和光同塵

 「老子」という、中国の思想家をご存じかと思います。伝説によれば、およそ二五〇〇年前の楚の人。周の図書館の司書をつとめていた。孔子が出向いて、礼の教えを受けたこともあった。あるとき周の国勢が衰えるのを感じ、牛の背に乗って西方に向かった。途中の関所で、関守の尹喜の頼みを受けて書き残したのが『老子』上下巻(五〇〇〇余字)であるという。上下巻の最初の一字「道」と「徳」を取って『道徳経』または『老子道徳経』とも呼ばれる。その後、老子は関を出て、その終わりを知るものはいない。……

 ただ、この伝記には疑問が多く、孔子より一〇〇年ほど後であるとする説や、その実在そのものを否定する説もあり、さらには、老子が西方(インド)の地で釈迦となり、仏教を興したという説(老子化胡説)まであり、要はあまりはっきりしていません。

 しかし、かく不確かな人物ではありますが、「道」の思想、道家を代表する人物として、儒家の孔子と並ぶ位置にあるのは動かしがたい事実です。

 そして、仏教の「空」と、老子の道家思想の「道」には類似点があるため、仏典が漢訳される時、道家思想の用語が訳語にあてられたり、道教の教団化にあたって、仏教の教団組織が参考されたりするなど、仏教と道家思想は少なからず影響しあってきたという経緯があります。

 そこで、今回、表題の「和光同塵」について考えてみることにいたします。故事成語辞典には、次のようにあります。

 (1)自分の学徳や才能を包み隠して、俗世間の中に交わり住むこと。『老子・第四章』に「其の鋭を挫き、其の粉を解き、其の光を和らげ、其の塵を同じくす」とあるのに基づく。

 (2)仏・菩薩が知徳の光を隠し、煩悩の塵にまみれて衆生を救うこと。仏・菩薩が人間界に仮の姿を現すことを言う。

 では、この「和光同塵」を、自分の人生の中で、どう生かせば良いのかということについて考えてみましょう。ただ、『老子』は、四百字詰原稿用紙にして十三枚程度ではありますが、難解で門外漢の私には手に負えませんので、仏教中心に述べさせていただきます。

 能動的態度と受動的態度の二つに分けて考えます。

 まず、能動的態度、生き方、スタンスといいますか、それは、法然上人の言葉を借りれば、『一枚起請文』にある「たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして」ということでありましょう。

 似たような諺に、「能ある鷹は爪隠す」とか、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」などがありますが、宗教的見地からいえば、「隠す」「押し殺す」ではまだまだで、至らぬ我が身への猛省、「愚の自覚」「懺悔」までいかないと本物にはなりません。

 「上味噌は味噌臭くない」といいますし、学者臭・坊さん臭・役人臭なんていうのがあるかどうか分かりませんが、それらしい臭いを放っているようでは、本物ではないということです。

 次に、受動的態度、身の置き方、主に対人関係においていかにすべきかを考えます。

 結論からいえば、自分と相対する人、すなわち父・母、夫・妻、兄弟、子供、友・敵、そして、時には動植物、自然界すべてあらゆるものは、私一人を教化するために、観音菩薩が姿を変えて、私の眼前に現れ出でたもうたとの認識を持つことであります。

 『法華経』「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)に、観音菩薩はあまねく衆生を救うために、相手に応じて、三十三の姿に変身すると説かれています。つまり、観音菩薩は、世を救済するために、広く衆生の機根(仏道の教えを聞いて修行しうる能力)に応じて、種々の形体を現じるというのです。

 ですから、妻は夫を、夫は妻を観音菩薩と崇め、感謝し合う心が大切であるというのです。しかし、反目敵対する人、たとえば、嫁姑同士では、とても叶わぬ相談だといわれるかもしれません。ただ、ここで取り違えないようにしていただきたいのは、迎合して仲良くなれということではないのです。

 仏法には、諸法実相という教えがあります。すべてこの世に存在するもの、現象は、それぞれが重要な意義を持っている、無駄というものは何一つない、観音さまが、私に真実の教えを見せてくださっているのだ―、そう認識することが肝要なのです。

(2008/4/18)