三途商店街


 年末から新年にかけて、衝撃的なニュースが相次ぎました。

 一月三日の夜、東京都渋谷区の歯科医の長女の短大生がバラバラに切断された遺体で見つかり、翌日、二男の予備校生が、死体損壊容疑で逮捕されました。犯行動機は、妹に「努力していないから夢がかなわないとなじられた」からだといいます。

 昨年十二月十六日、新宿区の路上でビニール袋に入った上半身だけの遺体が見つかり、同二十八日には渋谷区の空家民家の庭で下半身を発見。遺体は外資系のエリートサラリーマンで、 最初の発見から約一ヶ月経った一月十日、死体遺棄で二歳年上の妻が容疑者として逮捕されました。逮捕後、町田市の公園で頭部を発見。手首はゴミと一緒に捨てたと供述。犯行動機は、DV(家庭内暴力)、不倫、離婚話、事件の背後には夫婦間のあらゆるトラブルが網羅されていて、「夫は一度として、真に『悪かった』という謝罪の気持ちがなかった」「ひどい暴力を受け、いつか殺そうと考えていた」と供述しているとか。

 この二つの事件は、これまでの常識では考えにくい、あまり前例のない事件であります。どうしてこのような犯罪が起こるようになったのでありましょう。

 親子、兄弟姉妹、夫婦といった身内の人間関係は、易しいようで、なかなか難しいものです。、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーが、『ヤマアラシのジレンマ』という寓話を残しています。

 あるところに、寒さに震える二匹のヤマアラシがいました。寄り添って温まりたいのですが、お互い全身が針で覆われています。だから近づくと針が刺さって痛く、傷つけあってしまいます。でも離れると寒くて仕方がありません。つまり、近づきたくても近づけないというジレンマに陥る……。

 なるほど、おそらく、どちらの容疑者も、心が、凍えるほど寒かったのでしょう。そして、悲しいことに、自分が、ヤマアラシであることに気づいていなかったようです。現代人は、このような傾向が強いのかもしれません。

 ひとつ、こんなお話でも聴いていただきましょうか。

 ひとりの男が、三途の渡し場近くの商店街にやってきました。ここの商店街は、面白いことに、同じ店が二軒ずつ並んで商いをしています。レストラン、銭湯、旅行代理店といった店が、隣同士で同じ店構えで建っているのです。ただ、看板には、それぞれ「極楽飯店」と「地獄飯店」、「極楽湯」と「地獄湯」、「極楽ツアー社」と「地獄ツアー社」という具合であります。

 まず、「地獄飯店」に入りますと、ぎっしり食卓が埋まっていて、向かい合って食事をしています。ところが、どういうわけか、皆えらく長い箸を使っていて、自分の口に持っていこうとすると隣の人に、コツンと当たります。隣の人は、「何をする!」と、拳骨で返します。それが、あっちでもこっちでも、小突き合い、殴り合い、血みどろ喧嘩、食事どころではありません。

 これはかなわんと、「極楽飯店」に入りますと、やはり、ぎっしり食卓が埋まっていて、向かい合って食事をしています。そして、同じように長い箸を使っています。ところが、皆が皆、和やかに食事をしています。不思議に思ってよく見ると、なるほど、長い箸を上手に使って、自分が食べるのではなく、向かい側の人に食べさせているではありませんか。

 男は、「うーん」と感心しきり、腕組みしながら、「地獄湯」の暖簾をくぐりました。

 ここも、ぎっしり人で埋まっています。そしてまた、「水がかかった」だの「桶が当たった」だの、「ワーワー」「ギャーギャー」騒がしいの騒がしくないの、その内また血みどろ喧嘩で、お風呂どころではありません。

 早々にここも飛び出してきて、「極楽湯」の暖簾をくぐりますと、ここも、ぎっしり人で埋まっています。しかし、ここでは皆が皆、語らい合い、和やかにお風呂に入っているではありませんか。不思議に思ってよく見ると、自分で体を洗うのではなく、きれいに並んで、前の人の背中を流しているではありませんか。

 男は、「うんうん」と、大きくうなずき、「地獄ツアー社」を通り過ぎ、「極楽ツアー社」に入っていきました……。
 さて、いかがでしょうか。この世が、地獄になるのも、極楽になるのも、われわれの心の持ち方ひとつということであります。

(2007/1/18)