と気付きません。充電池→完全に消費するまで充電しません。よく出先で電源が入らなくなります。…何か間違ってますか?

10月31日 拉致り拉致られ
「家族に会いたい」と言っているのに「帰国はさせない」…これはつい先日までの様相が見事に反転しただけに見えるのは私だけか?これで交渉が激しくもつれて状況が交渉開始以前の状態に戻った場合、同じ悲劇が丁度一つ下の世代で繰り返されることになるのではないだろうか。それぞれの自我と思惑が激しく交錯、衝突する様子があまりに生々しくてちょっと嫌だ。

10月25日 監視の目
日本へ一時帰国して政府の監視・盗聴から開放されたと評判の拉致されてた方々。代わりにマスコミの監視下にいる模様。本人の意思と無関係に永住帰国見解に喜ぶ親戚とか、どこもかしこも自分しか見えてない気すらする。本人はいざ知らず、翻弄される子供や伴侶はたまったもんではないんじゃなかろうか。民放各局の報道の偏り具合は、特定の視点からのみの報道が洗脳の可能性を秘めていることを示しているようで何やら背筋が寒い思い。

10月23日 安心
うちの会社のエレベータ、中にこんなシールが貼ってあります「このエレベータは停止しても酸欠になりませんので、安心して救助をお待ち下さい」…ええとですね、救助を待たなきゃな状況の時点で安心できないと思うんですが。とは言え、「酸欠になりますから不安になってください」とは書かないか、普通。

9月17日 夢か幻か
下の恵ちゃん、寿降板するらしいですな。最後に華を持たせた格好なのかな?それはさておき。インターネットの海をさまよっていると時折目にするのが、「ネット世界」に対比させて使われる「リアル」という言葉。裏を返せば、「ネット世界」=アンリアル、即ち非現実ということか。これって心底おかしいと思う。確かに、ネット上なら別の人格を築くことも、他人を装うことも、嘘を書き連ねることも可能だ。でも、それでもそれは現実以外の何物でもなくて、夢の中なの話ではないし、虚構であっても幻影ではない。ネット世界は仮想空間上のヴァーチャル・ワールドではない。こういうことを以って人はまさに現実逃避と呼ぶのではないだろうか。

8月22日 最近のアナウンサー事情
社会人になってからというもの、すっかりテレビと縁遠くなってしまった。時間が無いとか、パソコンに向かう時間が長いとか、パソコンに向かっているとテレビが見えないとか、そもそも部屋の入り口側からはテレビを見ることすらかなわないとか、メインのオーディオに繋がっていないとか、新聞を取っていないから番組表が無いとか、いちいち各チャンネルのサイトでチェックするのは馬鹿馬鹿しいとか、第一ここでは必ずしも番組表通りになっていないとか、ローカル局のサイトまでチェックするのかとか、全知全能を振り絞ってもテレビを見たい気分を捻り出すのが困難だったり。というわけで、朝の「めざましテレビ」の7時以降と「とくダネ」の冒頭で我が家のテレビの一日の仕事はほぼ終了。たったこれだけの仕事しか与えてないのに、その最中に電源スイッチの接触が悪いのか、時折瞬間的に電源が落ちる。しかし、たったこれしか見ないのに買い換えるなんて愚の骨頂。今ならもれなくCDを替わりにお買い上げ間違いなし。そんなことはどうでもよくって、問題は恵ちゃんだよ、恵ちゃん。今週はなっちゃんが夏休み中らしいが、その代役が恵ちゃんって、一体?フジは自分のところでアナウンサーを山のように抱えているくせに、何故に恵ちゃん?そう言えば、去年、BSでスポーツ番組の司会もやってたっけ。女子アナ旋風が一段楽した今、フジは新たにお天気お姉さん旋風を巻き起こすつもりなのか?スポーツ・ニュースの司会まで務めている梅津が恵ちゃんの「代わり」で一コーナーの担当になっているあたり、なかなかどうして複雑な感じだ。笑顔で「次は占い〜」とかやっている裏では壮絶な火花が飛び散っているのかも知れない。…なんて思いながら見ていると朝からちょっと楽しい気分になれます。週末をまたいで、全てが元の鞘に収まるすっきりした様子と見比べてみるのもまた一興。個人的には「めざまし」の空気にあっという間に染まっていっている、出始めの頃は異常な固さを見せていた現お天気お姉さんに一票。…やっぱり、「やれ」って言われるんだろうね。というわけで、新しいお天気お姉さんは知っていても今年入った新人アナウンサーとかまるで見たこと無い。

8月19日 走れメロス
東京を一歩離れると日本が車依存社会であることを身に染みて感じたりするのだが、目下車を所有していなければ、購入の予定も無く、その意思すら無いというのは時代に逆行しているのだろうか?ことあるごとに「車が無いと不便でしょう?」、「車が無いと遊びにも行けないじゃない」、「車、早く買ったほうがいいぞ」などなどと言われると、天邪鬼の虫が「買うな買うな」と腹の中で騒ぎ立てる。実際問題、今現在、車が無くてさほど不便であるという思いは無い。考えてみれば、平日は寮と会社の往復は徒歩だし、買い物だって自転車で行ける距離である程度のものは、少なくとも日常生活に不自由しない程度には、揃う。徒歩で行ける範囲でもまあ、何とかなる。遊びに行くと言っても、だ、こんな田舎でどこへ行けば遊べるのか是非教えていただきたいもので。冷静になれば、この辺りでうだうだやっているくらいだったらとっとと東京まで出てしまった方がよほど遊べる。一体全体、他の人々はこんなところで何をして遊んでいるのだ?というわけで、どう考えても車を買っても活用されない可能性が非常に高い上に、維持費その他を考えたらそんなところにお金を使っている場合じゃないという結論が極めて論理的に導き出されるわけで、当分車は買わないと思う。…大体、自転車が趣味って時点で車なんてお呼びじゃなしれい。

8月16日 補足
一昨日に限らず、何度か「結婚する気無し」みたいなことをサイトのあちらこちらで書いているが、別に結婚自体を否定するつもりはない。実際、自分の周りで結婚する人がいれば素直にお祝いするし。ただ、それは「決断後」の事象だから。自分にとってはそれより前の段階から考える話なので、勝手が違うのはむしろ当然。だから、自分のこととしてはやっぱり否定的。

8月14日 推薦
最近、会社のパソコンの壁紙やスクリーンセーバーを自作(と言っても素材はネットから拾ってきただけ)のAvalon壁紙やスクリーンセーバーにしたりしているんだが、さすがに目に付くらしく、先輩方に「そういうの、結婚したら買えないよ〜」などと言われたり。これに限らず、「結婚すると大変だよ〜」みたいな話は事欠かない。でも、そう言いながらも「結婚はしないの(←相手は?)?」とか同じ人に訊かれたりすることに激しい矛盾を感じるのは私だけか?そんなに大変とか墓場とか言ってるのに、何故人に薦められるのだ?「こないだ買ったCD、ひどいゴミ演奏でさあ、君も買ったほうがいいよ」…こんなこと言うか?どこをどうとっても世間一般で吹聴されているのを聴く限りにおいては結婚はしない方が得策という結論が出されているように思えて仕方が無い。きっと、私に内緒で利点について山のように話しているに違いない。いいもん。

7月23日 コロンブスの卵
テレビを見ていたらダイエット食品のCMで「カプサイシンより新しい」という謳い文句にちょっとひいてみたり。効果があるかどうかはおいておいて、とりあえず新しいだけらしいですよ?このキャッチフレーズに惹かれて買っちゃうような人とはお近づきになりたくないなぁ。それはともかく、この食品に限らず、この手の製品って他のCM同様、そこそこ綺麗な人が出てる(好みはあるだろうが)。ここのポイントは、彼女たちはその食品を飲んで痩せて綺麗になったからCMに出られたわけではなくて、そもそも痩せて綺麗だったからCMに出られたということ。それ以前の問題として、こんなものに頼らないといけない時点でそういうCMに出るのは無理(VAAMの高木ブーは例外)。もっと以前の問題として、こんなものに頼ろうという安易な考えな時点でダイエットなんて向いていない。ダイエットなんてそもそも収支の問題でしかないんだから(食べた量−消費した量)、変な小細工なんてするだけ無駄。というより、そこで収支式を無理に崩すようなことをして身体にいいわけがない。痩せたきゃ動け。

7月18日 日本の将来を考える
先日、東京で遊んだ帰りの電車内にて、時間も遅かったせいか、ちょっと飲み過ぎな感じの男が連れの女性(多分、彼女なのだろう)といちゃついていて、それがドアのそばに立っていた私の丁度正面にあたったため、目のやり場にやや困った。酔っているとは言え迫る男のろくでなさったら無いが、拒否しない女性だってそういう意味じゃ同じくらいろくでもない。で、ろくでもない同士で子供を作ったら、遺伝子的にどうこうとか言う以前に環境的にろくでもないことが決定してしまっている以上、やっぱりろくな育ち方はしなさそうだと思うのは不自然な考え方だろうか?そして、ここからがポイントなのだが、素直に、且つ確率論的に考えれば、そういうカップルの方が子供を作る確率が高そうだと思うのだが、どうだろう?つまりだ、生物学的に考えるなら、そういう人が生き残る率の方が高いという計算になる。なるほど、日本の景気がちっとも良くならないわけだ。

6月30日 基礎用語?
いつからサッカーの観客をさぽーたーって言うようになったの?いつからサッカーをする場所をぴっちって言うようになったの?いつから入れると点数が入るところをごーるまうすって言うようになったの?…サッカーってよく分からない。

6月17日 俳優への道
昨日の帰りは新幹線だったりしたせいで、恐らくは遠距離恋愛でもしているのか、あるいはこれからそうなるのか、といったカップルが出会いと別れの交差点を新幹線の出入り口の向こうとこっちで演じていたりでなかなか見ものだった。抱擁なんて序の口で、キスしてたり、泣き出しちゃったり(泣くくらいなら止めれば…とか言っているとまた「愛が無い」と言われるな)、窓越しに携帯電話で話していたり(←割と賢いな、と思ったり)と様々な愛の形が見え隠れ。そこかしこに繰り広げられるプチ恋愛ドラマ。しかし、現実はなかなかどうして厳しくて、それでもやっぱり皆が皆、松島やきむたくになれるわけではないわけで(どうでもいいが、私はどっちも好きじゃない)。なかなか見ていて苦しいカップルもそれなりの数いらっしゃったりして、これを略して人は「見苦しい」という言葉を口にするのだな、と一人で得心してみたり。それどころか、「デ、デ○専?」と思わず目をむきそうになってしまったりするケースもあったり。これは何やら珍しいものを見た気がするが、どうして得した気分にはならないところが面白い。ブラウン管のこっちと向こうは随分と近くなったような気がしていたが、いやいやまだまだ遠いみたいですよ。こうして考えると、俳優が稼いでいるのも妙に納得できてしまう気になれないでもないこともないような気がするようなしないような。皆が俳優になれればテレビ・ドラマなんて必要ないわけで、そういう意味でもやっぱりフィクションの世界なのだなぁ。

6月10日 判断
昨日は勝ったから良かったようなものの、負けていたりしようものならまた騒ぎ出したに違いないのが審判の問題。ベルギー戦の翌日なんて何度「あれはおかしいよなぁ」という言葉をテレビで職場で聞いたことか。挙げ句の果てには「あの審判、絶対にベルギー寄りだったよ」…。先日のベルギー戦、昨日のロシア戦、皆さんは一体どちらを応援しておいでだったのでしょう?私みたいな天邪鬼はさておき、大方日本を精一杯応援していらしたのでしょう。つまるところ、その観戦の目は既に日本の応援、平たく言えば日本びいきあるいは日本寄りの強力なフィルターがかかっていたことは疑いの余地の無いところで、そんな強烈なバイアスのかかった状態で公平さを量ろうなんてちゃんちゃらおかしいと思うのは私だけ?…あんまりいないだろうな。昨日のロシア戦とて割と微妙な判定があって、「負けたら文句言い出す輩が出てくるんだろうなぁ」とか思って見ていたのだけど、まあ、勝ったのをいいことにそういう些細なこと、そう、ベルギー戦の判定としなて全体から見れば些細なこと、を気にしない都合のよさが何やら安っぽい感じがしてならない。ついでなので言ってしまえば、一度や二度の判定くらいで勝ち負けが覆るなんてはなから弱っちいということに他ならないわけで、仮にも応援しているチームをそんな風に貶めちゃうのはいかがなものかと思うにやぶさかではない今日この頃。そう言えば、今日の朝日新聞の夕刊のコラムにロシアでの暴動の話が載っていたな。ベルギー戦の判定については何か書いていたのだろうか、いや、書けたのだろうか?

6月5日 衛星
ふぃ〜ふぁ・わーるど・かっぷが始まったらしいですね。何だよ、ふぃ〜ふぁって?それはともかく、昨日も含めて主要な試合は大体地上波で見られるんですな。…駄目なんじゃなんですか、BSデジタル普及委員会的には(そんな委員会があるのか?)。地上波でも(一応)見られるものをわざわざ衛星で見るほど皆さん酔狂じゃあるまいよ。思い切ってBSデジタルのみ!とかにすれば嫌でも皆さんチューナーをお買い上げになって、一気に普及率大幅上昇間違い無しだったのに。…私は買わないけどね。民放も巻き込んで宣伝活動に余念が無かった割にはそこで一歩踏み込めなかったのは、あとあと響いてくるのではないかと思わないでもない。

5月20日 出会い
サイトを開設したりしている関係上、時折コンピュータ・ウィルスがうちへもやって来たりします。大抵は途中ではじかれたり、すり抜けてきてもOutlookを使っていないので関係なかったりすることが多いんですが。そんな中で珍しいところからやってきたのが一匹。どうも、いわゆる「出会い系」サイトのメアドっぽい。…ウィルスと出会わせてどうするのだ?タイトルもそれっぽくて、一瞬、意図的なものかと疑ったくらい。やれやれ。

5月18日 新サービス?
駅で降りて、ホテルに戻る途中、「お兄さん、マッサージお願いします」とか声をかけられた。…お願いしますって。何ですか?肩でも揉んでさしあげればよろしいので?しかも、お金払うのはこっち?…どんな商売だよ。

5月7日 へこんだら…
CMでおなじみの「へ〜こんだぁら、かーこん、か〜こんびにくらぶぅ〜」で心のへこみは直せますか?…とか少し前に思いついたのを今になって思い出した。別に深い意味は無いです。

5月2日 聞かせたいの?
いつだったか、誰にだったか「アメリカって黒人がラジカセを担いで音楽をかけながら街を歩いているイメージがある」というようなことを言われたことがあるけど、あたり構わずいわゆる「着メロ」@「着陸失敗でメロメロ」の略ではないらしいを鳴らしている輩の皆様はそれと大差ないんじゃないかと。しかも、そうやって鳴らして連れに聞かせている輩に限って、珍しくも何とも無い流行りの曲だったりしてますますげんなり。わざわざ聞かせるほどのありがたみなんて無いじゃん。っていうか、音、しょぼすぎるし。それ以前の問題として、それらの輩の皆様が鳴らしておられるのは他ならぬ着信音なわけで、用も無いのにぴろぴろ鳴らされるのは無関係な周囲の人間にしてみればちょっと後頭部に軽くソバットを入れて差し上げたくなる衝動に駆られかねない程度に鬱陶しいわけで。…誰か取り締まれよ。

4月2日 行方
研究会なんてのものを通して得た結論。人がある程度集まって議論しても、案外当たり障りの無い、安直でつまらない結論しか出ないことが多いみたい。そこで、ちょっと風変わりな方向に持っていってみても、今度はついて来られない人が出てきてしまう。…難しいねぇ。ちなみに、私はそれでも遠慮なく詰まらないと思ったら正直に「それじゃ詰まらない」と言ってしまっておりますが、何か?

