父母恩重経(上)

 先日、我が耳を疑うようなニュースが飛び込んできました。

 中学一年だった次女らに「学校をぶっ壊してきな」などと破壊行為をそそのかしたとして、警視庁少年事件課と町田署は、暴力行為法違反(教唆)の疑いで、飲食店従業員の女(37)を逮捕した。同課によると、女は「つい格好を付けて威勢のいいことを言ってしまった。まさかあそこまでやるとは思わなかった」と容疑を認めている。

 逮捕容疑は、通学先の市立中学校の教諭に対する不満を話していた次女(13)らに「学校がうざいならやればいいじゃん。私の代のときは消火器をまいたり窓ガラスを割ったりしていた」などと、けしかけたとしている。
  (六月八日『産経ニュース』要約)

 親子の関係、ひいては家族間のあり方は、時代により、倫理観、あるいは国や地域によってもずいぶん違い、また、差があって当然といえます。しかし、冒頭のような事例は論外でありましょう。学校に対して、自己中心的で理不尽な要求をする親(モンスターペアレント)や、その子供(モンスターチルドレン)が、社会問題化してここ久しいですし、その他、躾けや道徳上の諸問題は、親子関係の歪みが、大きな原因の一つと考えられます。

 その是正を考えるにあたって、かつての儒教的な家族制度が、あながち良いというわけではありませんが、『論語』の「故きを温ねて新しきを知る」という教訓に、今一度立ち返ってみることは、けして無駄なこととは言えますまい。

 そんな観点から、仏説『父母恩重経』を紐解いてみることにいたします。ただ、一般的に「仏説」と冠しますが、サンスクリット語の原典はなく、中国で撰述された「偽経」ということになります。そんなわけで、学術的にはあまり重要視されてきませんでしたが、中国や日本において、大衆には広く流布されてきたという、特異な存在感を放つ経典です。また、二十世紀初めに発見された「敦煌文書」の中に、何点もの写本が含まれていたということで、その評価が再認識されています。

 さて、その内容は、「如是我聞(かくの如く、われ聞けり)」で始まり、形式上は他の経典と変わりありませんが、教義云々といったむずかしことは出てまいりません。では、王舎城の耆闍崛山において、多くの仏弟子の方々と共に、聴聞するつもりでみてまいりましょう。

 このとき世尊はすぐさま、法を説いて仰せられました。

 「一切の善男子、善女人よ。父には慈しみの恩があり、母には自分を忘れてお育てくださった恩があります。そのわけは、人がこの世に生まれるのには、先の世からの業を原因として、父母を縁といたします。父がなければ生まれません。母がなければ育ちません。ここをもって、生気を父の胤にうけ、形を母の胎に宿します。この因縁がありますから、憐れみ深い母が子を思うことは、世の中で比べるものなく、その恩は形になる前からおよんでいます。」 (訳:大巴賢充)

 これは現代語訳したもので、書き下しでは「父に慈恩あり、母に悲恩あり」と先ず出てまいります。「慈悲」という言葉の持つ意味を、父と母に振り分けて語られています。元来、「慈」はサンスクリット語のマイトリー(友情)にあたり、深い慈しみの心をさし、「悲」はカルナー(同情)にあたり、深い憐みの心をさします。また、生きとし生ける者に、幸福を与える(与楽)のが「慈」であり、不幸を抜き去る(抜苦)のが「悲」であるとされ、仏菩薩が、苦しむ衆生に対してたれる憐愍の情をいう場合にも使われ、「大慈大悲観世音菩薩」、「仏とは大慈悲心これなり(『観無量寿経』)」のような用例もあります。

 確かに、「慈」と「悲」に区別を見いだそうとすれば、前述のようにはなるのですが、ほとんど同じ心情を表すもので、同格とみなしてもよいものと思われます。父親は父としての、母親は母としての立ち位置があり、役割も異なり、子供に対してのアプローチの仕方や行動に違いは出てこようとも、我が子を思う気持ちは、父母共に変わりがあろうはずがありません。そこを押さえていただいた上で、「父に慈恩あり、母に悲恩あり」を噛みしめ、味わいいただければと思います。

 そして、「この因縁をもっての故に、(中略)その恩、未形に及べり」の言葉を、深く感じ取っていただきたいのです。自分という存在は、父母から生まれべくして生まれたのであり、生まれる以前から決まっていたことなのです。必然として、必要とされて生を受けたのです。それを、たまたま、偶然と考えたのでは、宗教も道徳も、何も良い結果は生まれません。「頼みもしないのに…」などと嘯くなぞ、もっての外であります。

(2010/6/18)