四旬節03



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2月25日の灰の水曜日から、カトリック教会は、回心と償いの期間である四旬節に入りました。灰の水曜日に、ミサの中で、信者は頭または額に灰のしるしを受けます。灰によって、人間が土の塵(ちり)にすぎないことを自覚し、謙虚に生きることを思い起こすのです。今年復活祭は4月11日です。

教皇ヨハネ・パウロ二世
2004年灰の水曜日説教より


 「隠れたことをご覧になる父が、あなたに報いてくださるだろう」(マタイ6・4)。

 四旬節の初日にあたり、キリストのこの言葉は私たち一人ひとりに向けられています。キリスト教の伝統的な灰の式によって、私たちは四旬節を開始します。四旬節は特に神の聖性と偉大さの前での人間の罪深さを意識させてくれます。またそれは同時に、キリストの福音に対する信仰を具体的な行為を持って示していきたいとの心構えをも表しています。

 灰の儀式に使用される言葉は、四旬節の意味をよく表しています。前半部分は旧約聖書の創世記から取られています。「あなたは灰であり、灰に戻ることを覚えていなさい」(創世記3・19)。この言葉は、人間の存在の危うさ、弱さを如実に表しています。

 後半部分の言葉は、新約聖書の福音から取られています。「回心して福音を信じなさい」(マルコ1・15)。この言葉は、生活を改善しなさいとの厳しい勧告です。これらの二つの言葉は、神のみ言葉に素直に聞く態度と回心の精神をもって四旬節を始めるようにと、私たちに勧めているのです。

 福音は、主は「隠れたことをご覧になる」すなわちその人の心を見ると言うことを強調しています。償いの外的な行為は、それが心からのものであり、悪を避け善の道を歩むという確固たる決意を伴うかぎりにおいて、価値を持っています。ここにキリスト教的修徳の本質があります。(中略)

 私は「四旬節メッセージ」の中で「このような幼子の一人をわたしの名ゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(マタイ18・5)というキリストの言葉を思い起こしながら、特に今、世界中の国々で多くの子供たちが置かれている困難な状況に注意を向けるよう促しました。事実、脆くか弱い無防備な子供たち以上に、助けや保護の必要な者がいるでしょうか。

 子供たちを取り囲んでいる問題は、大変多くまた複雑です。見捨てられた状況にあるこれら最も小さな兄弟たちが、私たちの連帯のおかげで相応しい世話を受けることができるよう、私は心から願ってやみません。これこそ四旬節における私たちの努力を具体的な行為で表すことにほかなりません。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、このような心構えをもって、四旬節の祈りの歩み、償いと正真正銘のキリスト教的修徳の歩みを始めましょう。

 キリストの御母、聖母マリアが、いつも私たちと共にいてくださいますように。


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