再猫閑話

 昨年の九月頃から、奇なる縁で、親に見捨てられた野良猫の子どもを、立て続け世話をするところとなりました。ところが、最初のチビ一世(メス)は約半年で、次のチビ二世(オス)は、わずか一月弱で忽然と姿を消してしまいました。当初、その不思議さに、それは猫の持つ神秘性に起因するものではないかと、勝手に納得させていたのですが、どうも、そうではなかったようです。

 今年のお盆前頃から、尻尾がふさふさした三毛の子猫(といっても自立はしているメス)が、姿を見せるようになりました。近づくと、一定の距離を保っていますが、微妙に人に馴れている風で、野良猫らしさがありません。

 その後、餌をしばしばあげているうちに体を触らせてくれるようになりました。ところが、そうそううまくいかないのが、野良猫社会であります。以前から当方に住み着いているグレー(チビ一世とは同腹の兄弟姉妹関係にあり、野良猫魂百パーセント)に、こっぴどくいじめられてしまうのであります。しかも、向かい側の小道を隔てた区域に少しでも近づこうものなら、これまた、子連れの母猫に執拗に追いかけられるという具合で、餌をあげているときも、常に耳をぴくぴく動かせて警戒しています。

 こんないじらしい子猫に、チビ三世ではなく、チーちゃんと名づけて、とりわけ家内が可愛がっておりましたが、十月の終わりに事件が起きました。右目を赤くしてしょぼつかせているのです。

 二、三日様子を見ていましたがいっこうに良くなる様子がないので、病院に連れて行ってびっくり、角膜が損傷しており、放っておけば、眼球を摘出せねばならなくなるというのです。そこで、ついに、家の中で飼うところとなったのであります。

 じつは、当方には十才になる室内犬(シーズー)がおり、猫との同居は難しいのではないかと思われましたし、爪とぎによって室内を荒らされるのではないかという危惧もありました。それで、これまで、猫を室内に入れることに二の足を踏んでおりましたが、この緊急事態、ついに決断せねばならなくなりました。

 一週間ほどで、目の方は良くなって一安心していたのですが、新たに、当初気がつかなかった横腹のところの引っかき傷が化膿してきて、とても痛がるようになったのです。多分、グレーとの格闘で負った傷でありましょう。これまた病院で薬をもらい、包帯でぐるぐる巻きにして、現在治療中であります。

 しかし、放浪中のとき、来た当初も食がとても細かったのが、このところ、すごい食欲旺盛になってきまし、しかも、甘えるとき以外はほとんど鳴かなくなりましたので、健康面、精神面でも安定してきているものと思われます。

 心配された、犬のチャッピー君との関係も、仲良くとまではいかないまでも、なんとか無難に折り合いをつけております。とはいえ、これからも、一騒動も二騒動もありそうなので、その覚悟をしていくことは必要でありましょう。

 さて、これまで、猫社会のことなぞ気にも留めていませんでしたが、たまたま何匹かの子猫とのかかわりがあったことから、いろいろなことが分かってきました。母猫から数匹の子猫が生まれ、それぞれの子猫が自立して、自分の縄張りを確保できるまでには、想像を絶するほど過酷な試練があることを知りました。おそらく、チビ一世も二世も、その試練に耐えられなかったものと思われます。

 ただ、猫の弱い者いじめは、自分が生きていくため、母猫がわが子を護るための、生死をかけた戦いであり、人間社会で最近問題になっている「いじめ」や「児童虐待」とは、違うものと考えられます。しかし、人間も動物であるということからすれば、「自分を守る」「自分を誇示する」といった意味において、あながち、まったく異質なものとも言い切れないような気もします。

 人間は、普通、理性によって一線を越えることがないようにストッパーが働くのですが、最近の傾向として、そこのところが十分に機能していない人が増えてきているのでしょう。やはり教育は大切です。特に、幼児期からの宗教教育は、悪に対する抑止力をつけると同時に、理不尽と思われることに対しての耐久力をつけることにもなります。「南無阿弥陀仏」の生活を、ぜひ心がけたいものです。

(2006/11/18)