特別ゲスト・岡本貴也さん書下ろしスペシャル

その男を殺したのは私です
[Sono otoko wo korosita noha watashi death]


「その男を殺したのは私です。たぶん」
彼女の部屋は整然としていた。
「たぶん?」
僕は彼女の急な呼び出しの理由を一目で理解できた。
ベッドに寝転がっている死体が(おそらく、死体だ)、竹川だからだ。
台所も生活感がない。きっと外食が多いのだろう。
仕事が忙しいのか、家事が苦手なのか、それとも?
「どうして僕を?」
「携帯の着信履歴と、手帳と」
なるほど。着信履歴があるということは親しい人間か仕事仲間で、
手帳の住所で友人か仕事相手かは判断できる。
しかしよりによって僕が選ばれるとは。
「そいつ、タケガワっていうんだ。大学の同期だよ」
「そうなんですか。よかった」
よくない。これで竹川に貸していた金は永久に返ってこない。
僕の電話にも出なかったということは、返すあてもなかったのだろう。
「で、どうするんだい?」
「それを相談したいんです。ごめんなさいこんな夜中に。どうしても
 男の人の手が必要だと思って。それで私と名前が一緒だったから‥‥」
「シノハラ?」
「シノハラ。篠原裕子」
若い。シノハラユウコはどう見てもOLという歳ではない。
そう言えば、さっきから飲んでるのはダイエットコーラか。
「来年の学費どうしよう」
と、シノハラは僕を真っ直ぐ見つめてそう言った。
「学費? 君は竹川から学費をもらってたのか?」
「家賃と生活費も。街で声かけられたんです、家でした日に」
やれやれ。つまりは僕のボーナスが彼女の面倒をみてたってことか?
それにしても彼女の無防備さはなんだ。
ふつう人を殺してから知らない人間を呼ぶか?
「どうして、竹川を、その、こんな風に?」
「それを着ろって言ったんです。それが許せなくて」
シノハラは壁を指さした。制服が綺麗に掛けてある。制服?
「学費って‥‥、高校生!?」
「違います。中学生です」
最悪だ。
僕の大学の同期は課長職にまでなっておきながら中学生を妾にしていたのか。
それも他人の金で。だんだん腹が立ってきた。
「金返せ」と僕は呟いた。
「え?」と彼女はとても小さな声を漏らした。
「金返せよ」
僕は立ち上がり、竹川の背広の中を探った。
死体を触るのは初めてだった。だけど竹川は血を流しているわけでもなく、
目をひんむいてるわけでもなかったので、ただ寝ているだけのように見えた。
背広の上着にはなかった。竹川をひっくり返す。重い。すっかりビール腹だ。
僕はいったい何をしているのだろう。そう、死体から金を取ろうとしているんだ。
なんのために?
くだらない自問だ。
だいたい、「なんのために?」なんて問いに答えがあると思うか?
人間の行動すべてが合目的的とは限らないじゃないか。
それなのにいちいち無理に答えをこじつけるから、
悲しくなったり怒ったり争いが起こったりするんだ。
理由なんてなんだっていいじゃないか。
お前だって中学生を抱くのに理由なんてなかっただろ?
彼女だって制服着ろって言われただけでは人を殺さないだろう?
理由なんてないんだよ。
おい、なんとか言えよ。呑気に死んでないで何か言ったらどうなんだ?
「私払います、お金」
「は?」
見るとシノハラはパジャマを脱ぎ始めていた。
「やめろよ! 俺とこいつと一緒にするな。俺が探してるのは金だ。
 セックスは金じゃない」
セックスが金じゃない理由なんて分からない。
こういう言葉が体から勝手に出てくる歳になっただけだ。
「金もセックスじゃないんだ」
「そう、なの?」
なんだ?
なんなんだその返事は。
なんなんだこの部屋は。
まるで現実味がないじゃないか。
彼女も、ベッドも、壁も、台所も、死体も、そして僕も。
彼女は最初に「たぶん」と言った。
この部屋では人を殺すことさえもリアリティがないのか。
そもそも人を殺すことにリアリティが必要かどうかさえも分からなくなってきた。
いま何時だ? 時計くらいはリアルでいてくれよ。僕は非現実的な壁を見回す。
時はやはりなかった。あるのは制服だけだ。
制服だけが唯一、現実社会との繋がりを保っているかのように見える。
いつの間にかシノハラユウコは裸になっていた。
たぶん、裸だ。
‥‥なんのために?
非現実的な僕は、非現実的な彼女を非現実的なベッドに押し倒した。



 おしまい


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