No.1846 題名: <クラプトンの秋>はまだまだ続くよ・・・ お名前: ブルー爺@大阪厚年74.11.6at3階J列31番 投稿日:2002-10-25
>”Tell the truth ”のソロがやけに長かった

 ああ、75年、次の77年もそうだけど、どの曲も長かったねえ。「トゥルース」も15分近くやってたはず。ドラム・ソロ入りの大阪2日目(10月23日)はさらに長くなったな。

 ピアノ・コーダなしの「レイラ」、いわゆる"ショート・ヴァージョン"てのは名ばかりで、延々とソロをやっちゃうものだから、ヘタすりゃ今の2部構成完全版より長かったんじゃないか(笑)。「バッジ」のソロも今の3〜4倍はあったよねえ。

 70年代、としかいいようがないな。

 さて、こないだから<クラプトンの秋>回顧モードに突入しているが、通のあいだでは90年代屈指の名演と呼ばれるのが93年10月25日(月)の武道館。ワシは観とらんが、全編で"憑いた"ソロが聴けたとのこと。全公演の追っかけに来日したイギリス人のマニアが「ECのオール・タイム・ベスト・コンサートのひとつ」とまで絶賛するほどの凄さだったらしい。というわけでここはひとつ、関東勢に思う存分語ってもらおう。目撃者の方、よろしく。

No.1803 題名: マボロシの弦切り? 75年初日、10月22日・大阪フェスティバル・ホール お名前: ブルー爺 投稿日:2002-10-21
 ず〜っと忘れていたことを、誰かが話題にしたせいで思いだしたりする。3年前、今はなきHP<SLOWHAND GARDEN>で、GodHandさんが、初来日の武道館で、ローディがカバーをかけたギターを恭しくECの元に運び、カバーをサッと剥ぎとると、そこに現れた見なれぬギターにお客がドッとどよめいた、そのギターこそあのギブソン・エクスプローラーだった、と回想されていたのを読んだとたん、ワシが観た大阪最終日でもまったく同様のことが行われたのを鮮やかに思いだした。25年間、これっぽっちも記憶の表面に浮かんでこなかったことを―。

 70年代から80年代にかけて、大阪梅田近辺にHOGG(「ホッジ」と読む)という輸入レコード店があった。ブリティッシュ・ロック・マニアの店長が采配を揮うマニアックな品揃えで、関西のウルサがたロック・ファンを引き寄せていた。この店長氏はまた、熱烈なクラプトン・ファンとして知られていた。

 この春頃だったか、とある掲示板でこのお店のことが話題になった。そのなかで、常連客だったボーダーが、75年の再来日時、店長氏が口にしたコメントを回想していた。こんなふうな内容。

「今年のクラプトンはリキ入ってたね。なにしろ、初日の1曲目から弦を切ったりしてたんだから」

 その瞬間、27年の歳月を飛び越えて、ワシのまぶたの裏に、「レイラ」のソロのさなか、白のカラーが目にも眩しい新品のテレキャスターのネックから、切れて垂れ下がった1本の弦を右手でウルサそうに(髪の毛を掻き揚げるような感じ。分かる?)脇に押しやっていた場面が浮かび上がったのであった。

 が、子細に考えていくと、本当にHOGG店長氏の言ったこと、更にはワシの記憶が正確かどうか、少々腑におちない点がないでもない。なぜなら、ECはギターを取り替えることもせず、そのまま「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」→「天国の扉」→「ブルース・パワー」とテレキャスターを弾き続け、5曲目、イヴォンヌ・エリマンのソロ・タイム(「マイ・ウェイ・ホーム」)になって初めてギターをローディに預けたのだから。この点に関するワシの記憶に間違いはない。このときのサブ・ギターは、ドラム・セットの斜め前に立てかけられて観客の目を引いていたクリーム最後期〜ブラインド・フェイス時代のメイン・ギター、ほかならぬギブソン・ファイアバードlだったのだから。彼奴をプレイする姿をこの目で観たかった・・・。

 弦が切れても、おさえ方しだいでは同じコード、同じ音を出すことができるのはワシも知ってるが、しかし1曲ならともかく、4曲も続けて弦の切れた状態で弾き続けるなんてことがありうるだろうか。

No.1859 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-10-27
[10月27日]
1974年:夜刻、羽田国際空港に記念すべき日本への第1歩をしるす。
1975年:北九州市立綜合体育館(九州初公演。「恋は悲しきもの」日本初演)
1993年:東京=日本武道館
1997年:東京=日本武道館(デレクTV放映用収録日。このときの来日でただ一度「ホワイト・ルーム」を演奏

No.1863 題名: 思い出のビブロス、ってシカゴの曲だったっけ? お名前: ブルー爺 投稿日:2002-10-28
S.LAYLA.Sさま
>赤坂ビブロス

 当時の外タレ御用達のディスコティック(とフル表記するのが雰囲気。『サタデー・ナイト・フィーバー』前後から定着した「ディスコ」とやっちゃうと、ニュアンスが出ないのだ)ですね。
 ECも初来日時には通ったそう。顔は知らなくても、店内ですれ違ったりしたのでは?

天邪鬼さま
>思い出深いのは、79年、87年、93年、番外98年アメリカ公演。

 私にとって印象深いのを5つ挙げると、75、79、87、93年、もうひとつはその都度変わります。けっこう共通してますな。

>正直いって熱烈なファンという訳ではない

 アメリカまで観に行っといて、それはないでしょ(笑)。スカしちゃイヤン。

クラプトンの秋:来日ごよみ
[10月28日]
1997年:東京=日本武道館 (総じて評判の芳しくなかったこの年の東京公演のなかではベスト、と言う人がいる一方で、ミスが目立ってハズレ、という声も聞こえる、人によって意見の分かれる日。どっちやねん?)

No.1866 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(3) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-10-29
[10月29日]
1975年:静岡=駿府会館(現在に至るも唯一の静岡公演。オーティス・ラッシュ一代の名曲「ソー・メニー・ローズ」ただ一度きりの演奏、しかも15分ヴァージョン。それはいいんだけど、全10曲と、曲数ちょい少なめ。あれかね、その日のうちに東京に行きたくて、新幹線に間に合わせるためにはしょったのかね、やっぱり)

 同年春に初来日したクイーンもここでやったけど、この頃ってよく静岡に外タレが来てたんだよね。前に駿府会館でEC観たって人の書込みがあったけど、ここってキャパどれくらいなのかな? もう長いこと名前を聞かないような気がするんだけど、今でも残ってるの? 知ってる人、教えてちょうだいな。
No.1872 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(4) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-10-30
[10月30日]
1993年:横浜アリーナ(23日に加えて、追加で決まった横アリ2日目。観た人の話だと、ECの機嫌よろしくなく、いつもなら「テアリング・アス・アパート」でやるソロ弾きながらのステージ一周をやらなかった由。出来イマイチだった18日の大阪初日でもやらなんだな、そういえば1997年:東京=日本武道館(これも追加公演。ワシも客席におりました。この年は大阪圧勝と言いきれるほど地元でリキの入った演奏が聴けたもんで、覇気に乏しい演奏に、えらいことした、金とヒマ使うてわざわざお江戸に出てくるんじゃなかった、と後悔したもんです。曲目も変わらなんだし)

No.1874 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(5) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-10-31
[10月31日]
1974年:東京=日本武道館 (ジャ〜ン、日本初公演の日。当時ロック・ファンのあいだでさしたる根拠もなしに、しかしなぜか確信を込めて囁かれていた「クラプトンは絶対に来日しない」というジンクスが崩壊した瞬間でもあった。あの日に帰りたい、ってか。伝説の名器、ギブソン・エクスプローラーが東京でフルに使用されたのはこの日だけだったにもかかわらず、初来日初日ということであまりに強烈な印象をファンとマスコミに与えた結果が、28年後の今も払拭されない「初来日=EXP一本槍説」)
1988年:名古屋=レインボーホール(エルトン・ジョン、マーク・ノップラーを引き連れての「男は顔」、25周年記念ツアー初日。GodHandさんの以前のカキコによれば、2日後の東京ドーム公演よりもずっとよかったとのこと。ただドーム公演というのは、演奏がよくても見場と音響の面でどうしても割り食うから、その辺を考慮してあげる必要があるとは思う)
1993年:東京=日本武道館 (最終日となった追加公演。この日がいっちゃんよかった、との声も聞かれるが、最終日だからいいはず、という先入観に引きずられてる感なきにしもあらず。悪くはなかったんだろうが、ワシとしては、GodHandさんほか通人が推す「25日最高説」の肩を持ちたい)
1997年:東京=日本武道館 (これまた最終日となった追加公演。前日同様、ワシも客席に。全体として大阪には及ばなかったとはいえ、「オールド・ラヴ」での超ロング・ソロ、「サンシャイン」で聴けた一風変わったミニマルなソロなど、聴きどころも多く、上京したのは必ずしもムダではなかった、と胸を半分撫でおろす爺であった)

 公演のなかった日をのぞき、12月17日(91年ジョージ・ハリスン公演最終日)までこの調子で毎日つっ走りろうか、と思っとります。どうせなら9月26日からやって<クラプトンの秋>全日程をカバーすりゃよかったね。粘着やめれ〜、ってか(笑)。

 来日しない年だからこそできるこの企画(来てりゃコンサート通いで皆さんそれどころじゃないもんね)、その場に居合わせた方、そしてそうでない方も、コメント、思い出話、茶々、イチャモン等、何でも大歓迎。

