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ナンニ・モレッティとわたし


出会い

 1992年10月おわり頃、銀座シネパトスに「赤いシュート」を見に行った。
 イタリア映画がみたい、と思って行ったのである。
 印象は、「いい」というよりも「このひと、いったいなに?」というかんじだった。
 イタリア人はうるさいし、何がどうなっているのかよくわからなかった。
 知人にそう伝えると、「では、わたしも」というので、また見に行った。
 その同伴者が、「これはすばらしい!」と絶賛する。
 私はといえば、ますますなぞが深まっていた。
「このひとは、ほんとうになにもの?」
 これこそ深みにはまる前ぶれであった。
 そのすぐあと、過去の作品をまとめて吉祥寺バウスシアターで上映していた。
 即決。私たちはまた見に行く。
 これですっかりモレッティのおもしろさにとりつかれてしまったのである。

その翌年
「赤いシュート」のビデオが発売になるというので、発売もとのゼアリズまで買いに行く。
 再映があればできるだけ出向いた、と思う。しかし、過去の作品のビデオは手に入らない。
 そのころ職場では、海外旅行が花盛りであった。
 私は、旅行には興味がなかった。まして、語学力もないのに行きたくない、というのが本音であった。
 が、だんだん風向きは変わってきた。
 はじめは「ふーん」と聞いていたのが、聞いてるうちに洗脳されていくのであった。
 それに、イタリアにいけばきっとビデオも売ってるだろうし・・・。
 そんなわけで、夏ごろから旅行に行く気になってきて、12月の始めには、機上の人となった。
 そして、「Nuovo Sacher」をさがして負けて帰ってきたのだが。
 ローマでは「caro diario(親愛なる日記)」を観ることができたので、詳細は以下に。
  ローマで見た「caro diario」
 ローマの映画館「eden」にった。
 夜はこわいので、夕方4時くらいに行くとシャッターが下りていた。
 待っているとぱらぱらと人がやってきた。その面々にちょっと驚く。
 白髪の老夫婦、中学生くらいの男の子二人組。男の子たちはモレッティのファンらしい。
 時間を過ぎてやっとシャッターがあき、中に入った。
 券売り場ボックスにおばさんが入っていて無愛想に券を売っている。
 老夫婦が大きい札しかない、というと「そんなのだめよ」というふうにジェスチャーなどして。
 そばの柱には「caro diario」を紹介する雑誌記事が貼ってあった。
 中に入るととても広くて、扇形に座席が並び傾斜もついていてどの席でも見やすい感じ。
 満席まではとても行かなかったが、気がつくと2、30人くらいはいっていたようである。
  きっとこんな早い時間では、普通観に来ないのだろう、と一人解釈した。
 たしか、上映の途中で休憩があり、ポップコーン売りが来た。
 結構みんな買っていた。私も、と思ったのだが小銭がなくってあきらめた。
 言葉の面で今ひとつ理解しかねたが、何しろコメディなのでなんとなく楽しめた。
 もちろん、場内はよく受けていた。
 モレッティのローマでの支持をかんじて嬉しかった。
  そのあと    
 「caro diario」が日本で公開されるまでずいぶんかかった。
 ローマで見た後、知人に報告し、早く日本で見たいといっていたのではあるが、情報はなかった。
 たまたま、ミラノに職を得て旅立つ人と知り合った。
 彼女にモレッティの話をすると、「まあこんなところでそのはなしがあるとは」といわれ
 イタリアではモレッティの「caro diario」がとても話題になっていることを知る。
 その後、彼女から新聞記事など頂いたことがあるが、いまは連絡を取っていない。

日本で見た「caro diario」  

 結局日本で「caro diario」が公開されたのは、1995年4月だった。
 邦題は「親愛なる日記」であった。
 東京では「シャンテ・シネ2」で華々しく公開されたのである。(レイトショウ公開ではない)
 確か初日に出かけていったが、この映画がフランスで人気が高く、カンヌで賞を取ったこともあってか
 ほんとうに大勢観にきていた。
 私は、字幕つきで見られて、よく理解できて、しかもとても楽しめて満足であった。