『シンガーラへの教え』(2)

 日本人の宗教は、神道と仏教であるといわれます。一方で、「自分は無宗教である」と公言している人も少なくありません。ところが、子供が生まれればお宮参り、新車を買えばお祓いをし、家を建てるときには地鎮祭を行い、どこそこの神社仏閣へ行けば、いろいろな祠、お堂を巡り、賽銭を投げ、どのような神様、仏様がいらっしゃるのかも頓着せず、たいていは同じような拝み方をしています。口の悪い評論家は、「ご利益たなぼた方式」なんて呼んでいます。

 世界の宗教に詳しい町田宗鳳氏は、縄文時代から弥生時代を経て、日本人の宗教的感情の根幹には、いわば、「いのち礼讃教」というべきものがあると指摘されています。そして、さらにその源流を訪ねると、東南アジア辺りに行き着き、歴史のある時期に、その辺りの人々が渡って来て、私たちの文化の一つの原型を作ったのではないかとおっしゃっています。

 さて、ここで先回に引き続いて、『シンガーラへの教え』に話題を移します。この経典の主人公、シンガーラは、「いのち礼讃教」の現代日本人の宗教意識とあまり変わらない人物として登場しています。ですから、経典は、釈尊が、自分に説いてくださっているのだという認識をもって読むべきであります。そうすることで、「ご利益たなぼた方式」ではない、自らが心の土を耕し、種を蒔き、仏果を得よう、仏法を学ぼうという態度が生まれてくるのだと思います。

◎南方 師弟関係

 実に、弟子は次の五つのしかたで、南方に相当する師に奉仕すべきである。すなわち、〔1〕座席から立って礼をする。〔2〕近くに侍する。〔3〕熱心に聞こうとする。〔4〕給仕する。〔5〕うやうやしい態度で学芸を受ける。

 実に、これらの五つのしかたによって、弟子は南方に相当する師に奉仕すべきである。

 また、師は次の五つのしかたで弟子を愛する。すなわち、〔1〕善く訓育し指導する。〔2〕善く習得したことを受持させる(忘れないようにさせる)。〔3〕すべての学芸の知識を説明する。〔4〕友人朋輩の間にかれのことを吹聴する。〔5〕諸方において庇護してやる。

 実に、南方に相当する師は、これら五つのしかたによって弟子から奉仕される。また師はこれら五つのしかたで弟子を愛するのである。このようにしたならば、かれの南方は護られ、安全であり、心配がない。  ………………

 古く、日本の仏教界での師弟関係は、「三尺下がって師の影を踏まず」という考え方が支配していました。今でも、封建時代の儒教の名残でしょうか、一般社会でも、それに近い師弟関係を良しとする向きが少なからずありますが、釈尊の説かれる師弟関係は、それとはずいぶん違います。特に、弟子への思い遣り、気配りに関しては、先生、師と呼ばれる立場の人は、重々心せねばならぬところでしょう。

◎西方 夫妻関係

 実に、夫は次の五つのしかたで、西方に相当する妻に奉仕すべきである。すなわち、〔1〕尊敬すること、〔2〕軽蔑しないこと、〔3〕道を踏みはずさないこと、〔4〕権威を与えること、〔5〕装飾品を提供することによってである。西方に相当する妻は、これら五つのしかたで夫に奉仕されるのである。

 また、妻はつぎの五つのしかたで夫を愛する。すなわち、妻は〔1〕仕事を善く処理し、〔2〕眷属を良く待遇し、〔3〕道を踏みはずすことなく、〔4〕集めた財を保護し、〔5〕為すべきすべてのことがらについて、巧妙にして且つ勤勉である。

 西方に相当する妻は、これら五つのしかたによって夫から奉仕され、またこれら五つのしかたで夫を愛するのである。このようにしてかれの西方は護られ、安全で、心配がない。………………

 ここでも、釈尊の教えは、現代人の我々にもズバッときます。夫は妻に対し「奉仕せよ、尊敬せよ、軽蔑するな」と、亭主関白を自認している方には、耳が痛いところでしょう。「道を踏みはずすな」とは、「浮気をするな」ということです。「権威を与える」ということは、ブッダゴーサの注釈では、「食事の時に分配の権限を与える」ということだそうです。実に、女性の心理を見事に掴んでおられます。

 さらに驚くべきは、「アクセサリーをプレゼントしなさい」とあります。日本男性は、「釣った魚に餌をやる馬鹿はいない」などとうそぶいていますが、大いに反省すべき点でありましょう。

(2007/10/18)