No.1892 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(6) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-01
[11月1日]
1974年:東京=日本武道館(アンコールにて「リトル・ウィング」初来日公演中ただ一度の登場。全12曲 はこのときの来日ではもっとも少ない。福田一郎いわく「ハッキリ言って手を抜いてたね」。最新の学説【笑】によると、エレクトリック・セット1曲目「リトル・レイチェル」でEXPが用いられた以外、黒のストラト、十中八九ブラッキーだろうが、が全面使用された)
1975年:東京=日本武道館(「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」16分ヴァージョン。中村とうよう評「このアドリブは次々にいいフレーズ続出、手に汗握る好演」。前年の観客の目に余る悪ノリに手を焼いたEC側が開演前プロモーターに「絶対に満足させるから立ち上がらないでほしい」と異例のアナウンスをさせたのもむなしく、1曲目「レイラ」から前方にお客が詰めかけ、アンコールではステージに駆け上がって演奏を邪魔する者まで現れる始末。当時の『ニューミュージック・マガジン』に掲載された、憤慨したファンのお便り―「舞台に上がろうとしたやつ、クラプトンに抱きついて喜んでいたおバカさん。あんた達は一体何しに来たんだ。せっかくクラプトンが『満足のできる演奏をする』といってるのに、どうしてそれに応えてやらないんだ。舞台に上がってこられたら、満足のできる演奏なんてできっこないだろう」
No.1895 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(7) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-02
[11月2日]

1974年:東京=日本武道館(追加公演。「プレゼンス・オヴ・ザ・ロード」日本初演。この年のツアーでは毎度のことだった、過度の飲酒によるタガのゆるみ方も、この日は限度を越えた感があり、当時伝えられた、ステージサイドのソファに腰かけながら、あるいは立って居眠りしながらのプレイは、どうやらこの日の出来事のようである。"Shut up! SHUT. UP.[黙れ! ダ・マ・レ]"―終盤からアンコールにかけてなされたECの観客への罵倒は、外タレ来日史上でも類を見ないほどひどい、耳を塞ぎたくなるものであった。古くからのファンで、いまだにこの出来事がしこりを残しているという者は少なくない。この日EXPは用いられず、本編ではサンバーストのストラト[ブラウニー?]、そしてお客に当てつけるように、故意にほとんど弾こうとしなかったと目撃者が伝えるアンコールで、黒のストラト[まずブラッキーと見なして差し支えなかろう]が使用された。とどめに、何か聞くに耐えない罵声を放って、ECはステージを降りていった)

1975年:東京=日本武道館(「ストーミー・マンデイ」日本初演。前日のような一部観客によるバカ騒ぎもなく、評価の高い75年再来日公演のなかでも、とくに際立った出来映えだったと伝えられる。なお、99年ECのクリスティーズ・ギター・オークション用に作られたリスト・ブック中、この日のものということで掲載された写真[p.136]はミスクレジットで、実際は初日の10月22日、大阪フェスのもの。とにかく75年は、昨年で15回を数えるEC来日暦のなかでも別格という感じで、「あのときの感激をもう一度、と期待してその後も欠かさず足を運ぶも、毎回ガッカリしてばかり・・・」とボヤくオールド・ファンを多数輩出した点で、罪作りだったといえる)

1987年:東京=日本武道館(東京3回、名古屋・大阪各1回、計5回という規模だったこともあって、ブルー爺が皆勤できた唯一の来日である<オーガスト日本公演>初日。4人編成というのは来日史上最小。2時間15分と長い演奏は聴きごたえがあったが、ネーザン・イースト、スティーヴ・フェローニによるテクニカルなリズム隊のプレイが冷たくて好きになれない、と感じたのを覚えている。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったロバート・クレイの前座付きで、アンコール「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」にも客演、とお得な内容ではあった。「クロスローズ」東京初演。「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」日本初演。自分は気づかなかったが、ECは相当酔っぱらっていた、と言う人もいる。事実、この頃ECは何度めかの、そして最後の深酒の時期のさなかにあった)

1988年:東京ドーム(FMや衛星放送でお馴染みの、<25周年記念ツアー>ドーム公演。ジョージ・ハリスン公演以外では、いまだ唯一のドームへの出演である。条件の悪さを抜きにすれば、気合の入ったいい演奏内容だったと言えるのではないか。ピアノ・コーダの最中、ECとネーザンによるスキャットが入る「レイラ」は、同曲のベスト・ライヴ・テイクのひとつとして、海外のマニアのあいだでも人気が高い。なお直前のUSツアーのメンバーで、そのときの内容がそのまま流用されたプログラムにも写真と名前を連ねているケイティ・キスーンは、何らかの事情で参加せず、英国でダンス・ミュージック系の歌ものをリリースしていた白人シンガー、トレイシー・アッカーマンが替りを務めていた)

No.1904 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-03
[11月3日]

本日行われた公演はなし。

No.1908 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(8) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-04
[11月4日]

1987年:東京=日本武道館(1日オフを挟んでの公演。なぜか「サンシャイン」演奏されず、アンコールは「FOUTR」1曲のみだった。それでも2時間以上やったのだから、このときの演奏時間の長さが窺われる。終わって会場を出しな、階段の下辺りで柳譲治サンとすれちがったのを覚えている。この来日で毎回必ずやったことふたつ。1.「セイム・オールド・ブルース」でソロを弾くときにステージ左右のどちらか、または両袖に歩いていって、斜め後方スタンド席のお客のまん前でプレイするというサービスをやってくれたこと。2.「レイラ」の導入部で、この年に不可解かつ悲劇的な死を遂げた天才ベーシスト、ジャコ・パストリアスを偲んで、故人が所属していたウェザー・リポートの名バラード「お前のしるし"A Remark You Made"」を演奏したこと。ネーザンのフュージョン寄りのプレイもここでは見事にハマり、サンプリングされた女性コーラスと相まって、切々と胸打つトリビュートとなったのが忘れがたい。88年、90年の来日でもダイジェスト的にごく短く演奏されたが、ここではほぼフル演奏され、1曲と数えても差し支えないと思う)

1988年:東京=日本武道館(<25周年記念ツアー>追加公演。どうやら直前に決まったらしく、ローカル情報誌はともかく、音楽雑誌等への告知もなかった。ネットなんてない時代のこと故、追加が出たことなどつゆ知らず、ドーム公演の感想をきくつもりで当夜東京の知人に電話したら、今しがた追加公演から帰ってきたところ、との第一声を聞き、ビックリしたものである。「理由はちょっと言えないんだけど、追加を組まなければならない事情があってね・・・」と何やらワケアリの様子。当時昭和天皇が病床に伏していて、来日とXデイがぶつかって公演中止になった場合に備えてECもしくはプロモーター側が保険金を支払っていたというのは聞いていたが、その出費の埋め合わせのために追加が組まれたのではないか、というのが当時自分なりに想像したこと。結局、公演はぶじ行われた。マーク・ノップラーのフィーチャー・タイム「マネー・フォー・ナッシング」で、同時期に来日していて、曲の共作者でもあるスティングが飛入りしたのがこの日。何の紹介もなく、唐突に現れ、プレイし、そして去っていったとの由)
No.1910 題名: クラプトンの秋(番外編):クリームのラスト・アメリカン・ショウ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-04
[11月4日]

1968年:ロード・アイランド州プロヴィデンス、R・I・オーディトリアム(同月26日のロンドン、RAHでのサヨナラ公演とは異なり、ほとんどレポートされていないクリームのアメリカ最終公演。メンバー写真なしの公演告知ポスターは、キャメルのタバコのデザインをパロッたもので、荷物を背負って砂漠を行くラクダがフキダシで"Heavy..."とボヤいているイラスト。もちろんクリームの音楽性とかけてあるのだろう。8000人収容の、音の悪いアイスホッケー・アリーナで、前座も含め、6時半と9時半の2回ショウが行われた。10月4日から開始された17都市22公演の<ホイールズ・オヴ・ファイア/ラスト・アメリカン・ツアー>のうち、1日2公演が行われたのは、27日のアトランタとここだけである[シカゴでも、アリーナとは別に、オペラ・ハウスで1日2公演が行われたという未確認情報がある]。驚くべきことに、と言っていいと思うが、屋内会場であるにもかかわらず、周辺住民の苦情が出たのか、地元当局によって騒音のクレームが出され、2回目のショウは短縮を余儀なくされた。やや定かでない目撃者の記憶によると、演奏曲目は「ホワイト・ルーム」「ポリティシャン」「アイム・ソー・グラッド」「クロスローズ」「トード」のわずか5曲。それとは別に、2回目のショウを完全収録した音源なるものが残されており、そこで聴かれるのはさらに少なく、「スプーンフル」「トード」のたった2曲。いずれにせよ、この偉大なグループのアメリカ最後の公演が、このようなショボイ結末を迎えたのは、あまり知られていない事実である。また、上記ふたつのセット・リストのどちらが真かはともかく、ショウが「トード」で締められたことは確かなようで[このときのツアーは通常アンコールなし]、ただでさえ短いセットに、大半のお客が聴きたくもなかったであろうドラム・ソロを強引に持ち込んだジンジャーって、ホントいやな奴[笑])

No.1917 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(9) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-05
[11月5日]

1974年:大阪=厚生年金会館大ホール(大阪初公演。今にして思えば、の話だが、無念にしてブルー爺が見逃した唯一の地元公演でもある。エレクトリックによる「ドリフティング・ブルース」、エレキ、アコギ問わず、同曲が日本で披露されたのは今に至るもこの日のみ。「プレゼンス・オヴ・ザ・ロード」東京最終日に続いての登場だが、この日を最後に28年後の今日まで、この曲は世界中どこでも、一度もプレイされていない可能性大。演奏は全体に74年スタンダードともいうべき締まりのないもの。この日のみ、「レイラ」が中盤で登場し、替わって「バッジ」が本編トリを飾った。使用エレキ・ギターは本編=EXP、アンコール=ブラッキー)

1987年:東京=日本武道館(追加公演。アンコールで「ビハインド・ザ・サン」日本初登場。それとメドレーで繋いで「サンシャイン」復活。サビを会場が一緒になって歌う盛り上がりようで、なんだかウキウキ気分。いったん楽屋に引っこんでからも客電つかず、ついに来日史上初の2度目のアンコール実現! 初日=2曲、2日目=1曲、3日目=3曲というアンコールの曲数から、ECとバンドのノリがいたって分かりやすいこの年の東京公演であった)

