セットリスト
広島初日’03年11月15日ECもご機嫌の2時間20分
1.Nobody knows you when you're down & out
(Crossroadの前にWhen You Got A Good Friend)
2.Crossroads
3.I shot the sheriff
4.Bell bottom blues
5.Reconsider Baby
6.Can't find my way home
7.White room
8.Little girl
9.I've got my mojo working
10.Hoochie coochie man
11.Change the world
12.Before you accuse me
13.Kind hearted woman
14.Badge
15.Holly mother
16.My father's eyes
17.River of tears
18.Lay down Sally
19.Wonderful tonight
20.Cocaine
21Five Long years
22knockin' on heaven's door
23.Layla
Encore
1.Sunshine of your love
2.Somewhere over the rainbow

大阪初日11月17日(以下の4曲が抜けました)
Nobody knows you when you're down & out
Before you accuse me
My father's eyes
River of tears
《1997年》
映画『フェノミナン』のために吹き込んだ「チェンジ・ザ・ワールド」が39回グラミー賞で年間最優秀レコードに選ばれる。

《1998年》
自伝的な内容のアルバム『ピルグリム』を発表。

《2000年》
敬愛するB.B.キングと録音したブルース・アルバム『ライディング・ウィズ・ザ・キング』を発表。

《2001年》
少年時代の思い出をテーマとしたアルバム『レプタイル』を発表。同時にローヤル・アルバート・ホールから長期のワールド・ツアーをスタートさせ、秋には通算15回目の来日公演を実現させている。

《2002年》
ロサンゼルスと東京で録音された音源を使ったライヴ・アルバム『ワン・モア・カー・、ワン・モア・ライダー』を発表。

《2003年》
デビュー40周年に当たる節目の年。11月〜12月には16回目の来日公演をはたした。

《1989年》
アルバム『ジャージーマン』を発表。ここに収められていた「バッド・ラヴ」によって、個人としてはじめてのグラミー賞を獲得する。

《1990年》
1月ローヤル・アルバート・ホール公演を皮切りに大規模なワールド・ツアーを開始。来日公演も実現させている。

《1991年》
恒例となったローヤル・アルバート・ホール公演の直後、息子コナーが事故で死去。ふたたび音楽の世界から姿を消してしまうのではと危惧されるなか、クラプトンは音楽を続けることで立ち直る道を選び、この年の暮れ、ジョージ・ハリスンとの来日公演を成功させる。

《1992年》
息子を失った悲しみから立ち直る過程で書かれた「ティアーズ・イン・ヘヴン」を映画『ラッシュ』のサウンド・トラックとして発表。この曲を含めて新旧の代表的作品を演奏した『MTVアンプラグド』がアルバム化され、驚異的なヒットを記録する。

《1993年》
『アンプラグド』の成功で6つのグラミー賞を獲得。35年の歴史を持つ世界最大の音楽イベントを完全制覇した。

《1994年》
はじめて真正面からブルースに挑戦したアルバム『フロム・ザ・クレイドル』を発表。同コンセプトのツアーも行い、来日も実現させた。またこのアルバムによって彼は第37回グラミー賞で最優秀トラディッショナル・ブルース・アルバム賞を獲得している。


《1973年》
ピート・タウンゼント、スティーヴ・ウインウッドらの助力を得て、復活の足がかりとしてレインボウ・シアターのステージに立つ。

《1974年》
マイアミで録音された『461オーシャン・ブールヴァード』を発表。当時はまだほとんど知られていなかったボブ・マーリィの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーして全米一位に送り込み、復活を果たす。この年の秋、初来日も実現。以降、75年の『安息の地を求めて』、76年『ノー・リーズン・トゥ・クライ』、77年『スローハンド』、78年『バックレス』とつぎつぎに充実した作品を発表していった。