3月30日 芸術?
「ミスタッチですら芸術的」とか言われていたのはCortotだったか。というわけで、当サイトにおきましても誤字・脱字は全て意図したものであり、内容の一部であります。ご理解の上でご覧くださいますようお願いいたします。…でも、こっそり教えてくれると嬉しいです。

3月28日 強力な協力?
先日、地下鉄に乗ろうとホームへ向かっていたときのこと、ホームの一部が工事中で、こんなことを書いた看板が置いてあった:「工事中につきご協力をお願いします」。…え〜と、何をご協力いたせばよろしいのん?つるはし担いで穴を掘ったり、ドリルでがりがりやったり、落とし穴を作って客を落っことしたりすればよろしいのん?…かなりはしょった書き方だけれども、そのはしょり方自体に問題があるように思われるんだがどうだろう?

3月27日 記憶術?
私は短期的な記憶は普通よりはいい方だと思うが、長期的に覚えるのはからっきし。とは言え、人生、時にはしばらく覚えていないといけないことがあったりもするわけで、「できない」とばかりも言っていられない。「書いておけばいいじゃん」という意見もあるが、中には書こうにも言葉にするのが難しい場合もあったりするわけで、ましてや私の表現力で書けるものなんて知れている。というわけで、結局どうしても覚えておかないといけない事態というのがやはりあったりするのだけど、どう記憶に留めたものかと思案に暮れてみたりした今日この頃。で、私なりの結論としては、次の二つに落ち着きそう。まず、記憶を上書きしないこと。性格には上書きされるのではなくて、新しい情報の後ろへ古い情報が行ってしまうのだと思っているのだけど、とにかく、古い情報が必要以上に古くならないように気をつけるということ。で、二つ目はこれと絡めて、思い出すこと。新しい情報によって古い情報が記憶の後ろの方へ行ってしまうなら、引きずり出してしまえばいいという単純な考え。これでしばらく行ってみようと思う今日この頃。…何をそんなに頑張って覚えていないといけないのかはあまり気にしないように。

3月23日 ニュース
日本の民法のニュースとワイドショーってどこが違うんだか判然としない。いつからだろう?少なくとも、私が日本に帰ってきた頃からそういう傾向だったけど、最近になってそれが一層強くなったのは特に朝のニュースなんかを見ると顕著だと思われる。ニュースとは全く無関係な占いやら心理テストやら(果ては手品とか)が所々に盛り込まれていて、気分はヴァラエティー番組。でも、肝心のニュースはというと、どこも大して変わらない。その雰囲気を作り出している要因の一つが複数のキャスター(アナウンサー)の起用。複数人が入れ替わり立ち代わりニュースを読めば、番組としての(ニュース伝達の)個性はむしろ薄まるのは自然の成り行き。各人の持ち時間が限られ、スタンド・プレーに走れないとなればその傾向はさらに強まるし、そういった能力自体も伸びない。アメリカのニュースはCBSにしろNBCにしろCNNにしろ、とにかく一つの話題にかける時間が長い。そして、その長い時間を十分すぎるくらいに使い切れるだけの能力とセンスがキャスターにあって、逆に言えばそれができなきゃキャスターなんて勤まらぬのだろう。だから、どの局にもいわゆる「看板」キャスターがいる。先日、見た限りでは、メインのキャスターは私がかつてアメリカにいた頃と殆ど変わっていないようだったし。番組とキャスターの持つ地力が圧倒的に違う感じがした。ニュースが伝えられるだけではなく「表現」されていた。その点、日本ではとかく、セットを変え、キャスター(アナウンサー)を替え、番組名を変え、などなどとどうにかこうにか視聴者の気をひくのに懸命になるあまりに番組そのものがどんどん軽くなって今や羽毛ほどの重さもなくなっているんじゃないのかとか思ったり。ここ5年間で速報性以外のニュース番組としての主要要素が向上した形跡が見えないどころか後退の兆しすらあるように思えるのは私だけ?使い古されて擦り切れたような言い回しを壊れたレコードみたいに繰り返すことしかできないようなキャスターを置いておくくらいならアイドルのばったもんを置くというのもそれはそれでどうなのか、って気にさせられる。与えられた原稿を正しく読むだけならロボットでもいいんだし、ましてやそれすら出来ないんだったらニュースの意味が無いじゃん。今の民法に「表現」のできるアナウンサーって皆無だと思うし、フリーで売れているのは自分に酔っ払ったようなおっさんばっかり。この国はこれで大丈夫なの?

3月14日 写真
私は写真が嫌いだ。対象をある決められた方向から、2次元的に、それも視覚のみで捉えたものの癖に、あたかも全てを捉えたようなふりをするから。肌触りや温もり、香り、音…何も感じ取ることはできないのに。それは、音楽演奏と録音の関係にも言えるかもしれない。録音はあくまで演奏をある角度から、特定の志向性の下に切り取ったものでしかない。仮にも高級オーディオの世界に片足をそれも結構深く突っ込んでいるくせに何を言うかという気がしないでもないが、それはこういうことなのだと思う。私にとっての「良いオーディオ」はその切り取った面をよく見せてくれるオーディオ。それがどの角度で、どのような手段で切り取られて、どのように保存や化粧が施されたのか…これはもはや音楽演奏そのものとはまた別の次元の話で、だからこそオーディオそのものが趣味として成立するのだと最近実感している。切り取った面がよりよく分かれば、大元の演奏自体もよりよく掴めそうな気がしません?じゃあ、何故写真は嫌いなのか。そう、最初に述べた「ふり」が嫌い。あたかもそれで完結した世界を提示しているふりをしているのが嫌い。だから、観光地で一生懸命写真を撮っている人たちは私には記録に留めている「ふり」に見える。あなたたちが感じたものは本当にそれだけなのか?音は?匂いは?味は?触感は?温度感は?…眼鏡やコンタクトをしている人の数から察しても、人類にとって衰える一方に見える視覚にそれら全てを補うことを期待して、本当に大丈夫なのか?他の感覚だって怪しいものだけど…。

2月16日 署名
というわけで、親にサイトばれしてしまいまして、そのときに「名前出しているのはどうなの?」ということになった。そんなわけで本名載っけてサイト作っているのはよく考えると珍しい方なのか?と思ったりもするわけで。少し考えてみたけれど、やっぱり名前は載せたままの方針でいきそう。これまでに別段不都合があったわけじゃないし。元々大学の指針で載せるべきということになっているはずなので、大学のサーバを使っている以上、それに従うのが筋だというのが一つ。今回の親の場合もそうだったけど、昔の知り合いがふと検索をかけて見付かったりしたら面白いじゃない、というのが一つ。…ここまではその他大勢な理由でしかないのだけれども。結局、匿名で書くということにあまり魅力を感じないというのが一番大きいと思う。適当に読み流して頂ければ、時と場合とその日の気分で結構きついことを書いていることもあったりするのが分かるかと思うが、これを匿名で書いたのではただの陰口でしかなくなってしまう。自分が書くことに対する責任を取るという意味でも、また、書く際にそれを意識する上でもそこに自分の名前があるというのは少なくとも今の自分にとっては意味のあることに思えるので、当分はこのままでいくつもり。インターネットの世界は決して架空の世界でも幻想でもなく、あくまで現実世界の一部であるから。…適当なHandle Nameが思いつかないっていうのが実は一番の理由だったりもするのだけど。

2月11日 逃げ腰
コンビニで買ったサラダ@高いんじゃないの?についていたドレッシングの容器に、「開封時、中身がはねて衣服を汚さないようにご注意下さい」と書いてあった。…どうご注意したらよろしいの?要するに「はねてもこっちの責任じゃない」ってことだ。はねないためにはどうすべきなのかを書くと、そうやってもはねたときに責任が回ってくるからね。なかなか狡猾じゃないか。

2月9日 虐待
オリンピックで大盛り上がりのアメリカで「ロデオは動物虐待だ」と揉めてるらしい。…相変わらずなようで。とすると、闘鶏や闘犬もNGだろうな。おっと、そうしたらプロレスその他の格闘技だって人がやっているってだけで似たようなものじゃないか。意志を持って行っているかどうかの違い?…動物の意思なんて誰に分かるのさ?好戦的で戦うの大好きな馬や牛だっているかもしれない。可哀想だ、虐待だと騒ぐのは簡単だけど、それとて騒ぐ方が一方的に自らの意志を動物に被せている点では騒がれている方と大差ないのではないのか?「可愛いねぇ」と撫でられている猫が実は内心、「触るんじゃねぇよ、ぼけが」と思っていたら?ごろごろ喉を鳴らしているのがただの愛想だったら?…100%否定できる?女子社員の肩に手を置いただけで「セクハラ」と言われたりすることもあることを考えれば…。愛があればいいってものではなかろうよ。

2月7日 独り言
会えばまた会いたくなる。でも、会えなければもっと会いたくなる。…深読みしても、裏読みしても、何もありませんよ。ふっと思いついただけだから。

2月1日 守護神
外務省のどったんばったんが嫌な感じでとりあえず一段落したようだけれども、私が気になったのはその中心にあった3人の中にあって最も内外の評価に差がありそうな次官どの。何でも、「これで外務省を守れた」とか言ってたそうな。「守った」…誰が?何を?…その次に来るのは「何故?」のはず。守られる対象ってのは普通、弱いものや貴重な存在、即ち、失われては困るけれども失われてしまうことが起こりうる、そんなもののはず。か弱い女の子がマッチョマンを守ったり、点滴ぶら下げたお爺さんがシークレット・サービスだったりしたら変でしょう?外務省というところはそんなに脆弱なの?それとも、守られていなければできないようなことをこっそりやっているのかな?この「守った」発言、捉えようによっては結構厳しく突っ込めそうな気がするけど、どうなのだろう?

1月26日 命名
頭の悪そうな男女二人組を「バカップル」などと称しますが、ここに新たな定義を提唱したく思います。ちょっと体重のありそうな男女二人組を「ブカップル」と称しましょう。「ブカ」を強調気味に発音で。…電車の中で思いついて、何だか無性におかしかったのだけれど、こうして文章に起こしてしまうとさてどんなものか。イメージとしては、その男女二人組に服を借りた場面を想像しながら。…ほら、ブカっとなるでしょ?誰です、豚の「ブ」だなんて言っているのは?

1月23日 腕と道具
形から入るってのは基本だと思うし、道具にこだわるのは当然のことだと信じて止まなかったりするのだけれど、あくまでスタート地点として。今日、出掛けようと思ったら私の自転車の隣に結構いい自転車があって、「あ、いいなぁ」とか思ったのだけれど、ふと見るとハンドルに巻いたバーテープはぼろぼろ、チェーンは汚れて真っ黒…もったないなぁ。スタート地点を飛び出したら、形を自分のものにして、道具を手入れも含めて使いこなさないといかんよなぁやっぱり、とか思ったり。自転車ってチェーンを見ると9割方その持ち主による扱いが分かってしまうような気もしたちょっと暖かな冬の昼前でした。…と、珍しく柔らかく締めてみたのだけれど、どんなもんでしょ?

1月20日 受験必勝法?
お昼を買いに外へ出たら、既に昼休みなのか、受験生らしき人影がちらほら。こういうときに絶対いるのが、一生懸命参考書とにらめっこしてる人。経験的に、こういう人の方が落ちる可能性が高いような気がする。数少ない休息の時間にまでやらないと落ち着かないなんて、それは即ち、これまでの勉強に不足や不安を感じてるってことでしょう。…この時点で敗者確定とまでは行かなくとも、試験の風下に立ってしまっているのは間違いなし。第一、そんなに余裕のない状況で落ち着いて試験が受けられるか?考えても見よう。たかだか試験前の数分や昼休みの数十分の勉強にどれだけの意味がある?たったそれだけの勉強で成績が大きく変わるとしたら、それまでの勉強は一体何だったというのだ?私的には何も見ない、何も気にしないが一番だと思う。しかも、そうであることをこれ見よがしなくらいにするのが吉。周りにかえってプレッシャーを与えて、気の弱い奴ならそれだけで蹴落とせるかも。とにかく、鍵は余裕。余裕があれば問題も落ち着いて読めるし、名前を書き忘れたりもしない。余裕がなくなった奴から落っこちていくのだ。余裕を持つには自分を信じられないといけない。自分を信じられるくらいまで勉強した人ってのはそう落ちないものだよ。

1月15日 そこに愛はあるのか?
DNAを電気泳動する装置がありまして、製品名がMupidというらしいのが、最近新しくなったというパンフレットが研究室にあった。名前が「i-Mupid J」になったらしい。i-modeで携帯と繋がったり、i-linkでパソコンと繋がったり…はしないらしい。何でもiならいいのか?ついでに、Jは何だ?Japanか?突っ込み所満載過ぎるネーミングが研究室でちょっと受けてたり。電圧が選択できるようになったり、タイマーがついたりと使う側にしてみれば結構便利になってはいるのだけれど。…問題は、買い換えてもらえるほど頻繁にうちの研究室では使わないので、iもJも付かないのでやるだけってところか。

1月12日 美人の効能
美人は得だとよく言う。でも、それはその得した分に見合うだけのものを提供しうるから。例えば、オフィスに可愛い女の子が一人いれば、その娘を見たくて張り切って通勤する社員が増えるかも知れないし、格好つけたくて仕事を頑張る社員も増えるかも知れない。あくまで可能性の話。でも、面接官は新たに入れる社員が会社の将来に与える影響の可能性を見ているわけで、これもそのうちに入ることだってあるだろう。社会って案外シビアに計算高いものなのではないかな?「顔がいいだけで〜」というのを「顔がいいから〜」と言い換えてみよう。きっと、「まあ、そんなものだろうよ」と割り切れるはず。顔以外でも当てはまりそうではあるけど。