1988年:大阪球場(奇しくも大阪初公演の日からちょうど14年目に当たる日に行われた<25周年記念ツアー>最終日。来日史上唯一の屋外公演。昼3時開演で、当日の土曜日は爽やかな快晴、この時期にしては珍しくポカポカと陽気な、軽く汗ばむほどの、絶好の屋外コンサート日和。定刻を15分ほど過ぎて、早くも西に傾きかけた陽光が会場全体をオレンジ色に美しく染め上げるなか、前年と同じアブストラクトなBGMとともに、サングラス姿のECと御一行様登場。<クラプトンの秋>を肌で感じることができた瞬間だった。スカッと開放的な空気に後押しされた演奏は、ノリにノッた、文句のつけようのないもの。終了時には辺りも暗くなり、すっかり冷えこんでいたが、集った2万人のファンはみな、よかったよかった、という顔をして、夜まだ早いミナミの街に、名残惜しそうに散っていった。誰にとっても当夜の酒はさぞ旨かったことだろう。企画物ということで、なんとなく番外に位置づけられているこの日のコンサートだが、実はこれまでの大阪公演中、もっともすばらしく、印象深いショウのひとつだったのではなかろうか。こんな素敵なライヴを地元で体験できた関西のECファンは本当に幸せだ。あれから更に14年・・・)
No.1925 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(10) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-06
[11月6日]

1974年:大阪=厚生年金会館大ホール(初来日公演最終日。ブルー爺のナマEC初体験。「ステディ・ローリン・マン」「クロスローズ」日本初演。前者はその後、なぜか75年と77年の京都で続けてプレイされただけという、関西限定ナンバーに。アコギ・セットでのマディ・ウォーターズ作「ハニー・ビー」、そしてアンコール1曲目「メインライン・フロリダ」が日本で演奏されたのは、現在までこのとき1回のみ。後者ではたぶん日本でただ一度の、ヴォイス・モジュレーターを併用してのソロを披露してくれた。相変わらずのヘベレケ調子ながらも、最終日とあってか、やるときゃやります、といった感じの鋭いプレイで会場を湧かせる場面もあり、このときの来日ではもっとも多い計15曲が披露された。「OK、何が聴きたい?」とリクエストを募り、すかさず挙がった「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ!」の声に応えて、同曲をプレイしたこと。「はよせんかハゲ!」「ツェッペリン!」等、コテコテのヤジが会場をとびかい、タジタジとなって楽屋に逃げるそぶりを見せて満場の笑いを誘ったこと。ああ70年代。使用エレキ・ギターは前日と同じ本編=EXP、アンコール=ブラッキーで、ここに来てようやくEXPがメインに昇格した感じ
No.1939 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(11) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-07
[11月7日]

1987年:名古屋=愛知県体育館(ここでの演奏のキレはただ事ではなく、全編で鋭利なプレイが迸った。東京最終日と同じく2回のアンコールが行われ、しかも全員集合して横並びになり、一礼する寸前まで行きながら、客席からの熱狂的なコールを浴び、「どうする?」「やるか?」といった調子で顔を見合わせ、全員持ち場に戻ってふたたび楽器を手にし、ロバート・クレイをヴォーカルにフィーチャーしての「FOUTR」リプライズという快挙実現!。すべての名古屋公演を観たわけではないが、現在までに同地で行われたライヴのベスト・ワンとためらいなく言い切れるほどの、胸のすくような快演であった。その夜、宿泊先のホテルでは、上機嫌のECがラウンジに現れ、アラン・クラークのピアノを伴奏に、「ストーミー・マンデイ」「ゴーイング・ダウン・スロウ」ほか、ブルース・ナンバーを気持ちよさそうに唸る場面が見られたと伝えられる。

No.1956 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-08
[11月8日]

本日行われた公演はなし。

マジュヌンさま

 おありがとうごぜえますだ。

 新作チャートNo.1の勢いに与って、最新のアイリッシュ・チャートでは『White Ladder』までが何と第4位にまで再浮上しています。

>それにしても、『White Ladder』日本盤のあの幾つかの和訳タイトルは
  何とかならなかったのでしょうか?
  (ブルー爺さんは、どう思われましたか?)

「ドウゾ・ボクヲ・ユルシテ」・・・ユルシタラン!!!

No.1970 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(12) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-09
[11月9日]

1987年:大阪城ホール(74年の初来日以来、大阪・京都の関西公演は79年に約5千人収容の府立体育館で1回やったときをを除いて、すべてキャパ2千人級のホールへの出演だった。7度目の来日にして、大阪初のアリーナ公演となったこれは、今も語り種となっている伝説的名演。名古屋で完全に波に乗ったECは、ここではやりすぎ、乗りすぎて歯止めが効かなくなったような様子さえ見受けられた。「セイム・オールド・ブルース」は半時間近くにまで延び、まるでEC版「幻惑されて」といった趣き。この曲はもちろん、「レイラ」の際にも、まず向かって右、次に左と、両サイドのスタンド席手前まで歩いていってソロを弾く出血大サービスぶり。それぞれの客席がハチの巣を突ついたような騒ぎになり、総立ちになって、ある者はスタンド最下段に駆け降りたりして、眼前のヒーローに声援を送っていた場面が目に焼きついている。名古屋同様、「FOUTR」リプライズがここでも繰り返され、総演奏時間は2時間半に達した。これまでの来日史上最長のライヴであることは間違いなかろう。アンコールの頭で、当日誕生日を迎えたリー・ディクスンのために「ハッピー・バースデイ」がピアノ演奏され、多くのお客が唱和するなど、パーティー気分に被われたゴキゲンな一夜でもあった。長時間の演奏がついに終わり、東京、名古屋では出なかったネーザン日本初[?]の「ドーモー、オツカレサマデシター」にお客がどっと湧き、やんやの喝采がとんだのを、今も懐かしく思いだす。皆さん、ホンマホンマ、という満腹気分に満たされていた)

1999年:東京=日本武道館(<ピルグリム・ツアー日本公演>初日。アメリカ、イギリス、ヨーロッパでは前年に行われた同アルバムのためのツアーのやり残しだったが、ソロ弾き語りによる「ランブリン・オン・マイ・マインド」、世界初のアンプラグド版「ベル・ボトム・ブルース」、アンディ・フェアウェザー=ロウの持ち歌で、ECのソロが炸裂する「ジン・ハウス」、ツアーでは94年以来の復活になるエレクトリック「レイラ」、来日終盤で登場したアンプラグド版「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」、これも最後の2公演でおよそ20年ぶりに取り上げられた「ストーミー・マンデイ」等、内容的に前年を軽々と超える<レプタイル・ツアー>の決定版となった。「ベル・ボトム・ブルース」がわが国で披露されたのは、75年10月23日、大阪フェスティバルホールでただ一度演奏されて以来、丸24年ぶり。『レイラ』フィニッシュ後、アンコールに予定されていた「サンシャイン」にそのまま勢いで突入してしまったのが、この日の目立った出来事。それで「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」がアンコールに用いられた。このときの来日で、東京で「オールド・ラヴ」がプレイされたのはこの日のみ)
No.1999 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-10
[11月10日]

本日行われた公演はなし。
No.2025 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(13) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-11
[11月11日]

1999年:名古屋=愛知県体育館(平成11年11月11日に行われたこの日の公演は、奇しくも11回目の名古屋公演であるのみならず、通算111回目の日本でのショウに当たり、しかも以上並んだ1の数を数えると計11個という、ジャンボ宝くじ1等並みの信じられない天の配剤が行われた日。この1並びの日は出来の上ではどうであったか? 来日公演中のベスト・ワン? さすがにそこまでの贅沢を神は許さなかったが、相当いいセン行ってたことは確か。2001年の名古屋より、私はこちらを採る。「リコンシダー・ベイビー」は、この日を最後にセットリストから落とされた。東京初日での「オールド・ラヴ」に替わり、「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」が登場)
No.2038 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-12
[11月12日]

本日行われた公演はなし。
No.2051 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(14) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-13
[11月13日]

1999年:福岡=マリンメッセ(この日と次の大阪初日のみ「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」が他の日と異なりショウ前半、6曲目に組み込まれた。この2日間は「ハヴ・ユー〜」と後半の「オールド・ラヴ」の2本立てということで、選曲的にはもっともおいしかったと言える。評判も上々で、名古屋に勝るとも劣らぬ出来だったとのこと)
No.2066 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-14
[11月14日]

本日行われた公演はなし。

 いま、夜10時半過ぎ。休日は別にして、毎朝出勤前のあわただしいときにUPしてるんだけど、今日は急いててそのヒマなかったわ。よってこれからは、深夜零時過ぎたら、床に就く前にUPすることにします。ってえことで、あと2時間もしたら翌日分UPの予定。12月17日まで続けます。これからもよろしくね。現場に居合わせた人のコメントも大歓迎! マニアックな事柄に限らず、今となっては他愛ない個人的な思い出話(一緒に行くはずだった彼女にフラれて、あわれ「レイラ」をひとりで聴くはめに・・・ってな感じの)もまたよし。
No.2067 題名: 秋も深まり・・・ お名前: ブラッキー 投稿日:2002-11-14
  間もなく昨年の「大阪城ホール初日」1周年です。早いもんです。あの1ヶ月間、それはそれは楽しかったこと。思えばこの掲示板のおかげで、会場で何人かの方とお知り合いになり、今でもメールなどでの会話が続いています。ホントに嬉しいことです。期せずしてあのツアーがDVDとCDになって発売されて、また盛り上がってますね。結構、結構。来年の今頃は「今夜の E.C.はスゴかった!」という書き込みで盛り上がってるはず … ですよネ?

