『シンガーラへの教え』(1)

 ブッダゴーサという、五世紀頃の大仏教学者がおられます。意訳して「仏音」「覚鳴」などとも呼ばれます。中インド、マガダ国のブッダガヤー付近の人で、バラモン出身ですが、仏教に帰依し、広く経典に精通し、弁舌に巧みで、伝道に努め、四三〇年頃スリランカ(セイロン)に渡り、全三蔵(仏教聖典)のほとんどに、パーリ語の注釈書を作るという偉業を成し遂げた方であります。スリランカ(セイロン)では、彼の学徳をたたえて、弥勒菩薩の再来とあがめおられるそうです。

 そのブッダゴーサが、『シンガーラへの教え』という経典の注釈に「家長がなさねばならぬ行為であって、しかもこの経典のうちに説かれていないものは、何もない。この経典は家長の戒律と言われる。それ故にこの経典を聞いて、教えられたとおりに実行するならば、繁栄のみが期待せられ、衰退はありえない。(中村元訳)」と記されています。

 事実、現在においても、南方仏教の方々は、この『シンガーラへの教え』を、世俗人のための実生活の指針を述べたものとして、とても重んぜられているということです。ということは、現代にも通じる仏教道徳として、我々大乗仏教者も、この経典に学ぶべきことが多いのではないかと思われます。そこで、その一部(中村元訳)を紹介します。

 このようにわたくしは聞いた。

 あるとき世尊は王舎城のカンダラ竹林に住んでおられた。そのとき資産者の子シンガーラは早く起床し、王舎城を出て〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方の各方角を礼拝した。

 そのとき世尊は早朝に内衣をつけ、鉢と衣とをとり、行乞のため王舎城に入られた。

 そこで世尊は資産者の子シンガーラが早く起床し、王舎城を出て、〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方の各方角を礼拝しているのを見られた。そうして資産者の子シンガーラを見て、このように問われた。

 「資産者の子よ。汝が早く起床し、王舎城を出て、〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方のそれぞれの方角を礼拝するのは何故であるか?」

 「尊者よ、父がなくなるときわたしに遺言しました。―『親愛なる者よ、お前はもろもろの方角を拝すべきである』と。こういうわけで、わたくしは父の遺言を尊び、敬い、重んじ、奉じて、早く起床して、王舎城を出て、〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・〔南方・西方・北方・下方・〕上方のそれぞれの方角を礼拝するのです。」

 「資産者の子よ。立派な律においては、六つの方角をこのようなしかたで礼拝してはならない。」

 〔そこでシンガーラは乞うた、〕「それでは立派な人の律においては、どのようなしかたで六つの方角を礼拝すべきであるか、そのきまりをわたくしによくお教えくださいませ。」

 「では、資産者の子よ。聞け。よく注意せよ。わたしは話してあげよう。」

 「尊者よ。かしこまりました」と言って、資産者の子シンガーラは世尊に答えた。そこで世尊は次のように説かれた。    (中略)

 資産者の子よ、立派な弟子は六つの方角をどのように護るであろうか? 六つの方角とは次のものであると知るべきである。

 東方は父母であるとしるべきである。南方はもろもろの師であると知るべきである。西方は妻であると知るべきである。北方は友人・朋輩であると知るべきである。下方は奴僕・傭人であると知るべきである。上方は修行者・バラモンたちであると知るべきである。

 実に次の五つのしかたによって、子は東方に相当する父母に対して奉仕すべきである。―『〔1〕われは両親に養われたから、かれらを養おう。〔2〕かれらのために為すべきことをしよう。〔3〕家系を存続しよう。〔4〕財産相続をしよう。そうしてまた〔5〕祖霊に対して適当な時々に供物を捧げよう』と。

 実にこれら五つのしかたによって、子は東方に相当する父母に対して奉仕すべきである。

 また父母は次の五つのしかたで子を愛するのである。すなわち〔1〕悪から遠ざけ、〔2〕善に入らしめ、〔3〕技能を習学させ、〔4〕適当な妻を迎え、〔5〕適当な時期に相続させる。

 実に子は、このような五つのしかたによって、東方に相当する父母に奉仕し、また父母はこれら五つのしかたによって子を愛するのである。このようにしたならば、かれの東方は護られ、安全であり、心配がない。

    (以下は次回)

 この経典は、物語として読んだ方が面白いのです。俗な信仰をしているシンガーラに、それを頭から否定するのではなく、上手により深い信仰に教え導いていくブッダ釈尊の姿が、彷彿としてまります。

 今回は、東方だけの紹介ですが、親からの財産を守り、養われた親や先祖には奉仕し大事にすること、子に対しては愛情をもって、教育をし、結婚をさせ、さらには相続を引き継ぐまでが親の責任であると説かれているのだと思います。いかがでありましょう。

(2007/8/18)