Title9-3.GIF (2758 バイト) 日露戦争の背景             

 [テーマ史 日清戦争・日露戦争 ] 

クロニクル「日清・日露戦争」 日清・日露戦争地図 日清戦争関連年表 日露戦争関連年表 日露戦争の経緯 日露戦争時の海軍 日露戦争時の陸軍 日露戦争の背景 日清・日露戦争リンク

日露戦争の背景

日本の戦略 ロシアの戦略

 極東におけるロシアの南下〜満州、朝鮮への進出〜は、日本がロシアの脅威を直接感じることとなり、強大な敵を阻止しなければならない、という必死の思いが強かった。

 国力、軍事力の点で、圧倒的にロシアが有利であることは、政府首脳が等しく認識しており、緒戦で勝利し、早い段階で英・米などに和平調停を依頼する。また、欧州で戦争国債を発行し、それで戦費をまかなうことからも、緒戦の勝利が重要であった。

 また、日本は間諜により、レーニンをはじめとしたロシア内外の革命勢力と接触し、支援した。

 日本はその国力から、自ら戦争を起すとは考えていなかったが、極東情勢が緊迫する中、圧力をかける意味でも極東の軍事力を増強したが、戦争不可避とみるとさらに要塞などを強化した。

 

日本海軍の戦略

ロシア海軍の戦略

強大なロシア艦隊ではあるが、それは極東艦隊とバルチック艦隊に分かれている。日本はまず、旅順にいる極東艦隊を殲滅し、その後にヨーロッパから回航してくるバルチック艦隊にあたる。それぞれは、日本の連合艦隊と同程度の戦力である。

旅順の陸に築いた強固な要塞で守りを固め、極東艦隊は旅順港内にとどまる。バルチック艦隊が回航してきたら、倍の艦隊で日本の連合艦隊を撃破する。

 

日本陸軍の戦略 ロシア陸軍の戦略

シベリア鉄道で刻々と増員されるロシア軍に対して、満州の遼陽で早めに決戦を行う。

ロシアはナポレオン戦争以来、退いて敵の兵站が伸びたところを攻撃して、勝つという戦術をとっており、日本との戦争でも、満州でそのような計画を立てた。そして、シベリア鉄道で増強した日本の数倍の軍隊で日本を押し潰す。

 

日本の国情 ロシアの国情

歳入 約2.5億円

歳入 約20億円

兵力 約20万人

兵力 約200万人

 日本は明治維新以後、欧米列強に伍して近代化を進めていくために、植民地政策として朝鮮に依存していかなくてはならなかった。それに対してロシアの南下〜満州、朝鮮半島への進出〜は植民地だけでなく、日本本土にとっても直接的な脅威と感じられ、必死に阻止することが重要な外交戦略となった。

 18世紀以来の極東南下政策がロシアの基本となっている。また後発の植民地帝国としても、満州、朝鮮に基地を作る必要を感じており、また、不凍港を手に入れることも宿願であった。一方、国内では体制に対する不満から革命分子が数多く、国民の関心を外に向ける必要もあった。

 

日本の外交 ロシアの外交

伊藤博文はロシアそのものと交渉しようとしたが、日本首脳部はロシアの極東での勢力伸長を抑えたいイギリスに働きかけ、日英同盟を実現する。また、アメリカ大統領ルーズベルトに和平調停を依頼していた。専制国家の官僚は国家利益より自分の官僚的な立場についての配慮によって行動することから、ルーズベルトはロシアは専制国家は必ず負ける、と 考えていた。

ロシア皇帝ニコライII世は、ドイツ皇帝ウィルヘルムII世に太平洋を征せよ、と煽られた。ドイツは露仏同盟により挟まれており、ロシアの強大な戦略が重圧となっていた。ロシアが極東へ戦力を割き、しかも劣勢になることで、 ヨーロッパにおいて、フランスはロシアの後ろ盾がなくなり、イギリスの圧力により、ロシアを支援することが困難になっていた。ロシアは専制的な官僚制度の弊害から、宮廷政府と軍事がうまく連携していなかった。ロシア本国の参謀が、派遣したバルチック艦隊の行方を知らなかったのもその一例。 また、ロシア皇帝とヴィッテやクロパトキンなどの首脳は、満州からの撤退と韓国を日本の勢力圏として承認する意思を決めていたが、一部の皇帝側近の極右派が、外国との交渉権も含めて極東太守に与え、日露交渉の余地がなくなったことも、戦争を不可避とした。

このページTOPへ  日清・日露戦争 のページ

日露戦争関連年表  日露戦争の経緯  日清・日露戦争リンク

日露戦争開戦当時の日本海軍の体制 日露戦争開戦当時の日本陸軍の体制

ホーム  テーマ史TOPへ