ブルー爺さま:
  「来日ごよみ」大変楽しく読ませていただいてます。でも「12/17まで続く」とのことですが、18日以降は一体 …?
No.2068 題名: Re:クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: マジュヌン 投稿日:2002-11-15
ブルー爺さん
>・・・マニアックな事柄に限らず、今となっては他愛ない
>個人的な思い出話(一緒に・・・)もまたよし。

よ〜し!!今から、力が入ってしまいますぅ♪
(あんまり長い駄文・長文は、止めてくれ〜ぇって?笑)
No.2071 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(15) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-15
[11月15日]

1999年:大阪城ホール(外では雨が降っていたが、開演早々アリーナ総立ちとなり、たいへん盛り上がった一夜。1曲目を終え、ECからのあいさつ「コンバンハ!」に会場全体が「こんばんは!」と打てば響くように返した出だしからしていい感じで、大阪に帰ってきたECを歓迎しようというムードに包まれていた。そんなウォームなヴァイブを反映して、プレイのほうも絶好調。福岡ではどうだったか知らないが、「フーチー・クーチー・マン」「ハヴ・ユー〜」「シーズ・ゴーン」は曲間を置かず3曲立て続けに演奏され、前半から早くもガンガン跳ばしている感じ。このヴォルテージは最後まで上がりこそすれ、衰えることはなかった。後半では、大阪3日間でのベストと言える、ソロでの早弾きがスリリングだった「コカイン」、アンディと相性抜群の掛け合いをキメてみせたアンコール「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」がハイライトになった)

ブラッキーさま
>「来日ごよみ」大変楽しく読ませていただいてます。でも「12/17まで続く」とのことですが、18日以降は一体 …?

 理由は至極単純で、ECの過去の来日公演15回はすべて、9月26日(1977年3度目の来日初日)から12月17日(1991年ジョージ・ハリスン公演の最終日)までの範囲内で行われているからです。だからこその<クラプトンの秋>。まあ、今回の連続書込みは、10月27日(1974年、ECが初めて日本の土を踏んだ日)から書き起こしているので、中途ハンパな仕上りになることは否めないんですけどね。

マジュヌンさま
>よ〜し!!今から、力が入ってしまいますぅ♪

 頼みますよ。正直、観てない日のほうが多いわけで、コメントをひねり出すのは毎回一苦労なのです。
No.2079 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(16) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-16
[11月16日]

1999年:大阪城ホール(「ハヴ・ユー〜」のセット落ちで、1曲減の17曲。以降のショウはこの曲数に落ちついた。アコギ・セット中に「ぶるっ。さむ」と言ってシャツの襟を立てたEC。突っ立ったまま、いっこうにリアクションらしきものを返そうとしないアリーナのお客に向かって、後方スタンドから、一説には吉本新喜劇の山田花子のシワザだとも噂される女性の声で「おまえらアホかー。もっとのれー、もっとのれー、もっとのれー」と品のないヤジがとんだこと。何か、どこかシックリしない、うまくいってない、そんな不完全燃焼ぎみの印象を残す日だった。とはいえ、少なくとも平均点はクリアーしていた。こういう日もある、ということ)
No.2087 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(17) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-17
[11月17日]

1999年:大阪城ホール(些細なミスや器材のトラブルはあったが、エレ、アコ問わず、ギター・ソロが冴えに冴えた日。「シーズ・ゴーン」で聴かせた、ラン奏法の神髄のようなプレイには、忘れて久しい「神業」という言葉が頭をかすめた。「ベル・ボトム・ブルース」のソロがこれまた絶品。客席の盛上りはこの日最高潮に達し、「チェンジ・ザ・ワールド」の決めの部分では、吹きこぼれるような歓声が沸き上がった。99年大阪3日間では、初日がベストだったという見方が一般的だが、こちらをよしとする者も少なくない。とくにコアなマニアからそういう声が挙がっている。3日間通して演奏された「オールド・ラヴ」はこの日を最後にセットリストからはずされた。曲の後半でデイヴ・デロームがやらかした雑音のようなシンセ・ソロに顔をしかめたお客も多かったが、2001年に「オールド・ラヴ」が聴けなかったことで、あとになって評価が相対浮上した気もする<ピルグリム大阪公演>であった)
No.2090 題名: 11月17日大阪 お名前: みっしー 投稿日:2002-11-17
ブルー爺さん、こんにちは。”来日ごよみ”のこの日が登場するのを心待ちにしておりました。何故かというと、この日にとっても感動したからなんです。BELL BOTTOM BLUESのアコースティックバージョンが登場したこのツアー、初めて聴いたときはもう全身がゾクゾクして、涙が出たもんです。ピルグリム・ツアーには何回か行きましたが、この17日のソロは本当に良かったです。ブルー爺さんに「絶品」なんて書かれて、嬉しくなっちゃいました。
MY FATHERS'S EYESの出だしでいきなりトチっちゃって、「アレレ?」なんて思いましたが、ふたを開けてみるとそんなのを忘れてしまうくらいのいいライブだったと僕は思います。「今後、大阪では絶対に観ないとあかんなー」とあの日心に誓いました。
確かLAYLAも、ソロの前半がトラブルか何かで音が出ませんでしたよね。それでも全然GOOD!

あれからまる3年。今日はまた大阪に遠征して、ポールさんのコンサートに行って来ます。
No.2093 題名: それはたまりませんわ! お名前: すず 投稿日:2002-11-18
月の桂さん、はじめまして。
本当にブルー爺さんの来日ごよみ、読んでるとその時々の事が思い出されてたまらなくなりますよねえ。いつも評判のいい大阪城ホール、経験してみたいです。
アルバムももうあとちょっと。仲良く耐えましょ〜!!(^^)

みっしーさん、
いいですねー、ポール行かれたんですね。楽しまれましたか?

GodHandさん、
か、官能ケーキ、味わってみたいような。。。。あはは、湘南のandy さんみたいに涎が、、、。
ワァオ、あの湘南のericさんのジネッタのエグゾーストノートも味わっちゃったのですか。わたしはここでお写真を拝んだ事あるけど、ん〜ん、ウ・ラ・ヤ・マ・シ・イ!エンジンはご機嫌だったのですね。ナイショのお話(?)もなさって、気分すっきりって感じですか。(^^)
湘南のericさんはこちらには復帰なさらないのかしら。また、楽しいお話聞きたいです。
試合はそちらをご覧になるのですね。彼、出るといいですね。体調よくなりますように。
No.2094 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ+α お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-18
[11月10日]
本日行われた公演はなし。

>>みっしーさま
>>月の桂さま

 そういう率直な感想を待ってたんですよ。これからもよろしく。

 ポール・マッカートニーの大阪初演から帰ってきました。

 特上のライヴに当たったとき、「おれがずっと音楽を聴いてきたのは、いま、この現場に立ち会うためだったのではないか」と私なんかは思ってしまうのですが、今夜のがまさにそれでした。

「イエスタデイ」「エレナー・リグビー」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」「ロング・アンド・ワインディング・ロード」・・・ビートルズ・ナンバー、それもポールが主になって作った曲なんて、耳タコと同義語なんですが、その耳タコ曲の数々がそこに居合わせた聴衆ひとりひとりに、かつてこれほど全身全霊を込めて、切実な思いとともに受けとめられた機会があったでしょうか。

 戦争の世紀として始まった21世紀初頭に、荒んだ世の中を慰撫するような調子で切々と歌い上げられた「レット・イット・ビー」が、午前3時を回ってキーボードを叩いている私の胸の中で、今も鳴り響いています。

 今日は大阪限定でライヴ初披露の曲まで登場しました。過去三度の来日中ベストの声が高い今回の公演、明日(というか、もう今日になってしまいましたが)の大阪2日目は日本最終日であるのみならず、ワールド・ツアー最後の日に当たります。当日券は充分用意されています。都合の付く人は何としてでも観ておくべき一生もののコンサート、と太鼓判を押しておきます。観たあとで、チケット代14,000円は安い、と感じることでしょう。

 当日券は3時から大阪ドームの窓口で売り出します。

 コンサート事務局:06-6233-8877(当日券予約も受け付けています)
No.2102 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(18) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-19
[11月19日]

1999年:東京=日本武道館(10日ぶり、東京での2度目のショウ。「オールド・ラヴ」が消え、セット後半に「ハヴ・ユー〜」が復活した17曲。大阪での盛上りを体験したECに、控え目な東京のお客がどう映ったのか知るよしもないが、淡々と曲目を消化していく様子が傍目にも露な"お仕事モード"の日だったということだ。アンコールも何やら示唆的な「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」。当時のGodHandさんのコメントが確か「いいことはいつまでも続かない」)

2001年:大阪城ホール(<レプタイル日本公演>初日。大阪からツアーが始まるのは1977年以来のこと。他の国ではプレイされなかったアンプラグド版「レイラ」が唯一のサプライズ・ナンバーと、選曲的には新鮮味に乏しい内容。それがあってか、2月のRAHに始まるワールド・ツアーを外国ですでに何度も体験してきたようなマニアには、評価はイマイチだった。とくに、グレートなプレイが聴けたと評判のニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデン公演に居合わせた者に、その声が高かった。一方、<レプタイル・ショウ>を初めて観る大多数のお客は、初日であることを感じさせないすばらしいライヴ、と賞賛を惜しまなかった。筆者もそう感じたひとり。海外公演の様子から抱かされた懐疑的な先入観を、ECほかメンバー全員のミュージシャンシップがねじ伏せてくれた印象。耳タコの王者こと「ワンダフル・トゥナイト」を、斬新なセミ・レゲエふうのアレンジで生まれ変わらせたことに、それがよく顕われていた)
No.2111 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(19) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-20
[11月20日]

1999年:東京=日本武道館(前日同様、盛上りを欠いた一夜。いつもやるイントロ抜きで「レイラ」に入り、他のメンバーを慌てさせたりと、何か急いてるような印象さえ与えたという。掲示板では、前日とこの日とではどちらがまだしもマシだったか、といった、珍妙かつムナシイ比較さえ試みられた)
No.2116 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(20) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-21
[11月21日]