↑2002年

↓2001年

12月29日 読んで学んで
ネットでふらふらしてたら「東大生の読書、月に漫画5冊・教養書はたった2冊」なんて記事が目に留まった。…「東大生」で括る必然性も無い気がするが。私自身、そんなに本を読む方ではないので(本を読む時間があったらCDを聴いてるな)、返す言葉もないと言えばないのだが。記事の調子だと、知識を得る意欲の低下という結び付け方がされているが、それはちょっと短絡的というか、前時代的というか、現状に対する理解を疑ってしまう。「教養」という観点での知識を考えるなら、現在は読書はあくまでその手段の一つでしかない、というか、一つでしかなくなったというのがより分かりやすいか。情報を得る手段としてはスピードに関してはネットの完勝、量だって時間と共にネットの優勢は覆り難くなるだろうし、「質より量」が必ずしも当てはまらない。勿論、本でしか得られないような情報や知識、その他諸々だってあるだろうけれども、だからと言って「本を読まない」=「教養がない」という結び付け方は現状に則していないし、現象の把握という点で一方的に過ぎると思う。ここには背景を考える姿勢も「何故」を問う心も見当たらない。そっちの方がむしろ問題じゃないのか?話は変わるが、先日、15歳の学力調査で日本が数学で1位だったという話があったが、そんな簡単なものじゃないはずだ。15歳の時点での教育の進み具合は国によって(或いは地域によっても)かなりの差があるはず。ちょうど15歳の時、私はアメリカで現地の高校に通いながら日本の勉強も並行してやっていたが、どちらかと言えば遅れがちだった日本の勉強の内容の方がそれでもアメリカよりはるかに進んでいた。私の感覚では少なくとも高校までは日本の方が間違いなく(教える内容が)先に行っている。それも、学年が下がるほどに差は大きく、高校あたりから徐々に日本に追い付いてくる…そんな感じだ(で、大学で抜かれるかどうかまでは知ったことじゃない)。これで日本が負けてれば世話はないというか、救いようがない。ここでも趣味で読書をする子供が少ないとか言ってたと思うが、そんなのは当たり前。今の時代、子供がどれだけの選択肢を持っていると思っている?単純に考えても、選択肢が増えた分だけ個々の選択肢の重みが減るに決まっているじゃないか。ある大人は「子供は外で遊べ」と言い、またある大人は「勉強しろ」と言い、さらにある大人は「本を読め」と言い、でも子供はゲームもしたいし、ネットだってやる時代。一人の子供に全部をやれってのはそもそも無理があり過ぎやしませんか?…例によって前半と後半の繋がりが悪いのはご容赦。

12月19日 飲んで飲まれて
私はお酒の類を飲みません。それもまったく。最後に口にしたのは5歳のときに間違って…だと自分でも思っていたのだが、記憶を辿っていくと小学生の頃のクリスマスにシャンパンを飲んでいたことが思い出されたり。5歳で飲んでそれっきりと言うと「トラウマ?」とか思われることが多いけど、小学生のときにも(しかも自分から進んで)飲んでいたのだから、そうではないことは確かだ。…他人事みたい。さて、小学生の時分には進んでシャンパンを飲んでいたのだから、当時は別にお酒の類に対する抵抗感なんて無く、むしろ大抵のがきんちょが一度は通る思考回路…「お酒を飲む=大人」という図式が当時の私の中で成り立っていたことは間違いないと思われる。で、今はというと、全く飲まないし、飲む気もないし、飲みたくない…随分お変わりになられたことで。家系的に飲めないってことは無いのだと思うけど。じゃあ、どこで変化が起きたのか?そらその間に決まっているのだけど、まあ中学の前後くらいだと思う。小学5年の夏からアメリカなんぞに行ってたりしたもので、そこでの生活が多分決定的だったのでしょう。考えられる要因は二つ。一つは教育。私が通ってた田舎の学校では煙草やドラッグとお酒の類は一括りで「やったらあかんもの」にされて教えられてたので。もう一つ。アメリカへは父親の仕事の都合で行ってたのだが、会社の社長さん(日本人)なんかでアメリカっぽくほーむ・ぱーてぃーなんてやってたりして、私もついてったりしたりしたんだが、そこは所詮日本人、「ぱーてぃー」ったって要するに飲んで騒いでが基本。父親を筆頭に酔っぱらい集団が奥方様たちに怒られ呆れられているのを何度となく目にする運びとなるわけで。そう、気が付けば「お酒を飲む=だらしな〜」にすりかわってしまってたんじゃないでしょうか。まあ、他にも色々理由は思い当たるのだけど、もはや自分でも現象が先なんだか理由が先なんだか…。というわけで、今後もやっぱりお酒とは無縁で行こうと思う次第なわけです。…一番の理由は飲んでストッパーが外れたら何を言うか分かったものじゃないからっていう説も極めて有力かつ自分でも怖くて試せないのもまた事実やも知れませぬな。

12月13日 相も変わらず
今年もあと10日ちょっとで宗教行事の季節です。カップルでご飯を食べに行ったりホテルに行ったりしろとは聖書のどこにも書いてはいないはず。それはさておき。今年もやっぱり見掛けます。X'mas。去年も書いたけど、間違ってます。間違え過ぎです。去年のことなんて覚えていないとかいちいち去年の分を探すのはめんどいとかいう方はここへ行くべし。そこで、提案。街でX'masを見掛けたら「'」を修正液で消してしまいませう。テレビで見掛けたら電話またはメール、FAX等しかるべき手段で苦情を出しませう。にわかキリスト教徒が街に溢れかえって、しかもかなりの勢いで全く無関係なお祝いをされている昨今、せめて表記くらいはまっとうにしてほしい。

12月11日 痩せたい?
某ビール会社の発泡酒がいちゃもんつけられたその仕返しかどうかは知らないが、今度は首相ジュニアの宣伝で有名な某S社の「ダイエット生」が文句を言われた模様。曰く、「消費者にダイエット効果があるかのような誤解を与える」とか。じゃあ、「ダイエット・コカ・コーラ」もアウトか?

12月10日 手足
先日のK-1 GPはやっぱりいまいち煮えきらないのはKOが少ないせいだと思われるが、それはさておき。「肘はNG、膝はOK」なルールに何か理不尽な感じがするのは私だけ?肘打ちも膝蹴りも似たようなものではないのか?…と鼻をへし折られて退場するペタスを見て思ったり。

12月2日 オール巨人
最近、某球団オーナーがうるさい。うるさいのは今に始まったことじゃないが、その言いなりになりっ放しの日本の野球界の体たらくは目も当てられない。これまでの数々の発言や規約の改正その他もろもろを総括すると、「ジャイアンツが優勝するためのプロ野球」という図式以外のものが出来上がるとは到底思えない。要するに、自分のところが勝てれば何でもあり。今回もリーグ離脱をちらつかせて云々とかあったが、だったらいっそのこと実際にリーグを離脱してしまえばいいじゃんか。で、ジャイアンツのみからなる新リーグを結成。ジャイアンツA、B、C、Dとか適当にチームを作ればいい。で、ペナント・レース。…どこが勝っても「自分のチーム」じゃないか。これならオーナーも余計なことに頭を使ったり、いい歳して競争相手にいちゃもんつけたりしなくて済む。「旧リーグ」の方は戦力の無意味なまでの片寄りが解消されて面白くなって、こちらはファンが増えるかも知れない。少なくとも、現在の野球=ジャイアンツ的状況が解消されるだけでスポーツ番組は俄然本来の面白さを取り戻すはず。「それでもジャイアンツなのだ」と言う人はどうぞ「新リーグ」へ。どの試合も必ず勝つのは「ジャイアンツ」です。きっとご満足頂けることでしょう。

11月11日 義務と権利
昔、「デブに人権など必要ない」と言い切っちゃう知り合いがいたような。以前、「ブスには人権が少ない」と自称ブスの方が叫んでいる番組の話はしたな。関係ないが、私が入っている某サークルOBのMLで「義務と権利は一体で…」みたいな話が盛り上がりつつある。…無理矢理関係付けてしまおうというのはやっぱり無茶ですか?いやね、今日行った演奏会でお隣さんがいわゆる一つのおデブさんで、えらい難儀だったのだ。席からはみ出し、今にも手すりを乗り越えんばかりの豊かなお肉に加え、おデブさんはそもそも筋肉量からすると圧倒的なまでの脂肪を蓄えておられ、筋肉に過酷な負荷を与えている上にそのお肉が邪魔をするので座ると膝がつきません。必然的に座っていると自然と膝が開いて隣の席の防空圏を容赦なく突破します(あろうことか、そのとき私の隣にいたおデブさんは貧乏揺すりという極めつけにありがたくないおまけを有しておられた)。…つまりだ、おデブさんというのは本人の意思と無関係に人より大きな権利を行使しておられることがあるのだ。別な視点から見ればそれはまさに今日、私が巻き込まれたように、他人の権利を無意識のうちに侵害しているということでもありうる(必ずしもイコールではないと思う)。で、先ほどの「義務と権利」の話だが、権利を行使するからには義務を果たさねばならないという理解はまあ、よろしいのではないかと思う。では、おデブさんは非肥満な方がより多くの義務を果たさなければならないのではないのか?それは一体何だ?ずばり、「痩せる」ことではないだろうか。そう、今日の社会においておデブな方が痩せるのは本人の意思とかいう以前に義務なのだ!…自分が太ってないのをいいことに書きたい放題書いているな。

11月9日 弱肉強食
昨日の夕刊によると、韓国には犬を食べさせてくれるお店があるらしい。韓国なんて行く予定はないが、万が一にも行くことがあればちょっと食べてみたいかもとか仮にも実家で犬を飼っている人間が言うのもどうなのか。そういえば母親が韓国に行くとか言っていなかったかな?それはさておき。記事には続きがある。その犬肉料理に対してFIFA (国際サッカー連盟)が「犬が食用として育てられ、苦痛を受けている」と追放を要請したらしい。馬鹿だね。さすがに球を転がしているだけで育っちゃったりすると脚ばっかりが発育して他が置き去りにされてしまうんだろうかとか言いたくなってしまうのをここはぐっと我慢(←してないとか言わないこと)。犬は駄目で牛や豚、鳥、羊はいいのか?馬はどうだ?魚は?どこかの国に昔、「犬公方」とか呼ばれてたたわけものがいたらしいが、何だ世界標準だったのか。七つの海で暗躍する「鯨は頭がいいから捕鯨反対」のお豆さんたちともどもろくでもないことこの上ない。世界には「牛は神聖」と言っている人達もいれば、「豚を食べることは断じて許されない」人々だっているし、そういった人達で構成される国はFIFAに一つも加盟していないのか?犬を愛玩動物として飼っていて、苦情を出すだけの実行力があるのなんて大方先進国の犬馬鹿だろう。何一つ周りの見えない視野の狭さと自分の感覚を押し付けることに対する迷いの無さに吐き気がしそうだ。だったらいっそのこと、W杯中は断食したらいいじゃん。そもそも、たかが球転がしに行くだけのくせに食文化にまで口出すなよ。

10月28日 夢の裏に
最近の狂牛病騒ぎで牛肉を扱う店が次々と「当店ではどこそこの牛肉を使用しており、安全性には…」とカミング・アウト。中には仙台の牛タン屋が輸入肉使用なんていう笑えない話もあるとかないとか。庶民に馴染みの深い牛肉を扱う店と言えば、何と言っても牛丼屋だろう。まさか国産牛肉を使っているとは思ってはいないが、実際に「うちは輸入牛です」とそれも堂々と告白されてしまうと何だか興醒めしてしまうのは私だけ?例えて言うなら、「やっぱりお父さんとお母さんがサンタさんだったんだ」と言うときの子供の気分。或いは、ひいきのタレントに恋人がいることがスクープされたときのファンの気分。ちなみに、私は物心ついた頃にはサンタさんなんてとっくにいないことになってたし(小学校で同級生が「サンタ、サンタ」って騒いでるのを見て、「何、馬鹿なことを言っていやがる」とか思っていた…性格が悪いのは昔からか)、ひいきのタレントが何をしようが、直接交流があるわけでないからなぁと思うだけだし…あれ、言ってることが最初と矛盾してる?

10月26日 意味なすもの
新聞をぱらぱらめくっていたら映画の宣伝が目に入った。「バレットオブラブ」…何すか?英語のタイトルが"Bullet of Love"らしい。…「バレット」でいいのか?それ以前に、この片仮名で何のことか分かるという強者は恐らく英語で書いてあっても全く問題なく読んで理解できるんじゃないのか?であるならば、この間の抜けた片仮名変換タイトルに一体どれだけの意味があるのだ?以前、どこかに「へんてこな邦題はどうか」みたいなことを書いていると思うが、それ以上にここまで安易でみっともないタイトルの付け方ってないと思う。頭使えよ。

10月23日 現代の玉手箱?
研究室で先輩と喋ってて、こんな話を思いついた。お爺さんが浜で原理主義な人々にいじめられていたアメリカ人を助けてあげたら、原理主義な人々に竜宮城へ連れていかれてしまいました。ミサイルが飛び交う楽しいお祭りの後、帰りに玉手箱を渡されました。浜で開けると白い煙がもくもくと…。お爺さんは炭そ菌に感染してしまいましたとさ。めでたし、めでたし。…嫌すぎる。

10月20日 ベクトル
某店のエレベータ内での会話。一階から乗ったら、二階でドアが開いた。誰も降りない。つまり、二階から乗ろうとした人がいたわけだ。そこで、私の横にいたちょっと頭の弱そうな二人組からこんな会話が。「二階からだったらエスカレーターで行けばいいじゃねぇか、なあ?」…なあって。あんたが乗ってるエレベータは上に向かってるんだよ。ドアが開いたのは二階から上に行こうとしたからだろうが。3階まで行こうとしたのかも知れないが、7階までだったかも知れないわけ。…どう頑張れば「二階で開いた」=「一階へ降りる」になるのだ?大丈夫か?

10月12日 愛の芽生え
普段の雰囲気に似つかわしくないタイトルで今回はお届け。何だか世間では人気みたい。某局の「相乗り」@本当は平仮名。人気らしいので説明なんていらないかも知れないが、はしょって説明すると、男女を一台のワゴン車で連れ回しているうちにくっつけてしまおうという無茶苦茶な設定らしい。え〜、つまりですね、この世に男女一人ずつしか残らないという事態に見舞われたときに人間の遺伝子が種の保存を最大使命として働くかどうかということを見ているわけですね。いや〜、壮大な試みです。恐れ入ります。伊達に顔でアナウンサーを取って視聴率を稼いでません。そう、限られた空間に限られた異性しか存在しないという状況下であれば、人間は勝手に愛を育んじゃうんですね。さすが地上最強の生物。ひょっとしたら地球最後のときに最後まで生き残っているのは人間かも知れません。なお、筆者はこの番組を全く見ておらず、全て聞きかじりの断片的情報及び偏見&先入観に基づいて書き綴っており、いかなる反論にも応じるつもりはありません(=無責任)。

9月25日 小手先
新聞でこんな記事を見付けたよ。「W杯試合日は煙出しません」。さいたま市@市名は平仮名四文字でW杯の試合をやるときだけ産業廃棄物の焼却をやめて、世界中からやって来るサポーター@膝当てとかのことじゃないらしいにいい印象をもってもらおうということらしい。はあ?名前もださいがやることもださいぞ、ださいたま市…なんて言ってはいけません(しかも、関わっているのは正しくは埼玉県産業廃棄物協会)。こんな小手先なイメージアップ戦略ってありなんですか?何も解決されていないじゃん。第一、仮にそれでいい印象をもった外人さん達が万が一にもまたさいたま市@W杯の日以外は産業廃棄物燃やしまくりへやって来たら、「こんなのは俺の知ってるさいたまじゃあなかとよ。詐欺だ、詐欺。金返しやがれYello Monkey!」って国際問題に発展しかねない…とまではいかないまでも。これでいいのか、さいたま市@平仮名四文字よ!?

