01.10.07
さらっと実存主義一考


数年前、ソフィーの世界なるものが流行した。
私の親父様の時代には、サルトルが流行したと聞く。
怪奇ブームほど頻繁にではないものの、
哲学は、たまにブームになる。
で、予感として、近々「実存主義」ブームが来るとみた。

いや、最近テレビなど見てて、
小難しい理論をこねる事が、わりとかっこいいみたいな若者が増えてる気がする。
アイドル系の女の子が、恥ずかしげもなく「私、NHKのしゃべり場好きです」なんて
言ってもいい風潮。

それでいて、
「私、こんな大人になるはずじゃなかった」
と、大衆に埋もれた自分を嘆く人たちのなんとまあ多いことよ。
すなわち、実存の目覚めである。
ハイデガーの言うところの、「ダスマンからの脱出」である。

ということで、それに先駆けて、小難しい哲学小説でも書いてみようか。
哲学ミステリー。
主人公は、大学八年生、哲学科の兄さん。
八年生ともなると、それはまあ貧乏で貧乏で、
貧乏ともなると友人も知人も離れていくわけで、
兄弟からは馬鹿にされ、親には嘆かれ・・・・。

って、それじゃあただの貧乏学生物語じゃんすか。



以下、実存説明。
興味があれば、どうぞ。
ちなみに私は、読んでない。


じつぞん【実存】
1 実際にこの世に存在すること。実際にあること。実在。
2 (英existenceの訳語)スコラ哲学で、現実にある存在。普遍的で変わらない性質である事物の本質に対して、今、ここに現実に変化しながら存在する事物の個体的存在。実存哲学では、真実で現実にある人間存在。人間が現在の世界の中に埋没して自分を失う状態を自覚し、こうした自己喪失を乗り越えて、真実の自己に立ちもどろうと努力し、自己否定をとおして主体的に自己生成をとげていくこと。人間存在の本来のあり方。自覚存在。
じつぞん‐しゅぎ【実存主義】
 (フランスexistentialismeの訳語)第二次世界大戦直後、フランスのサルトルによって造語された思想運動。この名称以前には、「実存哲学」という名称が用いられた。人間の実存。つまり人間存在の独自のあり方を明らかにすることを中心課題とする哲学的な主張。理性や科学によって明らかにされるような事物存在とは違って、理性ではとらえられない人間の独自のあり方を認め、人間を事物存在と同視してしまうような自己疎外から解放する自由の道を発見していこうとする企て。ドイツのハイデッガー、ヤスパース、フランスのマルセルは、哲学によってこの企てを試み、フランスのサルトル、カミュは、文学作品をとおし、また、後期のサルトルは、政治への参加によって、この企てを試みている。
じつぞん‐てつがく【実存哲学】
 (ドイツExistentialphilosophieの訳語)一九世紀の合理主義的観念論と実証主義に反対して、人間を理性や科学でとらえられない独自な存在とし、この人間の実存を明らかにしようとする哲学。広くはキェルケゴール、ハイデッガー、ヤスパース、マルセル、サルトルの哲学を含むが、厳密にはヤスパースの哲学をさす。ハイデッガーの哲学は、現象学的存在論といい、サルトルのそれは、実存主義という。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988



表紙に戻る