2001年:大阪城ホール(定番曲「ワンダフル・トゥナイト」、<レプタイル・ツアー>のテーマ曲とも言うべき「虹の彼方に」をカットしたことで、いったいどうしたことかとファンに気を揉ませた日。まず「WT」だが、「コカイン」からいきなり「レイラ」に移ったので、ネーザンほかバンドの連中が驚いていた、という客席からの報告があった。が、事前に用意されたセットリストには元々「WT」の記載がなく、始めからやるつもりがなかったのは明白で、他のメンバーが驚くというのはありえない。件の報告は、人間が先入観にいかに左右されるかということ、自分が見たいものをそこに見てしまうことを物語っている。「虹の彼方に」が急きょ取り止めになったことは確かなようである。が、これを、少なからぬ者が推察するように、ジョージ・ハリスンの先行き不安な病状を聞いて気持ちが動揺したからだ、などと確かな根拠もなしに語るのは、更なる先入観に身を任せる愚を繰り返す恐れなしとしない。真相は本人しか分からないのである。ひとつ確実に言えるのは、前半のアコ・セットは大阪3日間中、とびぬけて出来がよかったということ。「チェンジ・ザ・ワールド」でのピッキングの激しさと来たら、全公演のなかで見てもトップに来るほどの気合の入れ方だったのではなかろうか。そのせいで力を使い果たしたのではないか、と言うと、またもや推測の域に踏み込んでしまうのだが・・・)
No.2120 題名: えらいすんまへん4 お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-22
↓タイトル不備

(正しくは)クラプトンの秋:来日ごよみ(21)
No.2127 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(22) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-23
[11月23日]

1979年:水戸=県民文化センター
 ライヴ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト』を生み出した、オール・ブリティッシュ・バンドを率いての4度目の日本公演初日。「イフ・アイ・ドント・ビー・ゼア・バイ・モーニング」で幕を開けたこと、このときの来日でただ一度「バッジ」が登場したこと(セカンド・ソロではアルバート・リーとのツイン・リードが聴けた)、いまだに未発表の曲をこの日のみ1曲披露したこと(直前のヨーロッパ/中東/東南アジア・ツアーでもプレイした"La La La"?)など、その後の日程に比べてセットリストに大幅な違いがあった)
No.2134 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(23) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-24
[11月24日]

1999年:横浜アリーナ
 NHK-BS放送でお馴染みのライヴ。<ピルグリム日本公演>のなかでは平均的な出来、とされるが、TVで見て分かるとおり、充分よいと言える演奏内容で、このときの来日のグレードの高さを物語っている。

2001年:名古屋=愛知県体育館
 中盤のピルグリム・セットでは、大阪のどの日よりも鋭いギター・プレイをやってのけた。これはスゴイことになるかも、と先を期待させたが、結局ここがショウのピークとなった感があり、それからあとはややトーン・ダウンして、最後まで完全な復調はかなわなかった。「ハヴ・ユー〜」は大阪初日のほうがはるかに凄みがあったし、「コカイン」のソロは評者がこれまでに聴いたなかではもっとも短いものだった。途中まで快調に飛ばしながら、何かの拍子にフッと影が差し、以後プレイが精彩を欠いていくというのは、ECのライヴにわりとありがちなパターン。97年の名古屋ではこれがもっと極端で、「テアリング・アス・アパート」でバックの演奏がバラバラになって、冷や冷やしたのを思いだす。
No.2145 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(24) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-25
[11月25日]

1979年:名古屋市公会堂
 この日以降、「タルサ・タイム」が定番オープニング・ナンバーとなった。が、セットリストはこの日もレア曲満載で、初来日以来5年ぶりにただ一度演奏され、以後今日まで取り上げられないでいる「ウィリー&ザ・ハンド・ジャイヴ」、これもオール・ブリティッシュ・バンドではわが国唯一の演奏の「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」(この日を最後に、<レプタイル・ツアー>オープニングでのアコギによるソロ演奏で復活するまで、日本では22年間一度も演奏されなかった)、いつもよりテンポが速めで、「トアー・ダウン」「ミーン・オールド・ワールド」「ダスト・マイ・ブルーム」と、おいしい曲盛りだくさんの「ランブリン・オン・マイ・マインド/ブルース・メドレー」、ドラム・ソロ入りの「アフター・ミッドナイト」など、他の日では聴けない選曲で、観た人がウラヤマシイ1日。トメちゃん、あんただぎゃ〜。
No.2148 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(25) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-26
[11月26日]

1979年:京都会館第一ホール
 前二日の激しい日替り選曲がウソのように、この日からセットリストはほぼ固定され、残る8日の日程のうち、この京都と東京初日のみ「アフター・ミッドナイト」が「コカイン」の前に追加で演奏されたぐらいの違いしかなくなってしまった。77年の来日には軽い失望を覚えていたので、オール・ブリティッシュ・バンドを率いての溌溂としたプレイは新鮮だったな。
爽快な気分で会場を出たのを覚えている。前にも話題にしたけど、彼らってホント、後年になって悪く言われすぎだと思う。当時のマスコミの記事は、絶賛一色という感じだった。
 ABBでのこのときと、次回81年の5度目の来日だけで聴けた、ノン・ディストーションのナチュラル・サウンドは、ビロードのように滑らかで、陶然とさせる響きがあった。スマンが、イヤミに聴こえることは百も承知でここは言わせてくれ。その後ファンになって、あの音色を経験できなかった人は、本当にかわいそう。爺の繰り言終わり(笑)。

1999年:東京=日本武道館
 この日と翌日は評者も東京に遠征して、会場にいた。ハデさや勢いはないがジックリ聴かせる感じで、好印象を残してくれた。「これまでの関東では、22日の次ぐらいにいい出来」(翌日の開演前にトメちゃんから聞いたコメント)。「サンシャイン」の後奏でスライド・バーを使ったらしいが、何を観ていたのか、気づかなかった者がここにひとり(笑)。

2001年:福岡=マリンメッセ
 福岡ではローリング・ストーンズしか観たことがないからなあ。観てないものをコメントするのは毎度のことながら骨が折れる。掲示板でのリアクションを見るかぎりでは、かなりいい内容だったように思える。最近では珍しくも「バッジ」のソロでワウを使ったとか、「コカイン」のソロがやけに長かったとか。
No.2155 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(26) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-27
[11月27日]

大阪=厚生年金会館大ホール
 ステージに登場したEC、ローディーが運んできた椅子に腰かけて前を見たまま動かない。いったい何のマネ? とお客が訝しんでいると、やおら椅子から立ち上がり、マイクに向かって一言、"Big joke!"。場内からは、ハハハ・・・、とまばらな失笑が。やってくれました、キャラに似合わんお寒いギャグ。
 とまあ、出だしでズッこけたが、演奏は京都での好調を引き継いだかたちの快演。ブルース・メドレーのソロで、コーラスごとにキーを連呼してバンドをリードしていったところなんか、思いだすたびにゾクゾクするなあ。「ブルース・パワー」「レイラ」のソロではワウを使った。前者は『ジャスト・ワン・ナイト』収録のヴァージョン(12月4日)もワウ入りなので、わりとポピュラーな印象を持たれているかもしれないが、実はこの二曲でワウを用いるのは案外珍しいことなのである。
「コケイン!」の大合唱が日本で始めて起こったのがこの日であることは一言しておいてよいだろう。"She don't lie"X3を歌って、ECがマイク・スタンドから一歩退くかたちで観客に誘い水をかけたのだった。
 ただリアルタイムでの感想は、前夜やった「アフター・ミッドナイト」抜きだったので、その分だけ物足りないと感じたのは確か。

東京=日本武道館
 東京まで足を伸ばした甲斐があった、と掛け値なしに思わせてくれた、チョースンバラシイ演奏が聴けた日。冒頭からECのテンションの高さ、インスピレーションの漲り具合はプレイからビンビン伝わってきた。全編いいソロ続出だったが、とくに「リヴァー・オヴ・ティアーズ」、前奏も含めた「シーズ・ゴーン」、「ハヴ・ユー〜」、以上セットの要ともいうべき3曲で言うことなしのプレイが聴けたとあっては、この日の出来のよさは保証されたようなもの。「フーチー・クーチー・マン」が落ちたかわりに登場した「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」アンプラグド版がこれまた新鮮だった。土曜の5時開演だったおかげで、深夜遅く関西まで帰宅できたが、さっそく覗いたEC系掲示板がどれもこれも「よかった!」「すごかった!」「サイコー!」という感激と賛辞で賑わっていたのが忘れられない。
No.2160 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(26)+α お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-27
[11月27日]追加

1981年:新潟=県民会館
 オール・ブリティッシュ・バンドを率いての2度目、初来日から数えると通算5度目の来日。春の潰瘍摘出手術の予後で本来ならキャンセルされるはずだったところが、本人の強い希望で予定どおり公演が行われることになったという記事を『ミュージック・ライフ』誌で読んで、ひときわ嬉しい気持ちで来日を迎えたものだ。現時点での唯一の北陸公演でもある初日、セットリスト等不明だが、当時の朝日新聞にこの日のレビューが載っていて、彼のブルースを求めるファンには物足りなかったかもしれない云々という一文があったのを覚えている。評者が観た大阪と京都でもスロー・ブルースは「ランブリン/ハヴ・ユー〜」のメドレー1曲のみで、大半の公演で4曲も披露した前回とは対照的だった。誰か観た人いませんか。
No.2164 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(27) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-27
[11月28日]

1979年:広島=郵便貯金会館
 広島初公演。当時の雑誌に読者のお便りが乗っていて、「レイラ!」のリクエストにECが露骨にイヤな顔をしていたとのこと。東京や大阪ではそうした声はもはや聞かれなくなっていたが、ECに初めて接する地方のファンにとってはやはり何としてでも聴きたい曲だったことが伺えるエピソードだ。
2001年:東京=日本武道館
 地方を先に回ってから開始された<レプタイル東京公演>1番手。ここCLAPTON'S DOORではおしなべて好評だったが、よその掲示板ではけっこう辛い感想が並んでいて、その落差にフ〜ンと思ったり。名古屋公演について評価がおおむね一致した知人が、それよりも一段下回る評価をしていたことで、自分なりに出来を想像して納得したり。
No.2174 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(28) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-29
[11月29日]