9月15日 裏も表も
先日、帰る途中にいわゆる一つのラヴ・ホテルの前を通った。入り口のそばにちょっと控え目にこんな一文が。「裏口もあります」。…どうしろと?芸能レポーターに追われた芸能人カップルが入ったふりして裏から逃げるのか?それとも、妻が雇った私立探偵を不倫中の中年サラリーマンが巻くのか?はたまたお互いの素性を知られたくない同士で入って、出るときは別々の出口から出るため?あなたならどう使います?

9月14日 誰に?
「自分に自信を持つ」って変じゃないすか?他人に自信は持てないと思うんだけど…。

9月10日 波乗り中継
台風接近中の今日この頃。決まって波乗りに行って遭難する馬鹿が毎回出るのはどういうことだ?いっそ放っとけば?と思うのは私だけじゃないだろ。その一方でこれも違うんじゃないかと思う。台風中継でわざわざ危ない場所からお話をするレポーター。「洪水注意報が出されています」とその注意報が出ている川の真横でいかにも大変そうに喋る必要がどこにあるのか?台風の凄さ、怖さを身を持って世間の皆様にお知らせするため?見ている側の心理状況がアクション映画の特撮シーンを見るのとどれくらい違うのかが最近気にならないでもない。

9月7日 改革
小泉内閣の構造改革の成功を誰よりも願ってやまない人…私は小泉孝太郎だと思う。

9月4日 生存手段
私はクラシック音楽が好きで聴いてるわけだが、世間的にはマイナーな趣味に入るんじゃなかろうか?少なくとも売り上げを見る限りにおいては下手っぴぃなGL○Yなんかに遠く及ばないし、いくらVPOやBPOの演奏会が満員になると言っても、その何百杯分をたった一度のコンサートで集めてしまったりするんだから、勝ち目は無い。売り場面積にしても、一部の大きな店を除けば隅っこにちょこんとあるのはいい方で、そんなものは置いてないなんて店の方が店舗数でいけば多いかもしれない。レーベルだってどれだけ儲かってるんだか。メジャー系にしてみれば半ば慈善事業的な空気すら感じられるとかられないとか。月単位どころか下手したら週単位で入れ代わりが起こる現代にあって数十年、数百年も前の遺産に頼っていて存続している方がむしろ奇跡かもしれない。そんなクラシック音楽という風前の灯の産業(?)を支えているのは何か?私は「見栄」…だと思う。洒落た言い方をすればステータスとか言ってもいいかもしれない。クラシックが他の音楽より高尚かどうかなんて話があるが、私はそうだと思う。と言うより、そうでないと成り立たないとすら思う。「高尚さ」の中身はともかく、そうであるが故に文化事業として認められるんでしょう。敷居が高い?…低いと困るんですよ。高いところに存在意義があるんだから。他の音楽と同じ土俵で戦って勝ち残れると思いますか?無理でしょう。「別の土俵である」という、いわば特別保護区域で生存していればこそ、「ゲイジュツ」に専念できたりもするんじゃないのか?そう考えると、近頃よく見掛ける「クラシックを皆様に」といった趣旨のお手軽入門講座的風潮はどうなのか?と思う。これは敷居を下げる努力であり、見栄を無くそうという試みである。つまりは自らの首を締めることになりはしないんだろうか?最初はお手軽なところから徐々に本格的なコースをどうぞ、といってくれればいいが、お手軽なところで止まってばかりだったらどうする?昨今の音楽事情からすれば、お手軽で止まる方が多いんじゃないの?と思う。Karajanがすごかったのはクラシックを世間に広めた点にあると言うが、その中にある種のステータス志向を盛り込んだというのも大きいんじゃないだろうか?そうであればこその「帝王」だろう。それをお手軽クラシックと一緒にしちゃうのはちょっとどうだろう?蛇足だが、ステータス性が無ければ、下手過ぎて大変なVPOなどとっくの昔に潰れてるだろう。色んな意味で良くも悪くもこの業界を代表しているオーケストラであると思う。

8月15日 捨て場
今日は短めに。最近(結構前から?)、自販機でペットボトルに入った飲み物が売られていたりするが、自販機のそばには空き缶用のゴミ箱しか備え付けていないのはどういうわけだ?ペットボトルは持ち歩くから?缶だってその場で飲み切っちゃう方が多数派でもあるまいよ。紙パックその他についても大体似たような状況。売るからには捨てるときのことくらい配慮する良心があってもいいんじゃないのか。もしちょっとでも企業イメージに「エコ」を取り入れようっていう下心があるんなら。今時、無い企業の方が珍しいと思うし。

8月6日 喋るのは苦手?
おっと、携帯ネタで本日三個目。我ながらよほど嫌いらしい。今度はメールの話だ。携帯メール、私にはちっとも意味が分からない。何で携帯で携帯にメールを送るのだ?「いつでもどこでも誰とでも(←最後は違うか?)」話せるってのが携帯電話の売りだろうが。メールなんてちんたら送らんと、直接話せばよかろう。え、電話するほどの用件でもない?…それっていわゆる一つの「ごみメール」ってやつじゃないですか?んなもんメールにしてみたからって内容がごみじゃなくなるわけではないでしょうが。手段が変わったからと言ってごみが有用メールに変わるわけじゃないんだよ。「メールならいっか」…相手によっては私なら速攻でぶちきれるでしょうな(携帯持ってないけど)。ああ、電話代がかかるっていう話もありますな。…何か間違っていないか?本当に伝えたい話題だったら電話代なんて惜しむなよ。実家の固定電話で3万なんて請求書が来てえらい目にあったりするのを恐れてどうする(さすがにあのときは焦った)?私ゃ電話代を惜しまれてるのがありありと分かるようなメールなんてもらっても嬉しかないぞ。携帯に繋がらないときもあるかもしれない。留守伝じゃ駄目?そら時間制限もあるが。ワン切りという相手を馬鹿にしまくった方法もあるが、問答無用で却下。携帯メールを始め、最近の携帯電話には無意味な機能が盛り沢山らしいが、消費者一同それに踊らされっぱなしってのはどんなもんだろ。学生なんて急な仕事が入るわけでも、急患が飛び込んでくるわけでもないし、冷静に考えればそもそも携帯電話自体が不要だろ。

8月6日 小さな絵
次世代携帯ってのが出るとか出ないとか。差し当たって当代の携帯すら持っていない私には別段どうでもよさそうではある。大容量通信が売りの一つらしい。ってことはだ、あの携帯電話の端末のちっこい画面で豪華絢爛な絵を見ようってのか?…それって楽しいの?絵と言えばテレビだ(←強引?)。液晶やプラズマ・ディスプレイなんかを除外すれば、基本的にテレビは大きいものの方が高いし、大抵の人はできることなら大きい方にしたいと思っているはずだ(少なくとも私はそうだ)。パソコンのディスプレイだって、私が使っているノート型でさえ14.1インチの時代だ。デスクトップPCに至っては17インチが当たり前のご時世。そこで何故、携帯電話の超小型ディスプレイで絵を見る?この数年間で大幅に携帯電話の端末は小さくなった。当然乗せられるディスプレイのサイズだって限界がある。今更無骨な大型携帯を持つ人も少なかろう。下の寄り目の話じゃないが、私にはあの画面、文字を読むので限界だと思える。文章を打つには打ち込む手間暇もさることながら、あの画面をじっと凝視しながらなんてもはや拷問に等しい(私には)。ましてやあんなディスプレイで絵を見ようなんて…。出先でノートPCに繋いでネットを…ってのならまあ分かります。でも、そういう使い方を前提で買う人なんて全体からみたらそんなに多くもないんじゃないの?でも、売る対象はそういう本当に必要な人達だけではなく、本来なら無くても全然へっちゃらな一般市民も巻き込んでってのはPHS全盛の頃から何も変わっちゃいないんだろうね。ついでに言えば、あのサイズの画面でどんだけ高精細な画像を見ようとしたってあっと言う間に頭打ちするんでないの?後でPCに取り込む?…だったら最初から普通のメールでいいじゃん。「本当にそれでしか出来ないこと」って今の携帯電話にもいずれ登場する次世代携帯電話にも少ないと思うし、ましてや「それを本当に必要としている人」なんてどっちかと言えば少数派でしょう。まあ、必要はなくとも「自分には必要」と思い込んでる、もしくは思い込まされてる(流れに流れ流されているだけも含めて)人が多いから普及してるんだろうけどね。あれば便利…そら何だってあれば何かしら使い道があるってだけの話だろ。十分条件には程遠いよ。今度電車に乗るとき、周りをふと見てご覧なさい。携帯片手に画面とにらめっこしながら乗り込んでくる人の多いこと。私ゃ新興宗教みたいだとか思ったよ。あれ、気が付いたら違う話になってら。

8月6日 大予言?
当たったら誰か何か下さい。数年後、日本人の7割が寄り目がちになっていることでしょう。電車でふと携帯でメールを打っている人を見てひらめきました。あんなちっこい画面に一生懸命集中してたらそら目も寄りますな。見てると、かなりの人がメール打ち込み中に寄り目になっとりました。そのうち、普段歩くときも寄り目になってしまうことでしょう。とするとだな、さらに数十年後にはどうなるか?田○麗奈に代表される目んたま離れ系(←勝手に命名)の人々の目が次第に寄ってきて、目んたま離れ系の希少価値が一気に上がります。正直なところ私は目んたま離れ系は苦手なんですが、とりあえずその希少価値ゆえに世間的には一大ブームになるかも知れません。そしてさらに数百年後。人類の目は寄るところまで寄ります。そう!あの「バカボン」の目んたまつながりのお巡りさんがついに現実のものとなるのです。ここまで予測していた赤塚不二男は凄い。

7月27日 女優
深○恭子ってデビュー当時から現在に至るまで、一度として可愛いと思えたことがないんだけど、どうなんだろう。世間的には大人気らしいし。田中△奈は目と目の間の距離に議論の余地があると思う。広☆涼子は、だんだん意地の悪い顔になっている気がする。田◇寧子…女優さんですか?あれだけ立派な肩幅では役がかなり限定されそう。演技力でどうなるもんでもないだろう。以上、世間的に大人気らしいけど私にはさっぱり良さが分からない女優さん達でした。詳細にその魅力を記してメールで送ってこられたりしても困ります。

7月21日 Full Day
今日からフジTVでは27時間テレビらしい。ご苦労様なことだ。妊娠六ヶ月の木佐アナウンサーが「私も寝ません」なんて言っていいのか?近いうちに日テレでも24時間テレビをやるんじゃなかったか。先に言っておくと、この手の企画、私は好きじゃない。内容がつまらないとか、進行がだれ気味とか、予定通り進んだためしがないとか、文句を言い出せばきりがないくらい出てきそうだが、最近はこれに尽きる。「2○時間起きてることがそんなに凄い(えらい)のか」。まったくもってご苦労様なことだと思うし、大変だろうとも思うし、そんなことは自分でもやった経験が幾度もあるのできついのも分かる。分かるからこそ思うのだが、そんなことは凄いとかえらいとか美辞麗句で飾り立てるようなものではないはず。そら2○時間働き続けなくてはならないときだってあるだろうさ。でも、それって本来極力回避されるべきものではないの?やりゃあ分かるがそんなことをしても終盤はあからさまに判断力が鈍るし、仕事の能率だって落ちる。第一、どう考えたって健康にいいわけがない。それを誉め称え、(受けとりようによっては)推奨するのは何か違うんじゃない、と思う。日テレは「愛は地球を救う」だっけ?地球よりも先に眠れなくて疲労困憊になる出演者を救ってやれよ。フジTVは「笑いの夢列島」とか言ってたな。妊婦を引っ張り出してきて「寝ません」とか言わせて、笑いも何もあるかよ。考えようによっては「しりとり侍」なんかより悪質じゃないのか?

7月14日 女性アナウンサー2
真面目な話の後は不真面目な話題で息抜きってのが私の生き方だ。さて。年に一回くらいはやっておきたい話題。最近、よいなと思ったのが日テレの小野寺麻衣嬢。記憶が確かなら入社二年目。切長で大き過ぎるくらい大きな目に驚いたり。で、先日、「ブラウンさん」という番組にアシスタント(?)で出てたんだが、あらら〜。お飾り以上には見えませんでした。頑張りましょう。顔立ちだけならどんな方面でもいけそうなので、これからどういう方向に進んでいくのやら。日テレと言えば、入社5年目の馬場典子さん。抜群の安定感で、おかしなことがなければ日テレの看板は彼女のものでしょう。翻ってフジTV。こちらも入社二年目の梅津弥英子嬢が目下のお気に入り。表情の作り方は文句無いが、肝心のアナウンスは…これからが勝負でしょう。小島奈津子さんが結婚したりで上の方が不穏なせいもあってか、この局は世代交代が早い。梅津嬢は同期の安藤幸代嬢(所属は共同テレビ)とともに早くも「すぽると」のメインだし。人気が出てきた、あるいは出そうな新人さんに過度の負担がかかるのが良くも悪くもこの局の特徴か。そんな観点で日テレに戻ると、こちらは上の方がややつかえ気味か。皆さん、現役だし。そんな中で、私のお気に入りは豊田順子さん。理想の30代と断言してもいい。現在はニュース担当だが、それ以外でも全然大丈夫でしょう。30代らしい落ち着きを持ちながらも、30代とは思えぬ若々しい容貌。「女性は30からが勝負」と最近言っているんだが、この人は間違いなく勝っていると思う。

7月7日 その2 英才
帰りの電車の中で、く○んの○○カードを一生懸命、2、3歳と思われる息子に見せている母親を見掛けた。とりあえず、電車の中でやるなよ。あれって効果あるのかね?右脳開発だとか、記憶力向上だとかの効能があるって聞いたことがあるけど。ちょっと考えようよ。2、3歳の子供って普通、何をしてる?やっとこさ自由に動き回れるようになって、色んなものを見たりやったりするのが自然な姿だろう。それを座らせて、目の前でカードをパラパラめくられて…私がその息子だったら親をどついてるね(笑)。そうやって半ば強引に能力が(もし)ついたとして、その代償はどうなんだろう?色んなものを見て、色んなものを触ってきた子供の方が私はまっとうに育つと思うがね。がきの頃からそんなに視野が狭くていいのか?参考にもならないだろうけど、私は小学校の低学年の頃は通信簿に常に「落ち着きがない」と書かれてた。今でもないけどね。それでも、一応、天下の東大なるごたいそうなところに入って、しかも大学院まで行ってっるんだから、世間の教育熱心なお母様方にしてみれば理想的な方向へ向かっていることになるな。うちの母親は別段教育熱心じゃなかったけどさ。ついでに言うと、入りゃいいってもんでもないだろうし、入った人が皆凄いわけじゃない(私を筆頭に、なんて言葉を連想した人はバケツを持って廊下直行)。勉強以外を知らないで育ってきちゃったんだろうなぁという人の割合は間違いなく日本一だろうし、そんな中で精神的に危ない方向へ行っちゃう人も時々見掛けるし。そんな大人になってもいいから子供には勉強して欲しいなんてのは親の勝手だが、子供はたまらないだろうね。とりあえず、上のカードを目の前でぱらぱらやられていた小さな男の子は私の目には迷惑がっているように見えたがね。

