「こんなに苦しいけど、でもやっぱり神サンが大好きや。
明日もっと苦しくなっても、やっぱり神サンが大好きでいられますように。」
大きく輝く瞳が印象的だった松本神父は、1977年より1984年までの間、百合ヶ丘教会で様々な活動に関わりました。
神戸に生まれ京都で学び、大阪教区の司祭となりましたが腎臓病を発病。治療のため聖マリアンナ病院に近い百合ヶ丘に住まいを移したのが、当教会との出会いでした。日曜学校や中高生会、マリア会・壮年会を始め、家庭集会などにも精力的に顔を出し、ボアベール神父のよき助けとなりました。そしてその間、週3回の透析に通いながらも、神を疑うことなく、その愛を私たちに語り続けました。1984年、カトリック中央協議会へ移動のため、経堂へ転居。90年1月に病状が悪化し帰天。
松本神父が喜びのうちに語られた言葉の一つ一つは、私たちの中に今も生きています。