1999年:東京=日本武道館
 公演日程も残すところあと2日という時点になって、突如「ストーミー・マンデイ」驚きの登場。予定にはなかったのが、月曜日とあってか、ECがステージ上で思い立って「ハヴ・ユー〜」の伴奏に乗せて歌いだした由。この辺の予想のつかなさが<ピルグリム日本公演>の評価を高めている。ところで、「ストーミー・マンデイ」は本来、ジャジーでいなせな独特のムードを醸し出すところからプレイヤーたちから"ストマン進行"と呼ばれるコード進行で知られる(オールマンズの有名な"フィルモア・ヴァージョン"はその典型的なもの)。2001年11月19日月曜日、<レプタイル日本公演>初日の大阪で、スロー・ブルースのイントロを演奏しだしたのが、紛れもなく"ストマン進行"だった。「おっ、やるな」と思ったら、歌いだしたのが「ハヴ・ユー〜」。つまり、99年11月29日とは逆を行ったわけ。この予定調和を裏切る行為のおかげで、この日の「ハヴ・ユー〜」はたいへんスリリングで緊張感のあるパフォーマンスとなった。

2001年:東京=日本武道館
 賛否両論の前日とは異なり、どの掲示板でもすこぶる評判がよかった。12月4日と11日の関東両雄に次いでいい出来だったような印象を受ける。掲示板でどなたかが、この日の「ストマン」は12月5日よりもゆったりしたテンポでよかった、と書かれてましたな。
No.2179 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(29) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-11-30
[11月30日]

1979年:北九州:新日鉄大谷体育館
 ブルース・メドレーに「クロスローズ」が挿入されたとのこと。
1981年:名古屋:厚生年金会館
 アルコール中毒が体調に深刻な影響を及ぼすなかで行われたこの年の日本公演だが、前半はそれでもまだ演奏はシャキッとしていた。2公演目の名古屋も悪くなかったはず。
1999年:東京=日本武道館
 最終日=出来がよいという公式が当てはまる日。GodHandさんは、この日のよさを認めた上で、内から湧き出るパワーがいちばん感じられたとして、27日を関東公演のベストに推されていたが。
2001年:東京=日本武道館
 日本時間でジョージの逝去が伝えられた日。観客にも動揺が広がるなか、ECはとくにその件についてコメントせず、淡々とプレイしたと伝えられる。
No.2195 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(30) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-02
[12月1日]

1979年:大阪=府立体育館
「映画の日」「エイズの日」・・・評者にとっては「現在までのECオール・タイム・ベスト・ワンのライヴが聴けた日」。大相撲大阪場所の、それ以上にプロレスの会場として名を馳せる、改築して小奇麗に生まれ変わる前の、どこかアナーキーなこの空間で、ECはそれ以前、そしてそれ以後もついぞ味わったことのない高みへと連れていってくれた。なぜ、この日だけ、「ブルース・パワー」を、イントロに続くはずの、1、2、3、4、ジャン!!!抜きで、余裕しゃくしゃくで歌いだしたのだろう。「ブルース・パワー」のあと、いつもなら拍手が静まるのを待って、やはりカウントをとって演奏を始める「ダブル・トラブル」を、「ブルース・パワー」が終わるや、ひと呼吸の間を置いただけで、カウントはおろかネックで指示を出すことすらなしに、全員一斉にプレイになだれこむという芸当ができたのだろう。エキサイトしたお客と警備員が小競り合いを始め、怒声が会場をとびかう殺気だった雰囲気のなか、10分以上続けられた「ダブル・トラブル」。合口を突き刺すかのように挿入されたオブリに会場が震撼した「ハヴ・ユー〜」。マッシヴな音の塊に、2階正面最前列にいた自分がつかんでいた手すりがビリビリ振動したかと思うと、一転してモールス信号のようなパルスを憑かれたように発信したりと、千変万化するソロに翻弄された「コカイン」。23年後の今、どの場面を思いだしても身震いする自分がいる。
1981年:大阪=フェスティバル・ホール
 前回からキッカリ2年後、大阪に帰ってきたEC。詰衿の学生服みたいな黒っぽいジャケット。心なしか少しやつれたような面持ち。病み上がりをうかがわせる風情に、春先の病から回復しきっていないのか、と誰もが思ったが、まさかそれが、この頃ふたたび悪化していたアルコール中毒のせいであったとは。そんなこととは関係なく、プレイはタイトそのもの。前回府体には及ばずとも、厚年には充分匹敵するレベルであった。当時の『ヤング・ギター』誌によると、ほとんど全部の公演を観た人のコメントとして、大阪がベストだったとされている。このときしかやらなかった「アナザー・チケット」も印象的だが、いちばん心に残ったのが、ゲイリー・ブルッカーをフィーチャーしたプロコル・ハルムの大名曲「青い影」だったのは、評者だけだろうか。
1991年:横浜アリーナ
 ジョージ・ハリスン公演初日。最初から予定はされていたのだろうが、追加公演として発表された。おかげで、翌日の大阪は初日を飾る栄誉を奪われた。大阪初日まではやった「フィッシュ・オン・ザ・サンド」はともかく、「ラヴ・カムズ・トゥ・エヴリワン」はこの日のみのプレイだったのが、なおのこと悔しい。
No.2196 題名: Re:クラプトンの秋:来日ごよみ(30) お名前: マジュヌン 投稿日:2002-12-02
ブルー爺さん
>・・・23年後の今、どの場面を思いだしても身震いする自分がいる。

1979年12月1日:大阪=府立体育館 のカキコ、当日のERIC&BANDメンバーの演奏の素晴らしさが骨の髄まで伝わって来て、爺さんの思い入れの強さがしみじみわかる様な気がします。
(別に軽々しい気持ちで言っているのでは有りませんから、誤解の無い様に。)

その感動のコンサートを、私も一緒に体験(体感!)したかったです。丁度当時は大学3年生の冬休み直前で、同じ同好会のお友達から「一緒にECのコンサートに行きませんか?」と誘われたけど、何故か断ってしまったのを今でも覚えて(悔やんで?笑)います。
あの頃は、私もまだまだ蒼かった・・・。

ブルー爺さんの本日のカキコが余りにも感動的(私自身にとっても、振り返る想い出が・・・)だったので、私の本日の<スクロール対象'99武道館カキコ最終回>は止めておきます。(余韻を壊しそうだったので・・・。)
No.2199 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(31) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-02
[12月2日]

1991年:大阪城ホール
 本来ならツアーそのもののスタートになるはずだったジョージ・ハリスン公演大阪初日。これははずせないと思っていた曲をやらなかったり、聴けるとは思っていなかった意外な曲がとびだしたり。「ワー・ワー」「ビウェア・オヴ・ダークネス」「ユー」あたりがセットに加わっていたら、と思う。中盤のECの出番は「プリテンディング」「オールド・ラヴ」「バッジ」「ワンダフル・トゥナイト」だったが、ジョージを表看板にしたコンサートであることを思うと、ちょっと長過ぎる気がした。「プリテンディング」「オールド・ラヴ」に「バッド・ラヴ」を加えた<ジャーニーマン・ミニセット>にして、「バッジ」はアンコールに持ってきたほうが構成的によかったんじゃなかろうか。それはそれとして、ライヴで聴けるなんて夢のまた夢と思われていた「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がナマで体験できたということだけでも、日本人のファンはこのツアー世界唯一の聴衆に選ばれた幸運を噛み締めるべきだろう。
 5回もあった大阪公演だが、どの日もせいぜい8割の入りだった。88年のミック・ジャガー・ソロ・コンサートが城ホール4回、チケット代S=¥6,500円で、立見も多数出るほどの超満員だったのに味を占めたのだろうか。S席=¥10,000円のチケット代とも相まって、元ビートルズの名を頼みすぎての誤算の感があった。3回+売行きを見ての追加1回=計4回が最適だったように思われる。実は当初大阪は、のちに福岡にあてがわれた12月9日も含めての計6回の予定だったのである。無謀としか言いようがないが、これで行われていたら、入りは更にパッとしなかったことだろう。今にして思えば、この年(正確には前年)バブルがはじけた影響が、すでにこういうかたちで顕われていたのかもしれない。
No.2203 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(32) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-03
[12月3日]

1979年:東京=日本武道館
 ライヴ・ダブル・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト』最初の収録日。この日のみ、もしくはこれプラス翌4日の「ダブル・トラブル」が収録テイクとされる通説とは異なり、この東京初日からは「タルサ・タイム」「アーリー・イン・ザ・モーニング」、そして翌日はプレイされなかった「アフター・ミッドナイト」の3曲のみが採用されているというのが真相。レコーディングが頭にあって初日はリラックスできなかったとして、ECは4日のほうがよかったと発言しているが、両方とも観たある人によれば、初日のほうが圧倒的によかったと言うことだ。よくある話だが・・・。
1981年:福岡=サンパレス
 意外に思われるかもしれないが、3度目の九州地区公演ながら、これが福岡初公演。前2回(75年と79年)は小倉と北九州が公演地だった。キャパ2000人級の小会場。大阪までの「バッジ」に替わり「ブロウ・ウィンド・ブロウ」が登場。
1991年:大阪城ホール
 ジョージ来日公演の本編ラストは「イズント・イット・ア・ピティ」だった。いい曲だが、どうしてこんな湿っぽい、お痛夜みたいな曲を最後に持ってくるのだろう、と合点が行かなかったものだ。ところがこの日は少々様子が違っていた。「ピティ」を歌い終えて、ジョージひとりが舞台袖に引っこんだあと、曲の残りをバンドが片付けるところまでは他の日と同じだが、MCが「ジョージ・ハリスン! ジョージ・ハリスン!」とコールするなか、メンバーはステージを去らず、その場に居残っていた。ほどなくしてハリスンが戻り、「ホワイル・マイ・ギター」を演奏したあと、初めて全員がステージ退場、アンコールの声に応えて再登場し、「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」で締めくくった。やや曖昧ながら、「ホワイル・マイ・ギター」が本編ラストとも取れる構成で、他都市はどうか知らないが、大阪ではこの日だけの演出だった。
2001年:東京=日本武道館
 この日からライヴ・アルバム用にレコーディングが開始された。演奏の出来には賛否両論あったが、去る筋からの情報によればEC自身は不満足だったと伝えられる。
No.2211 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(33)) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-04
[12月4日]