《1979年》
メンバーを一新し、4度目の来日をはたす。この年のステージからライヴ盤『ジャスト・ワン・ナイト』が制作された。

《1981年》
自身のレーベル、ダック・レコードを設立。

《1983年》
ダックからの第一弾、『マネー・アンド・シガレッツ』を発表。

《1985年》
フィル・コリンズがプロデューサーに迎えて制作した『ビハインド・ザ・サン』
を発表。『フォーエヴァーマン』がシングル・ヒットに。

《1986年》
ふたたびフィル・コリンズと組んだアルバム『オーガスト』を発表。タイトルは、8月に息子コナーが生まれた喜びを込めて付けられたものだった。

《1986年》
デビュー25周年を記念する特別公演で東京ドームのステージに立つ。エルトン・ジョン、マーク・ノップラーがゲストで参加した。

バイオグラフィー

《1995年3月30日》
イギリス、サーレイ州リプリーに生まれる。幼い時、両親が離別したため、祖父母の育てられ、兄として接してくれた叔父の影響もあり、さまざまなスタイルの音楽に興味を持つようになる。

《1963年》
折からのR&Bブームの中、独学でギターを身につけた彼はいくつかのバンドに参加。秋には、すでに成功への切符を手にしていたローリング・ストンズの後釜として注目を集めていたヤードバーズのギタリストとして迎えられる。

《1965年》
ヤード・バーズ脱退。短期間でギター・ヒーローとしての地位を確立しながらも、バンドのポップ路線転換を嫌い、ブルースを追求する道を選んだ彼は、一時期、ジョン・メイオールのブルースブレイカーズに在籍。

《1966年》
ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー、とクリームを結成。新しいロックの時代の頂点に立つ。

《1968年》
クリーム解散。

《1969年》
デラニー&ボニーやレオン・ラッセルらの協力を得て、初のソロ・アルバムを制作。つづいてデレク&ドミノスを結成し、歴史的名盤『レイラ』を世に送りだす。

《1971年》
デレク&ドミノス分裂。私生活面での深い苦悩もあり、音楽界からしばらく姿を消すことになる。
♪WONDERFUL TONIGHT♪
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1977年発表のアルバム『スロー・ハンド』からシングル・カットされ、翌年の夏、全米チャートで16位まで上昇したバラードの傑作。90年代に入ってからは後半部を長く伸ばした聴き応えたっぷりのアレンジで演奏されている。


♪BAD LOVE♪
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1989年発表のアルバム『ジャーニーマン』の収録曲。「レイラ」を意識したという転調やギター・ソロが90年代の活躍を予感させた。この曲の成功によって彼は個人名義では初のグラミー賞(ロック部門)を獲得している。


♪TEARS IN HEAVEN♪
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91年春、クラプトンは幼い息子を不幸な事故で失う。その痛手から立ち直る過程で書かれたのがこの曲。映画『ラッシュ』に提供されたものだが、『アンプラグド』でも取りあげられ、グラミー賞6部門制覇の原動力となった。


♪CHANGE THE WORLD♪
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ジョン・トラボルタ主演の映画『フェノミナン』に提供した作品で、ベイビーフェイスとの意外な顔合わせが話題を集めた。ほかのソングライターによって書かれた曲だが、彼はもう完全に「クラプトンの作品」としてしまっている。


♪MY FATHER’S EYES♪
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自伝的・内省的な歌詞とコンピュータを駆使した大胆なサウンドの融合が話題を集めた1998年のアルバム『ピルグリム』からの第一弾シングル。実の父親を知らずに幼年期を過ごした自身の体験がその下敷きとなっている。

【1974年】
エリック・クラプトンの初来日が実現したのは、今からほぼ30年前の1974年秋。「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の全米ナンバー・ワン・ヒットを生んだアルバム『461オーシャン・ブールヴァード』で劇的な復活を遂げた直後の来日だった。

【1975年、1977年】
初来日、2回目、3回目の来日でクラプトンのバックを努めたのは、デレク&ザ・ドミノスにも貢献したベーシスト、カール・レイドルを中心とするアメリカ人ミュージシャンたち。当時、レイドバック的な指向を強く打ち出していたクラプトンはリード・ギターをメンバーのひとり、ジョージ・テリーに任せることが多かった。

【1979年】
通算4回目となるこの年の来日を前にクラプトンはメンバーを一新。今年の
来日も同行する予定のクリス・スティントンや、カントリーのも精通したアルバート・リーなど全員イギリス人でバックを固め、名ライヴ盤『ジャスト・ワン・ナイト』を完成させている。