7月7日 お魚くわえた野良猫
梅雨を通りすぎて夏と化しつつある今日この頃。で、この季節になると、やたらと耳につくのが、「かつーん、かつーん」という昔の公衆トイレと同じじゃないのかと思ってしまったりする、サンダル(世間ではミュールと言うらしい…ちなみに、私が普段このページを書くのに使っているエディタもmuleという)の音。はっきり言って、耳障りだけどね。人によってはリズムがおかしかったりするしさぁ…ってことはこの際どうでもいい。日本は流行大国。ひとたび「あれがいい」ということになると、それ、右へ倣え。主体性ってのはないらしい。「皆と同じなら安心」ということか。でもね、脚がすらっとして綺麗な人が履いてるんならいいよ、ときおり、「いやぁ、立派なおみ脚で」と唸ってしまうような逞しい…言葉を飾ってもしょうがないな、要するにお太い方がその踵の小さなサンダルに乗っかっている(履いてるとも言う)のを見掛ける。あれを見て思わず、「野良猫を追い掛けようとして間違えてワカメちゃんのサンダルを履いてしまったサザエさんのようだ」と思ったりしたんだが、どうだろう?でも、一番の問題は、小さなサンダルとの対比で脚の太さがより際立つというところだろう。ふくらはぎが細くないと、似合わないと思う。

6月30日 自然を大切に
世の中、えころじーである。とりあえず、リサイクルすれば環境に優しいっていう何とかの一つ覚えみたいなのをどうにかして欲しいと思っているのはさておき、またまた新聞から。どこだかで貴重な植物を鹿が食べてしまうから、環境保護のため、鹿を駆除しようとかいう話。私はね、この話に世間で言うところの環境保護とか、地球に優しくとかいうところの裏側を突きつけられた気がしたんだけど。上の植物、観光の対象として人気らしい。で、それが減ったら困るのは観光業界なわけで、この業界、私はえころじーなんて言葉とはねじれの関係にあると思うんだな。一見接しているように見えるところがあったとしても、それはたまたま空間的に近いだけで、別に本当の目的じゃないってところが。観光業界の目的とは、人をより多く集めることでしょう。人が来ないと商売にならないもの。環境問題って何で起こってるんだっけ?人が一人ずつは大したことじゃなくても、皆でやるからあれこれ問題になるんでしょう。世の中に100人しか人間がいなかったら、いくら車を乗り回したところで環境には殆んど影響なんて出ないでしょう(少なくとも大局的には)。人を集めるという時点で観光業界はえころじーとは相対する立場にあるわけですね(極論かな?)。で、先の環境保護のための鹿駆除です。はっきり言って、こんなの建前です。ここでいうところの「環境」ってあくまで「人間にとっての」、それも場合によっては一部の、環境なわけでしょう。よくテレビなんかで子供が「地球に優しく」なんて絵を描いたりしているのを見ると、寒々しい気分になるのは私だけかな?どうも、そういう建前を生クリームで飾り付けしたような甘ったるい感じが私には好きになれない。そんな無邪気に「いいこと」があるとは思えない…のは問題があるのかなぁ?この辺はまた整理がついたら書いてみましょうか。…書く段階でいっつもごちゃごちゃになるんだけどね。

6月26日 その2 家族計画
現在独身の同世代の人たちの将来像ってどんなのだろう?働いて、結婚して、子供を作って、平和な家庭を築いて…多少の違いはあれども、大体こういう筋書きじゃないのかな?別に普通じゃん、と思うところだが、そこを敢えて突っ込みたい。本当に皆が皆、こういう道筋を辿らないといけないの?はっきり言って、私はそんなつもりは全く無い。働くのはいいとして、その後は全く違う。まず、結婚をする気は皆無。一つには「この相手がベスト」と思うことは絶対にないから。「もっと相性のいい人がいるかも」と思ってしまうからね。もう一つは離婚万歳の現在にあって結婚が持つ意味なんて殆んど無いと思うから。結婚以前の問題としては、誰かと四六時中ずっといるのが耐えられないというのがある。勿論、家にいないときは別だろうけど、帰ってきてから寝て起きるまでずっと一緒というのはすごく疲れると思う。どんなに心を許した相手だと言っても、気を使わないわけにはいかないし、逆に使わなくなったら終わりだと(私は)思うから。基本的に一人で好きなことをやっていられる時間がないと駄目な性格もますます結婚向きではないな。人と一緒に何かをやったりするのもいいんだけど、それだけではどうしても駄目なのだ。で、子供だ。私はねぇ、人の親にはなれないよ、きっと。私の子供ってことは半分は私みたいなのが生まれてくるわけでしょ、それはちょっと大変だよ(笑)。それで出来が良ければまあいいよ(でも、きっと扱いにくいはず)。出来が悪かったりした日には、私は親であることを放棄しかねないよ。本当に。「何でこんなのが自分の子供なのだ?」と問いかけながら生きるなんて嫌だもん。こんなことを言っている段階で人でなし過ぎてますます子供なんて作れないな。そして、子供はほっといて育ってくれるわけではなく、あれこれと手が掛かる(自分自身、手の掛かった方だと思う)。で、先に述べたように、私は一人で好きにやっているのがいい人だから、そんな手の掛かるものがいたらちょっと耐えられないと思う。別に誰かに結婚をしろともするなとも、子供を作れとも作るなとも言うつもりはないんですよ。ただ、私には合わない、それだけ。ただ、当たり前のように結婚をしたい、家族を持ちたいと思っている人がふっと思い返してみたならば、離婚率や児童虐待が少しは減るのではないかなぁ、とも思う。別にそんなことを期待して書いたわけじゃないぞ。でも、多少は変わってきたとは言え、やっぱり結婚して子供を作るのが当たり前という風潮はどうなのかなぁ。他の生き方だってあると思うし、それがあることを知っておくべきではないんだろうか?断っておくけど、女嫌いとかじゃないぞ(笑)。

6月26日 狙った獲物は…
先日、新聞で「ドッヂボールは人間を標的にするので好ましくない」という理由で禁止にしようという動きがアメリカであるらしいという話が載っていた。馬鹿だねぇ。銃を禁止にしないくせに、こういうことには神経質なのがおかしい。この国自体は結構な期間住んでたので、嫌いじゃないけど、色々おかしいところがあるとは思うし、そういうところを分かってるんだかどうだか分からない、「アメリカでもやってる」という理由であれこれ導入してみたくなってしまう国もどうかとも思う。話を戻そう。人間を標的にする競技なんていくらでもあるぞ。とりあえず、格闘技は全て禁止だな。キャッチャーに向けてボールを投げたりする野球も駄目か?こんなことも書いてあったな。「弱い者が真っ先に狙われ、いじめに繋がる」。…当然じゃん。バレーボールでわざわざ背の高いブロッカーの方へばかり打つ選手がどこにいる?テニスのミックス・ダブルスではどっちが狙われる?ピッチャーは打者の得意なコースに投げるのか?弱いところをつくなんて競技の基本じゃん。弱肉強食で全てが決定してしまうのはさすがに問題があるのかも知れないが、でも、競い合う場においてはそれをなくしてどうするのだ?ああ、どこかの国では徒競走で順位をつけないんだっけ。現実逃避か?別にこの話に限らず、教育関係のお話って「分からなければやらないに違いない」という理屈が最近は多い気がする。個人的には、無知ほど怖いものはないと思うけど。知らない人はやってもいいことといけないことを全く無作為に選んじゃったりするからね。第一、情報氾濫の世にあってはそんな情報統制みたいなことをして何の意味がある?かえって中途半端でねじ曲がった情報に踊らされたりするのが落ちじゃないのか。隠すんではなく、正しく伝えることに腐心すべきじゃないかと思うんだがなぁ。ドッヂボールをしなくなったくらいでいじめが無くなるとも到底思えないし。

6月12日 年上キラー?
つい最近まで自分は年上のほうが好きだし、向いているんだと思っていたが、知人に「お前は年下向きのはず」と言われた。年下なら笑って許せても、同学年かそれ以上だと自分にとって何か得るものがないと相手をしていられなくなる、ということらしい。うーん、そうかも(笑)。自分と同じ期間、あるいはそれ以上生きているんだったら、自分が持っていなくて、なおかつ欲しいと思うものの一つくらい持っていて欲しいかもしれない。そういうものを持っている、という前提で「年上」を考えていたかもしれないと思う今日この頃。で、実際のところどうか?同学年はともかく、年上に関しては得るものの無い人なんて周りにあまりいないなぁ…そういうもののある人のそばにいるようにフィルターが働いているような気もするけど。

5月29日 決めゼリフ
朝○新聞の夕刊に「窓」というコラムのようなコーナーがあるが、昨日の「窓」から。お題はアカウミガメで、内容は「保護しよう」と言ってばかりでお役所は何もできていないというようなこと。ポイントは最後の一行。「それでいいのか。」…格好いいねぇ。これほどまでに決まる一言ってそうはないんじゃないだろうか。「いいはずがない」という著者の意思、お役所への疑問の投げ掛けとそれに対する解答への期待とその薄さへの不信感…何でも引き出せそうな、そんな言葉の重みや深さがここに感じられる。珍しく新聞で感動してしまったりした。

5月14日 重さ
昨夜、テレビでバレーボールの試合をやっていたのを見て、ふと思った。「試合の流れをスピーディーにする」というラリーポイント制、本当にいいことずくめなのだろうか?確かに、それまでのサーブ権制(でいいんだろうか?)のようなサーブ権の取り合いがないので、試合時間は大幅に短縮されているだろう。では、試合の内容はどうだろう?昨夜の試合で目についたのがサーブ・ミス。このラリーポイント制では、サーブ・ミスでも得点が入り、試合が進む。一つのプレーがそのままポイントへ直結するラリーポイント制にあっては一つ一つのプレーの重みも増しているはず。だが、蓋を開ければ(少なくとも昨日の試合に限っては)、全く逆の現象が起こっているように思えた。「取られたら取り返せばいいさ」という得失点の軽視である。サーブ権の獲得からさらにポイントしてようやく手にいれた得点との扱いの差はそのまま現代の考え方を反映しているのかも知れない。ただ、スポーツ=根性の図式が成り立つ国にとってはかつての制度の方が向いているんじゃないかと思ったりする今日この頃。

5月6日 繋ぎ繋がれ
ここのところ工事で研究室に入れないので、家でネットに繋いでいるが、結構不便である。回線が遅いのはまあ仕方が無いし、そう重いページを頻繁に見るわけでもないので、あまり気にならない。困るのは、ネットに繋いでいる間、電話を受けられないこと。勿論、こちらからかけることもできない。そして、実際に家で腰を据えて(といってもフリープロバイダ(笑))ネットに繋いで分かったのだが、結構ネットに繋いでいる時間が長い。最低1時間、長いと3時間くらいのときもある。それだけの時間を我が家で「もう今日は電話がかかってこないだろうな」という時刻に確保すると…次の日は起きたら3時だったり12時だったりするわけで…。えーと、何が言いたいのかといいますと、要するに大して役に立たない気休め程度の効果しかないくせに多大な迷惑を撒き散らす工学部5号館の補強工事が全て悪いということだな。ISDNにしろ?携帯を持て?…明日から元通りになる(はず)のにそこまでする気にはなれんねぇ。

4月19日 あきない?
商売という意味ではなく。前回の続きというわけでもないこともないんだが。「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」と下の番組で言っている人がいたが、それは違うと思う。三日で飽きる程度では美人とは言えないと思うし、三日も見ていられるほどだったらブスとは言えないとも思う。美人の括りにならない人の負け惜しみでしかないというのは言い過ぎか。

4月10日 納得、お得?
美人は得か?結論から言うと、そらそうだとしか言いようがない。質問をこう変えてみたらどうだろう。記憶力のいい人は得か?あるいは計算の早い人は得か?英語の出来る人は得か?こういった資質は容姿なども含めて、能力の一つと見てしまっていいのではないかと私は思っている。容姿なんて生まれ持ったものじゃんというのは負け犬のなんとやらだろう。記憶力にしたって、計算能力だって生まれつき優れている(ように見える)人がいるではないか(私みたいに何となく英語を身につけてしまったのもいるし)。逆に容姿を維持するために人並み以上の努力をしている人もいるだろうし、むしろその方が多数派なんではないだろうか?今日辺りの某番組のCMで「ブスには基本的人権が少ないんです」とか喚いているシーンがあったが、人権はともかく、違うものである以上扱いに差異があって当然だと思う。オリンピックで4位の選手がメダルをもらえないのと同じことだ。そこで「もらえない」とごねても意味がない。上へ行くか、別の競技で上位に入るかしかない。運動会の徒競走で順位をつけることすら拒むような風潮で育ってきてしまうと、あるいは違うとしてしまうことに抵抗があるのかも知れないが、でも、違うのだ。逆に、皆平等に付き合えるなんて方がおかしい。言い換えればその中のある一人を取り出すとき、それは「誰でもいい」ことになるからだ。そのとき、その人でなければならなかったとしたら、それはその人がその他の人とは違うと見なしたからだろう。それが容姿であっても、能力であっても、性格であっても文句を言うことでもないだろう。「人は見た目じゃ分からない」…そうだろう。でも、見た目もその人のうちだとも思う。相変わらずまとまり無いなぁ。

3月25日 皆一緒に
地下鉄に乗っていて、何気なく女性誌の吊り広告を見ていたら思わず笑ってしまいそうになった。「みんな○○を持ち始めてる!」…。○○には某有名ブランドの名前が入っているわけだが。凄い謳い文句だ。どこがいい、何がいいのではなく、皆が持っているんだからあんたも持てというのだ。ここは一つ、どこかの大手予備校には「みんな○○で勉強し始めてる」と言ってもらい、音楽雑誌には「みんな△△を聴き始めてる」と見出しに載せ、自動車販売店では「みんな□□に乗り始めてる」とかやってみてはどうだろう。何がいいのか説明する必要もなく、ましてやいいのかどうかすら関係なく宣伝文句が打てる。しかも、この謳い文句の素晴らしい点は「持ち始めてる」というところ。そう、まだ持っている人が少なくても、皆持とうとしているのだという(勝手な)予測が成立しているところだ。つまり、街でまだ全く見掛けなかったとしても、決して嘘を言ったことにならない。よくできてるねぇ。現状、現実と一切関係ないところで勝負をかけられたら相手のしようがない。参りました。

3月12日 Around the World
世間ではホームシアターが流行っているらしい。どの程度?って言われても困るけど、ある程度以上の額を投入するならサラウンドにする方が多いんじゃないだろうか。実際、大手の電気屋さんなら大抵デモをやっているし。メーカーにしてみればいい商売だろう。今まで二つずつしか売れなかったスピーカーが一気に5つとか6つとか売れるんだから。実は2つで十分じゃないのかという風に思ったりもするが、今日はそういうことが言いたいわけじゃないのだ。とにかく、嘘でも音がぐるりと周りを回る環境は割と簡単に手に入るようになった。ところがだ、映像はどうだ?相変わらず目の前に鎮座している。これじゃあ何のために音は周りを回っているのだ?ということで、360度スクリーンなんてのを作ったら売れるんじゃないかしらん?ソフトがない?無いものは作ればよろしいのです。理想はやっぱりガンダムのコックピットだろうな(全方位)。一度に全部が見られない?だからいいんじゃない。見る度に色んな方向を見てみれば新たな発見があって、一本で随分楽しめそうじゃない。

