カトリック教会では人は死んだらどうなると考えているのでしょうか。

第6回 「人は死んだらどうなるの?」

死は新たないのちへの門です

カトリック教会の考える死については、
「キリストのうちにわたしたちの復活の希望は輝き、死を悲しむ者も、とこしえの命の約束によって慰められます。信じる者にとって死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後でも、天に永遠のすみかが備えられています。」
という言葉が『葬儀ミサの典礼書』のなかに出てきます。現代のカトリック教会で考える「死」とはどんなものなのか、よく現していると思います。

教会の考えでは、「人生」は、神に向かった旅なのです。人は死んだら神の御元に旅立っていきますが、その時イエス・キリストは、案内者として故人の迎えにいらっしゃいます。聖書ではイエス様はこうおっしゃっています。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのためのに場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ14・1〜3)

そして神のところで故人は生前の善悪について神の裁きを受けます。その時全人類の救い主である主イエス・キリストは故人をひとりぼっちにすることなく、故人のため取りなして下さいます。と、私たちは信じています。
具体的にどのように以上に述べたことが行われるのか、わたしにはわかりません。それは神様のなさることだと、信じています。この信仰は、私たちに希望と慰めと安らぎとを与えます。教会の考えでは故人の魂は裁きの結果、天国か煉獄か地獄へ行くのです。

教会では死者のために毎日祈っています

全世界の教会で毎日ミサが捧げられています。そのミサのなかで、毎日決まったところで死者の冥福を祈ります。教会の伝統的なことですが、毎年11月は「死者の月」となっています。11月には追悼ミサが行われ、お墓参りなども行われることがあります。11月2日は「死者の日」となっています。このとき全ての死者のために祈り、追悼ミサを捧げます。カトリック百合ヶ丘教会では毎年11月の最初の日曜日に「死者のためのミサ」があげられ、亡くなられた方の名前がミサの最中に読み上げられます。


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