【1981年】
1979年来日時と同じ4人のイギリス人ミュージシャンに、元プロコル・ハルムのゲイリー・ブレッカーを加えたスペシャル編成が話題を集めた。

【1985年】
「フォーエヴァー・マン」のヒットを生んだアルバム『ビハイインド・ザ・サン』を
引っさげての来日公演。ブッカー・T&ザ・MG’のベース奏者、ドナルド・ダック・ダン、クリス・スティントンらがバックに参加した。

【1987年】
日本のファンにおなじみのネーザン・イーストがここで初参加。元アヴェレイジ・ホワイト・バンドのスティーヴ・フェローン、ダイアー・ストレイツのアラン・クラークをバックに、はじめてサポート・ギタリストのない、4人だけのステージを聞かせた。若手ブルースマンとしてのクラプトンが注目していたロバート・クレイがオープニング・アクトでゲスト参加。

【1988年】
25周年記念公演。マーク・ノップラー、エルトン・ジョン、レイ・クーパーらがゲスト参加し、スティングが飛び入りするというハプニングも。

【1990年】
『ジャーニーマン』ワールド・ツアーの一環として実現した来日公演。キーボード奏者を2人従えた編成できわめて完成度の高いステージを聞かせた。

【1991年】
ジョージ・ハリスンと来日。17年間きちんとした形でステージに立っていなかったジョージを説得して実現させたライヴは、彼自身が幼い息子を事故で失った悲しみから立ち直るための重要なステップでもあった。

【1993年】
アルバム『アンプラグド』の記録的大ヒット、グラミー賞制覇によってあらためてロック・シーンの頂点に立った直後の来日公演。アンディ・フェザー・ロウ、がここから大きくフィーチャーされるようになる。

【1995年】
50歳の誕生日を前にして制作した初の本格的ブルース・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』を携えての4来日公演。ブルースしか演奏しない、というコンセプトが事前に告知されていたにも関わらず、各地の公演がソールド・アウトを記録した。なお、この時期からスティーヴ・ガッドがほぼレギュラー・メンバーとしてバンドに参加している。

【1997年】
自伝的な内容の歌詞と実験的なサウンドが話題を集めたアルバム『ピルグリム』の収録曲を、発表に先がけて、日本のファンの前で披露した。

1999年】
私費を投じてのクロスロード・センターの設立、その運営資金確保のためのギター・オークションなどが、話題を集めるなかで実現した来日公演。

【2001年】
通算15回目の来日公演。自らの少年時代をテーマにしたアルバム『レプタイル』の完成直後にロンドンからスタートした長期のワールド・ツアーをクラプトンは日本で締めくくった。最新ライヴ・アルバム『ワン・モア・カー、ワン・モア・ライダー』にほ東京公演の音源も収められている。


♪RIVER OF TEARS♪
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同じく『ピルグリム』の収録曲。発表以降はライヴの中核として演奏されてきた曲で、凄まじいパワーのギター・ソロとヴォーヵルを聴かせている。最新ライヴ盤『ワン・モア・カー、ワン・モア・ライダー』にも収録された。


代表曲リスト

♪SUNSHINE OF YOUR LOVE♪
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1966年に結成され、ロック・シーンの様相を大きく塗り替えたグループ、クリームの代表曲で、全米5位のヒットを記録。曲づくりにも貢献したこのダイナミックな作品は、現在もクラプトンのライヴの定番となっている。


♪BELL BOTTOM BLUES♪
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25歳の時に録音した歴史的名盤『レイラ』の収録曲。ジョージ・ハリスンからの影響がうかがえる転調を生かしたドラマチックなこの作品は、近年、アンプラグド編成で演奏されることが多い。『24ナイツ』収録のテイクも秀逸。


♪LAYLA♪
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クラプトンの代表曲というよりも、1970年初頭のロック界を象徴する名曲。許されない、苦しい愛をテーマに、ブルースを自分自身の音楽へと昇華させたこの曲を彼は発表以来、ほぼ欠かすことなくライヴで演奏しつづけてきた。


♪I SHOT THE SHERIFF♪
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『レイラ』以来3年間の空白期間をへて1974年に活動再開したクラプトンは復活第一作として『461オーシャン・ブールヴァード』を発表。そこからシングルカットされたボブ・マーリィ作のこの曲は全米第一位を記録した。




16回の来日公演








































































































































































































































































































































































































































































































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