銀椀裏盛雪

 最近、似たような事件が相次いで報道され、テレビのワイドショー番組、週刊誌などでも話題になっております。

 埼玉県警が結婚詐欺容疑で逮捕した東京都豊島区の女(34)の知人男性2人が、5月と8月に相次いで不審死を遂げていることが27日、捜査関係者への取材で分かった。いずれの遺体からも睡眠導入剤が検出され、うち1人は練炭自殺を装って殺害された疑いもあるという。県警は女が何らかの事情を知っている可能性があるとみて捜査している。(10月27日毎日新聞)

 鳥取県内で今年4月から10月にかけ、男性3人が相次いで不審死し、いずれの遺体からも睡眠導入剤の成分が検出されていたことが分かった。3人とも県警に詐欺容疑で逮捕された鳥取市内の元スナックホステスの女(35)と接点があり、県警は女が3人の死亡と関係がある可能性もあるとみて調べている。女の周辺では他にも数人が死亡しており、死亡した人たちには多額の保険金がかけられていたとの情報があるほか女が借金に頭を悩ませていたとの情報もある。(11月5日毎日新聞)

 これらの事件の実態はまだ明らかになっておりませんので、どのような展開になるかは未だ不明です。しかし、多額なお金が特定の女性に渡った後、何人かの男性が不審な死を遂げているということは、共通して事実のようであります。

 およそ詐欺というものは、騙そうとしているわけですから、本物よりも本物らしく近づいてくるから厄介であります。結婚詐欺の場合、おいしいものを食べさせ、優しく振る舞い、恋愛感情を起こさせ、お金を騙し取るというものですから、その罪は重く、それが殺人にもつながっているとなれば、なおさら許し難い犯罪といえましょう。以前、このような事犯は、加害者は男で被害者が女性というのがほとんどでしたが、やはり、世の中は変わってきているのでしょう、手口は異なるものの性差はなくなってきているようです。

 騙す、騙る、欺く、偽る、まやかす、担ぐ、誑かす、陥れる、罠に掛ける、詐欺、欺瞞、瞞着、ペテン等々、人を瞞すという行為の表現は、驚くほどたくさんあります。そのことからも、人間の罪業の深さを感じられずにはおれませんが、騙される側にも、どこかに隙があるのも確かであります。そこで、その隙間を埋める言葉として、今回は、「銀椀裏に雪を盛る」を提示させていただくことにいたしました。

 白く輝く銀椀に、真っ白な雪を盛るという、爽涼感ある視覚的でとても美しい言葉ですが、『碧巌録』十三則「挙す、僧、巴陵に問う。如何なるか是れ提婆宗。巴陵云く、銀椀裏に雪を盛る」を典拠とする禅語であります。

 提婆というのは、二〜三世紀頃の南インドの僧で、大乗仏教の祖、龍樹の弟子となり、師の説く空の思想を究め、弁舌に長け、他学説を鋭く論破したため、恨まれて暗殺されたと伝えられています。その宗旨についてある僧が、 巴陵和尚に質問し、その答えは「(仏教という)白い銀椀に白い雪を盛ったようなものだ」でありました。

 この部分の著語(短評)に、圜悟克勤(北宋の僧)は、「白馬蘆花に入る」という表現を使っています。また、洞山良价(唐代の僧、曹洞宗の祖)の『宝鏡三昧』には「銀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す。類すれども斉しからず、混ずれば則ち処を知る」とあります。

 仏教の目的のひとつは「智慧」を磨くことにあります。弘法大師の『即身成仏義』に、「智とは決断簡択の義なり」とあり、「智慧とは、単なる分別、選択を超えたところにある、絶対なるものを選び取る、自ら決断する力である」というのです。一方、禅宗三祖の鑑智禅師の『信心銘』には「至道無難、唯嫌揀擇」とあり、「本当の道に至るに何の難しいことはない。ただ、選り好みを止めればよい」とあります。

 つまり、究極の智慧は、真実を突き詰めるために、選びに選び尽くした後に、分別の思いを手放し、選ぶことを止めるところまで要求されるのです。

 たとえば、人間には、騙す人間、誠実な人間がいるとして、それを判別する智慧がないと、賢い人間とは言えません。しかし、人間を、悪人と善人と二つに分けただけでは人間を理解したとは言えません。まるっきりの悪人、善人というものはなく、善人が悪人になる場合もあり、またその逆もあり得るのであり、その意味で、善人、悪人という実体はなく「空」なのです。更なる、人類愛を唱えるとなれば、善悪二つに分けたものを、改めて一つのものと見る「不二一如」でないといけないのです。「銀椀裏に雪を盛る」は、その「不二」「空」の妙なるところを見事言い表す言葉といえましょう。

(2009/11/18)