正法を耳にする

 昔、ペルシャの王様が、多くの戦争体験を経る中、人生のむなしさを知り、人生とは何か、真剣に悩むところとなりました。王は、国中の学者を呼んで命じました。「人間とは何か、人生とは何か、教えよ」と。

 学者は、十年かけて、象三頭分の報告書を献上しました。王は多忙で読む時間がなく、要約するよう命じました。学者は十年かけて、象一頭分にまとめました。王はさらに要約を命じました。また十年後、ついに一巻に集約しました。

 しかし、学者が王の下に呼び出された時、王はすでに死の床に伏しており、弱々しく「賢者よ、一言で人生とは何か、教えよ」と。

 「人は生まれ、苦しみ、そして死にます」と、学者は答えました。王様は、深くうなずき感謝したといいう……。

 この話は、長い間語り継がれてきたからでしょう、いくつかのバリエーションがあります。しかし、「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ」という件はすべて共通しています。仏教でも、この世のことを娑婆(サンスクリット語で忍耐を意味するサハーの音写、漢訳では忍土)といい、つまり、煩悩多き苦しみの世界としてとらえています。釈尊の出家の動機は、生まれ、老いて、病んで、死ぬという、実にこの「生老病死」の苦しみからいかに解放できるかでありました。

 「四門出遊」という伝説によれば、釈尊がいまだ出家せず太子であったとき、郊外の遊園に遊びに行くためにカピラ城の東門を出たところで老人に出会い、次に南門を出たときには病人に、さらに西門を出たときには死者の葬列に会って、人生の無常の姿に深く動かされ、さらに北門を出たときに出家者(沙門)の堂々たる姿に出会って、そこに自分の進むべき道を見出だされたと伝えています。

 そして、今日、その苦しみからの解放の教えとして伝えられている仏典(経・論・律)は、象三頭分よりはるかに多く、ペルシャの王様ではありませんが、なかなか読み切れるものではありません。

 ならば、ということで、数ある仏典の内でも最も釈尊のことばに近いとされている『法句経』をひもといてみますと、一八二番(友松圓諦訳)に、釈尊が到達された一つの答えを見いだすことが出来ます。

 ひとの生を うくるはかたく
 やがて死すべきものの
 いま生命あるはありがたし
 正法を 耳にするはかたく
 諸仏の 世に出づるも
 ありがたし

 ペルシャの学者の結論「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ」は、死ぬ間際の者に対しては有効かもしれませんが、今生きている、これから生きねばならない者には、辛さだけが残ります。釈尊は、「人としてこの世に生まれ出でたこと、そして、どのような境遇、状態であれ、今生きていることはありがたいことだ」とおっしゃっています。

 人によっては、望みもしないのに生まれてきたとか、もっと頭が良く、美人に生んでほしかったとか、中には、フランス人に生まれたかったなぞと、親に悪態を吐く者がいます。また、人が人の子として生まれることに何の不思議があろう、当たり前じゃないかという者もいます。

 しかし、「望みもしないのに」とか、「当たり前」と思うところからは、道徳、宗教、学問も出てきません。「よくぞ生んでくれた」、牛豚、犬猫でもなく、ましてゴキブリでもなく、有り難き「善い縁をいただいた」と思うところに、生きる喜び(法悦)が滲み出てくるのです。

 同時に、自分が、様々な人にこれまで受けた恩は数知れず、また、意識的、無意識、社会の仕組みで人を悲しませたことも数知れず、また、生きるためとはいえ、食事のたびに多くの命をいただかねばならぬというのが、我々人間であります。生きているということは、実は多くの罪を作っているということでもあります。そんな自分を許してくれている世間に対して、感謝せずにはおられないと受け取ることが、仏法、宗教であります。

 そのような、世の中の道理を知り、生きる喜びをいただける仏法は、ただ待っているだけでは聴くことは出来ません。また、聖徳太子は、『十七条憲法』の中で、「自分より英知がすぐれている人がいると喜ばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。これでは、賢人聖人も育たず、国も治まらない」といっておられます。残念ながら、今現在、釈尊はおられませんが、優れた人はいくらもいます。教えを請うことに躊躇があってはなりません。

(2007/12/18)