忍是仏心

 二月十一日、東京都足立区の機械修理・販売業(52)方で、母親(85)、妻(49)が頭部などを切られ死亡、高校一年の二男(15)は、両手首を切断され、後頭部陥没の重傷、本人も首をなたで切り、死亡しているのが発見されるという、何とも凄惨な事件が発生いたしました。

 一家は五人暮らしで、高校三年の長男(18)は、同日、大学受験のため家を出ており、無事だったといいます。

 二男は救急隊員に「おやじにやられた」と話し、遺書も見つかったため、無理心中を図ったものとみられています。遺書には、「母親だけ連れていくつもりだった。でも、どうしても皆を残しては…。自分が情けない。みんなを守れなかった」との趣旨が記されていたといいます。

 このニュースを聞いたとき、思わず絶句し、すぐにはことばが見い出せませんでしたが、ふと思い出したのが、大石順教尼のことでした。かつて、文豪吉川英治氏が順教尼を「忍≠ニいう字を使うことの許されるのは貴女だけだ」と評されたほどの方であります。ご存じの方も多いかと思いますが、足跡をたどってみます。

 大石順教尼の略歴

・明21  大阪道頓堀「双葉寿し」の長女として出生(本名:よね)
・明34  堀江遊郭「山海楼」中川万次郎の養女となる。芸事一本(芸妓名:妻吉)
・明38  養父中川万次郎、妻の浮気に逆上して芸妓六人を斬り捨て、五人は即死、一人妻吉は両腕を失うが奇跡的に命を取り留める。17才(堀江六人斬事件)
・明40  三遊亭金馬の一座に身を投じ、旅芸人としての生活が始まる。

 ▽他人は、面と向かえば「不自由でしょう」と同情するが、陰では「二股大根のお化け」と悪口。
 ▽巡業中、鳥籠のカナリヤが、口で雛に餌を与え育てる姿を見て強い感銘を受ける。
 ▽口で筆をとることを思いつき、字を知らなかった彼女は、小学校に飛び込み、字を習い、舞台の合間寸暇を惜しんで絵画書道を独学独  習。19才

・明41  寄席の舞台から引退を決意。
・明45  山口草平(日本画家)と結婚する。24才

 ▽一男一女の母となるも、主人の不貞現場を見る。女として、妻としての苦しみ。
  相手の女性が、大正七年スペイン風邪で苦しむ。我が口をつけて青い痰を吸い取ってやる。病人手を合わせて泣く。

・昭2 山口草平と離婚。画筆に専念。
    身体障害婦女子の福祉相談を始める。37才
・昭8 高野山で出家得度「順教」と改む。43才
・昭9 陸軍省の要請で、傷病兵士の慰問のために渡満。
・昭11  京都勧修寺境内に、身体障害者福祉相談所(自在会)を設立。
・昭22  自在会を改め仏光院を創設。

 ▽身障者に、茶道・習字の塾をつくる。手元に引き取り育てる。その数二百人に及ぶ。

・昭30  般若心経の写経、日展入選。
・昭36  仏光院本堂落成。
・昭37  東洋初、世界身体障害者芸術協会課員に認証される。
・昭41  ドイツのミュンヘン美術館で個展を開催。多大な感銘を与える。
・昭43  仏光院の自坊にて遷化。 才

 順教尼は、ご自身の人生について、次のように述懐されておられます。

 「一口に申し上げてしまえば、私は忍びやすい人生の出発に恵まれていたのだろうと思っているのであります。それは一つには両手を失った『無手』の身であること。一つには何も知らない『無学』なものであること。一つには、どんな人ともひとつになれる貧乏な『無財』なものであったからであります。

 この三つの無形の財産が、私のゆく道に、どれだけ幸せにしてくれたであろうかを思い、しみじみと感謝しているのであります。」

 また、次のような和歌を残されています。

◆喜びも悲しみもみなおしなべておのが心のうちにこそあれ

◆口に筆取りて書けよと教えたる鳥こそわれの師にてありけれ

◆たなごころあわせむすべもなき身にはただ南無仏ととなえのみこそ

 以上、順教尼から学ぶべきことは、逆境を感謝の心へと転換されているところです。高一の二男君の幸せを祈らずにおられません。

(2008/2/18)