1979年:東京=日本武道館
 12月3日の項で書いたとおり、『ジャスト・ワン・ナイト』には、ほとんどこちらの日のテイクが採用されている。なお、ウロ覚えだが、京都・大阪での記憶を頼りに、アルバート・リーの使用ギターを記しておこう。「タルサ・タイム」〜「カントリー・ボーイ」までがテレキャスター、「オール・アワ・パスト・タイムズ」〜「ダブル・トラブル」、「セッティング・ミー・アップ」とアンコールの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」がストラトキャスター、残りがECから譲り受けたレス・ポール・カスタム3PU"ブラック・ビューティ"というのが、一応の記憶。ただし『JON』では、演奏曲順が一部入れ替えられていることにご注意。
1981年:京都会館大一ホール
「ブルース・パワー」ソロの途中でECがアルバート・リーを指差し、リーが引き継いでソロをお終いまで弾き終えた。会場からは「マジメにやれ〜ッ!」のヤジが。やや後ろで観ていた評者は気づかなかったが、20年後になって、あれはブラッキーの弦が切れたからだ、という目撃者談を聞いた。この冴えないエピソードが象徴するような感じで、どこか突き抜け方が足りない印象を残すショウだった。次の東京で破綻を来たすことになるアルコール中毒による体調不良が演奏にも何らかの影響を及ぼしていたのかもしれない
「コカイン」のソロは、7〜8音からなる、あるひとつのフレーズのヴァリエーションを延々と繰り返すという摩訶不思議なもので、アイディア不足を逆手にとったのかもしれないが、フィルムのコマが少しずつ変化していく様を思わせ、すごく印象に残っている。
 4度目の京都公演であるこの日を最後に、ECが古都のステージを去ってから、もう21年になる・・・。
1990年:東京=日本武道館
 <ジャーニーマン・ツアー>最終公演地であった日本での初日。ロング・ヘアーにヴェルサーチのスーツと、ECの佇まいそのものがバブルのご時世を映しだしたかのような出立ちであった。
2001年:東京=日本武道館
 HI-Visionで収録された、ECヴィジュアル記録媒体としても決定版となったこれは、<ピルグリム日本公演>でも1、2を争うヴォルテージの高い演奏が聴けた。あの赤ら顔の理由はともかく、プレイへの熱の入れ方に見合うルックスではあった。
No.2220 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(34) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-05
[12月5日]

1990年:東京=日本武道館
 後日の名古屋公演終了時、サウンド・ミキサー氏と話していた際、「今日までのところは東京2日目がベスト」とのコメント。翌日の大阪は名古屋と同程度か、ちょっと下回る出来だったし、最終日の横浜は後半ダレたとの声を複数の人から聞いているので、この日が<ジャーニーマン・ツアー>日本公演のベストという見方もできるのではないか。
1991年:名古屋=国際展示場
 ジョージ・ハリスン公演。ずいぶん辺鄙な所にある会場だそうで、あまりコンサートも行われないが、79年のロッド・スチュアートやイーグルスはここでやった。音悪く、ノリもイマイチのショウだったとのレポートを目にしている。
2001年:東京=日本武道館
 前半気分よくプレイしていたが、「バッジ」のブレイク部分で、お客のひとりが放った「ジョージ!」という叫びがECの気に障ったのか、後半どことなく冴えなかったという報告を聞く。その声の主が某掲示板で名乗りを挙げたところ、ボーダーからよってたかって罵倒されていたのが、本人の落ち度とはいえ、ちょっとかわいそうだった。某氏が深く傷つかなかったことを望みたいが、嬉しいことやシアワセなことよりも、悲しいこと、ツラいことと来日が重なったときのほうが、あとあとまで心に残る<クラプトンの秋>だったりするんだよね〜これが。な〜んちゃって。
No.2228 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(35) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-06
[12月6日]

1979年:札幌=道立産業共進会館
 東京でのライヴ・レコーディングを終え、1日オフを挟んでの最終日。今年になってブートが出て、"史上サイコーの「レイラ」の迷演が聴ける"というので、お店で興味シンシン試聴させてもらった。ソロの出だしから音はずしっぱなしで、バンドが釣られて演奏が瓦解していく様に唖然。テープのピッチが遅いのかと思ったほど。評者の観た関西3公演はアルコールっ気の感じられないシャキッとしたプレイが気持ちよかったのだが、最終日ということでついハメをはずしてしまったのだろうか。酒を飲んでいたとしても、コンサートの終盤ともなると、それなりに締まってくるものなんだが・・・ライヴを通しで聴くのがこわい(笑)。
1990年:東京=日本武道館
 <ジャーニーマン・ツアー>3日目。ECの雑誌記事やライナーノーツの執筆で名を知られる、ある人が、当時雑誌のレビューで、最初3日間とも行くつもりだったが、初日が余りにもすばらしく、その余韻を大切にしたいため、2日目はあえて行くのを止めた、というようなことを書かれていて、理解できるようなできんような、どうも落ちつかん気持ちになった。なんかカッコつけすぎのように聞こえたのは、単に評者が不粋だからだろうか。それはともかく、サウンド・ミキサーの言を信じるならば、日本公演のベストの日を、氏は自らの美学を尊重せんがためにみすみす見逃したことになる。この辺の見極めがむつかしいのよね、複数回観る人は。
1991年:広島=サンプラザ
 ジョージ・ハリスン公演。キャパ5000人クラスの会場は大阪とは違って立見券まで前売り段階で売り切れる完全ソールドアウト。場内超満員、熱気ムンムンで、たいへん盛り上がったそう。
No.2234 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(36) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-07
[12月7日]

1981年:東京=日本武道館
 有名な"「レイラ」落とし事件"のあった日。アルコール中毒による発疹を併発した状態で、「ステージに出たくない」とマネージャー、ロジャー・フォレスターに洩らした一部始終は、レイ・コールマンの著書『SURVIVER(邦題=エリック・クラプトン・ストーリー)』にも生々しく描写されている。結局、ショウは強行されたが、「コカイン」で力尽きたのか、その後に続くはずの「レイラ」には進まずにステージを降りた。が、アンコールには応えて「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」を演奏、1時間半少々と、来日史上最短ながら、ショウの一応の体裁は整えて、プロの面目を保った。
 当時追っかけをしていた知人によると、演奏は悪いどころか、「おっ、今日はリキが入ってるな」と思ったほどよかったそう。後年、ライヴ・テープを聴かせてもらった評者も同様の感想を抱いた。95年のブルース・ツアーで来日したとき、NHKのインタビューで「体調が悪いとき、かえってプレイに集中できて、ライヴがいい出来になることがある。反対に調子は申し分ないのに、演奏がイマイチだったりすることもある。不思議なもんだね」と発言していたのがやけに印象に残っている。もっとも、この日は、体調不良なんて生やさしいものではなかったはずだが・・・。
「アナザー・チケット」に替えて、この日だけ「ダブル・トラブル」をやったのが、何やら示唆的。
No.2241 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(37) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-08
[12月8日]

1981年:横浜=文化体育館
 伝えられる情報はあまりないが、「レイラ」を含むフルセットがプレイされ、プレイの面でもとくに問題なかったと聞いている。
2001年:仙台=グランディ21
 初来日から27年目にしてついに実現した初の東北公演。後日の横浜最終日の演奏終了後、サウンド・ミキサーと話をしていて、氏がいちばん気に入った日に挙げていたのがこれ。「ハヴ・ユー〜」で珍しくもワウを用いてソロをとったのが異色。ショウ終盤ではギターのチューニングが狂っていたそうだが・・・。
No.2247 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(38) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-09
[12月9日]

1981年:東京=新宿厚生年金会館
 追加公演として決まった、今もって東京地区唯一のホール公演。ホテルの備品の浴衣(?)を羽織ってプレイしたこと、ゆったりしたテンポの「コカイン」の最中に、上から吊るされたローディーが空中浮揚したこと、「レイラ」のソロでスライド・バーを用いたこと、アンコール「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」を途中でやめさせて、ジミー・リードの「ブライト・ライツ・ビッグ・シティ」(具体的なコメントはなかったが、歌詞の内容から、ほぼ1年前に亡くなったジョン・レノンに捧げたと解釈する向きもある)を強引に挿入したことなど、エピソード満載の日。
1990年:東京=代々木オリンピックプール
 <ジャーニーマン・ツアー>追加公演。
1991年:福岡=国際センター
 ジョージ・ハリスン公演。福岡でECがやるのは6年ぶり。長いあいだ公演が途切れていたのは、同地でのコンサートを主催していた興業主が倒産したからだという話を聞いた。この公演も直前まで決まらなかったような記憶がある。いったん決まると、チケットは早々に売り切れ、広島同様盛り上がったということだ。
No.2248 題名: RE:ミキサー氏との会話 お名前: Sno-god 投稿日:2002-12-09
ブルー爺さんありがとうございます!!なんか気持ちの良い裏話が聞けました(笑)・・・でも終演後ミキサーさんと会話するなんてさすがに抜け目ないですね!