2月24日 au
by KDDIとかいうわけではなく。Hudsonというソフト・メーカーがあるが、昨日、そのコマーシャルを久し振りに見て、「ばーいはどそん」が"By Hadson"に聴こえた。Uのまま発音すると響きが詰まって綺麗じゃないからか?こういうところから日本人の英語力は駄目になっていく…のかどうかまでは知らない。

2月10日 安全第一
世の中、安全ブームみたいである。一頃一大ブームになっていた抗菌製品もその括りに入れてしまってよかろう。先日の新大久保駅の事故の直後からは駅のホームの転落防止に関する記事がしばらく新聞なんかに載っていたっけ。そういえば、子供が死んだからって揺り篭型ブランコも禁止になったとか。こういう話を聞いていると、この先一体どこへ向かいたいんだろう?とか気になったりする。事故のない社会?何もしないのが一番だろうね。何もしなければ事故も起こるまい。それでも、ある日突然隕石が降ってきたりしたら…。核シェルターにでも入るんだろうか?安全、安全ってそんなに安全じゃないと本当に生きていられないのか?駅の事故の話だって、普通に歩いていて落ちるか(視覚障害者は?とかいうのは別の話)?ブランコだってそう。普通に遊んでいて死ぬわけがない。はっきり言って、100%安全な社会なんて馬鹿しか生み出さないと思う。何をしたって大丈夫な環境で判断力なんて身につくわけがない。何が危険でそれを避けるにはどうしたらいいかということを認識できないようでは困ると思う。そういった観点から、私は「奇跡の救出!」という手の番組が大嫌い。救出されたのはめでたいが、そこへ至るまでの過程(事故の原因)が大抵は恐ろしくお粗末だから。「そんな馬鹿なことをやってりゃ…」と思うことの方が救出されてどうこうより先に来てしまう。番組がそんなことを意に介さないのは未だしも、救出後のインタビューでヘマした輩がそんなことはすっかり忘れてただ喜んでるのを見ると、「またやるんじゃないの?」なんて思ってしまったり。生きてりゃいいだけだったら犬、猫と変わらんよ。

2月5日 一席どうぞ
先日、新聞にレポーターが優先席に座っている若者に対して子連れに席を譲るように注意したところ、駅を出たところで袋叩きにあったという記事が載っていた。袋叩きのところはともかく、その前の部分がどうも釈然としない。仮に座っていたのが私だったとして、譲っただろうか?譲らないに5000点。理由は簡単。譲るつもりがあれば言われる前に譲っているに違いないから。寝ているんでもない限り気が付かないなんてことがあるわけないし。寝ていたのを起こされたりした日にはそれはもう大変だけど。じゃあ、私がその子連れの方だったとしよう。どっかのおっさんが頼みもしないのに座っていた人に注意してどかせて…さあ、座りますかとなるかねぇ?どう考えたって座り心地は良くないんじゃない?私なら「おいおい、勘弁してよ」と思うこと請け合い。座っていた人だって足を捻挫していたり、体調が悪くて目眩がしてたりすることだってあるかも知れない。見ただけで分かれば医者の仕事の半分くらいは必要なくなるな。…話がそれた。席を譲るかどうかなんて本来、自発性に委ねられている話じゃないのか。それを第3者が(勝手に)仲介しようとしたりするから話が変になるのだ。件のレポーターは「これからも注意し続ける」と言っていたらしいが、どうかなぁ…。個人的には、そんなおせっかいなおっさんが作ってくれた空席にありがたく座るような年寄りにはなりたくないな。

1月30日 生か死か
某駅で複数人が死亡した人身事故がありましたな。私のとっている朝日新聞ではここ数日ずっとそのことばかり。さてここで問題です。死んだのが全員日本人だったらどうなってたでしょう?あるいは一人がアメリカ人だったら?いや他の適当な国でもいいような気がする。韓国人であったことがポイントなのだろう。W杯共催なんて面倒なことをして、下手したらかえって関係が悪化しそうなところへ格好の出来事だったのだろう、ととれなくもない。状況的にそう英雄視されるものではなかったのではないかという話もあるし。この話、何かいいように利用されている気がするのは私だけ?

1月24日 監督
先日、プロ野球ニュースを見ていたら馬鹿馬鹿しい場面に遭遇。巨人の岡島の起用をめぐって監督とオーナーの意見が対立しているのだとか。そんなことをやっているから巨人はさらに馬鹿にされるのだ。だったらオーナーが監督やればいいじゃん。長島監督の指揮については大いに疑問を持つが、それでも彼は自分の責任において現場を取り仕切っているわけで、そんなところへその後何をしてくれるわけでもないであろうオーナーがいちいち口をはさむことじゃないだろうに。岡島がリリーフ失敗したら責任でも取ってくれるのかね。個人的には巨人に負けて欲しい方なので、負けてくれる分には一向にかまわないが、こんなのがでかい顔をしてのさばっているのは野球の好きな人間の一人として気に入らない今日この頃。

1月14日 腕は強い?
「鑑賞日記」でマラソンのことなんぞ書いていたらふとLance Armstrongのことを思い出したりした。Le Tour de France (以下TDFと略す) 2連勝中の人と言えば分かる人も多いのかな?知っている人は知っているだろうが、彼は癌で選手生命どころか命の危険にすらさらされた。それを克服し、復活、見事優勝ということで取り上げられることも多い。でも、ここで私は何かが間違っているように思えることがある。「癌の克服者」としてばかり取り上げられることだ。あいにく(?)私は今のところちょっとやそっとで死にそうにない程度に健康なので、どれだけ大変か分かるまいと言われては返す言葉もないが、でも、それとは別の問題だと思う。彼がレーサーとして凄いのはTDF2連勝を成し遂げた点、これに尽きる。99年の優勝は強豪の欠場でラッキーだったという一部の意見を2000年の優勝で、実力をもって反証してのけた…これは癌を克服してどうこうという人情話で済む領域ではない。癌を克服したというのは彼の個人としての問題だが、それをTDF2連勝という選手としての偉業と簡単に重ねてしまう無神経さが何だか私には嫌だ。彼は癌を克服して優勝したから凄いのではなく、優勝それ自体が本来称賛に値するものであることが忘れ去られているような、そんな感じがする。


↑2001年

↓2000年

12月18日 X
某宗教にはまってしまったと大評判のToshiを偲んで、というわけではなく。世間で言うところのクリスマスについて。"X'mas"ってよく見掛けるけど、実は間違い。正しくは"Xmas"のはず。理由はここをあたるのがよろしいかと。それにしても、日本クリスマス協会って一体…。しかし、そこらの適当な商店はともかく、テレビなんぞでも"X'mas"って出ているのを見掛けるからなぁ。そんな嘘を電波に乗せて垂れ流してはいけません。

11月20日 邦題
放題ではない。それはともかく。「マルコビッチの穴」という映画がある。元のタイトルは"Being John Markovich"らしい。「ビ」か「ヴィ」かということが言いたいわけではない。中学生にも分かるはず。明らかに、邦題と原題(でいいのかな?)は違うものである。Johnが抜けている?いや、そういうことじゃなく…。私の記憶が確かならば、鉄人坂井は…失礼、この映画は「穴」に入った人がMarkovichという俳優になってしまうというような話だったはず。これだけで、この邦題に問題があることが分かる。つまり、「マルコビッチの穴」は"Being John Markovich"よりも前の事象を指していることになり、時間軸上で認識のずれが生じる。タイトルってのは映画の一部であり、看板であるわけで、それが違うものを指すってことはもはや違う映画として観られてしまうということにならないのか?「マルコビッチの穴」なんてとんまな邦題を誰がつけたのか知らないが、"Being John Markovich"という原題を見たとき、「そんな邦題はないよなぁ」と思った。この短い3語にどれだけのニュアンスを込めることができるか。"Being"だよ、"Being"!それに引き換え「穴」の単純すぎる発想と言ったら…。"Being John Markovich"、訳すとしたら…難しいだろうねぇ。でも、もうちょっとましな邦題の付け方があると思うんだなぁ。「マルコビッチの穴」というタイトルでは見たいとも思わなかったが、"Being John Markovich"なら観たいと思うぞ。…これって変かなぁ?

10月22日 圧縮
DVDは絵が止まるとか止まらないとかで一部で物議を醸したりしているが、圧縮って英語だとEncodingなんだよねぇ。MP3に代表されるような不可逆「圧縮」って言葉のイメージがおかしいと思ったりする。だって、この場合、データを削って容量を少なくしていて、その削られたデータは戻ってこないわけでしょう?「圧縮」って言葉、職業柄(?)か、その対象物質自体の変化は伴わないことを指すと思うんだが。液化したりしたら相変化だし、他の物質と作用したりしたら反応じゃない。うーん、変だぞ。何よりも、データが削られ、失われていくという要素が言葉自体から発せられていないのが問題ではないのか?そこで、提案。これからは不可逆圧縮を「間引き」と呼びましょう。JPEG間引き、MPEG間引き…。え、響きが間抜けだ?そんなことを言っては行けません。この「間引き」という言葉には使用する度にデータが失われていくということに対する後ろめたさが潜んでいるのです。そう、リセット・ボタンを押せば元に戻るゲームと現実社会とを混同してしまう(本当か?)ことで起こるとも言われる少年犯罪を防ぐためにも、失われていくことへの後ろめたさが現在の社会には必要なのです。さあ、これからは「間引き」の時代です。…誰も使わないだろうけどねぇ。そういえば、「圧縮」の反対が「解凍」ってのもおかしな話だな。どこかおかしくないか?Encodingって言葉には別なものへ変化させているようなニュアンスが感じられるので、これはこれでいいと思う。別に常に英語が優っていると言いたいわけではないよ。

10月20日 呼び出し
私は電話は好きな方だと思う。でなけりゃ朝の6時まで話してたりしないか。でも、携帯電話は出始めた当初から全然好きじゃないし、未だに持っていない。相手がどこで何をしているかも分からないようなところへかけるのが嫌だとか、こっちが(もし持ったとして)どこで何をしていようと関係なくかかってくるのが嫌だとか、理由はいくらでも考え付きそうだが、今回その辺はどうでもいい。呼び出し音、或いは着信音のお話。携帯電話の着信音ははっきり言って嫌い。着メロかどうかなんてこの際関係なく。というか、携帯電話の着信音って現在の日本にそぐわないとすら思う。右へ倣え、相手に干渉しないされないの社会にあって、携帯電話の着信音はどこか異質だ。着信音(=呼び出し音)はまさに持ち主を呼び出すためのものであるが、それが聴こえるのは持ち主だけではないのは使用環境を考えれば至極当たり前。機種による着信音の違い、着メロを含めた設定による違い等あるにせよ、どうあっても着信音は人を呼び出す任務を帯びているわけで、その特徴として常に人の注意を引き付けずにおかないということがある。特徴も何も、注意を引き付けることができなければそれは既に着信音としての役割を果たさないのだが…。つまり、干渉しない、されないはずの他人すら引き付けてしまうのであり、そこが現在にあっては異質だと思わずにいられないのだ。普段見向きもされなかった青年がある日宝くじで大当たりして一気に周りからちやほやされるような漢字に似ている、かな?…「なんでこんなときだけ」というところが。そう、「何でお前の電話に着信があったことを俺まで知らされなければならないのだ」という違和感。しかも、その後の会話は半分しか聴けないという奇妙な拘束感。「俺には着信があったんだぜ、でも会話は全部までは教えてやんない」という皮肉な感じ。何か嫌だなぁ。

10月3日 客席ノイズ
一昨日のコンサートで気になったこと。客席でやたらと物音がした。パンフレットを落とす音に始まり、ビラをざらざらと落としたり、果てはコインかキーホルダーのようなものをばらばらと落としたり。その席のみ重力場が変化したりしていない限り、ものが落ちるには落ちた場所より高いところにものがなければいけないわけで、さすがに頭の上に置いたり、肩に乗せたりしている人もいないだろうから(後ろの人には邪魔なことこの上ない)、大概は膝の上から落っこちるのだろう。ここで訊きたい。演奏会中にそんなに膝の上にものが必要か?もっとも理解に苦しむのはビラだ。そんなもの、もらったら演奏が始まる前に目を通せばいいし、その時間がなければ鞄に放り込むなり、床に置いておくなりすれば良かろう。わざわざすべすべした紙で作ってあって、いかにも滑りやすそうではないか。初めて演奏会に行ったときから、私はとてもじゃないけど落っことしそうで膝の上にビラなんか置いていられなかったがね。パンフレットだって演奏会中に必要か?ただでさえ客席は照明が落ちていていかにも読みにくいと思うが。第一、パンフを読まなきゃ曲が分からないような人が、パンフを読みながらで演奏が聴こえてるのかね。私にはいつでも読めるパンフを読んでいるせいで一度しか聴くことのできないコンサートを聴き逃すなんて馬鹿馬鹿しく思える。あと、これは女性に多いが、バッグを膝の上に抱えてる人。バッグ自体が落ちたり、バッグの内外からものが転げ落ちたりと犯罪的な結末を迎えることがしばしば。そんなもの、床に置いておいたって誰も盗ったりしないでしょう。心配なら足の間にでも入れておけば良い。床に置くと高級なバッグが汚れる?そんな大事なバッグを変な角度で落っことすよりよほどましかと思うし、そんなに大事ならちゃんと持っとけよ、というのは乱暴かな?あと、一昨日は盛大にくしゃみをしていた人もいたっけなぁ。口を押さえときゃもうちょっとましだったはずだぞ。これは音を立てる立てない以前の問題だが…。携帯電話の着信音?電源の切り方も知らないお馬鹿は社会不適合者です。抹殺してしまいなさい。私が許す(←何様?)。幸いなことに一昨日はそこまで頭のお悪いお方はいらしていなかったようだ。何にせよ、一度誰かが誤って音を立てたりしているのを見たり聴いたりしたら、普通気をつけるよね。次から次へと落とされるビラやらパンフやらの音を聴くと、学ばないこと猿以下だ、と思ったりしてしまう今日この頃。

9月23日 CP
定圧モル比熱ではない。対価格比の話。最近、レタスが高い。主夫の端くれを自認する身としては結構痛い。だが、それ以上に問題だと思うのが、質が悪いこと。私がレタスに関しては絶対的な信頼を置く某スーパーですらろくなものが置いていない。今の時期のレタスの生産量がどうとかそういうことはどうでもよくって、問題にしたいのはそんなに質の悪いものが高値をつけていること。曲がったキュウリが安かったり、小さな桃が大きいものより安かったり、燃費や座り心地のいい車が軽自動車より高かったりするように、値段なりに品質は上がるものだ。ところが、不作なのか知らないが、ひどい質のレタスを普段の倍以上の値段で売り付けるというのは???と思わないでもない。そんなもの誰が買うの?私なんかは代わりにキャベツを買ったりすればいいが、仕事の都合その他でレタスを買わざるを得ない人なんかはたまったものではなかろう。いっぱい取れれば安くなり、少なければ高くなるのは分かるが、質と全く無関係というのはちょっとどうなのかしら?と思う今日この頃。こんなこと、自分が農業をやってたら書けないんだろうな。

