ナメクジとカタツムリ


 私どもの庭に、夜な夜なナメクジがたくさん出没します。外猫にあげた餌の残りなどがあると、佃煮したらよかろうと思うくらい群がっていることがあります。ただ、誰からもあまり好かれることのないナメクジではありますが、照りには弱いとみえ、巣に帰り損ねて、カラカラに干乾びて死んでいたりしていると、哀れに思えてきます。

 一方、殻があるかないかで大違い、カタツムリは、ずいぶん得をしています。童謡や俳句にもたびたび登場し、梅雨時ともなれば、紫陽花とのツーショットの写真やイラストが定番のようにして使われます。しかも、殻があることで、乾燥に強く、寒さにも強く、越冬できるところから、ナメクジに比べ寿命も長いようです。

 俳句では「かたつぶり そろそろ登れ 富士の山」(一茶)というのが有名ですが、「かたつむり どこで死んでも 我が家かな」(一茶?)も、なかなか味わい深いものがあります。この句には、なんとなく宗教味が感じられ、少々考察してみることにします。

 ここで、カタツムリを「殻に閉じこもる」独りよがりな存在と解したのでは意味がありません。孔子は、「吾十有五にして学に志す(志学)、三十にして立つ(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)、六十にして耳順う(耳順)、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(従心)」と、その一生を振り返り、さらには、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と、人生への気概、求道の心を述べられています。

 つまり、カタツムリは、何年生きるか知りませんが、生まれながらに殻をすでに持っているところから、向上心ある覚悟を決めた求道者としてとらえるところに、この句に妙味が生まれます。

 私ども、奇しくも人間として生を享けているにもかかわらず、ナメクジのような生き方しかできず、皆から嫌われ、干乾びて死んでいかねばならないとあっては、情けなく哀れです。カタツムリに学ぶ生き方というものを考えてみましょう。

 釈尊のなまの言葉にいちばん近い文献とされる『法句経』に

 おのれこそ おのれのよるべ
 おのれを措きて 誰によるべぞ
 よくととのえし おのれにこそ
 まことえがたき よるべをぞ獲ん (一六〇番)

 爾 おのれの燈となれ
 すみやかにいそしみて
 賢き者となるべし
 けがれをはらい
 著をはなれて
 とうとき
 聖地にいたるべし (二三六番)

と(友松圓諦訳)、あります。

 釈尊が亡くなられるとき、弟子の阿難に、「私がいなくとも、自らを灯明とし、法(真理)を灯明とせよ」と遺言されたといいます。仏教徒は、「自灯・法灯という、二つのともし火を持て」というのです。灯明というのは、拠り所、寄る辺ということです。つまり、空・縁起の法を理解し、自己を確立して励むよう、諭されたのだと思います。

 これを、自分自身のこととして考えてみますと、本来存在しなかった自分は、父母という縁を得て、現在の自分というものがあります。当たり前といえば、当たり前なこととして見過ごしてしまいそうですが、それであっては、学問も道徳も宗教も育ちません。

 生まれてから現在に至るまで、父母、配偶者、教師、医師、友人、同僚、他、幾多の人々とのかかわりの中で、善いこともしたかもしれないが、罪深いこと、恥ずべきこともしてきた自分です。それらは、目に見えるもの、見えないものを含めて一切の縁起によって生かされてきたのだという意識、さらには、そういった人々、世間に借りがあるという意識を持つことが大切です。

 そして、このような共々に生かされて、許されて生きているという自覚の中にこそ、他者に対する慈悲の心が生まれ、仏教徒としての心構えができるのです。

 今日の自分は、昨日まいた種、因の結果です。明日の自分は、今日まく種、因の結果です。嬉しかったこと、悲しかったことが記憶として残るように、人の行為(業)は、善業・悪業として残ります。善因善果・悪因悪果、因果応報の教えは、正面から受け止めるべきです。

 確かに、宿業や共業(環境世界、多くの人々の行為の力としての業)のように、自分だけではどうしようもないものもありますが、縁を大切にして、「自灯・法灯」、「どこで死んでも我が家」の心を持って生かさせていただきたいものです。

(2007/5/18)