 "クラプトンの秋:来日ごよみ"も、去年EC追って駆けずり回った一人としてはもう最近の日課です・・・読みながら"やっぱりそうだったのか〜”とか,"そんなことがぁっ”とか楽しまさせてもらってます!!個人的には4日が一番で29日、24日もなかなか捨てがたいです・・・22日はツアー始まったばっかりという事もあって、こっちの聞く心構えみたいなのが出来てなくもったいないことをしてしまいました・・・あとから音源聞いてなおさら凹みました。
 
P.S.自分みたいな割と最近のECから入った者には昔のEC来日ごよみの話も重宝です!!
No.2259 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(39) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-10
[12月10日]

1990年:名古屋=レインボーホール
「コカイン」のソロでECにスポットが当たったが、なぜか弾いているのはフィル・パーマー。あわててライトがパーマーのほうに動いていった。この後の大阪でもパーマーがソロをとり、聞けばラストの横浜でもそうだったそう。ワールド・ツアーの締めということでECがサイド・ギタリストに華を持たせたのだろうが、余計なことをしてくれたものだ。「サンシャイン」で、スティーヴ・フェローニとレイ・クーパーによるドラムス/パーカッション・ソロのあと、メンバーがステージに戻ってきて、「ストレンジ・ブルー」にも聴こえるようなジャムを展開して、胸が高鳴ったのを覚えている。
1991年:大阪城ホール
 地方を回って戻ってきてからの、ジョージ・ハリスン大阪公演3日目。この日からライヴ・レコーディングが開始された。非常にヴォルテージの高い演奏だったが、オフィシャル・リリースに採用されたテイクは1曲もなし。
2001年:東京=日本武道館
 ライヴ録音を配慮したものか、アンプラグド版「レイラ」が落ち、替わって「マイ・ファーザーズ・アイズ」が大阪2日目以来の復活。出来については、総じて、何かが足りなかった、みたいな意見が大勢を占めた。
No.2260 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(40) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-10
[12月11日]
 
1990年:大阪城ホール
 大好評で、実際よかったと思うが、前々日の東京、前日の名古屋と、オフなし、移動をまじえての公演が3日続いたせいか、ちょっと疲れてるのかな、と感じる部分もあった日。「バッジ」のソロあたりは、名古屋に比べてキレが欠けていて、一応弾いてみました、という印象。
1991年:大阪城ホール
 最高の瞬間と、最悪とは言わないまでも、ハズしたと感じるプレイとが一緒くたになった、ECのライヴに典型的なパターンが顕われた日。「マイ・スイート・ロード」で、シールドの不備でアンディのギターの音が出なかったのはご愛敬としても、いつもと違うことをやってみようとして、物の見事に失敗した「ホワイル・マイ・ギター〜」でのソロは、同公演最大の呼び物だっただけに、期待した多くのファンをガッカリさせた。同行した友人曰く「スケールの練習をやってるみたい」。反面、「オールド・ラヴ」では大阪5日間中最高のスリリングなソロが聴けた。アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』には、この日から、「恋をするなら」「ダーク・ホース」の2曲が収録された。
2001年:東京=日本武道館
 ややお疲れぎみながら、12月4日以上にグレートな演奏が聴けたとされる日。計6日間録音されたとされる日本公演から、『ワン・モア・カー〜』CDヴァージョンには、「ティアーズ・イン・ヘヴン」、「レイラ」の前半部、「サンシャイン」、「虹の彼方に」の4曲がこの日から採られ、他の日からは1曲も収録されなかったという事実が、出来のよさを物語っている。
No.2267 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(41) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-12
[12月12日]
 
1991年:大阪城ホール
 ジョージ・ハリスン公演大阪最終日。疑問の余地なく、大阪での最高の演奏が聴けた日。「タックスマン」での雰囲気満点のECのソロ、本当にイカしてたなあ。『ライヴ・イン・ジャパン』には、『アビー・ロード』収録ジョージの2大名曲「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」が採用されたと言えば、出来のよさも了解していただけるだろう。
 
No.2272 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(42) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-13
[12月13日]

1990年:横浜アリーナ
 <ジャーニーマン・ツアー>日本及びワールド・ツアー最終日。最高だったという人がいる一方で、前半よかったが、「バッド・ラヴ」で弦を切ってギターを交換したのを境に、みるみるテンションが落ちていったいうベテラン・ファン、それも複数の証言がある。ECにありがちなパターンなので、評者は後の説が事実だったのだろうと感じている。一部で言われている、この日だけ「ビハインド・ザ・マスク」をやったというのは、どうやらガセネタらしい。
No.2278 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(43) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-14
[12月14日]

1991年:東京ドーム
 ジョージ・ハリスン公演のクライマックス、東京初日。大阪でECがプレイしたエレキ・ギターはすべてシグネチャー・モデルのストラトだったが、東京では日によってまた曲によってレス・ポールを用いた、いやその話はガセだ、というのを前々から聞いていて、気持ちが落ちつかないのだが、どなたかその辺情報を提供していただけないだろうか。ブート・ビデオも出ているらしいので、その気になったら確認作業はそうむづかしくないように思うのだが。『ライヴ・イン・ジャパン』には、公演最大のハイライト「ホワイル・マイ・ギター〜」が17日との合体ヴァージョンで採用されたのみ。
2001年:横浜アリーナ
 EC最後の大規模なワールド・ツアーと言われる<レプタイル・ツアー>の締めとなった、横浜2日間の初日。追っかけ勢からは、覇気のない、流した演奏と総スカンを食った。一方、全体として勢いにはやや欠ける分、手癖に走らない、イマジナティヴなソロが随所で聴けたグレートな日というのがブルー爺の感想。あの日会場にいたみなさんはどう感じられましたか?
No.2287 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(44) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-15
[12月15日]

1991年:東京ドーム
 ジョージ・ハリスン公演東京2日目。「アイ・ウォントゥ・テル・ユー」「タックスマン」「ギヴ・ミー・ラヴ」「ピギーズ」「セット・オン・ユー」「クラウド・ナイン」「マイ・スイート・ロード」「過ぎ去りし日々」「チアー・ダウン」「デヴィルズ・レイディオ」「イズント・イット・ア・ピティ」そして「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」と、『ライヴ・イン・ジャパン』収録の19曲中約2/3にあたる12曲がこの日のテイク。
2001年:横浜アリーナ
 <レプタイル・ワールド・ツアー>最終日。大阪初日同様「マイ・ファーザーズ・アイズ」とアンプラグド版「レイラ」の両方を含むフルセットが演奏された。が、ブルース・ナンバー一番人気「ファイヴ・ロング・イヤーズ」は他の日のようにクライマックスに達することなく、全体に少々お疲れの様子。最終日に必ずしもベストのプレイが聴けるわけではないという<ECの法則>を、ワールド・ツアーの最後で計らずも証明することになった。それでも前日よりはよかったというのが大方の意見だが、私はヒネリの効いたソロが多く聴けた14日のほうに軍配を上げる。
No.2293 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-16
[12月16日]

本日行われた公演はなし。

明日でいよいよ最終回。
No.2295 題名: Re:クラプトンの秋:来日ごよみ お名前: マジュヌン 投稿日:2002-12-16
ブルー爺さん

10/27以前の公演に関しては、来年のE○来日時期近辺に書かれるおつもりですか?

それとも、12/17過ぎに年内に一気に・・・とか?

お仕事がお忙しい中で、こんなに一生懸命ECの来日時の事を書き綴って頂いているのに、追い討ちをかける様な事はしてはいけないのでしょうが、何か皆さんからも多数のリクエストが出てきそうな・・・。

無理な事を言って、ご免なさい♪明日で最終回でしたよね!
又いつの日か(お別れする訳ではないのに・・・笑)、前半の続き&今後有るであろう日本公演を・・・宜しく♪
No.2303 題名: クラプトンの秋:来日ごよみ(最終回) お名前: ブルー爺 投稿日:2002-12-17
[12月17日]

1991年:東京ドーム
 ジョージ・ハリスン日本公演最終日。「オールド・ブラウン・シュー」「美しき人生」、そして14日との合体テイクで「ホワイル・マイ・ギター」が『ライヴ・イン・ジャパン』に収録された。
 当初考慮されていたワールド・ツアーへのウォームアップ的な意味合いも兼ねたこのときの公演は、日程が進むに連れてハリスンとECとのあいだに摩擦や感情的なしこりが生ずるようになり、結果として日本だけで実現した特別なイベントとして終わりを迎えた。レイ・コールマン著『CLAPTON』(『エリック・クラプトン・ストーリー』のタイトルで邦訳も出ている『SURVIVER』の、94年に英国で出た大幅な改訂増補版)では、その辺の内幕が語られている。東京のバックステージでは、自分の存在が軽んじられていると感じてか、ハリスンが、冗談めかしてにしろ、「そのような口のきき方をするでない! 余は元ビートルズであるぞよ!」と誰かに言ったということだ。ツアー一行のなかには、気まずい空気にいたたまれず、一刻も早く英国への帰宅を待ち望んだ者もいたという。このようなエピソードを聞くと、ファンが何かと美化したがるジョージとエリックの友情も、そんなに平坦なものではなく、プライドや嫉妬や妬みといった人間くさい感情から自由でなかったという点で、スーパースターもわれわれ凡人と変わりないことに気づかされるのだ。

 12月半ばともなればもう冬。ECが日本を発ち、2年に一度の<クラプトンの秋>が去ると、われわれ日本のECファンは冬の訪れを感じるのである・・・。
No.2323 題名: RE:サーリー州ブルース同好会(笑) お名前: Sno-god 投稿日:2002-12-20
トメちゃんさん,ブルー爺さん遅くなりましたが、楽しいレスありがとうございました!!

・・・ECとキースの間柄興味深く読ませていただきました、ジョージとはまた違った意味で(↑題名のようにもっと硬派なつながり!?)重要な間柄なんでしょうね。
お薬友達ってのにはかなり笑えましたが!!

いつの日かクラプトン:リチャ−ズなんてCD出ないですかね、今度はキースとKEY TO THE〜掛け合いして欲しいです(笑)

P.S."クラプトンの秋:来日ごよみ”お疲れ様でした、無事に冬がやってきました!