9月16日 傘
今日、四ッ谷で丸の内線に乗り換える際に、割と長いエスカレータを上っていたときのこと、私の前にいたスキンヘッドの兄ちゃんが、私の前を一生懸命上っていた。悲しいかな、彼がどんなに頑張ろうとも世の中には彼より遥かに速くエスカレータを上れる人間が存在するのだ。何を隠そう、私だってその一人なのだ。あっという間に追い付き、とっとと追い抜いて差し上げようとしたとき、私の視界の隅から急激に接近する金属製の突起物が!そう、傘だ。階段を上がるスピードを緩めることで辛うじて一撃を回避することに成功した。今度はこちらの番だ。敵の頭へ必殺の一撃を…うそうそ。迫り来る傘の先端を自分の傘でさらりと払ってかわし、難なく追い抜いた。ここで言いたいのは、皆さんそんなに一生懸命腕を振らないと歩けないんですか?ということ。傘を水平に持って腕を振ってる輩なぞ殺意があるとしか思えない。腕を止めた瞬間に歩けなくなってしまう驚異の運動神経の持ち主や不幸な事故と見せかけて狙った敵を傘で襲撃してやろうというテロリストがこの国では暗躍しているらしい。でも、実は上で一番重要(と私が思って書いている)のは、世の中にはもっと歩くのが速い人がいるのだぞという点。私の通常の歩行速度は世の中の平均からすると相当速い方になると思うが、それより遅いのに「自分は速く歩く」と思っておられる方々が世の中には大勢いらっしゃる。エスカレータは特に顕著で、前に止まっている人がいないときに、歩いている人の列を追い越そうと私の前で頑張る人に出くわすことがあるが、笑止な限り。私から見ればその人の上がる速さなどたかが知れており、彼が追い越そうとしてる人々の列にとっとと戻って道を譲りたまえ、と言いたくなる。とりあえず、後楽園の南北線から丸の内線への乗り換えの過程で使うエスカレータを全て「秘技(?)一段飛ばし」で上れないような人はまず例外なく私より遅いと言っていい。「自分は急いでる」と思っているそこのあなた、ちらっと後ろを振り返ってご覧なさい。世の中にはもっと急いでいる人だっているかも知れないんです。急いでいなくてもやたらと歩くのが速い例外も当然ありますが。

9月14日 Bravo
昨日のコンサートで、演奏終了直後、いや、残響が鳴り終わらないうちだから、演奏中と言ってもいいのかも知れないが、「ぶらぼー」の雄叫びが。こいつは演奏を聴きに来たのか?単に「ぶらぼー」と叫びに来ただけじゃないのか?と思った。演奏がそんなに良くなかったこととは全く関係なく、そう思った。料理番組で口に入れた瞬間に「旨い」というのがおかしいように、普通、そんな反応の仕方しないよね、というのがまず一つ。Pavlovの犬(今は熊のぷーさんだっけ?)並。犬並、熊並なんて言われたら犬や熊が機嫌を悪くしかねないな。問題は、だ、その「ぶらぼー」の一番の大きいのが前から聴こえてきたという点。つまり、サントリー・ホールのP席ですな。そんなところで聴いて「ぶらぼー」もあるまい。テンポだけで名演になるんならMIDIにでも打ち込めばぁ?と言いたくなる。どこでもいい音なんてのは明らかに嘘であることを今更知らない人もいまい。そんな何が聴こえてるかも分かったもんじゃないようなところ(だってトランペットなんて向こう向いて吹いてるんだぞ)から「ぶらぼー」なんて言われてもねぇ。というわけで、私から全国のぶらぼーマン(?)の方々に言いたいのは、フライングだけはしてくれるな、やるなら一番高い席で(ぶらぼーをするのも値段のうち?)、そしてもうちょっとまともな発音で。私は常々日本語での表記による外国語の発音表現に限界を感じているが、それでも、「ぶらぼー」は明らかにおかしい。Bravoだよ。発音記号くらい調べてよ。BとVの違いとかいう以前の問題。こんなことも分からないような人は叫ばないで欲しい。やりたきゃ海岸で夕日に向かってでもやればぁ?もちろん、近くに海水浴客や釣り人がいないことが前提。どうしても分からない人はアメリカとかの拍手入りのライヴ盤でお勉強してください。叫んでるのがやっぱり日本人だったりしたら駄目だけど。

9月8日 CM
最近、CMに入るタイミングが完全に予測できる。ニュースとかは確定だが、ドラマや娯楽系はここぞと言うところで絶対と言っていいほど入る。NHK意外は軒並そうだ。これってどうかな、と思う。やりたいことは分かる。その方が視聴者をつなぎ止めやすいということだろう。だけど、全部が全部この手法ってのはどんなもんかな。もっと工夫があってもいいのではないか。CMから戻ってきたところで必ずと言っていいほどCM入り前の部分がもう一度流れるし。はっきり言って無駄だよ。時間稼ぎじゃないの?と言われても文句は言えまい。朝から晩までどこの局でも全部同じことをやっているというのは気持ちが悪い。あ、NHKは別。最近ドラマなんかを全く見なくなったのは、こういうのも原因かも知れないと思わないでもない。本当にうっとうしいと思う。

8月26日 朝まで…
昨夜、「朝まで生テレビ」という番組に偶然ぶち当たった。いつもなら「まあ、頑張ってねぇ」とさっさとチャンネルを変えてしまうのだが、「お、原陽子が出てる」と注意をひかれてしまったので、しばらく見てみた。別にファンとかいうわけではないんだけどね。何を言うのか興味はあった。ところがだ、最初の数十秒で嫌悪感でいっぱいになってしまった。これって討論なの?あ、激論は討論と違うのか?自分が気に入らない発言は途中でもどんどん割り込んで反論する(ときには反論ですらなく、全然関係ないことを言い始めたりもしてた)、人が話している間にぶつくさと独り言を言う。中学生だってもうちょっとまともにできると思うぞ。ちなみに注目の原陽子先生はその不作法な面々の被害をもろに食らっていて、ちょっとかわいそうだった。こんな不作法は大人が寄り集まって朝まで激論とやらを交わしたところで有効な結論が導き出されるとは思えないし、ましてや教育だの少年の犯罪だのといった問題の解決なんて年明けまでやったってできるとは思えない。結論としては、頑張れ、原陽子、ということだな。

8月24日 タイプライター
私と同年代の人で使ったことのある人はどれくらいいるのだろう?私は高校のTyping/Keyboardingという授業で習った。使い勝手云々は抜きにして、単純にキーの打ち味という点で私はタイプライターの方が好きだった。そして、このタイプライターを使っていた経験が今の私の打ち込み方に少なからぬ影響を残している。私は自分の打ち込み方を「クラスター打ち」と勝手に名付けている。適当な長さを一気に打ち込んで、間を置いて、また一気に打ち込んで、の繰り返しである。だから、部分的にはかなりのスピードで打ち込むことになる。しかし、100メートルを全力疾走して少し休んで、また全力疾走して…ではマラソンで勝てないのと同様に、この打ち込み方だと長い文章では後半はばてばてになる。で、何故このような打ち込み方になったかというと、私が当時使っていたのはタイプライターとは言っても電気式のもので、ある程度以上のスピードで打ち込むとタイプライターのスピードがついていかず、打ち込み終わった後にずだだだだと最高速度でタイプライターが一生懸命打つのだ。それが楽しくて、一行を可能な限りのスピードで打ち込むことに熱中したりしていたのだ。だから、私の高速領域の持続時間は英文一行分が基準になっている(紙のサイズ、フォントによるんだろうが)。ただ、日本語を打つときはややクラスターは控え目で、多少なめらかな打ち込み方になっているかも知れないなぁ。

8月22日 お料理のすすめ
料理に限らず、何かを作るという作業には想像力が必要であることが多い。音楽演奏のような芸術も同様であろう。それゆえか、小さい頃から習い事でピアノなどの楽器をやる子供が特に日本では多いように思われる。想像力豊かで頭が良くなるということだろうか。自分が音楽を聴くくせにこういうことを言うのは矛盾しているようにも思われるが、そういった習い事はあまり生産性がない。中には将来プロになって稼ぐ人もいるだろうし、音楽教室を開いたりする人もいるかも知れない。だが、大概は趣味で終わる。そこで私が提案するのが料理だ。どんなレベルで終わろうと、一様に実用的である。別にシェフになれなくてもよい(なれればそれはそれでよい)。しかし、自炊できることは多いに強みとなる。経済面では勿論のこと、腕次第では食事の質的向上も望める。腕と言っても、基本技術の習得はよほどのぶきっちょさんでない限り、普通ある程度やれば何とかなるものであろう。あとはちょっとの想像力…実はこれがミソ。塩をどれだけ入れたら、砂糖をこのぐらい入れたら…結果(=味)を想像できなければ、ある程度以上にはなれないだろう。それでも、市販のレシピ集に忠実に作れば、それほどひどいことにはならずに済む。日頃の味覚の鍛練も関係するのだが…。何だか例によってまとまりがなくなってきたが、私が言いたいのは、子供にお稽古事をさせるのもよいが、お料理を教えてあげるのも悪くないんじゃないの?と言うこと。最近は料理をしない女性も増えているらしいが、大概のお母さんなら料理を教えてあげる位できるでしょう(お父さんでもいいけど)。わざわざ高い月謝を払わなくて済むし。何より、それなりに使えるレベルに達すれば、楽ができるのはお母さんですよ(お父さんが家事をする家はお父さんだけど)。子供はおろか結婚すら考えてない私が言ってもしょうがないか…。

8月18日 逆走
また自転車の話。私はそれなりにスピードを出して走るので、車道を走ることが多いが、たまに車道を逆走してくる自転車がある。何を考えているのだ?!もともと路肩なんてそんなに広く作られているわけがなく、自転車が2台並行で走るだけでも十分問題がある。何より腹立たしいのが、逆走してきた張本人がすれ違う際に歩道側を走ろうとすること。車道側の方がリスクが高いのは確かだが、逆走していれば車の往来の状況も確認できよう。しかし、こっちは後ろの確認すらままならないことが多い。何故なら、逆走してくる自転車の大半はそんなに長い距離を走ってくるわけではなく、突然飛び出してくるような場合が殆んどであり、ただでさえ時間的余裕がない上、逆走してくることでほぼ倍のスピードで近付いてくるわけだから、更に余裕はなくなる。結局、後方確認もろくにできないまま進路を車道よりにせざるを得なくなったりするのだ。機嫌の悪いときなど、よっぽどジャンプして上から踏んづけてやろうかと思ったりする。そんなに高くは飛べないか。

7月17日 実況
昨夜、とあるテニスの大会のダブルス決勝戦の録画映像を流していたのを見たが、ここ数年ずっと感じてきた問題点が一向に改善されていないことが分かった。つまらないのである。試合が、ではなく、その放映の仕方が。正確に言うと、実況が全く面白くないのだ。サッカーや野球のパヴロフの犬以下の反射的絶叫もどうかと思うが、日本のテニス中継の面白くないことと言ったら常軌を逸している。日本人の多くがテニスは見るものではなく、やるものだと考えているという話を聴いたことがあるが、こんな中継では見たくなくなるのも無理はない。例を挙げてみようか。「今のはいいショットでしたねぇ〜」、「凄いバックハンドですね」、「強烈なフォアハンドが決まりました」…。これらから一体何が分かるだろうか?実際の映像を見ないことには何が起こったのか想像すらできない。それ以上に問題なのが、何が起こったか以上のことが何も伝えられていないということ。映像の下僕であって、おまけの地位すら得ることができていない。言ってしまえば、こんな実況ならあってもなくても誰も困らない。最近の若者の表現力が〜なんて話を聞くが、若者に限ったことでもあるまい。で、提案だが、スポーツの実況をやる人材を普通のアナウンサーとは分けたらどうなんだろう。少なくとも、テニスに関してはもうちょっと専門的知識のある人にやって欲しい。あ、あと、ポイントの最中に余計なことを話すのはやめて欲しい。視聴者の邪魔をしてはいけません。

6月14日 雨と自転車
雨の中を自転車では知るのは率直に言って反対。自分がやらない理由としては、雨が目に入って視界が悪くなる、ブレーキの効きが落ちる、仮に傘をさしても下半身はずぶ濡れになることが多い、などなど。他人でもして欲しくないと思う理由は、傘さしてふらふらしてる人が多いから。人が歩くべき道である道路を自転車で走ることすらずうずうしいというのに、その上傘をさそうとは。邪魔で危ないことこの上ない。傘をさしていれば頻繁に視界が悪くなるし、風の影響をもろに受ける。当人がすっ転んで怪我しようが知ったことじゃないが、こっちに突っ込まれたりするのはかなわん。もともとたいして直進性能の良くないママチャリをどれだけ運動神経があるのかも分からないような人が片手に傘なんぞ持って運転しているのはどう考えても安全じゃない。じゃあ、傘をさして車道を走りますか?バスのミラーなんかに傘が引っ掛かるのが関の山か。

5月24日 世襲制
冷めたピザの子供はもっと冷めたピザ?なんてつい言いたくなってしまう。親と同じ仕事に就こうと思うのはそう不思議なことではないんだが、今回の前首相の件では、ちょっとなあと思うことが。まわりに出ろと言われなかったら、果たしてこの先一生選挙に出ただろうか。経歴なんかを見る限りでは違うんじゃないかな、という気がする。語学留学って言えば聞こえはいいが、要するに英語ができないってことでしょう。できる人は語学留学なんてしない。それぞれの専門を勉強したりしに行く。言葉が過ぎたかな?

