<第5回 家族について>
最近、子どもの教育や家庭のについて、色々な取り上げられ方がされています。カトリック教会では家族や家庭についてどのように考えているのでしょうか。
================================
家族の中心は夫婦と考えられています
================================
「家族」に対しては、あまりに幅が広いので短い話では満足できないでしょうが、特に、次のことをお話ししたいと思います。
「家族」と一口にいっても、そのあり方は様々です。夫婦二人だけの家庭もあれば、三世代が同居している家庭もあります。単身赴任や別居によって、一つの家族が分散している場合もあります。大ざっぱにいうと教会は次のように考えています。家族とは夫婦と子どもたちから成っていて、それぞれのメンバーが異なる役目を果たします。父親は家族の頭、母親は家族の心、子どもたちは頭と心を結びつける絆です。子どもは家族の宝ですが、その中心ではありません。家族の中心は夫婦です。夫婦は親子より優先されます。
==============================
「子どもは天からの授かりもの」です
==============================
日本には昔から「子どもは天からの授かりもの」と言う言葉があります。これは昔から変わらない真理だと教会は考え、教えています。「自分の子どもだから自分の好きなように育ててもいい」ということにはならないし、家や親の虚栄心のために子どもを利用するなどは、とんでもないことです。子どもは自分のものでありながら自分のものではないからです。子どもの教育は母親ばかりでなく、父親の役目でもあります。父親は我が子の教育の傍観者ではありません。父母は子どもの教育に関して共同責任を負っています。子どもはいつも父母を尊敬し、自立していない限り親に従うべきです。
ご存じのように教育は耳よりも目から入るものです。子どもたちは言われることより、むしろその生きている環境の中から学び取ります。子どもは親の評価や批判を知らず知らずのうちに受け入れてしまうことがあります。家庭で親の価値観の基準が与える影響は、想像以上に大きなものです。私の大好きな詩をご紹介したいと思います。
「子どもたちが生きるうちに学ぶもの」
もしも子どもが批判のうちに生きるなら、
その子は非難することを学ぶ。
もしも子どもが敵意のうちに生きるなら、
その子は攻撃することを学ぶ。
もしも子どもがあざけりのうちに生きるなら、
その子は内気になることを学ぶ。
もしも子どもが寛容のうちに生きるなら、
その子は忍耐することを学ぶ。
もしも子どもが励ましのうちに生きるなら、
その子は自信を学ぶ。
もしも子どもが褒め言葉のうちに生きるなら、
その子は有り難く思うことを学ぶ。
もしも子どもが公平な取り扱いのうちに生きるなら、
その子は正義を学ぶ。
もしも子どもが安心のうちに生きるなら、
その子は人を信用することを学ぶ。
もしも子どもが賛意のうちに生きるなら、
その子は自分を尊重することを学ぶ。
もしも子どもが受容と友情のうちに生きるなら、
その子はこの世で愛を見いだすことを学ぶ。
(ノルティー:教育心理学者)
=============================================
家庭の抱える問題を教会は自分の事としてとらえます
=============================================
先ほどもいいましたが、家庭のあり方は様々ですし、家庭の抱える問題や悩みも様々です。現代の家庭が抱える具体的な問題や悩みに対して教会は第三者としてではなく、自分のこととして共感し苦しみを分かち合うことに力をおいています。そして教会は、これらの現実の中にキリストはどのような慰めと救いを与えてくださるか、また、キリストがどのような希望と生きる力を与えて下さるかを見いだそうとしています。
参考図書
「傷ついた家庭にこそ 神の愛のなかに」 イシドロ・リバス 新世社
「愛といのちを育てるために」 カトリック名古屋教区家庭委員会編
「家庭と宣教」 日本カトリック司教団