05.04.12
だからどうという事もないけど





宗教とか詐欺とか。
だまされる人は馬鹿だなあ、自我の足りない人だなあ、つまらない人だなあ。
と思っていたが。
さっきなんとなく思い至った、自分も数々洗脳されてきたなあ、と。

例1。
「この話は巷で大人気だよ」
とか勧められても、あんまり響かない。面白いかつまらないか、観てから自分なりに判断できる。
でも、
「巷で大人気のこの話は謎が深くてテーマが難解だよ」
と勧められると、謎解きに支配されて面白いかつまらないか分からなくなる。
謎が解けても解けなくても、面白さとは別なところに行ってしまい、感想が無くなっている。

例2。
小さい頃家族で観てたテレビ。
今見直しても、懐かしいだけで、面白いかつまらないか分からない。
面白い、と家族の誰かが言って、皆で見ていたテレビだから、
つまらないという個人的価値基準は選択肢にない。
家族が面白いと言っていたものは、無条件に「面白いもの」として認識される。


後日とあるタイミングで、それら外的な価値基準が自分の中に根付いている、と気づく時もある。
気づいたところで、どうということもない。
欺されていたと感じれば腹を立てる、それくらい。
植え付けられた部分の価値基準は、植え付けられた後の自分では修正できない。
……いや、「修正できないなあ」と今感じたところ。

まあ、それらを洗脳と呼べば、どぎつい感じに聞こえるけど、
往々にして、そういうことの積み重ねなのかな、と。

余談。
危機的状況に陥った時と、成功して「これ以上できないな」と思えた時、
わりと早い段階から頑張れなさそうな自分を見つけた。
さてこの自分をどうしたものか。
まあいいか。今はそのどちらでもない、なんにもない状態だし。

なんにもない、というフレーズに連鎖して、ギャートルズのエンディングが頭の中でかかり、
なるほどそうかと納得してみる。



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