5月16日 神の国
どこかの首相が、「日本は天皇を中心とした神の国」とかのたもうていたとか。じゃあ、他の国はどうなるんだろう?やっぱり、天皇を中心としない悪魔の国なのかな?こんなことをどれだけの国民が承知してくれるのやら。

4月23日 疎外感と連帯感
最近、アメリカでは漢字が大流行なのだそうな。各地のデパートでは「善魂」、「特攻隊」、「蝶類学会」などとプリントした衣服や食器が売られているのだそうな。前二者はともかく、蝶類学会ってのは…。何でも、「分からないのが格好いい」のだそうだ。この朝日新聞の記事をみて、ふと思い出したのが渋谷その他でうようよしている、報道機関で「やまんば」などと呼ばれている(知人A曰く「バッタ」、知人B曰く「バッタ以下」…皆口悪い)、女子高生のパンダ顔。どこからどう見たって良いとは思わないし、私の周りの人も同様の感想を持つ人が殆んど。でも、そこがミソなんじゃないだろうか。つまり、他の人には分かってもらえないという疎外感の中で、「やまんば」同士なら分かるという連帯感、共同体意識みたいなものがあるのだろう。これって所謂「オタク」的思考なんじゃなかろうか?と考えると、一見突飛なことをしているようでも、何だ日本人ってそんなに変わっていないじゃないか、とも思えてくる。でも、やっぱりあのひどいメイクはやめて欲しい。いまだに、見掛ける度にひいてしまう。

4月17日 女性アナウンサー
柄にもなく真面目な話を書いた翌日にこんなことを書いているのはどうかという気が自分でもしないわけでもないのだが、根が不真面目なので、真面目ぶっててもインチキ臭くなるだけだし。4月からの番組改編にともない、アナウンサーの方々もそれぞれ担当が変更になったりされたわけだが、私としては日本テレビの馬場典子さんが「ジパング朝6」(月・火)のメインに昇格されたことが何より嬉しい。本人も気にされているようだが、声が低すぎるのがたまにきず。しかしながら、ちゃらちゃらしすぎず、かといって固すぎずという絶妙な位置におられるため、どんな番組でもそつなくこなせそう。彼女が入社した年に天気予報で出たときから密かに(?)応援してきているので、今回の昇進?は本当に嬉しい限り。早起きの励みにもなるというもの。もう一人、フジテレビの武田祐子さんもこの度土日の夕方のニュースのメインに昇格された。この人の歯切れのいい声はニュースでもいいのだが、もっと娯楽性のある番組で真価を発揮するような気もするが、性格的にはニュースの方が向いているのかも知れない。同じくフジテレビの大橋マキさんのプロ野球ニュースメインへの起用は大抜擢というよりは大博打といった感もあるが、彼女は笑顔でいるだけで空気を作るという希有な才能の持ち主。とちるだけで空気を和ませることのできる先輩もいらっしゃる会社だが…。両脇を専門家で固めて、お飾りに徹しさせているが、ずっとそのままで行くわけにもいかないだろうから、今後の展開に期待。

4月16日 遺伝子組み替え植物 その2
一昨日、サークルの新歓コンパの席にて、女の子が、「遺伝仕組み返しているのは危ないからって、母親が生協のパックを送ってくるんです」というようなことを聞いて、「何をどこまで分かっていってるのかねぇ」と改めて思った。その子に直接言うことはしなかったが。「危ない」って何を根拠に言ってるのかね、と考えて思い出したのが、「遺伝子組み替え植物を食べた蝶(蛾だったかな?)の幼虫がくたばった」とかいう話。組み替え反対派はこれを根拠の一つとして掲げてるらしい。ちょっと待てよ。蝶の幼虫って特定の植物の葉しか食べないはず。ということは、消化酵素なんかはその植物に特化しているんじゃないか?逆に言えば、他の植物に対する適応力がないということ。だから、ちょっとの変化でも消化できなくて死ぬんじゃないだろうか。で、人間はどうだ?キャベツもレタスもほうれん草も食べる人間が、そのちょっとの違い程度で消化できなくなったりするものかな。だいたい、「死んだ」という事実ばかりが強調されて、その原因が「組み替え植物を食べた」というところで止まっている(ように宣伝されている)のは、正しいかも知れないが、全てを語ったことにならないんじゃないのか?組み替えたことによって生じたどのような違いがその幼虫を死に至らしめたのかまでを特定しないと始まらないでしょう。これは決してやってできないことじゃないと思う。ついでに言えば、「今は分かっていなくても、何か悪い影響があるかも知れない」なんてことを言い始めたら、従来の交配で誕生した雑種だって分かったものじゃないし、もっと言えば、そもそもの野生型だって分かったものじゃないということになるんじゃないの?もう少し言えば、「組み替え植物は危ない」というスローガンは輸入作物に圧迫されている国内の農業関係者の対抗手段なのではないんだろうか。裏ではどんな動きがあるのやら、と訝しく思ってしまうのは、私の意地が悪いだけかな?

4月12日 石原発言
何かと話題に事欠かない人だ。「三国人」発言なんて、わざわざそんな言葉を使うのは何か意図があるとしか思えないんだが。自衛隊を軍と言い切ってしまったことは評価していいのではないかと思う。戦車や軍艦、戦闘機を持つ団体が軍でなくて何なんだ?世界有数の軍事予算を誇る国が今更「軍じゃない」なんて言ってもねぇ。本質的にどうこうとかいうより、目の前に見えているものが正しく見えているか、ってことではないのかな。どこの国の人が見ても、大砲や機関銃を撃つ演習を行う団体は軍だと言うと思うがね。日本人は表面的な建前ばかりを取り繕うなんて言われることもあるが、表面すら取り繕えてない気がする。

4月4日 椅子取りゲーム
椅子に座り損ねた人が、椅子に座っている人に対して、「それは俺の椅子だ、よこせ」何て言ったらどうなる?私に言わせりゃ、それならゲームなんてする意味がないじゃない。で、先日似たような状況に出くわした。研究室の同期がそれまで使っていた椅子は車輪がついていないものだったのだが、「俺は先輩なんだからいいものを使う権利がある」とか言い出して、後輩の椅子と自分の椅子を交換をしようとしだした。後輩というのは要するに新しく配属になるB4だから、彼らが研究室にやってくる前ならまあ理解はできようが、問題はその同期が取り替えようとした椅子の持ち主は一度研究室にやって来ていて、「君の椅子はこれだからね」と一度本人のものとなったことを本人も確認したものを、「これがいい」と言って勝手に取り替えようとするのはいかがなもんだろう。せめて本人の了承を得るべきだろうが、その程度の度胸がないからこそ、本人のいないところでそういう行為に及ぼうとするのだろう。陰湿極まり無い上、当人は「当然のこと」と言わんばかりで、救いようの無さを感じる。これじゃ学生の特許を取ったとかでスクープされた教授さんのことを笑えないんじゃないかと思うんだが。

3月2日 ラップ
周回タイムではない。サランラップとかのお話。ダイオキシン問題やら何やらで、最近非塩素系のラップが増えているが、どうにも。研究室でも非塩素系を一時期導入したが、ひどく評判が悪く、塩化ビニリデン製のものを最終処分で大量に購入した。最近はもっと便利になってラップを使わないようになったが、一時期実験で膜をサランラップで、空気が入らないように包むという作業があって、非塩素系では絶望的なまでにうまく行かなかった。感触的にかさかさしていることからも分かるが、膜との密着性がよくないのだ。あるいは、ビーカーに用意した試薬にカバーをかけるのに使う際も、非塩素系ではビーカーにピタッとくっついてくれず、大きめに切ってビーカーの底まで達するようにしたりしなければならなかった。業務用ではいまだに塩ビも用いられているという話だが、この使用感の違いでは致し方のないところか。ラップメーカーにはもっと頑張ってもらいたいところだ。

2月12日 おしい2
昨日は野球の試合の話なんか出したから、本来書こうと思っていたことから知らず知らずのうちに離れちゃった。CDを聴いての感想で惜しいってのが一番悪いってことが言いたかったんだな。つまり、もしあんまりにもどうしようもない演奏だったら、「ばっかだねぇ、しょうがないねぇ」で笑っていられるけど、「あとちょっとなのになぁ」という思いを持ちながら聴くのは神経によろしくないのではと。要するに諦めがつくかどうかってところがポイントですな。あんまりにも駄目なものは、駄目であることを楽しむということができる(かな?)が、ぎりぎり駄目だと、合格ラインの寸前で足踏みしているのをいらいらしながら聴くことになるのだ。これって「おあずけ」みたいで気分悪いな。Fedoseevの「春祭」なんてあまりにもばかばかしくてかえってそのばかばかしさを楽しめると思うんだが。そう、「惜しい」と思いながら聴くことは、同時に合格ラインがどこであるかを常に探してしまうので神経に辛いのだ。到達するはずのない合格ラインだったらあってもなくても変わらないもんね。何だか支離滅裂な文章だな。

2月11日 おしい
昨夜CDを聴いた感想を別項に書いていて、ふと思った。惜しいってのは実は一番悪いことなんじゃないかと。一点差で負けた野球の試合は「惜しい」の典型的な例だろう。しかし、この「惜しい」が内包するのは後悔の念ではなかろうか。「こうしていれば」、「こうなるはずだった」といった感情が渦巻いているように思えてくる。「惜しい」という感情を持つ所以は現実の結果が違っていてもおかしくなかった、あるいは違っているべきだったという信念。「あのときこうしていれば良かったね」という反省の材料にすればそれでいいじゃないかというわけにはいかない。何故なら、「惜しい」は反省より前に存在するから。どこがどう悪かろうが、違う結果を導き出す可能性があったという感情が先に立っているのだ。自信と言えば聞こえはいいが、現実にできなかったんだから、経緯がどうであれ「惜しい」なんて言うのは傲慢以外の何物でもない。自分の責任を棚に上げる手っ取り早い方法である。

2月1日 遺伝子組み替え植物
最近、風当たりが強い。植物をやっている研究室にいる身としてはちょっとなあ、と思うところがある。うちの研究室では農作物に直接関係する研究をしている人はいないが、抗癌剤なんかを作らせようとしている人はいる。さて、「遺伝子組み替えしたものは体に悪い」という人は、遺伝子組み替えによって作られた抗癌剤も「体に悪い」と言って使わないのかな?「体に悪い」とぎゃあぎゃあ言ってる人たちはどれだけ分子生物学の知識があって言ってるんだろう。味が悪いとか、副作用が報告されたとか、具体的な根拠があってのことなのかな?研究している側がそのくらい考えていないとでも思ってるのかな?ちょっと気分が悪い、この話。そういえば、電磁波は体に悪いから携帯やPHSは良くないなんて言ってた人たちは何処へ行ってしまったんだろう?ついでに言えば、着色料やら保存料やらの方が体に悪いような気がするのは私だけかな?

1月23日 言ってはいけない?
どこにでも流行りの造語なんてのはあるようだが、先日、とある掲示板でちょっとどうかな、というものがあり、どうも一時の流行程度で終わりそうにないので、「そういう使い方はどうかな」という投稿をしたところ、「じゃあ、あんたがCDを買った話を聞くと貧乏な私は悲しくなるから、やめてくれない?」なんて主旨のことを(匿名で)言われた。そもそもの私の投稿と話の筋が異なってしまっているし、匿名ではさっぱり現実味がないが、それとは関係なくこれもどうか?そんなこと言ってたら、歩行障害を持つ人が見てたら可哀想だから歩いたりしてはいけなくなるし、食事制限をしなければならない人が可哀想だから甘いものは食べてはいけないし、究極的には死んだ人が可哀想だから生きていてはいけないってことにならないか?そうしたい人は勝手にすればいいけど、私は御免だね。

1月19日 ナンバー・ディスプレイ
昨日、やむなく携帯電話にかけざるを得ない状況になり、改めてその音の悪さを痛感。と、そこでふと思ったのだが、携帯電話にナンバー・ディスプレイ機能が標準装備されてるのは、音だけではだれがくっちゃべってるんだか分からないからではないだろうか。知人は「あの音じゃ男か女かすら判別不可能」と言っていたし。

1月4日 ら抜き
某国営放送の年末国民行事的歌番組に於いて、さる沖縄出身4人組(まだ解散しない方)の歌詞に思わず吹き出した。「〜一緒にいれたら〜」…何処に何を入れるのさ?「見れる」、「食べれる」ならまだしも、これでは意図するところがわからん。ひょっとしたらそのようなら抜きを風刺しているのか?それとも、ら抜きと見せかけて、実は「入れる」の意味で使っているのか?後者なら是非何を何処に入れたのか教えてほしいもんだ。一緒にとなると、結構重たいものか、大きいものなのだろうな。

↑2000年

↓1999年

11月30日 宗教と詐欺
巷を賑わしている某宗教団体が詐欺で告発されたとか。宗教って騙してなんぼじゃないのか?聖書を例に挙げてみても、あり得そうもない素晴らしい奇跡が山ほどある。それらを「こういうことだったんじゃないの」とか「このことを指してるんじゃないの」というように現実に当てはめる研究がされてるらしいが、仮に現実だったとしても、そんなの誇大広告でC.W. ニコルあたりにJAROのコマーシャルで文句をつけられるだろうし、嘘なら「この内容はフィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係ありません」と明記しておかないと、視聴者からクレームが来まっせ。

11月29日 自転車
噂に名高い暴走自転車運転を行う私だが、一つだけ徹底させているのが、歩道では極力ベルを鳴らさないこと。本来歩道を自転車で走ること自体が間違っており、その上に我が物顔でちりちり鳴らして走ろうなどとは迷惑千万。そんなに速く走りたきゃ車道へ行けよ。というわけで、私は基本的に車道を走る。車を運転されてる方にはちと迷惑かもしれんが、そんなにちんたら走っているわけでもないし、自転車一台まともに避けられないような人が公道を自動車で走り回ってもらっては困る。

11月27日 お受験
わりと家の近所で起きた殺人事件。テレビなどで聞く限りでは自分の子供が落ちたことに対する八つ当たりとも思えるが、そんなことはこの際どうでもいいや。だいぶ前から私は「お受験」が嫌いである。それなら「お中間テスト」や「御成績表」と徹底してほしい。それはともかく、私立の名門幼稚園から名門小学校、名門中学校、高校、大学、そして一流企業というのが、親が子供に歩ませたい道筋なんだろうか。私にはこれが学校まかせの手抜き教育としか思えない。私に周りには中高一貫教育を受けた人もそうでない人も多数いるが、その中でもそれこそ千差万別、十人十色。「この人はよくできた人だ」と思う人も多いが、それが学校教育だけで身に付いたとはとても思えない。人生、そんなに単純ではないでしょう。受験戦争なるものを今一体感できずに終わった私が言っても説得力がないか。

11月19日 自由って何だ?
真の自由なんてあるのか?自由であることを定義した時点で、自由であるという枠に入ってしまう以上、それは自由ではない。自由であること自体が自由であることを阻むのだ。自らを規制する一切を振り払うことが仮にできたとすると、そこには無しか残るまい。いや、無が無であることによって無であることを覆す以上、完全なる無もやはり存在し得ない。完全な自由、完全な無などない。

11月11日 応援について
昨日のワールド・カップの放送は極めて不快だった。私は個人的にクロアチアを贔屓にしているのだが、日本の応援中継になることくらいに関して文句を言う気はない。ただ、試合の後半、Jelicの疲労の色が濃くなっているのを見て、「Jelicは疲れているぞー!」と嬉々として連呼するのはどうか。ワイドショーが逃げ出しそうな下品ぶり。スポーツマン精神がどうとか言う以前の問題。コ○・コーラがペ○シは不味いと直接言うようなもの。

11月4日 民主主義について
要するに多数決でしょう。でも、半分以上がお馬鹿さんだったらどうするんだ?坂を転げ落ちるしかなくなるのではないだろうか。

11月4日 医療について
AIDSの治療薬なんて必要あるんだろうかと思わないこともない。薬害や親からの感染は本人の責任の及ぶところではないので、気の毒ではあるが、自業自得な感染について同等に扱う必要があるのか。むしろいい天罰ではないのか?でも、私も風呂上がりにのうのうとしすぎて風邪をひいたので風邪薬を飲んだなんてことはしょっちゅうだから、人のことは言えないか。

↑1999年


常日頃へ