閑不徹
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」と、林芙美子は『放浪記』で語っています。人それぞれが、ドラマティックな人生を歩むとは限りませんが、大小さまざま、間違いなく波のように引いては打ち寄せてくる苦しみからは、誰しも逃れることはできません。
病気になって、床に伏して動けなくなってしまうということも、多くの方が経験される苦しみのひとつでありましょう。私の場合も、胃癌を患い、胃の摘出手術を終えた後、集中治療室で過ごした一夜は、痛さもさることながら、動けないということが不安を増幅させ、とにかく辛かったです。しかし、私がそうであったように、回復に希望が持てる場合は、指折り数えて、「あと、何日間の辛抱」と思えば、その苦しみは限定的なものとなりえます。
ところが、病気の回復のめどが立たない、あるいは、回復が望めない、はた、老いてすべてが衰え、動くことがままならなくなってしまったとしたら、深淵にはまり込んで、もがいてももがいても抜け出せないような、延々と続く無間地獄に堕ちゆくような苦しみを味わうことになります。そのような事態に陥ったときには、本人はもちろん、家族全員が、その苦しみを共有することになります。
私の父であり、師匠でもある当山の名誉住職は、この十月二日で九十六才になりました。今から思えば、八十才台の後半ぐらいからだったでしょうか、老いとの本格的な戦いが始まったように思います。怒りっぽくなったり、健常者から見ると、理解に苦しむような行動をとったりするようなこともありました。それが、九十二才の時に転倒し、大腿骨を骨折してからは、介護が必要な状況になり、そして、今年の二月に、心不全、肺炎を患い、長期入院を余儀なくされ、自分の足で歩くことも、自分で食事することもできなくなってしまいました。何度か、三途の川辺まで行っては戻ってくるという状況でありましたが、今では小康状態を保っています。
考えてみれば、病気で寝たままの状態を強いられるということは、いわば究極の「閑人」になるということです。そこで問題となるのは、その「閑」を楽しめるか否かということなんですね。ところが、どうにも「閑人」になりきれず、苦痛でしかないと感じている間は、「夢をもう一度」と考えたり、若い者を呼びつけて叱り飛ばしたり、周囲を巻き込んで、忙しさを求めようとしたりして、厄介な事態を引き起こしてしまうこともありがちです。これには個人差があり、このような期間が、長い人もあれば短い人もありますが、喜ばしき長寿を得ることとは裏腹に、どうしても避けては通れない通過点なのだと思います。
しかし、最近の父を見ていると、身体のどこどこが痛いとか、不平をあれこれいうこともなく、実に穏やかです。しかも、お陰と意識は確かで、ヨーグルトやプリンのような物であれば、喜んで食べてくれますし、毎日、家族が来るのを心待ちにしていてくれます。明らかに、意識の変化があり、見舞う者を和ませてくれるようにも見えます。話す言葉数が以前に比べ、少なくなったせいもあるかもしれませんが、禅語でいうところの、「閑不徹」という心境にあるように思えるのです。
「閑不徹」とは、『虚堂録』等の「雲は嶺頭に在って閑不徹、水は澗下を流れて太忙生」によるものです。『禅語字彙』の解説によれば「雲は閑かにして無心、水は忙しく流れて又無心なり。又上句を静底、下句を動的の意にいう。閑不徹は閑徹底、太忙生の生は助辞なり」ということです。
ただ、禅語というのは受け取る側によって、色々な意味に解される場合があります。この「雲在嶺頭閑不徹、水流澗下太忙生」の偈文も、「動静不二」、「静中動」、あるいは「忙中閑あり」といった心境を表すものと解することが多いですが、私は、老いという中で理解したいのです。間違いとの指摘を受けるかもしれませんが、それでもいいのです。現在の父の姿は「閑不徹」そのものだからです。
私を含め、これから老いてゆく者にとって、「閑」は、厄介なものと見れば、大いなる敵です。しかし、若い頃と同じような「忙」を求めようとせず、「閑」を楽しむことができるようになれば、「閑」は良き友となります。中国の説話に、道に迷った木こりが、囲碁の一手に何百年もかけて楽しんでいる仙人に出会ったという話がありますが、老いは、悠々たる時間を遊ぶものなのでしょう。老いのただ中にある父が、そのようなことを、身をもって教えてくれているような気がするのです。(2010/10/18)