般若波羅蜜 (7) 智慧

 六波羅蜜の最後に位置づけられる智慧は、サンスクリット語でprajna(プラジュニャー)、パーリ語ではpanna(パンニャー)といい、般若はその音写であります。つまり、前の五波羅蜜の実践は、この智慧の完成を導くためのものということになります。

 では、その智慧とはいかなるものか、三つの仏伝をヒントに考えてみることにいたします。

 先ず一つ目は、初転法輪です。釈尊が菩提樹下で悟りを開かれた後、サールナート(鹿野苑)で、かつての五人の修行仲間(五比丘)に、初めて仏法の教義を説いたという伝承です。

 その内容は、四諦、四聖諦ともいい、四つの真理ということです。(1)苦諦(この現実世界は苦であるという真理)、(2)集諦(苦の原因は迷妄と執着にあるという真理)、(3)滅諦(迷妄を離れ、執着を断ち切ることが、悟りの境界にいたることであるという真理)、(4)道諦(悟りの境界にいたる具体的な実践方法は、八正道であるという真理)の四つです。

 この教えは、しばしば治病原理にたとえられ、苦諦は病状を知ること、集諦は病因を知ること、滅諦は回復すべき健康状態のこと、道諦は良薬であるとされます。

 ここで着目すべきは、釈尊最初の説法の内容が、四聖諦であったこと、実践方法として八正道をあげておられるということです。

 次いで二つ目は、釈尊の弟子の中で、智慧第一といわれたシャーリプトラ(舎利弗)にまつわる伝承です。

 当時、懐疑論者サンジャヤの一番弟子であった舎利弗が、ラージャグリハ(王舎城)の街で清々しい修行僧、アッサジを見かけ、「あなたの師は誰か。そしてその師の教えとはどんなものか」と尋ねました。「師は釈尊です。しかし、弟子となってまだ日が浅く、詳しくその教えを説くことはできません」というと「少しでもいいから」との求めに、アッサジは偈文をもって答えました。「もろもろのことは因ありて生ず。仏陀はその因を説きたもう」と。それを聞いた舎利弗は、その教えがいかに優れたものであるか、たちどころに理解し、サンジャヤの弟子二百五十人を引き連れて、釈尊の弟子となったということです。

 ここでは、因縁(縁起)の法こそが、仏陀の教えの中核をなすものであるということに、着目すべきであります。

 そして三つ目は、釈尊最後の説法のときの伝承です。釈尊は、クシナガラの郊外の二本のサーラ樹(沙羅双樹)の下で入滅されるのですが、付き添っていたアーナンダ(阿難)は、「頼るべき師を失ってしまったら、どうすればよいのですか」と、泣いてその寂しさを訴えます。そのとき、「自らを灯明とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とせず、法を灯明とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とするなかれ」と仰ったのでした。これが有名な、「自灯明」「法灯明」の教えです。灯明とは、島あるいは洲とも訳され、それは水害のとき安全な場所、つまり、拠り所ということです。

 ここでの着目は、「自己を拠り所とし、法を拠り所とせよ」という釈尊の遺言という、重き言葉にあります。

 さて、以上、釈尊が到達された智慧を探るため、その生涯において、極めて重要と思われる三つの伝承に着目してまいりましたが、ここに共通してあるのは、「法」ということです。しからば、「法」こそが「智慧」の正体といえそうですが、ただ、この法を定義することは、はなはだ難しいことといわねばなりません。

 釈尊の滅後、南方仏教(上座部仏教)と北方仏教(大乗仏教)という大きな二つの流れができ、さらにはいくつもの宗派ができたのは、その証左といわねばなりません。しかし、ここで問題とした四聖諦・因縁、さらに、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という仏教教理の特徴を表す三つの印(三法印)をキーワードとして、そのつながりをたどっていきますと「空」に行き当たります。すなわち、あの『般若波羅蜜多心経』が説くところの教えです。

 自分自身、生まれる前は影も形もなかったのが、不思議な因縁によって、人間としての生を享け、そして、目に見えるもの、目に見えないもの、計り知れない縁、お陰をいただいて今を生きている。すべては、因縁によって動いており、偉そうに、自分のものだと威張り散らしている、財産・才能・我が肉体さえ、縁をいただけなくなったら、生まれる以前の状態戻るしかない……。

 この空の教えは、執着の心を取り去り、感謝の心を呼び起こす、智慧の神髄に違いありません。

(2009/4/18)