05.01.11
人体の不思議展





友人に連れられて、何の前知識もなく「人体の不思議展」に行ってきた。
有楽町の東京国際フォーラムで開催中。
チケット売り場、すごい行列にてビックリ。主に若い人。カップル、家族連れなど。

会場に入っても、人だらけ。
人をかき分けショーケースまでたどり着くと、そこには人体解剖標本が。
そして説明書き。
「これらはプラストミック標本という技術で作られたものです。人体プラストミック標本は、生前からの意志に基づく献体によって提供されたものです。標本にお手を触れて観察する際は、十分お気をつけください」


前知識無しでは、ちと重すぎた。
正直、こころのなかでずっと「ありがとうございます」「すみません」「南無阿弥陀仏」と繰り返していた。
また、この黒山の人だかりを醜く思い、特に子供つれてきている親を憎んだ。
子供に見せるものではないでしょう、と。


家に帰ってきてから、いろいろ思い出した。
で、いくつか考えも変わった。
会場内は皆神妙な面持ちであったし、献体さん達に失礼な感情を抱いている人は少なそうでもあった。
子供にしても、まじめに見ていた。泣いたりはしゃいだり、そういうことは無かった。
ひょっとしたら、これがきっかけで医者を目指したりするかもしれない。こういうことがきっかけであるほうが、よほど純粋な動機になりうるだろうし。

この展覧会、倫理的価値観を一から見直させてくれるものであったな、と感じた。
多くの観客が、人体解剖標本を見なければならないほどの医学関係者や芸術家ではないだろう。
悪く言えば、恐いもの見たさで来ている人がほとんどではなかろうか。
けれども、この標本と同じものを自分らはもっているわけであり、この標本になった献体さんたちも生きていたわけであり、けれど目の前にいる人は死んでいる人であり、死んだ人が標本にされていて、それを見ている自分。
否応なしに、いろいろ、考えさせられるわけである。
きっと他の人たちも、心の深い部分で色々考えたに違いない。そうであってほしい。

夜。
案の定、夢に出た。
ひたすら「ありがとうございました」と繰り返してみた。





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